三井環(元大阪高検公安部長)氏の「口封じ逮捕事件」に対する上告棄却決定を弾劾する(承前) |
#ほいで、今日(4月3日)、静岡刑務所で、三井環のオッサンと面怪してきたで(笑)。いやあ、思った以上に元気っていうか、顔色もよく、コイツは全然、大丈夫だと思ったワ。やっぱ、塀の中に入って、酒が飲めなくなったことで、諸々、健康にはいい方向に向かっておるってのも、皮肉というか、何ていうんかいなあ(苦笑)。ムショってのは、山本譲司の『獄窓記』にもあるように、「福祉の機能」を持ってるとのことだが、案外、「病院の機能」も持ってるって思ったなあ。まあ、ワシ、あんまり詳しい数値の意味はようわからんのだが、糖尿関連の食前血糖値が、これまで「183」だったのが、最近では「141」、ヘモグロビンが「7・7」だったのが、「7・4」と下がってきていて、まだ、正常よりは高いんだが、かなりいいカンジに回復してきてるってんだよな。で、インシュリンの投与量も、前、大阪におった時よりは、減ってはきてるようで、ムショに入る前、最悪だった肝機能の方は、正常に戻ったんだそうだ。原因は「肝脂肪」で、要は、酒の飲みすぎ。だから、C型肝炎の再発とか、悪化じゃないってんだ。体重も今、57キロにまで下がって、本人が言うことには、「あと、2キロ落として、55キロになれば、糖尿病にもよくなる」って言っておったな。で、さっき、オッサンの奥さんに電話して、今日、会って話した内容を伝えたところ、お互いに「いやあ、こうやって、ムショに入って、酒を絶てたことで、健康が回復してよかったですねーー」って(笑)。ワシも何度も言ってるんだが、酒を飲むのは構わんのだが、ほどほどに抑えんと、カラダに悪いからな。
#で、三井環のオッサンの近況だが、去年(08年)の年末に、大阪の拘置所から、静岡に移送されて、最初の1ヶ月は、引き続き、独房での作業だったんだそうだ。で、オッサンが文句を言ったら、他の受刑者たちと一緒に、共同作業をすることになったんだそうだ。今、寝泊りは独房だが、月曜日から金曜日の平日は、午前中と午後は、洗濯バサミの組み立て作業をやっておって、昼間に30分ほど、運動の時間があって、それで体も動かせるんで、そういうのも諸々、いいみたいだな。風呂は、冬場の今は、月、木の週2回。ただ、入浴時間が15分間っていうから、体を洗って、頭を洗って終わりって感じで、ゆっくり湯に浸かるという環境ではないんだな。土日は作業がないんで、そのときに、手記の原稿とかを書いておるんだそうだ。でも、顔色は全然、よくて、軽口も叩きまくって、時には、ついたてのガラス越しにガンガンと言い合う瞬間もあって、同席して、メモを取っておった刑務官も「唖然」としておったで(笑)
以下、ジケンの夜回り取材で、キャップに上げる復命書のスタイル(Q&A)で、今日のやりとりを再現する。
A:入って初めて、刑務所の現場が分かった。検事は(刑務所の)現場を知らない。だから、裁判官はもっと知らない。知らない人間が判決を書いて、実刑を受けた人間が、刑務所に入ってくる。
Q:三井さんも、これまでそうやって、さんざん取った身柄を起訴して、実刑判決を出させて、いわば、送り出す側にいたんでしょ。でも、検事が、それほどまでに、矯正現場の実態を知らないってのは、意外ですよね。もっと知ってそうな気がするんですが、そうじゃないんですね。本省の矯正局長なんかも、検事でしょ。そうやって、現場を知らない人間が、アレコレといじくり回すってのも、モンダイですよね。でも、そうやって、刑務所に送り出す側と、服役するってことを体験できるのは、得がたい経験じゃないですか。シャバに出てから、弁護士活動を行っていくうえで、貴重な体験でしょ。
A:アホ、古川、オマエ、弁護士法を読んでおらんのか。実刑を食らった人間は、弁護士活動に就くことができんのや。
Q:えっ、そんな規定があるんですか? 知らなかった。だって、罪を償って、服役を終えたのに、それができないってのは、おかしいじゃないですか。じゃあ、何のための「矯正」なんですか? たださえ、三井さんの場合は、「冤罪」なんだし。絶対に、それって、おかしいですよ。人を殺したとかならともかく。
A:オマエとこんなところでギロンしておっても、しゃあないわ(笑)。それで、感じたんだが、刑務所と検察庁とでは違う。温度差がある。(刑務所の)現場は理解があると思う。
Q:でも、早いですよね。収監されて5ヶ月以上が経過したんですから。仮釈放はどうなんでしょう?
A:ワシは付くと思う。
Q:三井さん、甘いよなあ。国家権力をナメてる(笑)。私は、ありえないと思う。もちろん、早く、シャバに出てきて欲しいと思うが、あんまり甘い期待はしない方がいいと思う。
A:じゃあ、古川、賭けるか?
Q:いいですよ(笑)。そんなに赤レンガは、物分りはよくないですよ。それはともかく、 『創』の手記は面白い。いいと思う。三井さんの検事としての長年の蓄積が、うまく吐き出されていると思う。
A:収監されて最初の頃は、バタバタしておったんで、面会に来た今西(憲之)に、ワシが骨子を言って、それをまとめてもらっていたが、2月(発売の分)からは、ワシが書いておる。手紙を家族に出して、それをワープロで清書して、編集部に送ってもらっている。
#ほいで、「上」の三井環のオッサンの話の続きだが、ワシが知っとるオッサンってのは、高知の次席時代(88年4月━91年3月)で、ちょうど、ワシが毎日の高知シキョクの在任中と重なるんだが、当時は、それより前の鹿児島の3席時代に、交通事故の際の輸血が原因で、C型肝炎になって、その最中だったんで、酒が1滴も飲めんかったんだな。だから、オッサンの酒を飲む姿ってのは、見たことがなかった。で、その後、高松の次席時代(93年4月━96年3月)に、特捜ジケンを無茶苦茶手がけるんだが、この高松の時代にインターフェロン治療をやって、それで、肝炎の方は完治したんだが、その副作用で糖尿を貰ったんだよな。いずれにしても、高知、高松の次席時代と、仕事をガンガンやりまくっておった時代ってのは、「酒が飲めなかった時代」なんだな。
で、奥さんに話を聞いたら、もともと、三井環のオッサンは、酒は飲む方で、そもそも、酒豪ではあるんだな。だから、肝炎が治って、また、前のように酒を飲むようになったんだが、その後、ワシと飲むようになって、見てて、わかるんだが、1次会の居酒屋ぐらいだと、ビールを飲みながら、気分もいいし、いろいろと、ネタを交換するのは、ちょうどいいんだが、これが、2次会とか、3次会とか、先に進むと、また、本人が、ブレーキがかからんで、そのまま飲んでしもうて、そうなると、ワシも「お手上げ」なんだな(笑)。始末の悪いことに、本人、全然、覚えておらんのや。だからだな、まさに、そこが、渡真利忠光の「デート嬢セッタイ」で、腐れケンサツに足元をすくわれた「ネック」になっておったんだよな。
あのラスプーチンの『国家の罠』だったかな、ラスプーチンの取り調べを担当した、その「コレは国策ソーサなんだから」って抜かしておった、あのアホな検事がこう言っておったぢゃないか。「我々は、全く何もない、ゼロのところから、ジケンをデッチ上げるんではない。そういう人物ってのは、必ず、隙がある。その隙間に釣り針を引っ掛けて、ガリガリと広げていく」ってな。で、ワシ、オッサンに言ってやったんや、その渡真利に紹介されたデート嬢と、一度は、ホテルに入っておるんだが、「あれだけ泥酔しておったんだったら、チ○ポ、立つかいな」ってな(笑)
しかし、ここで、たった一度とはいえ、「隙」を作ってしもうたから、腐れケンサツは、この「隙間」に釣り針を突っ込んで、ガリガリと広げていって、例の「ホテル・グランドカーム」において、勤務中に真っ昼間から、渡真利の運転するベンツで乗り付けて、デート嬢とシケ込んでおったっていう、デッチ上げ収賄ジケンの「根幹部分」を構築していくわけだ。そこで渡真利が名前を出したデート嬢ってのは、その後、中国人留学生に殺害されておるから、まさに「死人に口なし」や。だから、旨い具合に、連中は「物語」を作っていくわけや。権力なんてのは、本気になったら、何でもできるからな。ナンボでも「白」を「黒」にする(また、その逆も真)ことができる。もっとも、それができんようでは、「権力」ではありえんがな。
#それで、藤井裕久のオッサンが、今日(4月5日)OAの時事放談で、小沢について、「ケンサツのやり方のモンダイと、政治とカネのモンダイとが絡まっているが、これは峻別すべきだ」 か。ワシも同感だ。確かに、今度のケンサツの国策ソーサは、「ケシカラン」の一言に尽きるが、結局のところ、このまま「投手」として、小沢が総センキョを戦うのは、キツイっていうより、無理だと思う。全然、「勢い」が削がれてしもうて、民主の獲得ギセキ数に、相当、影響が出てくる。もう、コイツは早いところ、リリーフに交代した方がいい。別に「代表」を辞めるだけであって、それで政治生命が終わるわけでもなし。やはり、岩手4区の高橋嘉信との一騎討ちは、厳しいと思う。そんなんで、「激戦区」にテコ入れに入って、「集票UP」という、「エースの責任」なんて、果たせるかいな。もう、小沢は「引く」べきだと思う。「政権交代」に向けて、十分、足腰は固まったと思う。今回、チャンスを逃したら、民主は二度と、政権を取れんからな。だからだな、「二階立ケン」がどうなるんかいな。チケンが二階側の金庫番の身柄を取った段階で、即、「辞任カード」を切れば、二階も道連れにできるし、ちょうどいいタイミングだと思う。だって、毎日とヨミは、ちゃんと「立ケンする」って前打ちしとるからな。もし、せんかったら、「訂正」どころか、「お詫び記事」を書いて、その社会ブのチケン担当は、当然、左遷だからな(笑)。どっか、田舎の通信ブにでも飛ばしたらいい。しばらく、2、3年は東京に帰って来れんくらいの「お仕置き」をせな、アカンわ。「誤報」なんだからな!
#で、北のわがままおやぢんところの「人工衛星の打ち上げ」に名を借りた、「イチモツ威嚇発射ジケン」、このロケットは、「2段重ね」、もしくは、「3段重ね説」もあるが、そもそも、コイツは「切り離し」をちゃんとしとるのか? 今朝(4月6日)の朝日の4麺で、妙に引っかかる記述があって、その「2段目」の落下を巡って、ぼーエイ庁は、「落下予測地域」を削除し、「ブンセキ中」と訂正したにも関わらず、河村は「ニッポンの東約1270キロの太平洋上に落下したものと推測される」と喋っておるってんだよな。で、自衛隊によるレーダーの追尾だと、その「2段目」か、秋田から岩手の上空を横切って、ニッポンの東約2100キロまで追尾したってことになってるが、だったら、その「1270キロ」と、この「2100キロ」ぢゃあ、全然、辻褄が合わんぢゃないか!それで、イチモツの発射そのものは、おそらく、亜米利加が赤道上の上空35780キロで静止運行させとる、発射の際の約1100℃の高温ガスから出る「赤外線」を検知する、早期ケーカイ衛星、つまり、「スパイ衛星」が探知しとるとは思うんだな(もし、コイツを探知できんかったら、ただのアホだからな)。その「1段目」が落ちた場所は、秋田県の西約280キロってことで、おそらく、そこには落ちておるとは思うんだが(あの水域の海の色の変化は、燃料か何かが漏れておったみたいで、「痕跡」だよなあ)、その「2段目以降」は、秋田、岩手ケンの上空の、どのくらいの地点を飛んでおったんだ? その「切り離し」は、本当に成功したのか、どうかってのは、大事な情報だからな。
とにかく、今回のイチモツ振り回しは、ニッポン目がけて、「ぶち込む」という威嚇行動に、最大の意味があるんだから、その「秋田ケン沖の280キロ地点」を目がけて、切り離しとかなんて、どうでもいいんだ。「2段重ね」にするってのは、この前のH2Aの「いぶき」みたいに、上空666キロの衛星軌道まで持っていくためなんだから、そんな衛星軌道まで、全然、届いていないってことだけは間違いないんだ。初速も相当、落として、打ち上げの角度もかなり低めに設定して、誘導してるんぢゃないかって気がする。だって、その「2段目以降」が、本当に太平洋上に落下したかどうかなんて、誰も確認しておらんのだからな。
#で、その北のわがままおやぢの、「人工衛星打ち上げ」に名を借りた、イチモツの威嚇発射ジッケンだが、発射を終えて、やたら、わがままおやぢの機嫌がいいんだよなあ。それと前後して、亜米利加のペンタゴンが、F22の新規発注停止に絡める形で、こっそりと「MD計画の縮小」を打ち出しておるんだよな。ここらの意味合いをきっちりと読み取る必要があるんだろうなあ。ワシントン発の共同電が、4月6日付けで、ISISが公表した、イチモツ発射直後の衛星写真を送っておるんだが、これなんかを見ると、角度が、だいぶ、低いよなあ。チ○ポがあんまり、立たん状態でションベンを放出した軌道っていうんかいなあ。だから、そもそも、今回は、「衛星軌道」に乗せるだけの初速や角度では、打ち上げてはおらんのだよな。東京ドームの天井に打球が当たったら「ホームラン」とみなすように、「飛距離」を出すには、それだけの「高度」が必要だからな。コイツは、ワシの推測なんだが、最初、北が通告したロケット部分の「落下予定水域」ってのがあったよな。1段目がニッポン海で、2段目が太平洋だが、まあ、ドンピシャリではなかったにせよ、だいたいの予告したあたりに、ちゃんとロケットも落とせたってことではないんだろうか。入力した数値通りに、イチモツが飛んで行ったんで、そこの部分において、わがままおやぢは「面子を保った」んで、それで機嫌がいいんと違うんかいなあ。
で、亜米利加の方だが、最初の1段目が、秋田ケン沖の約280キロのニッポン海か、コイツは、それなりに当たっておったんだろうが、2段目以降の落下地点を、「岩手ケンの東約1270キロの太平洋」と、算出したんだが、実際の飛距離は「3000キロ超」だった可能性が濃厚なんだろ。ってことは、MDの根幹である、「弾道予測の計算」がまるっきり外れまくっておったってことぢゃないか! 要するに、MDの専用ソフトが腐ってるから、使いモンにならんわけだよなあ。そんなもん、「3000キロ超」の弾道であるのに、「1270キロ」と入力して、イージス・こんごう丸から、そのSM3を発射したところで、100%、当たらんってのは、そこらの小学生だってわかるぢゃないか。図らずも、MDが実戦では使いモンにならんってのが、今回、こんなに見事に馬脚を現したってのは、凄いことなんだよな。で、SM3は、1発20億円かよ。しかし、ハマコーの倅は、発射命令をせんで、命拾いしたよなあ。こんなもん、イチモツをMDで撃ち落せなかったのは、100%疑いのない事実だから、当然、問責ケツギ案が参院で通ってるからなあ。
#で、『創』の09年5月号に、三井環のオッサンの手記が出ておったが、今回は、ヒラで検事をやっておった頃、福岡、長崎、鹿児島のチケンの時代に、コロシ(強殺も含む)のジケンで、ケーサツがタイホしたヒギシャを、キソし、死刑を求刑して、ハンケツもそのまま死刑だったんで、その現役時代の「3件の死刑ジケン」の思い出話だったが、コイツもなかなか、オモロかった。ワシも、実質的に、ジケン、それも、このようなコロシの「1課ジケン」をやったのは、高知、姫路のシキョク時代のうち、「サツ担当」だった計3年間なんだよな。うち、2年間は、高知だったんで、ちょうど、次席だった三井のオッサンを取材対象しておったんだが、ワシ、ジケンに関しては、1課、2課、暴対、生活経済と、かなり、「オールラウンド・プレイヤー」であるとの自負があるが、オッサン自身が、そうだったからなあ。ジケンの中でも、「1課」は、やっぱり、オモロイよなあ。その計3年間でも、かなり本格的な殺しの取材ができたんで、「密度」は、濃かったと思う。キシャによっては、形だけ、サツ回りはやっても、そうした殺しの取材をきちんとやっておらんのなんか、本社の社会ブにも、ナンボでもおるからな。ワシの印象では、1課だけっていうことではないんだろうが、1課ジケンに関しては、三井環のオッサンは、「証拠関係の精査」っていうことでは、うるさかった。だから、高知県警の連中は、なかなか、御札(=タイホ状)の請求のGOサインを打さんかったんで、嫌がっておったっていうか、文句タラタラだったのを覚えている。
今回の手記では、ゲンバから検出された指紋・掌紋ってのも、きっちりと照合できて、「同一人物」であるとの認識に至るケースは、そうカンタンにはないんだな。ゲンバに残されているのが、かすれていたりとか、ごく一部だったりしてな。だから、「犯人」を特定するってのは、「その人物以外に、犯行に至った人物がいる可能性を、限りなくゼロに近づける検証作業」のことなんだろうが、あの舞鶴の女子高生殺しなんか、よく、あんなスカスカの証拠で、よく、京都のチケンがタイホのGOサインを出したよなあ。少なくとも、三井環のオッサンが次席でおったら、100%、タイホの了解はしておらんからなあ。そのヒギシャが、別ケンの窃盗ジケンの服役中のタイホといい、何か、胡散臭いよな。舞鶴は、和歌山カレージケンのときのように、シンブンやテレビ、週刊誌が「平成の毒婦」のレッテルを貼りまくった、「犯人視報道」が、全然、アカンから、公判維持は、相当、きついと思う。ヒギシャ本人も否認しとるようだし、この状況で、「うたう」とは、到底、思えんからなあ。
それと、オッサンの手記で、実際に死刑執行に立ち会った、名古屋高検総務部長時代のハナシも再録しとるが、刑法には、「第11条」で、「死刑は、監獄内で、絞首にて執行する」とあるように、必ず、「首吊り方式」なんだが、その死刑を執行されたホトケさんの遺体は、「キレイだった」というのが、「へえーっ」だった。検事も、担当するコロシのジケンでは、司法解剖には立ち会うし、それなりの数のホトケを見てきてはいるが、その名古屋で執行した死刑囚のそれは、オッサンの言によれば、「キレイだった」ってんだよなあ。なぜだろうなあ。己の罪を悔い改め、観念しておったからなんだろうか。ワシ自身は、死刑制度にはハンタイなんだが、それはともかく、こういうものこそ、「文学」だと思う。でも、オッサンがワシ言っておったように、そうやって「死刑!」を求刑する検事、ほいで、その言うとおりに、ハンケツを出すサイバン官も、「ムショ」っていう、「矯正行政のゲンバ」を全く知らんってのが、最大のミソだよなあ(笑)