三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前) |
#昨日(4月11日)の毎日が朝刊で「字」にしておったが、その北のバカおやぢの「イチモツ威嚇発射ジケン」、「本当に、万が一、落ちてきたら、どうするのか」と政府スジこと、鴻池が麻生に聞いたら、麻生は「落ちて来ないって、大丈夫」って言っておったってんだな。こういう「共通認識」があるから、政府スジこと鴻池の「ゴルフボールを見ながら、ファー」の発言が出てくるわけだ。要するにだな、「絶対に、ニッポンに落ちて来んイチモツ」に向かって、SM3だのPAC3なんかで「迎撃準備」なんて、そもそも、全く必要ないのに、「威嚇」には、「威嚇」で、大騒ぎをして、バカで無知なコクミンに恐怖を煽って、それで2、3ポイントぐらいの支持率UPにはなってんだな。こういうのに、キシャ倶楽部で、日常的に、飴玉をシャブらされている、シンブンだのテレビが、あのハマコーの倅くんだりの「大本営発表」に追随するのは、まだ、わかるし、許せるんだ。こうした思考停止の連中を、訳知り顔で、日ごろからバカにしておる、紙のバクダン・電子版だの、山岡俊介なんかも、一緒になって、ブログで、今回は、バカ騒ぎしておったからな。いよいよ、この国も来てるで(笑)。何が、「フリーなジャーナリズム」だ、バカも休み休みにしろ。
まあ、政府がウソをついて、デタラメやりまくるなんて、何も、今に始まったことではないが、この北のバカおやぢこと、金正日に、麻生タロウの、日朝双方のバカ丸出しのこの2人、一緒に簀巻きにして、ニッポン海の海の底に沈めてやれ! SM3は、1発ン十億円、わがままおやぢの今回のイチモツも、300億円とか言われてるんだろ。主権者たるコクミンの貴重な血税を、こんな「恋のから騒ぎ」ならぬ、「イチモツのバカ騒ぎ」に費消しやがって。ニッポンは勿論、北朝鮮も、今度の発射バカ騒ぎで、あんなに皆で、舞い上がってるんだからな。「洗脳」ってのは、本当に怖いな。だから、ワシは、ニッポン人として、「半島北」の連中を、笑えんよなあ。
#で、今日(4月12日)、来る天王山(=総センキョ)の前哨戦である、名古屋市チョーのセンキョが告示されたのか。民主推薦の河村たかしと、自公の推す(正確には、「支持」か)細川昌彦の、事実上の一騎討ちだが、細川のブログを見たんだが、東大法卒の通産キャリアで、去年(08年)の9月から地元の中京大経済学ブの教授か。河村に比べたら、全然、知名度はないが、ブログで書いてる文章や写真を見る限りだが、タマは、決して悪くない。まず、「前哨戦」ということで、小沢、麻生が、「現地入り」して、応援演説ができるのか、どうか。特に、河村に関しては、「小沢主導」ということで、「センキョに勝てる、知名度の高い人間」ということで、引っ張り出したんだから、当然、名古屋入りして、大演説をブツことで、「浮動票の上乗せ」を、せなアカンからな。まあ、「結果」を見て、判断だろう。もし、ここで、河村が負けた場合は、小沢は、即、代表辞任だ。その場合は、早い方がいい。タダでさえ、「早期解散」で、自民の一部が、揺さぶってきてるからな。本来であれば、名古屋は、民主の「金城湯池」だから、「勝ってアタリマエ」なんだからな。政治は、「結果」が全てだ。あと、共産推薦の候補だが、太田義郎とかいうのか、タマはどうであれ、共産は、比例で相当、票を集めるだろうから、名古屋で、今回、どのくらいかき集めることができるのか。誰も当選するなんて思っておらんから、それでも、「自公&民主」に飽きた足らん「批判票」の受け皿になるようだと、本番で、オモロくなる。アカハタは、今、読んでて、オモロイからな。勢いがある。
#しかし、永田町は、ダッチロールもいいところだな。「6月投票」「サミット後」「任期満了」とか、いろいろと飛び交っておるが、ここまで来たら、同じだよなあ。そこで、ワシも、今度の総センキョで、「第1次公認」のタマをここで、発表する(笑)。まずは、東京8区から、社民公認で、民主、国民新、生活者ネット推薦の、「保坂展人」。ブログ見てても、マトモだし、法務イイン怪で、まだ、きちんと仕事をやってもらう必要がある。で、この東京8区ってのは、杉並区で、ここんところ、石原のおぢいちゃんの倅、伸晃の「指定席」なんだな。03年、05年と、最近2回は、13万票超で、圧勝だが、保坂はやはり、石原を降して当選を果たしてこそ、意味がある。
それと、ムネムネこと、「鈴木宗男」だな。彼は、北海道ブロックの比例で、「新党大地」で出るんだろうなあ。あの凄まじい量の「シツモン主意書」攻撃、「ひとり」で、他のギインの20人分、30人分の仕事をやってるからな。きちんと、仕事をやってる人間は、有権者は、当選させないとだ。
そして、長崎2区で、防衛リケン塗れのQちゃんの刺客として、民主から出る、薬害C型肝炎訴訟の元原告の、「福田衣里子チャン」だな。Qちゃんは、全く反省もなく、のうのうと、高輪の超高級自宅マンション(売買価格8000萬円相当)暮らしをしとるから、そのリケンで溜め込んだカネの1%ぐらいは、薬害肝炎タイサクで、寄付しろってんだ。しかし、Qちゃんは、溜め込んだ金をどこにつぎ込んでるんだろうなあ。そういえば、おクリが、「解散近し」だった、去年の秋に、現地に取材に行っておったようだが、結局、総センキョが流れたんで、お蔵入りかよ。絶世の美女が2ショットで、「絵」になっておったからなあ。
で、比例はたぶん、ワシは、今回、「共産党」と書くと思う。アカハタはここんところ、オモロイっていうか、よく取材して、独自の調査報道ネタを書いておるから、それは、「投票行動」で返す必要があると感じておる。
#で、その今日(4月16日)発売の新潮で、もうすぐ、編集チョーをクビになる(通常の異動ということだが)早川清が、例の「朝日シンブン阪神支局襲撃ジケン」における、「島村征憲」の「顔出し手記」について、「誤報」だったと「詫び状」を書いておったが、誰も、ワシなんぞにコメントなど求めては来んが(笑)、「喋る」としたら、何だろうなあ。まあ、記事の根幹部分は、その「6」の実行ハンが、「島村本人」だと、自分でカミングアウトしておいて、その後、「顔出し」で、それを否定しちまうんだから、コイツはどうしようもないよなあ。「裏付け取材が不十分だった」という批判について、確かに、その部分はあるとは思うが、このテのネタは、「ウラ取り」が非常に難しいからなあ。ただ、記事の根幹部分である、「実行ハンは、島村か否か」については、ワシが掴んでおる情報でも、「実行ハンは、既に死んでおる」だし、同様のことは、大毎出身の一橋文哉こと、広野伊佐美だって、『新潮45』に連載して、単行本まで出しておるんだから、そこらとの「整合性」というところでも、「目出し帽」云々のあたりも含めて、相当、「?」のところはあったからな。だから、その実行ハンは「100%、島村ではない」というのは、「真実」だろうから、記事の根幹部分が引っ繰り返って、他のメディアに、島村が、あそこまで喋っておる以上、諸々の「政治的ハンダン」も含めて、アタマを下げて、詫びを入れるというのは、しょうがないだろうなあ。
確かに、今度の「島村手記」において、「実行ハンは、島村本人ではない」ということは間違いないだろうが、では、そこで明らかにされた、他の情報について、すべてを「荒唐無稽な作り話で、デタラメである」と切って捨ててもいいものか、ということについては、ワシはギモンがある。まあ、その犯行を唆したという、アメリカ大使館の佐山(仮名)なる人物はともかく、ワシ、何か、ピンと来るものがあったのは、その野村秋介が「赤報隊」の名づけ親で、共同、時事に犯行声明文を送ったとかいう件とか、そういう部分についても、果たして「誤報である」と言い切れるのか、どうか。島村は、その野村秋介の件についても、「勝手に、新潮が話をデッチ上げた」と言ってるようだが、そんなバカな話があるかってんだ。だから、島村自身が、コイツには、実行ハンとしてタッチしておらんでも、いろいろと「内部情報」を知っておった可能性はあるし、そこに、アレコレと「創作」をハメ込んで、自分を「実行ハン」に仕立て上げて、面白おかしく喋った可能性だってある。
もっと言えば、そんな末端の「実行ハンが、誰か」なんて、瑣末もいいところなんだ。あんなもん、「上からの指示」で、アウトソーシングされて、まあ、足が付かんよう、クッションも間にかまして、「指揮命令系統のロンダリング」は図られていると思うし、そもそも、あのジケンの本筋は、飽くまで、「金儲けの上手い、竹下サン」が、カネで「ソーリ大臣のポスト」を買ったってことだからな(笑)。そんなもん、ワシですら、タカって、カネにしようと思いつくんだから、ウラ社怪の連中が、カモにするなんて、アタリマエぢゃないか。竹下も、ナカソネから、「後継指名」を得るために、相当、カネを使ってるからな。それで言うと、おそらく、今回も、ウラでカネが動いておると思う。「仕事」は終わったんだから、島村も、もう、新潮に義理を立てる必要もないだろうしな(笑)。ヤクザらしい、なかなか上手い、手の込んだ、「美人局」の手口だよなあ。「騙すときは、まず、身内から」って、言うぢゃないか。
ただ、「謝礼」というか、「談話料」、週刊新潮が1回20萬円の4回分と、新潮45にも1回10萬円で、計90萬円は、高すぎるというか、異常だ。通常のライターの原稿料で、あの長さで、そんなに払うか? 相場は、せいぜい、原稿用紙1枚(=400字)で5千円だからな。勤め人のキシャ連中は、「バンキシャ!」の情報提供者に、確か、出演料が1萬円だったか、とにかく、そうやって、「情報提供に、カネを払うのは、絶対にケシカラン」って言っておるが、もちろん、「出す、出さない」のハンダンに加え、出すとしたら、「いくら、出すか?」ってのは、まさに「機微」というか、「キミツ」ですら、あるからな。最初、その島村に「計90萬円」支払ったというハナシが出たとき、「ウラで渡してる」んかと思ったら、オモテの「原稿料」という形で出してるんだよなあ。すべてがそうではないにしろ、「カネ目当てで喋る」ってのは、かなり胡散臭いっていうか、眉唾で見る必要はある。ま、そんなこと言ってしもうたら、あのコメンテーターの連中とか、講演ビジネスに精を出しとる奴らは、ぢゃあ、どうなるんだってことには、当然、なるがな(笑)
#明日(4月21日)、最高裁である、和歌山毒入りカレージケンのハンケツ、じつは、ワシもジケンの発生直後に、何度かゲンバに入って、取材をしている。その結果は、『創』の98年12月号の「和歌山カレー事件に見る犯罪報道の宿痾」、さらには、『「新聞記者」卒業━オレがブンヤを二度辞めたワケ』(第三書館、99年)の「第三章 新聞における犯罪報道という『宿痾』」の59頁━70頁の、「カレー事件過熱報道は、『既存のジャーナリズムの敗北』」に、全て書いておる。結論だけ言うと、「疑わしきは、被告人の利益に」という、刑事訴訟法、憲法の理念に則れば、「無罪判決」以外にないが、今のサイバン所は、それだけの司法ハンダンができるだけの肝など、座っておらん(笑)。だから、「下級審ハンケツの破棄、審理差し戻し」が出れば、御の字だろうなあ。最悪、上告キキャクで、死刑ハンケツ確定の可能性もあると思う。少なくとも、ワシは、この国の「司法」というものを、全く信用しとらんのでな。三井環のオッサンのジケンを見ればわかる通り、この国のサイバン所が、あの腐れケンサツと一体になって、いかに、デタラメをやってきとるか、体に染みておるからな。
それよりも、ワシ的には、例のサイバン員制度が、もうすぐ始まるんで、そのカラミで、少し、思っておることを言うと、その「参審制」の一形態である、今度の「サイバン員制度」と、アメリカとかで、よく、映画にも出てくる「陪審制」ってのは、似て非なるもんだからな。今、サヨクっぽいところから、今度の「サイバン員制度」のハンタイ意見の論拠としてあるのが、「死刑ハンケツの言い渡しに、よい子の市民を道連れをするのは、ケシカラン!」っていう論チョーなんだが、そもそも、今度の「サイバン員制度の導入」が、この自公体制において、この政権与党と、赤レンガ&隼町との諸々の「ウラ取引」の結果である、ということが、まず、第一だからな。つまり、司法サイドとしては、今度の「サイバン員制度」ってのは、そもそも、「到底、飲めないアンケン」だったのを、無理矢理、ねじ込まされとるわけだからな。例の、イケダモン大先生んところが言い出しっぺの、「名誉キソン訴訟の賠償金高額化」の要求と、「セット」で突きつけて、ジリジリと脅し上げたわけや。その「見返り」が、ロースクール設置を柱とする、「法曹定員ワクの拡大」ってところだな(笑)
#で、「上」の続きだが、その今度のサイバン員制度である「参審制」と、「陪審制」との大きな違いは、くじ引きで選ばれた、「イッパン市民」が、審理のどこの部分にまで、どんなふうに関わるか、なんだよな。今度のサイバン員制度ってのは、そういたイッパン市民が、サイバン官と一緒に、審理はもちろん、「量刑の認定」にまで関与するのに対し、陪審制ってのは、ケンサツ側が公訴提起した犯罪事実に対して、「シロ」(=無罪)か「クロ」(=有罪)か、意見を裁判官に言うってことなんだよな。両者は、一見、似てるようにも思えるが、そこで作用する機能は、全く違ってくる。つまり、「陪審制」の目的ってのは、「サイケン一体による、一方的な断罪審理」について、市民の目線から「歯止め」をかけるってことなんだな。
で、この「陪審制」は、ニッポンでも、大正デモクラシーの時代、「下からの要求」で、「普通選挙制導入」と抱き合わせで、実現したもので、昭和初期から敗戦直前までの15年間、実際に運用されておるんだな。この陪審制は「戦局の悪化」を理由に廃止されたんだが、じつは、「陪審法」そのものは、法律自体は、廃止されずに、まだ、存続しとるんだよな(つまり、凍結休眠状態)。ほいで、調べてみると、この戦前の陪審制ってのは、なかなか、よく出来た制度で、まず、「法定陪審」と「請求陪審」の2種類があって、「法定陪審」は、刑が死刑、もしくは無期、長期の懲役・禁固の重罪ジケンで、被告人の意思にかかわらず、自動的に行われるもの。殺人、強盗、傷害、放火が多い。「請求陪審」は、もう少し軽い犯罪も含めて、被告人の請求によって、陪審員を付けることができるもの。
で、陪審員は、審理には、最初から同席して、証人調べを傍聴しとるんだが、証人に対しては、陪審員の質問が認められておったとのことだ。審理を終えると、本来なら、そこから、ケンサツ側の論告求刑に入るんだが、そこで裁判長が、陪審員に「コレコレ、こういったふうに、被告人は殺害に至ったということに、なるのか?」との「問いかけ書」を出し、陪審員が別室に入って、陪審長を選出し、評議に入るんだそうだ。陪審員は、その犯罪事実の問いかけに、いろいろと吟味し、「然り」(=クロ)か、「然らず」(=シロ)のアンサーを出すんだそうだ。厳密には、有罪、無罪の評決を下すというのとは、少し、違うが、そこで陪審員が「然らず」の答申を裁判長に出すと、ほぼ、裁判長は、そこで「無罪」を言い渡す。「然り」だと、検事が論告求刑し、それを踏まえて、裁判官が有罪と認定し、刑を宣告する、というものだ。
ただ、ここで陪審員の「答申」は、100%、法的拘束力があるわけではなく、サイバン長が「不適切」と判断した場合は、別の陪審にまた、ジケンを回すことができたんだそうだ。だから、今、サイバン員制度の導入で、うるさいくらいに言われておる、あの「人を捌く」ってのとは、全然、違うんだな。むしろ、何ていうんかいなあ、「疑わしきは、罰せず」っていうか、あまりにも証拠薄弱なジケンについては、「然らず」の意見をサイバン所に伝える、というのが、その大きな目的で、「司法の暴走に対するチェック機能」の役割を担っておったんだな。だから、その陪審員の評議も、12人のメンツによる「多数決」で決めておって、「賛否同数」、つまり、「6対6」のときは、「然らず」(=シロ)の答申だったってことだ。
まあ、ワシは、今度のサイバン員制度については、興味のあるなし云々ってより、この「自公=99年体制」のデタラメぶりと格闘してきておったんで、悪いけど、とてもぢゃないが、そんなところまでクビを突っ込んで、いちいち講釈を垂れとるヒマなんて、なかったんだが、ま、その導入の際、どうせ、この自公で進んでおるハナシだから、丁寧なギロンなんて、なかったに決まっておるが(笑)、ワシがシンブンとか見ておる限りでも、こうした陪審制と、参審制の一形態である「サイバン員制度」の違いを、きちんと指摘し、モンダイ提起するような、ブンヤも、全くおらんかったよなあ。
ワシ的には、むしろ、現行のサイバン員制度よりは、現在、凍結中の「陪審制度」を復活すべきだと思う。だって、この法律そのものは、存在しとるんだからな。今度のサイバン員制度は、そのサイバン員に選ばれたイッパン市民が、サイバン官と一緒になって、「さあさあ、ではでは、いよいよ、サツジン罪でキソされた刑事被告人を、法廷のマナ板の上で、ジャンジャンと捌きましょう!」っていう、論チョーしかねえからなあ。バカなイッパン市民を、さらに、もっとバカにするよう、マスゴミは洗脳しとるだけだもんなあ。
#で、和歌山毒入りカレージケンのサイコー裁ハンケツ、「上告キキャク」は、想定の範囲内だったが、コレは5人のサイバン官の全員一致した意見だったんかいなあ。「少数意見」として、「それは、ちょっと、おかしいんぢゃないか」というのは、なかったんかいなあ。だとすると、「司法の劣化」は、やはり、思ってる以上に、酷いよなあ。で、今度のサイバン員制度の導入と合わせて、コメントしとくと、こうしたサイバンへの、一般市民の参加の是非は、いろいろあるだろう。ただ、諸々の「負担の重さ」ということを考える場合、「有罪か、無罪か」の事実認定はともかく、「有罪」とした場合の、「量刑ハンダン」にまで、「素人」を巻き込むのは、いかがなもんかと思う。何ていうかいなあ、「死刑か、無期懲役か」の線引き云々というよりも、例えば、「併合罪」のカラミとかで、有期刑でも、ナンボくらい懲役年数をカウントするかってのは、結構、ややこしいからな。それは、「玄人」が処理するレベルだと思う。やはり、「負担軽減」ということを考えた場合、ワシは「陪審制」のように、イッパン市民は、「シロ」か「クロ」かの、「事実認定」だけにとどめておくというのが、妥当な一線だと思う。