「政局の極意」とは何か(04・7・25) |
自民党が改選議席の51を下回る49議席しか取れなかったということは、「敗北」以外の何物でもなく、本来であれば、「執行部総退陣→政局勃発」という流れになってもおかしくない状況でした。
が、そこは図らずも「大蔵商事営業部長」という高利貸しの性が出たのか(笑)、「せっかくかけたモトは、利子をつけてブン取らせてもらう」という、「信濃町の闇将軍」(=池田大センセイ)の最終判断により、「政局流動化はまかりならん」というツルの一声で、「何事もなかった」かのように、こうした「敗戦処理問題」にフタをして、この「7月危機」を乗り切ろうというハラです。
「参院選のソーカツ」は、前回の本サイトでも書きましたので、重複は避けますが、与野党間の議席数は、結果として、選挙前とはほとんど変わらなかったことを考えると、決して喜べるものではありませんでしたが、逆に、悲観もしていません。
確かに「小泉死に体化」とうるさいくらいに言われていますが、考えてみれば、まだ、内閣支持率が40%台をキープしているのです。当初の80〜90%というのが、バ
ブルというより、異常だったわけで、まあ、大センセイ的には、小泉自民党が「学会票」というシャブの毒がこのままどんどんと回り、内閣支持率が10%台にまで落ち込まなければは、とりあえずはこ小泉でOKでしょう。大センセイとしては、小泉純一郎という「雑巾」をボロボロになるまで使い切ればいいわけですから。
んで、小泉も「私のソーサイ任期中には、解散はしない」と断言してるわけですから、大センセイとしても、衆院の「解散・総選挙」は遅ければ遅いほどいい。つまり、この間に憲法に手をつけ、日本をズタズタにするのが彼らのホンネですので、その意味では「勝った、勝った」と大ハシャギしたい心境もよくわかります(笑)。
しかし、歴史の必然は、「奢る平家は久しからず」。権力の座にしがみつける今のうちに、「政権与党という果肉」の酒池肉林を楽しむがいいでしょう。
さて、タイトルにある本題に入ります。
たまたま、昨日(7月24日)発売のフライデーが、参院選の終了を機に、アタマを坊主にして、「お遍路さん」となって、四国の八十八カ所札所巡りの旅に出た菅直人の姿を映し出していました。
野党第一党の党首はそれでもSPが付いているそうですが、そのポストを辞めたとたん、SPの“監視”もなくなるわけで、それはそれでふらりと自由にひとりでいろんなところに出掛けられるわけです。
それはともかく、ついこの前まではその野党第一党の党首として、華やかなスポットライトを浴び、「次期総理大臣」の呼び声も高かった人間が、小沢一郎が「年金未納を認めて、頭をボーズにて代表を辞めれば済む」と言ったように、いみじくも頭を丸め、ひとり、お遍路さんの道を訪ね歩くという光景は、ある種、痛々しくもあります。
しかし、そのフライデーの写真を見たとき、私の心の中には「希望」が生まれてきました。そして、その姿にオーバーラップして見えてきたものは、「加藤政局」で一敗地に塗れ、事務所代表の脱税事件で議員辞職し、郷里の山形に戻って、後援者に土下座して歩いていた加藤紘一の姿でした。
私は本サイトで繰り返し述べてきましたが(しかし、大新聞を始めとするマスコミは1行も書きませんが)、今度の「年金政局」の本質にあるものとは、己に攻撃を向けてきた池田大作による、「菅直人失脚工作」です。
2000年秋の加藤政局のときは、「野中広務&池田大作連合軍VS加藤紘一」の図式でしたが、今回の年金政局では、「池田大作VS菅直人」でした。んで、残念ながら、いずれの勝者も、池田大作だったわけで、それゆえ、この政局に勝った人間であるがゆえに、現在、「権力中枢の座」にふんぞり返って、今や、「信濃町の闇将軍」としてやり放題で、呆れたことに、9月の内閣改造では、坂口を引っ込めて、あの冬柴を総務大臣に持ってこようと虎視眈々と狙っているというウワサもまことしやかに流れています(#まあ、郵政民営化については、竹中を担当大臣に横滑りさせる一方で、総務大臣もいちおう、その管轄やから、この際、学者としては終わった竹中と二人三脚で「火中のクリ」を拾わせるのもええかもしれんな。これで、年金に加えて、信濃町を叩くいい口実がまた、ひとつ増えるわけや)。
「リアル・リベラル」を自認する私としては、この加藤紘一、菅直人は(さらには白川勝彦に辻元清美チャンも加えると)、90年代半ばの「自社さ」の中の最も良質な部分を継承していて、「人間の根源的な自由を重んじる」「最小限のセーフティーネットは保障する」「自衛隊は海外に出さない」「中国を含めたアジアとの関係を大事にする」といった「小日本主義」の路線でまとまることができるのですが、しかし、現在、日本の最高権力者であられる、「宗教の仮面をかぶった全体主義者」(=大センセイ)としては、こうした政治家を許容することは、ゼッタイにできません。
今年に入って、菅直人が「信濃町批判」に踏み切ったのは、私に言わせれば「遅すぎた」くらいですが、しかし、しないよりも、した方がいいに決まっています。いや、いまの日本の政治を考えるとき、「公明党・創価学会=池田大作」に対峙せずに、そこから逃げてしまうことは、人間であることを辞め、思考を停止することと同義です。
私がハタで見ててじつに歯がゆいのは、こうしたリベラル派の政治家(特に加藤紘一と菅直人)が、「政局」に関してはまったくのオンチだったということです(笑)。敢えて言わせてもらえれば、「政局に弱い」というのは、有権者への裏切り行為であるとさえ、言えます。
ここで、「政局」とは何か。
それはひとことで言えば、「権力闘争」であり、「タマ」の取り合いです。
「情報は権力なり」の格言の通り、権力の側にいる人間が、ありとあらゆる情報を握っているのは、アタリマエのことです。
最近、文藝春秋から出した野中広務の手記で、加藤政局のときのくだりが出ていますが、そこで野中があの時点での加藤紘一の行動をリアルタイムで把握していたことを、それとなく書いています。
野中広務のヤツはおそらく、ケーサツと結託して、加藤一派のケータイ電話を盗聴していたのでしょうが、要は権力を持っている人間(そこでなおかつ腐っている人間)は、それくらいのことは平然とやらかすのです。
権力の側にいる人間と、そうでない人間とでは、そもそも最初から、「10対1」くらいのハンディがあるわけですから、そのハンディを破って、それこそ「政局」をひっくり返すには、一瞬のタイミングを逃さず、そこでは死ぬ気で突っ込む以外にない。
2000年秋の加藤政局でも、あそこでもし、加藤紘一があの勢いのまま突っ走っていて、内閣不信任案を可決させ、自・公を倒していれば、その後の日本の歴史は、また、別の展開になっていたでしょう。
そして、今回も、菅直人が自らのクビと引き換えに、「未納3兄弟」と刺し違えていたら、まったく別の展開になっていたと思います。それで今回の参院選の結果がどうなっていたかわかりませんが、少なくとも、9月の代表選での「代表帰り咲き」の芽はあったと思います。
要するに、「加藤政局」「年金政局(=大作VS菅政局)の敗因は、カンタンです。「己の保身」に走ったことです。
加藤紘一は、「絶対勝つ。採決の場では出席して、不信任の票を投じます」と言い切っていたのに、野中&大作連合軍に宏池会が切り崩されていくなかで(というより、「鉄は熱いうちに打て」というように、さっさと採決をすればよかったのに、週末に有象無象の連中を地元に返して、後援会の連中を相談させる余計な時間を置いたという戦術ミスもありましたが)、急に弱気になって、その矛を収めてしまいました。
で、菅直人は、自らの「代表の座」の確保を引き換えに、「年金一元化を3党で検討する」という、「3党合意」を飲んでしまったことです。
というより、菅直人の致命的なミスは、池田大作を「話せばわかる」と甘く見ていたことです。そんな、「生きた三国志」を身を持って実戦している人間を、ナメていたとしか思えません。
相手は「高利貸し」です。あの動物的な嗅覚で、弱みを見つけた瞬間、スパッとそこにしゃぶりついて、根こそぎ剥いでカネを回収するハイエナなのです。
そんな獰猛な「寄生肉食獣」に対して、丸腰で「3党合意をやって、年金改革を実現させましょう」とホイホイ出ていったら、大センセイとしては、「飛んで火にいる夏の虫」なのです(笑)。
つまり、3党合意を飲まされた時点で、菅直人の外堀は埋められ、あとは、福田康夫のクビを差し出したところで、ゲーム・オーバーだったのです。
まあ、これはトランプの勝負と同じです。向こうは「スぺードのキング」を出してきたわけですから、もう、こっちは「スペードのエース」を出す以外に手はないのです。
ちょっと時代がかって申し訳ありませんが、私は同じ越後の武将である、上杉謙信が好きです。とりわけ、彼自身がものごとの筋目を大事にする人間だったこともあります。そんな彼が戦場に臨むにあたり、常に部下に言い、そして自分自身に言い聞かせていた言葉があります。
「死なんと思わば生き、生きん思わば死ぬる。帰らじと思わば帰り、帰らんと思わば帰らじ」
あの織田信長が、全国の戦国大名の中で、最も恐れていたのが、上杉謙信でした。
あの天才的戦略家だった信長も、謙信の存命中は、上杉軍とは、正面からまともに交戦しなかったのは、こうした謙信の生きざまを信長が見抜いていたからだと思います。
ここから敷衍する形で、加藤紘一、菅直人の二人のオッサンに、「政局の極意」を伝授するとすれば(笑)、こういうことです。
「相手はやっつけて、自分だけは助かりたい」というハラでは、戦い手となる第一資格を欠いているということです。つまり、最初からそんなヤワな気持ちでは、「政局」に参戦する資格が、そもそもないということです。
つまり、権力闘争、すなわちケンカとは、いかなる場合でも、決して敗北しない選択肢は、「相打ち」以外にない。その覚悟がないのであれば、最初から「政局」を仕掛けるな、ということです。
永田町を蠢く政治家はもちろんですが、おそらく、ひとりの人間としても、この汚濁まみれた世の中を生きていくには、右手に「崇高な理念、志」を持っているのは当然ですが(もし、それがなければ、ただの「政治屋」にすぎない。もっとも日本の国怪議員の大多数はそのレベルでしかないが)、左手に「政局遂行能力」を持つことは必要だと考えます。
とりわけ、菅直人が今後、政治的復活を遂げるためには、「政局遂行能力」は必要不可欠です。
しかし、それはまったく難しいことではない。ハラを括れるかどうか、それがすべてだからです。もっと、政治のウラ、政局のウラを見据えて、そこからもう一度、自らの足場を再構築していくことです。
まあ、本人はどう思っているかわかりませんが、はっきり言って、菅直人がブレイクする機会はあります。そのタイミングは必ずやってきます(しかし、それは本当にラスト・チャンスでしょう)。加藤紘一同様、彼の政治家としての「最終到達点」は、これから出てきます。まだまだ、「過去の政治家」では、全然ない。
で、ビギナーズ・ラックで、とりあえず、今度の参院選を何とか乗り切った岡田克也も、まだ、ワタシ的には見極めきれていないところがあります。9月の代表選後の党人事をどういじくるか、それから、どういうコトバを発し、どういうタマを投げていくのか。
そして、単に小沢一郎の操り人形と化すのか、それとも、小沢一郎すら食う怪物に化けるのか、そのあたりが何ともわからないし、また、9月には小泉(&池田大センセイ)による内閣改造、自民党役員人事もありますので、本格的なタタカイ(=政局のヤマ)は、それを経て召集される秋の臨時国怪からでしょう。
「年金政局」(=大作VS菅政局)が勃発した際にも、私は本サイトで書きましたが、いま、「菅直人を守る」ということは、「日本の民主主義を守る」ということです。日本の心ある有権者は、彼を絶対に、見捨ててはならない。
で、菅直人もこの程度のことで挫けてはならない。
私に言わせれば、議員辞職や落選に追い込まれていないだけでも、全然、ツイているというか、ラッキー以外の何物でもないでしょう。
今回の件では、もっとマスコミに叩かれてもよかったぐらいに思っています。まだまだ、叩かれ足りない。そこでもっと叩かれ、踏みにじられても、まだ這い上がってきてこそ、本物の政治家であり、人間なのです。
繰り返しになりますが、菅直人が頭を丸めて、ボーズになったのは、素晴らしいことです。「よくやった。いいぞ!」と快哉の声を挙げたのは、私ぐらいのものでしょうか(笑)。
「政局の相場師」としては、ここで彼を「底値」で買って、あとは彼のケツを叩きまくって、「高値」で売り抜ける。その時こそが、「日本の民主主義の夜明け」です。
ここにアクセスしてる、超ヒマな皆さん、今、まさに菅直人を買い叩きましょう!
そして、もっと彼を「野」に下らせ、エネルギーを溜め込ませて、いずれやってくる「大政局」において、それを大爆発させましょう!
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