三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前) |
#ほいで、「インチキ大統領センキョ」で、アハマディネジャドを、「再選してしまったことにしてしもうた」、そのイランで、よく、ワケのワカらん、革命サイバン所なるところで、ハタミ時代のフク大統領だったアブタヒのコーハンが開かれて、当初、主張しておった、「今回のセンキョは、イカサマだった」ということから、「本当は、正しかった」というふうに、言い分を換えさせられたのか。ぬあんだか、どこもかしこも、「国策ソーサ」ってあるんだなあ。岐阜ケン庁の裏金捻出で、タイホ後に、供述を換えた、あの蒲のおやぢみたいだな。ただ、アブタヒに対しては、50日間も豚箱に放り込まれて、相当、可愛がられておったようなんだな。さては、キューバのグアンタナモみたいに、水をイッパイ飲まされて、こっちのニッポンでの鹿児島の志布志ジケンみたいに、「踏み絵」もヤラされたんだな(笑)。こんなもん、ブッシュ倅んときの亜米利加と、全然、変わらんぢゃないか。魔女狩りっていうか、ここでも見事にマンガをヤッてんだよなあ。ニッポンも、戦前に、治安イジ法ってのがあって、代々木の連中とか、次々に豚箱に放り込まれて、ジャジャンと転んだからなあ。最近では、あの跳ね上がった全共闘の、あんまりアタマのよくない連中なんだが、ちょっと、ケーサツに可愛がられて、すぐ、転んだからなあ。まさに、イラン、コクサイ社怪の「物笑いの種」としか、いいようのない、「暗黒セージ」そのものだな(笑)。だって、隣のパキスタンですら、軍事ドクサイ者のムシャラフが訴追されて、死刑になるかって言ってるのに、これぢゃあ、「パキスタン以下」ぢゃないか。まだ、パキスタンの方が「自浄作用」があるからなあ。あとは、ミャンマーと、北のわがままおやぢんとこしか、ねえからなあ。コイツは、どうしようもねえよなあ。いくらなんでも、それないだろうってカンジだよなあ。ニッポンに亡命しとるイラン人、もっと真剣に怒っていいだろうが。イラン国籍のねえワシが、ぬあんで、こんなにチョー怒りマクリンスキーなんだ?
#しかし、今日(8・4)の午前中に、クリントン(ダンナの方)が、いきなり、北のわがままおやぢんところに乗り込んで、その拉致された2人のオンナの米人キシャの釈放交渉をヤルのか。「突然」といえば、そうだが、ああいうドクサイ国家は、コイズミがそうだったように、「トップ」が全権を握ってるから、「トップ交渉」でないと、何も動かんからな。ある意味、「さもありなん」ではあるな。ここで、わがままおやぢが、オンナの人質2人のカードをサーッと斬るようだと、米朝カンケイは、相当、変わってくるだろうな。「クリントン、遊びに来い」ってのは、「こっちに遊びに来た以上は、手土産を持って行け」ってことだろうからなあ。見返りに、亜米利加は、何を出すんだろうなあ。鳩山兄も政権獲ったら、こうやって、単身で乗り込まんことには、ニッポン人の人質は、戻ってこんからなあ。あのおやぢも、「足元」をちゃんと見てるからなあ。しかし、肩書きがないってのは、こういうときに、動きやすいわなあ。コレが小浜だの、ヒラリーだのってヤルと、目立つからな。クリントンも、ルインスキーとかの件で、さんざん、ヒラリーを泣かしてきたんで(笑)、「罪滅ぼし」なんだろうなあ。
#それで、昨日(8・3)の毎日朝刊の外電麺に、88年大毎入社・社会ブ同期の小倉(孝保)が、エノラ・ゲイの乗組員の生き残りの一人の、モリス・ジェプソンとかいう爺さんの単独カイケンを、「字」にしておったが、ワシは、「ヒロシマ、ナガサキ」ってのは、持ち場ぢゃないんで、詳しい「機微」はよう分からんのだが、ただ、「おやっ」って思ったのは、原爆ってのは、「核兵器」だから、落とした段階の被害が、大きいだろうっていうのは、ある程度は想定しておったが、「放射線被害による後遺症」が、こんなに60年以上経っても、続いておるっていうことは、開発した研究キカンも、予想だにしておらんかったっていうことが、「へえー」だよなあ。その意味では、ヒロシマ、ナガサキってのは、物凄い実証性を担保とした「人体ジッケンの場」だったんだよな。要は、「使ってみて、核は、これだけ、最終兵器として、とてつもなく強烈な殺傷能力を持っておった」というのが、初めてわかったということだよなあ。
そういうことでいうと、田母神が、原爆忌だったかな、その頃にヒロシマに乗り込んで、いろいろと喋るということについて、まあ、彼なりに、いろんな「タブー」を突き破りたいという思いはわかるんだが、しかし、そうやって、現実に、筆舌に尽くしがたい被害を蒙った立場からすれば、「オマエ、いったい、何なんだ?」という思いは、あるよなあ。もし、田母神の嫁ハンでも、子供でも、そういう原爆投下の被害に遭って、命を落としたり、ガンなどの後遺症で苦しんでおったりしたら、わざわざ、そういう日に現地に乗り込まれて、口泡を飛ばして、ワーワーと大声で「国防ロンギ」をされるのを、どう思うかなあ。フツーの人間であれば、「喪に服して、亡くなった人を弔う」という日ぐらい、そっとしておいてもらいたいよなあ。ワシ的には、田母神的な国防ロンギのアプローチは、全然、あってもいいと思う。というか、あるべきだと思う。ただ、還暦を迎えんとして、いいトシこいとるくせに、「場の空気」ってのを、わきまえなすぎるわなあ。ところで、イケダモン大先生は、このことを、どう、思ってるんかなあ(笑)。ココロから「反戦平和」を念じておる、超マジメなガッカイ員諸君、ここは、大センセイんところに、「公開質問状」を、ぜひとも、出してくれや! 頼むで!
#何や、ラスプーチン、昨日(8・3)の東京シンブン夕刊の1麺で、「顔出し」で、「外交キミツ費関連のブンショは、会計課のシンサ室にあるんで、政権交代したら、アソコにガサをかけて徹底的に調べたらいい」と、喋っておったのか。でもなあ、連中のことだから、「官邸上納」とか、ヤバイものは、既にシュレッダーにかけて破棄して、証拠インメツを図ってると思うなあ。だって、蜜約関連のブンショだって、既にゴミで棄ててるそうぢゃないか。確か、その廃棄のタイミングを「01年度からの情報公開法施行に合わせた」とか説明しておったが、ワシは違うと思うなあ。あのURAGANE担当ノンキャリ・松尾克俊が、桜田門に身柄を取られたのが、01年3月だから、それで大騒ぎになって、「この際だから、ヤバイのは、皆、始末しやう!」ってことになったんぢゃないかなあ。だって、連中の思考回路なんて、「中」におって、ラスプーチンが、一番、よく知っとるハズだからなあ。むしろ、外務ショウの「膿」は、外交キミツ費も含めて、「在外公館」だと思う。アレは、「聖域」ということで、その「松尾騒動」の際、歴代ジム次官3人のクビを差し出してまで、守り切ったからなあ。でも、それなんかも、ラスプーチンが、一番、よく知っとるからなあ。
#ほうー、今日(8・4)の夜になって、クリントンは、北のわがままおやぢと、会うたのか。ああいうおやぢは、案外、「丸腰」で乗り込んで、懐に飛び込んで来るニンゲンとは、サクッと会うんかもしれんな。ま、とにかく、「相手はオンナなんだから、あんまり、手荒い扱いをせんで、ちょっと、ココは、ワシの顔を立ててくれ」で、その人質のおねえちゃんを連れて帰って、あとは、嫁ハンに繋げれれば、クリントンにしてみれば、サイコーの「罪滅ぼし」だよなあ。クリントンなんて、あのルインスキーの一件以来、ヒラリーには、アタマが上がらんからな。たぶん、あのわがままおやぢも、そういうオンナ絡みの「機微」は、わかってくれそうだからなあ。で、クリントンはわがままおやぢと、「共通の話題」で喋ったのか。どうせ、オンナの話題だろうな(笑)。クリントンってのは、いわゆる亜米利加チックなグラマー系が、好みなんだろうなあ。ルインスキーなんて、まさに、「コールガール」だよなあ。何となく、ベルルスコーニと、好みが似てそうだよなあ。で、わがままおやぢの方は、どうなんだろうなあ。むしろ、どちらかというと、スラッとしたカンジのタイプのような気がする。まあ、このオンナの好みってのも、千差万別だからなあ。
#で、クリントンは、今日(8・5)、北のわがままおやぢんところから、おねえちゃんキシャ2人を連れて、亜米利加に帰ったのか。とりあえず、ルインスキーの件で、ヒラリーにはアタマが上がらんかったんで、やっと、これで、夫婦対等にハナシができるようになったな(笑)。たぶん、わがままおやぢも、妾や2号をイッパイ持っておって、家の中がややこしいから、そこは、オトコ同士、「通じ合うもの」があったんだろうなあ。しかし、北のわがままおやぢんところも、「法治コッカ」ならぬ、まさに、「人治コッカ」だよなあ。あらゆる一切の手続きが省略されて、あのおやぢが、クビを縦に振るだけで、拉致ヒガイシャ、即、釈放だからなあ。フツーのコッカぢゃあ、考えられんよなあ。「ありえねえ」よなあ。コレに匹敵するドクサイ者は、ヒットラー、スターリン、毛沢東かあ。ハメネイのジジイも、コレくらいの権限は持ってるんだろうかなあ。
#ほいで、その「サイバン員制度」がおっ始まったが、ワシは口泡を飛ばして、何度でも言うが、その「人を捌く」という、超デリカシーのない物言いだけは、ぬあんとか、ならんのか?こんなもん、江戸時代の大岡越前守の「おシラス捌き」の時代と、何の進歩もないぢゃないか。刑事サイバンってのは、そうしたコーハン手続きを通して、「真相究明」、すなわち、「真実とは、何か」を追求する場ではないのか。そうした作業を通じて、刑事ソツイされた被告人が、シロかクロかを判断するのが、サイバンではないのか。なぜ、こういう物言いをワシが、言うのかというと、三井環のオッサンが、今、『創』で連載しておる、「獄中手記」の中で、このことを言っておって、ワシは、これを読んだとき、「目からウロコ」だった。オッサンによれば、最終的には、被告人が、シロであるか、クロであるかも、どうでもよくて、要は、そのプロセスで、「ジケンの真相」が明らかにされれば、それは、それで意味があったことなのだと、な。その意味では、ワシ、思考停止した大マスゴミが、「人を捌く」という表現を、無自覚に使用するのは、まだ、わかるし、許せるせるんだ。あの白川勝彦のオッサンが、自らのコラム「永田町徒然草」で、平気に「サイバンとは、人が人を捌くことで、それはとても恐れ多いことだ」なんてことを、言ってるんだよな。時間が経つと、おそらく、人間は変化していくんだろう。無自覚で、こんな物言いが出てくるんだよなあ。
#ほうー、この「8・9」にOAの鳥越俊太郎のオッサンんとこの「ザ・スクープSP」で、その「第2の足利ジケン」ってことで、92年に福岡県飯塚市で起こった女児2人の殺害ジケンで、タイホ、キソされた「久間三千年」という被告人が、一貫して無実を訴えながらも、死刑が確定し、ぬあんと、その足利ジケンのDNA再鑑定が始まる直前に、処刑されてるのか(笑)。で、どうも、コレも「インチキDNA鑑定」らしいのかあ。コイツはオモロイな。取材しとるのは、鳥越のオッサンかなあ、それとも、長野智子の方かなあ。しかし、冤罪ジケンって、ホンマ、サクサクと出てくるよなあ。一度、冤罪が生まれる「システム」を解明せんとだよなあ。ソーサ当局が、すべてがすべて、冤罪をヤラかすとも思えんからな。マトモなソーサ員だって、おるからなあ。でも、必ず、冤罪は存在するよなあ。それは、「なぜ?」なんだろうなあ。少なくとも、ジャーナリズムにおける「チェック機能の脆弱さ」、もしくは、「その不在」ってのは、要因として、間違いなく存在しとるよなあ。
ワシ、その足利ジケンしかり、今度の飯塚ジケンもそうだが、その「冤罪達成」の最大要因となった、「DNA鑑定の闇」っていうか、「デタラメぶり」は、きちんと検証して欲しいワ。その足利ジケンもそうだが、ジケン発生当時の90年代初頭ってのは、そうした「DNA鑑定の草創期」ってことで、「まだ、精度が低かったが、その後、技術の向上で、精度が飛躍的に高まった」って、シンブンは「字」にしておったが、ワシのような阿呆には、こんなのを読んでも、サッパリ、わからんからな。そもそも、「DNA鑑定」において、「同一人物と特定できるコンキョ」っていったい、何なんだ?指紋とどう違うんだ? 確率ロンのモンダイなのか? そもそも「DNA鑑定の精度」ってい、いったい、何なんだ?刑事ジケンにおいて、「汚穢(おあい)」、「僭窃(せんせつ)」といった難読用語を振り回して、無知なシミンを煙に巻くのと、いったい、どこが違うんだ?ワシみたいな阿呆でも、ちゃんと、わかるように、よく噛み砕いて、その「DNA鑑定のデタラメぶり」の実態を、説明して欲しいワ。それだけで、十分、「スクープ」に値すると思う。
#で、今日(8・6)あった、サイバン員サイバンのハンケツ第1号は、「求刑・懲役16年」に対して、「懲役15年」かあ。「満額回答」に近いよなあ。やっぱ、こうした量刑ハンダンに至った「積算コンキョ」は、きっちりオープンにして欲しいよなあ。ワシ、前から言っておるが、こうした「参審制」の一形式である「サイバン員制度」ってのは、どうなんだろうなあ。こうした「シミン参加」のサイバン制度ってのは、「陪審制」と「参審制」と2種類あり、まず、サイバンってのは、ケンサツがキソした事実について、クロ(=有罪)か、シロ(=無罪)かをハンダンする1stステージがあって、「陪審制」でイッパンのシミンが関与できるのは、「このシロクロの判断」まで、なんだよな。
で、「ハンケツ」では、こうしたシロクロの判定を踏まえて、次の「量刑ハンダン」という、2ndステージに入っていくわけだが、だいたい、こうしたサイバン員制度が扱うジケンってのは、死刑や無期がある「コロシ」がほとんどだろ。ケンサツ側の求刑にもよるが、まず、大きいところでは、「死刑」か「無期」かの選択、そして、「有期刑」の場合は、「実刑」か「執行猶予」か、そして、実刑を科す場合、何年が妥当か、というハンダンになるんだよな。
ただ、今回の「第1号」の場合は、被告人が「罪状」を認めておったから、そんなにややこしくはなかったが、例えば、和歌山のカレー事件のように、被告人が全面否認しておって、さらに、ヒガイシャが大勢おる「死刑ジケン」の場合、そもそも、1stステージの「シロクロの認定」だけでも大変だからなあ。で、今度のサイバン員サイバンってのは、ケンサツのロンコク求刑が終わって、それから、「評議」に入るんだな、手続き的にな。だとすると、第1号は、そんなに事実関係そのものを争うジケンではなかったんで(要は、「情状酌量の範囲」をどこまで認めるか)、まあ、よかったといえばよかったんだろうが、全面否認で揉めてるジケンの場合は、どうするんだよってところだよなあ。
やはり、ワシ的には、「陪審制」のように、ケンサツのロンコク求刑の前に、イッパン市民が入った場で、「シロクロの判定」をして、シミンの関与はここまでで、そこで「クロ」のハンダンが出た場合、また、法廷に戻って、ケンサツ側が、ロンコク求刑をして、それをもとにサイバン官が、量刑ハンダンをするっていうのが、ベターだと思うんだがなあ。まあ、その第1号が、どういう状況で推移していったのか、今後、出てくる情報も吟味し、また、これから、第2号、第3号のジケンもあるだろうから、それを見て、直すべきは直した方がいいような気がする。この不況の折、何日も休みを取って、サイバン所に釘付けになるってのは、いくら小遣いが出るからといっても、大変だし、サイバン員にとっては、「負担」が大きすぎると思うんだがなあ。やはり、「負担軽減」は、考慮に値すると思う。
#あと、それと、そのサイバン員制度でいうと、そうやって、「懲役○年」という量刑もサイバン員が行うってことだが、まあ、コレはサイバン員だけでのうて、ケンサツ官、さらには、サイバン官もそうだが、そうやって、ムショに放り込まれた人間が、そこで、10年なり、15年を過ごすっていうのは、どういう意味を持つのか。本来であれば、そういうところにまで目を据えての「量刑ハンダン」が、あってしかるべきだと思う。かいつまでいうとだな、要は、「ムショでの暮らし」ってのは、いったい、どういうことなんだ、ってことなんだな。
ワシが、こういうことを言えるのは、ごく身近で、三井環のオッサンみたいに、そうやって、「ムショ暮らし」をしておる人間がおって、そこでいろいろと見聞きしている経験があるからだ。この春先、ワシが静岡のムショに、オッサンに会いに行ったとき、自分でこんなこと言っておったからな(笑)。「まさか、ムショがこんなところだとは、全然知らんかった。だから、現役の検事は知らないし、裁判官はもっと知らない」。だから、ワシ、三井環のオッサンに言ってやったんや、「そうやって、ムショの何たるかを知らん人間が、求刑を食らわして、ヒギシャをムショに放り込んできたんでしょ。自分が、これまで、それをさんざんやってきたわけでしょ」ってな。そしたら、オッサン、苦笑しておったワ。
しかし、そのことは、ワシも含めて、「ブンヤの責任」という部分も大きい。というのは、どうしても、「ジケン取材」っていうと、「内偵→着手→タイホ→キソ」という、「ソーサ」の段階だけで自己完結しておって、その後の「コーハン」なんてのは、おまけ、さらに、その後の「ムショ後の暮らし」というところには、全く関心が向いておらんからなあ。ジケンっていうのは、そういうふうに、もっと、大きな全体の流れで見ていって、当然、「量刑ハンダン」においては、「ムショで過ごす1年、いや、1ヶ月の重み」ということを見据えたうえで、カウントされるべきだ。しかし、現実には、サイバン官も含めて、そんなことに想像力など全く働かず、世間の空気が入ってこないサイバン所の机の上で、そうしたハンケツ文を、いわばトコロ天式に書いてるだけだ。
確かに、今度の「サイバン員制度」は、「賛否両論」を含め、いろんな意見がある。ただ、「キーワード」となっている「シミン参加」というヴューポイントから、いろんなものが出てきたこと自体は、よかったと思ってる。あの足利ジケンなんてのが、その最たるものだが、「人を捌く」なんていう、スマした物言いのウラで、刑事サイバンが、いかにチョーデタラメをヤリまくっておったかが、こうした流れの中で、出てきたわけだからな。
#で、今回の第1号の「裁判員サイバン」、サイバン員は、終了後に、「顔伏せ」で、カイケンして、いろいろと喋ってはおるんだな。まあ、今回は、被告人も、「殺害した」ということ自体は、認めておったんで、あとは、「動機麺の考察」や、「殺意の強弱、もしくは、有無」といったところでの「情状酌量」だったから、コロシとしては、そんなに難しい方ではないよなあ。で、拘束日数が、今回は「4日間」だよなあ。今回、サイバン員の中には、「ハケン社員」もおったんだな。よく、ハケン先のカイシャは、「休み」を認めてくれたよなあ。ちゃんと、「有給」は付いたんかいなあ。サイバン員もカイケンで言っておったが、もっとややこしい「否認ジケン」で、「イッパイ、ヒガイシャが出る」ような、「死刑ジケン」だと、証人だって、もっと多いだろうし、そんなのを、たとえ、「コーハン前整理手続き」で前捌きをしたとしても、「たった4日間」で、審理を終結させること自体、ワシなんかは、違和感があるよなあ。ハケン社員とか、そんなにイッパイ、仕事を休んで、カイシャをクビになんねえのかなあ。役人は、よっぽどのことがなけりゃ、クビになんてなんねえから、そんなところの「配慮」まで思いを至らす想像力は、間違っても、ねえよなあ。
#それで、裁判員サイバンの1発目、サイバン員らの「顔伏せカイケン」の内容を読むとだな、なかなか、身内にこういうハンザイをヤッたっていうのは、おらんだろうから、そういう意味で、極めて、非日常的な「ジケン」を、こういう「審理」というカタチで体験できたってのは、非常に得がたいものだったという感慨が出ておったな。そうした、いい意味での「素人感覚」ってのが、「素朴なギモン」による大胆なシツモンに繋がっていったのだと思う。今度のサイバン員制度の果たす、最大のメリットは、やはりこの点だったと思う。おそらく、ワシもそうなんだろうが、このテのジケンに揉まれていると、どうしても汚れて、世間の感覚とズレていってしまうからな。そういったジケンという「異常な世界」が、ある意味、「日常化」してしまっておるところがあるから、カタギの人の感覚からしたら、相当、ズレてるっていうか、ワシなんかは、歪んでしもうてるんだろうなあ。
ただ、やはり、このサイバン員制度のモンダイ点は、その「ハンケツ」のプロセスを第1ステージの「シロクロ判定」と、第2ステージの「量刑ハンダン」に分けたとき、その第2ステージの「量刑ハンダン」だと思う。「クロ」と判定した場合、「評議」では、引き続き、「量刑ハンダン」に入るんだが、今度のサイバン員のコメントでも、この「量刑を言い渡す」という部分に、「ためらい」というか、「迷い」というか、「怖さ」というものを感じておったようだよなあ。まさに、それが、「国家」という暴力ソーチが、有罪確定者を、ムショの放り込むという、「人を捌く」という行為の本質だと思うんだが、ワシは、何でも言うが、この量刑ハンダンの部分に、カタギのサイバン員を巻き込むということには、とても違和感がある。今回は、まあ、コロシでも「有期の懲役刑」だったから、まだ、そんなでもなかったかもしれんが、コイツが「死刑ジケン」だったら、どうなるんだろうなあ。夜も寝れんサイバン員も出てくるかもしれんからなあ。そういう、「汚れ仕事」にカタギのイッパン市民を巻き込むというのは、ワシは賛成しかねる。そういうのは、やはり、「玄人」がきっちりとケリをつけるべきだ。
あと、ハンケツを導き出す「評議」の内容を、オープンにしないのは、絶対におかしい。なぜなら、民主主義の本質とは、「ギロン形成のプロセスを、オープンにする行為」の中にあるからだ。こんなもんは隠蔽する必要は全くない。それと、「量刑ハンダン」だが、懲役年数が、メンツの間で割れた場合は、「多数決」で順に絞り込んでいくってんだよなあ。コイツなんて、まさに「?」だよなあ。シロかクロかの認定を、「多数決でやる」ってのは、まだ、わかるんだが、「量刑ハンダン」も多数決でヤルってのも、じつにわかりにくいよなあ。だから、ワシは、こういう点も含めて、こうした「シミン参加」のサイバン制度ってのは、サイバン員が、「量刑ハンダン」までやらされる現行の「参審制」でのうて、1stステージの「シロクロ判断」のレベルに留めておく「陪審制」にすべきだと思う。そっちの方が、サイバン員も「シロクロ認定」にエネルギーを集中できて、丁寧な「審理」ができると思う。そして、そのことによって、「冤罪チェックの防波堤」になるのではないか。それが、今度の1発目をザーッと見た、ワシの感想だ。
#そういえば、今日(8・7)upの紙のバクダン・電子版が、「字」にしておったが、静岡の滝澤孝(芳菱会総長)が引退か。「若頭補佐」として、執行部入りしたのが、先代の「5代目」(=渡辺芳則)の時代だったし、当初、「5代目追放によるクーデター」で、6代目・司体制が発足した際には、若頭補佐としては、唯一の生き残りだったわけだしなあ。「芳菱会」の名付け親は、字を見ればわかる通り、「本家の5代目」だからな。ただ、滝澤孝が「若頭補佐」を外されて、「顧問」に棚上げになったのは、去年(08年)秋の「後藤忠政騒動の直後」の人事なんだよな。おそらく、カシラ(=高山清司)にしてみると、滝澤孝は自分より「10歳」も年上だし、菱内キャリア的にも、滝澤の方が出世は早かったわけだから、諸々、煙たいところはあったんだろうなあ。後藤組を「分割」して、「良知組」と「藤友会」に2分し、双方直参に引き上げる人事をいじくっておったことと合わせて、「菱内代替わり、世代交代」の一環なんだろうなあ。確かに、あのタイミングで、「若頭補佐」から滝澤を外したのは、「電撃的」といえば、そうだったかもしれんよなあ。それと、松葉会内紛騒動も、元サヤで収まったようだから、そういうのも、今回の人事に影響しているのかもしれない。
