今度の参院選の結果をソーカツする (7.15.04) |
まず、簡単にその結果をおさらいしておきますと、獲得議席数は、民主50、自民49、公明11、共産4、社民2、無所属5の計121です。
もっとも無所属(選挙区)で当選した5人のうち、新潟県選挙区の近藤正道(元社会党出身県議)は、民・由合流の出発点となった、共産党を除く野党勢力が結集して与党に挑む「新潟方式」で当選していますので、野党系ですし、また、沖縄県選挙区の糸数慶子に至っては、共産党を含めた野党が一致結束して自民党公認(公明推薦)の翁長に
勝っていますし、あと、宮崎、高知でも無所属当選議員は民主系会派入りを表明しています。
んで、非改選の分も含めますと、各党の議席数は自民115、民主82、公明24、共産9、社民5、無所属7——の計242議席という内訳になります。数字だけで見る、与党の議席はほぼ横ばいで、共産党が減らした分(=11議席)をそのままそっくり民主党が吸収した格好になっています。
んで、まずは投票率ですが、56・57%と、前回の01年の56・44%をわずかに上回りました。
89年の「リクルート、消費税、宇野スキャンダル」の3点セットで自民党が36議席しか取れずに未曾有の大惨敗を喫したときは、投票率が65%でした。それ以降、参院選の投票率は60%を割り、池田大センセイ率いる新進党が大躍進した95年は44%にまで落ち込んでいたわけですから、まあ、6年前の59%には達しなかったにしても、辛うじて3年前を上回ったというのは、決して日本の将来に絶望するものではなかったと思います。
確かに、89年の65%とまでいかなくても、何とか60%スレスレには行ってほしいという期待がありましたが、やはり、20代、30代という若い世代が投票所に足を運ばないという現実について、私も含めて、もう一度、きちんと考えていいと思います。「政治不信」「政党不信」という、“大文字”(=スローガン)を振り回すだけでは、現実は何も見えてこないですし。
一度、時間があったら、「真剣しゃべり場」ではありませんが(笑)、今回、投票に行かなかった若い世代とも膝を交えて語り合って、私たちに何がいったい足りないのかを、真剣に考えなければ、と思います(#そういう意味では、こうした若い世代の政治・選挙離れというテーマは、新宿ロフトプラスワンでの加藤紘一のオッサンとのトークバトルには、ちょうどいいかもしれんな)。
さて、これから各党別のソーカツに入ります。
まず、自民ですが、まあ、事前の世論調査並みの数字でした。
実際は、もう少し落として、47〜48ぐらいに留まるかと思いましたが、そこは最後の1週間で、青木幹雄が秋谷栄之助に土下座をした効果があったということなのでしょうか(笑)。
しかし、現有の51議席を割り込んでいるわけですから、これは間違いなく、「敗北」でしょう。
これがかつての自民党なら、反主流派が「センキョ敗北の責任を問う!」と息巻いて「政局」になる前に、潔くソーサイ以下、執行部が辞職していたはずです(少なくとも、6年前はそうでした)。
開票当日、テレビ各局の特番を見ていながら、幹事長の安倍晋三が、今にも泣きそうな顔で、沈鬱な表情だったのが胸を打たれました。
まあ、選挙の現場を取り仕切るのは幹事長ですから、その「敗北」の責任を感じるのは当然として、新聞報道等でも小泉に辞意を漏らしたことが伝えられましたが、結局、翻意されて「元サヤ」ということのようですが、かつての政権与党のプライドは、もうどこにもなくなったといっていいですね。
別に政党に限ったことではありませんが、組織運営の鉄則は「信賞必罰」です。
もちろん、「勝ってもワシは褒美はいらんよ」という人があってもいいですが、「負けた場合の責任はきちんと取る」というのが、当たり前です。それをやらずにいると、「責任の頽廃」ということを起こしてしまいます。つまり、モラルであるとか、ものごとの筋目にあるものとは、「責任を取るべきときに、取るべき人間がきちんとその責任を取る」ということなのです。それを放棄したところに、「責任の頽廃」が起こります。そこから、組織が、そしてひとりの人間が腐っていくのです。
その点、安倍はまだ、純粋なところがあるというか、人間としてマトモだったと思いますが、それを封じ込めたのが、「とりあえず、これから当面は自・公で行く」と決めた信濃町の闇将軍(=大センセイ)の意向を受け、小泉、青木の「根腐れコンビ」が安倍を抱き抱えて、辞めさせなかったというわけです。
「権力は必ず奢り、腐敗する」というのは、言い古された格言ですが、小泉も本当にここまで来たか、という感じです。若い安倍晋三に「政治家としての、そしてひとりの人間としての堕落」を強要している小泉に、私は限りない憤りを感じました。
んで、もっとひどいのが参院幹事長の青木幹雄でしょう。
本来なら、今回の結末であれば、執行部総退陣ですが、そうなることによって「政局」が流動化するのを最も恐れた「信濃町の闇将軍」(=大センセイ)の意向を受け、自民党は責任論を封殺してしまったのですが、100歩譲って、参院幹事長の青木はその責任を取って辞めるべきでしょう。「小泉、安倍を守るため、そのドロはすべて私がかぶる」。それが、政治家というより、男のケジメです。
ところが、驚くべきことに、この26日にも開かれる自民党の参院議員会長選に、青木が立候補して、その職に就くということになってるらしいのです。
橋本派のルーツは、竹下派、さらには田中派に遡りますが、少なくとも、角栄はこんないい加減なことはしなかった。負けたときは潔く負けを認めて、「反主流派」として“野”に下るぐらいのプライドは持っていた。そうした、物事の筋目がなくなってしまったのが、98年夏の参院選で大敗した自民党だと思います。
このときも、野中広務は幹事長代理として執行部に名前を連ねており、45議席しか取れなかった大惨敗に対して、目にうっすらと涙を浮かべて、「国家存亡の危機」とまで言ってたにもかかわらず、その後、いけしゃあしゃあと小渕内閣の官房長官に納まって、池田大作とがっちりと手を結んだわけですから。
まあ、滅びゆく組織というのは、古今東西、そういうものなのでしょう。
3年前、ちょうど私は白川新党をサポートする一ボランティアにすぎませんでしたが
、その時点で既に私は、あの江戸徳川幕府になぞらえて、自民党とマルハムとの野合を「平成の公武合体」、小泉純一郎を「現代の徳川慶喜」と形容して、白川勝彦、宮崎学の両オッサンと一緒に、ビラを配りながら、ガンガンと街頭でわめきちらかしましたが(笑)、ほとんど相手にされませんでした。
しかし、3年の歳月を経て、我ながら、その炯眼に驚いています。ようやく、日和見の大衆がそのウソに気づきはじめてくれてきているのが、せめてもの救いです。
さて、マルハムですが、今回は比例で計862万票(=8議席)で、選挙区と合わせて計11議席でした。
本日発売の週刊文春、新潮は、マルハムの得票数が「1000万票」に遠く及ばず、去年秋の衆院選の得票数(比例代表)である872万票を下回ったことについて、「1000万票なんて無理だろ、ザマーミロ」というトーンで書いていました。
じつは私はこの「1000万票」というのは、あくまでF票を取るためのハッパであって、「実現目標」ではないと信じ込んでいたのですが(笑)、先日、オトモダチのある学会青年部の幹部に「古川さん、私たちは本気で1000万票を取るつもりでいましたし、池田先生も本気なんです。その意味では、今回、900万票に届かなかったのは、“敗北”なんです」と言われて、「へえーっ」と思いました。
というのは、今回の例の年金改悪法強行採決で、神崎を筆頭にした、あの「後出しジャンケン」シマクリンスキー状態に、世論を相当、怒りまくっており、「票を落として当然」だと思っていました。
私は期待を込めて「700万票以下、600万票台になるまで、民主は信濃町を叩け!」と本サイトで吠えていましたが、まあ、ホンネでは「700万票台、少なくとも760—770万票くらい」には票数を落とすのではないかと思っていました。
それは、マルハム候補者の比例代表の「個人票」の集計を見ればイッパツですが、前回の01年から非拘束名簿方式になったことで、学会の活動家の皆さんは基本的に外部のFを取る際は「個人名」で依頼します。というのは、「コーメイ党と書いてください」と頼まれても、「コーメイ党って、創価学会でしょ。創価学会ってあの池田大作でしょ」で、アレルギーを示しても、サンブンから出した日ペンの美子ちゃんの本と一緒に、「浜四津って書いてね」と頼まれる方が、「ほうー、浜四津っていう人は、(大センセイ好みの)高学歴のちょっとお嬢系の入ったオバチャンね」というふうに、Fが取りやすいわけです。
んで、信濃町は、名簿に搭載した候補者のうち、前回の01年は関西を中心に128万票を獲得した山本香苗以下8人が、絶対当選させる「重点候補者」だったのですが、今回は、浜四津以下、6人が「重点候補者」だったことがわかります。
ということは、大センセイ的には、例の後出しジャンケンという「年金不信」の逆風を見越し、今回は比例での最低当選ラインを「6議席」に置いて、あとは自民党候補者の後援会名簿から頂く「公明党票」の上積みで議席増を狙うという、「守りの選挙」であったことが伺えます。
で、そこで面白いのは、前回と比較して、マルハムはじつは「個人名」よりも、「政党名」の得票数がバツグンに増えているのです。
具体的には、01年参院選は比例代表計818万票のうち、個人名が632万、党名が186万でしたが、今回は計862万票のうち、個人名は613万票と、前回より約20万票も落としている一方で、ぬあんと、政党名は約60万票も増えて、249万票も取っているわけです。
で、これが何を意味するかといえば、投票の1週間前に、青木が秋谷に「どうか助けで下さい」と土下座した際、重点10選挙区(つまり、民主党候補を競っている選挙区)の自民党候補について大センセイは応援することを確約しましたが、その見返りに「比例は公明」と書くよう、当然のごとく求めています。
んでもって、今回も当然のごとく、候補者の「命」ともいえる「後援会名簿」を信濃町に渡しているハズですから、これをもとに活動家がローラー作戦で投票を呼びかけるわけです。その場合は、半年前からやっている通常の「個人名」の呼びかけではなく、「公明党と書いてください」と依頼するわけです。
わかりやすく言いますと、マルハムが今回、この逆風の中で何とか現状維持に踏みとどまれたのは、自民党を「食いつぶしている」からなのです。
私は池田大センセイのことを、「寄生肉食獣」と呼んでいますが、マルハムは自民党の生き血を吸って、どんどん増殖しているのです。まさに、菅直人が形容したように、「エイリアン」そのものです。そこが、自民党と組んで、壊滅に追い込まれた社会党と大違なのです。自民党すら、平気で食いつぶしてしまうような、白蟻とでもいうのか、ゴキブリのような超強力な生命エネルギーを持っておられるのが、「我等が師匠、池田大センセイ」なのです。
今回のジェンキンス再会も、おそらく、前の本サイトでも触れたように、大センセイのルートで動いているハズですから、既に実態としては、「自・公連立」ではなく、「創価自民党」であって、そのソーサイが池田大作、幹事長が秋谷栄之助で、その中に、森派とか、橋本派、さらには公明派がある状態なのです。
まあ、今回、マルハムとしては、「年金不信」がなければ、900万票も夢ではなかったのかもしれませんので、それを考えれば、「敗北」かもしれませんが、これはこの後の民主党のソーカツともつながってきますが、民主党がもっと信濃町叩きをやっていれば、マルハムに流れていた旧来の自民党支持層を受け入れることができたはずですので、それを「年金政局」(=大作VS菅政局)によって、菅直人のクビを飛ばしたことで、とりあえず、マルハム批判を封じ込めたということを思えば、ここで食い止めて踏みとどまったのは、恐れるべしという感じがします。
んで、大センセイ的には、当面は「自・公路線継続」ですので、とりあえず、神崎のクビも繋がったということでしょうか(笑)。
で、民主党ですが、公認で50議席ですから、あの年金政局のゴタゴタの末、岡田が代表就任を受けた直後のことを思えば、ウソのようでしょう。
しかし、事前の世論調査から考えると、もう少し議席を積み上げて、52くらいは行くと私は予測していました。それを思えば、まだまだ票を取れたのに、それが取れなかったのは、本気で政権を取る意欲が伝わってきません。
要するに、この政党の最大の欠陥は、「なりふり構わず」がないところです。
その点、池田大作を見習ったらいい。彼は自分の身を守るためなら、菅直人を追い落とし、投票直前のジェンキンス再会という“奥の手”を使ってまで、1票でも多くかき集めるために、死に物狂いのことをやっている。
確かに、「ジェンキンス再会」も、雑誌や夕刊紙などは「ミエミエの茶番」とこきおろしてはいましたが、投票日前日に、あの曽我さん一家再会の映像をテレビで派手に流されたら、それを見て影響受ける層はそんなに多くはなくても、間違いなく、“愚民”の1票は獲得できます。
その点、今回、民主党執行部は岡田以下、小沢一郎、菅直人も含めて、信濃町批判を一切、やりませんでした。
本来であれば、公示日の第一声は、JR中央線の信濃町駅北口で、そこで岡田、小沢、菅が一緒になって、「年金不信の根源にあるのは、まさにウソをつく、後だしジャンケンしまくりの公明党です。んで、その公明党を牛耳って、政教分離の憲法違反をやっているのが、創価学会であり、池田大作なんです!」とやれば、テレビはもちろん、新聞・週刊誌がジャンジャン書き飛ばして盛り上がります。
そして、その盛り上がりの中から、本来、学会の活動家から声をかけられて、「コーメイ党」と書こうとする従来の自民支持層を切り崩して、「あー、やっぱり、マルハムは薄気味悪いから、民主に入れよう」という票を掘り起こせるし、それ以上に最近は反学会色を打ち出してきている新宗連の応援も期待できるというものです。
私は、なぜ、それをしなかったのか不思議でしょうがないのです。
プロレスをはじめとする格闘技でもそうですが、敵に勝つために、相手の弱点を執拗に攻めるというのは、「イロハのイ」でしょう。ほんと、民主党執行部もバカばっかり揃ってるといった感じです。
「小泉純一郎は叩いても、池田大作は叩かない」。この致命的な戦術ミスが、さらなる票の上乗せを阻んだともいえます(#小沢一郎も開票当日に「まだまだ、民主党は票の上積みができた」と言っとったから。本人も十分、自覚しとるわけや)。
私は、今回、民主がマルハム叩きをきちんとやっていれば、間違いなく公明党は700万票台に議席を減らし、その分が民主に上乗せされ、また、接戦の1人区も制することができていたと思います。
前回の衆院選に次いで、今回も「菅直人の代表辞任」を機に、それを止めたわけですから、じゃあ、何のためにこれまで年明けから民主党がマルハム批判を強めていたか、意味がないでしょう。
小沢一郎が、いま、いったい何を考えているのか、よくわかりませんし、岡田もそのあたりのハラの内はわかりませんが、ただ、ひとこと言わせてもらうと、いまの自民党を見ればわかるように、「マルハムと連立を組む」ということは、「組織を食いちぎられ、ボロボロにされる」ということです。
あの肉食獣の巣窟である自民党ですら、ボロボロに食いちぎられて、あんな体たらくなわけですから、「政策ロボット」「政局オンチ」がゴマンといる民主党などは、本当に「組みやすし」でしょう。そのへんの危機感が、果たして岡田克也にあるのか、ということだと思います。
共産、社民は、まあ、あんなもんでしょう。
「棄権するなら、とりあえず反対してくれる共産、社民に入れる方がマシ」と考えているような変人有権者は、私ぐらいのものです(笑)。
でも、ソ連・東欧圏の消滅を機に(まあ、フランスはそれ以前からですが)、イタリアは左翼民主党と名前を変え、政権の座に就いていますし、フランス共産党も社会党と連立を組んで与党に入っています。
「イラク派兵に断固NO!」「消費税を上げさせない」「年金法案の撤回」はいいにしても、「じゃあ、あななたたちはそもそも、本当に政権与党を目指しているんですか。んで、与党に入って、何をするんですか? その場合、おかしなことに反対をして、ブレーキの役割になってくれるのはいいにしても、そのほかに何をしようと思っているんですか。自社さ時代のの社会党じゃ困るんですよ」という、素朴な有権者のギモンに答えていないと思います。
特に、6年前の98年は、比例で共産党はマルハムを越える819万票(=8議席)を取っているのです。もっと、お客さん(=有権者)のニーズに応えて、票田を耕していけば、私はまだまだ伸びる要素はあると思います。
例えば、いま、行き過ぎた小泉流の構造改革のせいで、そのしわ寄せが、現場の労働者に来ています。先日、日テレの日曜深夜のNNNドキュメントでレポートしていましたが、高速道路でのトラック事故の背景には、そうした「収益至上主義」のゆがみがあります。
んで、最近、聞いた話でびっくりしたことに、日本経団連、つまり、会社経営者の人間が「どうも、リストラをやりすぎてしまって、熟練労働者が組織から消えてしまって困っている。安定した雇用も大事だ」ということを言ってるのです。
本来、こういう意見は、組合というか、左派系の“専売特許”だったはずなのに、サヨクの人たちではなく、体制の人間が言っていることに「?」という思いがします。
そういった日常の生活の足場から基礎体力を固めたうえで、「21世紀の新たな共産主義(もしくは左翼民主主義)のあり方」を構築しないとだと思います。
ちなみに、私は左派でなく、「リベラル」ですので、そのへんの左派系の思想とはちょっと違うところに立っているのですが、しかし、私なりに「リベラリズム」の再構築は常に自らに課していますし、そこから、「リアル・リベラル」の思想を生み出そうと、いま、乏しい脳味噌を絞っているのです。それくらいの脂汗を、サヨクの人たちも流して当然でしょう。
最後に、「みどりの会議」と「辻元チャン」ですが、みどりの会議は私も1票入れたのに、残念です。ただ、私の3年前の体験からして、よっぽどの風が吹かないことには、ミニ政党が国怪に足場を築くというのは、至難の技です。とりあえず、「当選」ということを第一に考えるとしたなら、今回は98年のように、中村敦夫が東京選挙区から
出るという方が、よかったように思えます。
辻元チャンは、今回の出馬には私自身は反対でした。まだ、早すぎるし、もう少し、バネを縮めてからでも遅くはない。
それでも、選挙後半になって風向きが変わり、世論調査では軒並みトップ当選の可能性を各紙が報じていましたが、結果は71・8万票で、最下位当選の自民の北川イッセイの73・5万票の僅差で次点でした。
もちろん、辻元チャンには1日も早く国怪に戻ってきてほしいという思いが人一倍、ありますが、このように「次」に期待できる敗北で、長い目で見ればよかったと私は思っています。それだけ、まだ、有権者は彼女に期待しているということです。
これからは高槻(衆院大阪10区)に戻り、加藤紘一がやったような徹底したドブ板を重ねることです。昼間は介護ボランティアでもやりながら、世間の風に触れる一方、夜はミニ集会をこなし、有権者と徹底的に語り合うことです。
中には「清美チャン、秘書給与の問題はどうなっとんや。それについて、ちゃんとアンタの口から説明してくれや」という声も出ることでしょう。そうした問いのひとつひとつに真摯に答えて、有権者の信頼をかち得ていくことです。むしろ、今回、サクッと復活していたら、真紀子がこの3月に週刊文春にやらかしたトンデモ蛮行に近いような、何かの落とし穴も待ち構えていたような気がします。そうしたことも含めて、「もう少し、深く野に下って、もっとエネルギーを溜めろ」という、運命のメッセージだったのだと思います。
あと、政局的な部分についても触れようと思っていましたが、ボリュームがかなりオーバーしてしまいました。まあ、そのへんはおいおい書いていこうかと思います。