大阪高裁、「三井環口封じ逮捕事件」公判の審理打ち切りの仰天情報! |
というのは、明日(10月26日)の確か午後1時か、1時半か忘れましたが、大阪高裁で開かれる三井環のオッサンの第3回公判において、裁判長がいきなり、審理を打ち切り、証人尋問などの実質的な審理は全く行わないで、次回の第4回公判において、ぬあんと、ぬあんと、腐れ検察の「論告求刑」に持っていくというのです。
まあ、最初は「びっくり」ですが、少し時間が経って、落ち着いてくると、「またか」、「やっぱり」というカンジで、「ヤレヤレ、ふーっ」と、深呼吸をしています。
この三井裁判の「異常な展開」については、本硬派ブログにこっそりアクセスしている、ヒマな方々であれば既にご承知でしょうが、いちおう念のため、おさらいしておきます。
一審の大阪地裁で判決があったのは、去年(05年)2月1日のことですが、これも、ぬあんと、事前に「判決文」がリークされ、実際に裁判長の宮崎英一が言い渡したそれも、ほとんど同一だったということは、ご記憶に新しいと思います。
さらにビックリすることに、このときの判決の全文が、なかなか裁判所から出てこず、三井環のオッサンから「こんなことはありえない」と相談を受け、私が昨年の6月上旬ですが、この「判決言い渡しから4ヶ月以上が経過しても、判決の全文が出てこない異常事態」を本硬派ブログでスッパ抜きました。
すると、それから1週間ほどが経過した6月の中旬になって、突然、大阪地裁の方から、その判決の全文が三井のオッサン&弁護団の方に送られてきたのです(笑)
例の麻原裁判では、弁護団が二審で控訴趣意書を期限まで出さなかったために、結局、「裁判打ち切り」というトンデモない事態を招いてしまいましたが、三井のオッサンの場合は、「控訴趣意書を書きたくても、裁判所から判決の全文が出てこないから、書けないし、高裁にも提出できない」という、全く逆の状況だったのです。
ついでですので、このすぐ後に、薬害エイズの著作で、小林よしのりに「薬害魔王」の称号が与えられていた安部英というジイサンに、私と同じ売文業者である櫻井よしこが、名誉毀損で訴えられていた例の裁判が、最高裁において"無罪放免"の判決が出ていたことだけを、簡単に申し添えておきます(#いいか、櫻井よしこ、ワシは体を張って、こうやって権力と大ゲンカしとるんやからな。同じ長高出身者として、よく覚えておけ)
そこで、三井のオッサンの控訴審は、大幅に遅れること、ぬあんと、今年の7月10日に第1回の公判があり、続く、7月18日に第2回があって、その後は、裁判所の「夏休み」が入って、明日(10月26日)が、第3回の公判期日なのです。
んで、当然、三井のオッサン&弁護団はこの二審でも全面的に争っていますので、まず、その第1回の7月10日付けで、三井のオッサンは控訴審用の「陳述書」を提出し、そこで一審判決後に新たに判明した事実関係にも言及しながら、この3回目の公判以降、弁護側から証人を申請して、実質的な審理に入るハズだったのです。
ところが、です。
つい先ほどですが、ある筋から次のような仰天ビックリの、緊急情報が入ってきました。
「法務省がまた、圧力をかけてきて、明日の公判では、被告・弁護側の証人申請をすべて却下し、そこで、もう、裁判長には審理を打ち切らせ、その次の公判で検察側の論告求刑に入ることが、ウラで決まったらしい」
本来であれば、こういう刑事事件の公判(もちろん、民事も同様ですが)とは、「真実とは何か」を追求する場でしょう。お互いの主張に相違があるのなら、審理を尽くすことが、民主主義を構築するうえでは、必要不可欠なはずです。
しかし、そうした「手続き」を一気に葬り去ろうとする、デタラメとしかいいようのない訴訟指揮を、この高裁の裁判長はやろうとしている、というのです。
もっとも、これは裁判長に「罪」はないと思います。この前の一審の裁判長・宮崎英一のときと同様、「指令」は、もっと「上」から出ていることですので(笑)。しかし、一度ならず、「また」ですが、これでは、「裁判官の独立」、「司法の独立」など、あったものではありません。
私はいつも、「物事には、必ずオモテとウラがある」と言ってきています。
そこで、おとといの月曜日(10月23日)に、東京地検が突如、前の福島県知事の佐藤エーサクをサンズイでパクりましたが、要は「このことだったのか!」と、そのギモンが一気に氷解しました(笑)
もちろん、地検の現場は純粋に「巨悪を摘発したい」と思っていたんでしょうが、しかし、ワタシ的には「ぬあんで、この時期に?」という思いがありました。
それと、ヒマダネの方にも少し書きましたが、本来であれば、この事件は「上」から潰されていたハズなのです。それが、どうしてこのタイミングでハジけたのか、不思議でしょうがなかったのです。
つまり、こういうことでしょう。
世の中の関心を「福島県知事ダム汚職」に引き付けておいて、その最中に、コッソリと身内の裏金モンダイを内部告発をした"裏切り者"は葬り去る、と。世の中的には「正義のヒーロー」を演じていますので、「まあ、これくらいのことは、世間も相殺してくれるだろう」というハラでしょう。脳髄まで完全に腐り切らないと、なかなかここまで手の込んだやり方はできませんので(笑)。
まあ、せっかく書いたついでですので、まだ、どこにも出していない「スクープ」をここで披露しましょう。
「2億円問題」、すなわち、「桑田兼吉保釈工作」ですが、例のマンションの実質的所有者だった亀谷直人(指定暴力団山口組系2代目佐藤組内六甲連合組長)と、山健組の桑田の裁判担当で、保釈工作に奔走していた鶴城丈二(※山口組系侠友会会長。02年11月、桑田に対する2度目の保釈申請が却下される決定が出た日に、亀谷に射殺される。ちなみに、亀谷は殺人罪で懲役20年の実刑が確定し、現在、岐阜刑務所で服役中)、そして、桑田の秘書をやっていた、同じ山健組内の繁田という男(※三井環のオッサンがこの2億円問題について『月刊現代』03年12月号(同年11月5日発売)に公表した翌月、刺殺され、犯人は未検挙)に繋いだのは、ほからなぬ、自称・アウトロー作家の宮崎学です。
宮崎は02年4月22日の三井環のオッサン逮捕後、山健組の関係者から、「三井のネタで、桑田の保釈を勝ち取れないか」と相談を受け、彼が動いて、この「2億円問題」が動き始めているのです。
事実、02年8月初旬、新神戸オリエンタルホテル4階の、ロビー前にあるコーヒーショップで、この宮崎学も同席して、亀谷と、山健組側の鶴城、繁田の「4者会談」が実現しているのです。
で、この場では、亀谷は「三井逮捕のウラには、大変なことがある。それをやると、検察だけの問題ではなく、山口組が国家に潰されてしまう」と、いったんは断っているのです。
ところが、この後、亀谷は保釈中でシャバに出ていた渡真利忠光(※亀谷の企業舎弟で、三井のオッサンが落札した競売マンションの買い戻し交渉を、亀谷に依頼されてやっていた。例のデッチ上げ逮捕では、三井のオッサンへの"贈賄側"として、腐れ検察の筋書き通り調書を巻かれ、公判でも争わなかったため、実刑判決を受け、服役する)に持っていくと、渡真利は、自分の取り調べを担当した大坪弘道(現・神戸地検特別刑事部長)のところにこの話を持ちかけているのです。
すると、大坪は渡真利に「お前が、協力してくれるなら、考えないこともない」と言ったことを、渡真利が、自分の兄貴分だった亀谷にいい顔がしたかったこともあって、「これは、イケるようです」と報告したことから、「2億円工作」が本格化していくわけです。
実際、保釈工作は失敗に終わったため、亀谷が山健組側から受け取った「2億円の行方」は不明ですが、少なとも、宮崎学がこの工作の根幹部分で関わっているのは、間違いなく、事実です(ただ、保釈の方は失敗しているので、たぶん、宮崎はカネは受け取っていないと思いますが)。
ですから、溝口敦の長男が山健組関係者に襲われた事件で、被疑者が逮捕された際、『週刊実話』に、宮崎学が「ヤクザを批判する者は、命はないものと思え」旨の発言をしている理由も、これでよくわかるでしょう。で、 私は何度か、三井環のオッサンと酒を飲みながら、この話をしました。
私 宮崎学は私もよく知っているが、どうして、こんなことに彼が関わっているんですか?
三井 カネだ。ヤツはカネで動く。
私 でも、宮崎は、『カネに死ぬな、掟に生きろ』っていうタイトルの本を出しているですけどね(笑)
三井 それは違うな(笑)
私 少なくとも、私が知っている「彼」は、そうではないんですけどね。(01年夏の参院選で)白川新党では一緒に戦って。小泉の登場で、それまで出馬を承諾していた連中が、掌を返して逃げていき、「切り札」として、私が宮崎出馬を煽った。その結果、彼は出てくれたのだけれども、逆に今度は自分が宮崎学に出馬を説得されるハメになり、その場の勢いもあって、一度は「ウン」と承諾した。しかし、自分の中での、「政治と表現活動の間の一線を守る」というポリシーから、断った。そんな思い出もあるんですよ。
ただ、三井さんが逮捕された直後に『アサヒ芸能』に書いたコラムで、三井さんのことを「悪徳検事」と糾弾していたので、それがずうーっと引っかかっていたのは事実です。人間、わからないもんですね。
三井 (宮崎は)保釈直後は、しょっちゅう電話してきて、何度も会うたが、最近は、全然、連絡もなくなった。
私 ふーん、そうですか(笑)
で、なんともやりきれないのが、こうやって宮崎学が桑田兼吉保釈工作のウラで動いているのを、あの講談社ノンフィクション賞とかいう、たいそうな賞も獲得している魚住昭は知っているのですが、そこは「売文業者同士の仲良しこよし」ということで、見て見ぬフリをしているのです。まあ、私に言わせれば、魚住昭は、所詮、その程度のレベルです(#要は、朝日新聞の村山治と同類項や。恥を知れ!)
それを考えると、赤レンガ、マスコミはもちろん腐りきっていますが、「フリージャーナリスト」などと称している連中も、「五十歩百歩」という気がします。
なぜなら、我々、ジャーナリストの生命線とは、「握った情報は、書く」。これ以外にないからです。
#それで、事前の情報通り、今日(=10月26日)の公判で、裁判長は被告・弁護側の証人申請を全て却下、それで、即、結審して、来年1月15日午前10時半から判決やと(笑)。こんなデタラメが民主主義国家でまかり通るのか? 「司法の独立」「裁判所の独立」なんて、あったもんじゃないな。まあ、これからが、本当の勝負や。
そこで、今度の記事で一部、事実誤認がありましたので、読者の皆様にお詫びして訂正します。
というのは、「審理打ち切り」が決定していたのは、10月26日の公判ではなく、今年の7月10日、18日にそれぞれ開かれた、第1回、第2回の公判の後、夏休みを挟んで、9月に開かれた第3回の公判において、「既に決まっていた」ことでしたので、そこの部分について、訂正させて頂きます(笑)。ですので、結審した昨日(=10月26日)の公判は、正しくは「第4回」です。
実は、今度の高裁審理では、当初、裁判長が定年近い人だったので、「今回は1審と違って、いい感じの判決が出るんじゃないか」という期待もあったのですが、この4月の人事異動で、左右の陪審も含めて、裁判体が全て変わってしまいました。それを受けての7月10日の控訴審の初公判でした。
それで、当初、被告・弁護側は原田明夫以下12人の証人の申請をしていたのですが、裁判長から「それでは少し多過ぎるのでは」とクレームがつき、その後、大塚清明、大坪弘道、渡真利忠光ら6人に絞り込んで、再申請をしました。当初は裁判長も証人採用に前向きな姿勢だったのですが、夏休みを挟んでガラッと空気が変わり、その9月の第3回の公判で、「証人は採用しない」ということを宣告し、第4回の10月26日での被告・弁護側の最終弁論で結審した、という次第です。
ただ、裁判長が異動により、定年前の人物から、「次の出世」を心配しなければならない人物に替わった段階で、法務省筋からの圧力もあったと推認されます。そして、そうした圧力は、夏休み中にも引き続き、あったことは間違いないと思われます。
それゆえ、今回の証人却下の決定と、東京地検の前福島県知事の汚職捜査着手とは、関連はないと思います。その点、現場で汗水を垂らして立件に向けて日夜、頑張っている特捜検事の人たちには、多大なるご迷惑をおかけしましたことを、ここで深くお詫び申し上げます。何とか、被疑者を完全に「うたわせて」、事件の全容解明に持っていくことを、心から応援しています(笑)
#甲斐中辰夫、オマエ、まだ、最高裁の判事でおったんか。「四国タイムズ」社長の川上道大のオッサンが名誉毀損で起訴された事件で、最高裁で上告が棄却されたのとほぼ同時のタイミングで、オマエ、最高裁に天下っとるそうやないか。あの事件は、起訴した当時の高松地検検事正の佐藤勝が、堀井茂・香川県弁護士会会長の就任パーティーの席上、「弁護士の顔を立てて、川上を起訴してやった」って酒の勢いで漏らしとるんだよな。川上のオッサン、言っとったで、例の片山津温泉での「コンパニオン付き女体盛り宴会」のときの金沢地検の検事正は、オマエだったと。三井環のオッサンの上告審では、一緒に机を並べて仕事をしている古田佑紀と一緒に、裁判体に入れてもらうよう、長官にちゃんと今からアタマ下げておけ。古田も宇都宮地検の検事正でチョーカツを使い込んでおるからな。腐れ法務・検察のメンツに賭けて、ぬあんとしてでも、「上告棄却」に持っていかなアカンからな。
#おっ、野中広務、最近、どないしとるんやと思っとったら、10月29日発売の「週刊ポスト」の巻頭インタビューで吠えとるやんけ。元気そうやないか。
しかし、オマエは02年3月24日の日曜日、京都府知事選の応援もあって地元に戻っておったとき、三井環のオッサンを、京都駅南側の新・都ホテル内にあった事務所に呼び出して、午後1時すぎから約1時間、サシでいろいろと喋っておるんやな。ちゃんとチョーカツの記事のコピーも手にしておいてな(笑)。ムネムネへの捜査の足音が近づいていたこともあって、「鈴木宗男は、北方領土返還のために、おらなアカン」とまくしたてておったそうやないか。
しかし、例の日歯連の橋本派1億円ヤミ献金事件で、現場の地検サイドは、村岡兼造と一緒にオマエも「起訴すべし」で「上」に了解を求めておったんやけど、「極悪検事総長・松尾邦弘」のツルの一声で、「2人も起訴するのはいかがなものか。バランスに欠く」ってことで、ぬあんと、起訴猶予になっておるんだよな。よかったよなあ、命拾いできて(笑)。でも、この前、三井環のオッサンと酒飲んだとき、言っておったで。「野中は利用するだけ利用して、それだけの人間だ」と。ワシもそう思う。
ただ、その一方で、既に小泉もソーリを辞めたことやし、いつまでもこういうことでグジュグジュ言うとることもないかな、という思いもある。しかし、いつか、どこかで、せめて、この"利息分”ぐらいは返してほしいもんだな。
#三井環のオッサンの公判で、05年2月1日に有罪判決を言い渡した大阪地裁の宮崎英一裁判長の、例の「判決文事前漏洩モンダイ」で、ウラが取れたわけではないが、どうも、甲斐中辰夫が動いた可能性がある。コイツは、三井のオッサンと同じ、中央法科の出なんだよな。もし、シッポを掴んだときは、タダぢゃおかんからな。ちなみに、経歴を記しておくと、93年金沢地検検事正、94年東京地検次席検事、96年東京高検次席検事、98年横浜地検検事正、98年7月最高検刑事部長、99年4月東京地検検事正、00年高松高検検事長、01年6月最高検次長検事、02年1月東京高検検事長を経て、02年10月7日付けで最高裁判事に天下っておる。んで、今、最高裁の腐れ検察出身の判事は、この甲斐中と、01年10月27日に法務省刑事局長として、原田明夫、松尾邦弘と一緒に麹町の後藤田正晴のところに、「加納人事」を飲んでもらうよう、頭を下げに行っている、あの古田佑紀やからな。もう、ここまで来ると、「判検癒着」どころか、モロ、「判検一体」やからな(笑)。マンガの世界やで。
#今日(11月9日)発売の「週刊実話」が、「正木年男(=正木組組長、敦賀)の本家・若頭補佐への昇格」の人事をスッパ抜いておったな。発表はこの11月5日・日曜日の定例会か。実は、三井環のオッサンが口封じ逮捕から325日間の拘留を経て、03年3月12日の午後5時3分、保釈されて大阪拘置所を出た後、当時、本家の5代目(=渡辺芳則)の秘書だった正木と、三井のオッサンはある人を介して会い、2回、一緒にメシを食っておるんだよな。結局、「桑田兼吉保釈工作・2億円問題」の本質とは、「本家内の人事問題」であって、渡辺は自分の立ち上げた健竜会の跡目をも継がせていた、当時、山健組の若頭だった井上邦雄を「本家の自分の跡目(=6代目山口組組長)」に考えておったんだが、そのためには、手順として、宅見勝射殺以来、空席になっていた「本家のカシラ」に、就けなければならない。が、その前段として、井上に「山健組の4代目」を、まず、継がせなければならない。それには、桑田に山健組の3代目を引いてもらわなければならないわけで、そういうややこしい「人事の話」は、拘置所の面会では絶対に無理やからな。だから、どうしても桑田の「保釈」が必要だったわけだ。どうも、桑田は山健組の跡目を井上に譲るのに、抵抗があったらしいな。
しかし、その後の展開を見ると、溝口敦も書いていたように、5代目がクーデターで追放されてしもうたわけやから、いかに、これが超重要な案件だったかがわかるだろう。だから、渡辺はもっと早く人事を動かし、井上を本家の「カシラ」に就けておれば、たぶん、こんなことにはならなかっただろう。油断しておったんだろうな。であればこそ、その「5代目追放劇」の内幕を「月刊現代」に書いた溝口敦の長男を、山健組の関係者が、なぜ、襲撃したかが、よくわかるだろう。溝口、「ブンヤを本気で怒らせたら、ヤクザより怖い」ってことをキツネ目にきっちりと思い知らせてやれ。「ペンは剣より強し」や!
#あと、「世紀の悪法・狂暴罪」に関して、もう一つだけ言わせてもらうと、「思想、信条、良心の自由」を縛らんとするこの法律は、「現代の治安維持法」とまで言われているのだが、しかし、なぜ、賢明なる創価学会員はこの極悪法を完膚なまでに叩き壊すために、「ノー」の声を上げなかったのか。戦前、初代会長・牧口常三郎、後に第2代会長となる戸田城聖は、まさにこの「治安維持法違反」で投獄され、初代会長は獄死しているわけではないか。まさに「信教の自由」にまで踏み込む、こんな酷い法案を廃案にするため、なぜ、公明党を動かそうとしなかったのか。恥を知れ。それと、池田大作、こんなうるさい「私=古川利明」の口を封じさせるため、藤井富雄に命じ、山口組の後藤忠政のところに行かせて、「処刑」するよう指示でもしろ。奴ら値切ると怒るから、20億ぐらい出せば、十分だろう。肉体は殺害できても、「人間の魂」だけは切り刻むことができんということを、思い知れ。
━━法が人を守らなければ、人は法の守りようがない。即ち、"悪法"は「法」ではない。
#溝口敦の長男に対する襲撃事件で、山健組関係者の被告(=魚山恭嗣)に、12月18日に1審実刑判決(懲役3年6月)か。「言論を暴力で封じ込めようとしたヤクザの蛮行」もさることながら、容疑者逮捕直後の「週刊実話」に、「ヤクザを批判する者は、命はないと思え」旨、溝口に対して発言をした、「エセ文化人・宮崎学」の責任をなぜ、誰も問おうとしない。これが「作家」を名乗る人間に許される発言か。魚住昭、何で沈黙しとるんだ。朝日や共同の責任より前に、「言論人」としての自らの行動とその責任を自分自身に問うべきではいのか。もし、「業」で書いているのならば。
それで、もうひとつだけ小ネタ追加しておくと、三井環のオッサン保釈後の正木年男との2回の会談で(仲介したのは石油卸商の泉井純一)、正木は三井のオッサンに、2億円の件も含めて、「桑田兼吉保釈モンダイに関し、このまま黙っておってくれたら、メシの種に困らんよう、一生面倒見る 」とまで言っとるのに、三井のオッサンはアホやから、蹴りよったんや。ホンマ、もったいないことをしたで(笑)
それを言うならワシも、創価学会3部作を上梓したとき、池田大作の側近だった人物に、こう言われたことがある。「もし、今、私が池田の元で仕えていたとしたなら、1本1億、3本5億で版権を買い取るよう報告書を書いていた。池田も間違いなく、その金額を古川さんに出していたでしょう」と。で、ワシはそのとき聞いたんや。その「5億の算出根拠」を。曰く、「一生、食うに困らぬ金額です」と。そのとき思ったな、ワシの命の値段は、たった5億か。安く買い叩かれたもんだ、と。もっと、「命の値段」を吊り上げんと。まあ、世の中、日本からアメリカに渡って、タマ投げてバット振り回してる方が、全然、カネになるんやからな(笑)。講談社みたいなカネ払いのいい大メジャー出版社の言いなりになって、「あたりさわりのない話」を書いといて、「ノンフィクション作家」でございますとふんぞり返っておった方が、ラクやし、世間もチヤホヤしてくれるしな。ワシなりにもう少し、「業で書く」とは何かをじっくりと考え、行動に移すとする。
#それはそうと、愛人塗れの政府税調会長がクビになったんやから、この際、「消費税の税率アップ」もええけど、「宗教法人非課税特権」もちゃんと問題提起せえや、大マスコミのバカ連中諸君。ちょうど、元朝日新聞編集委員の落合博実が文藝春秋から「徴税権力」を上梓して、そのへんの信濃町の税務調査の件についてもいろいろと書いておるからな。だいたい酷税は、マルハムが与党入りして以降は、5年に1度は定期的な調査を実施する「限定循環方式」を中止とるんやもんな。ちゃんと酷税にも「裏金」があるからな。それで腐れ検察に対する超高級温泉旅館での接待費用を捻出しとるからな。三井環のオッサン、言っておったで(笑)
#それで、この07年元旦の未明に、田中義三が入院先の千葉県内の病院で肝臓がんのため亡くなったのか。しかし、58歳とは、まだ若いな。よど号のハイジャック事件に関しては、2000年6月に日本に引き渡されて、1審東京地裁が懲役12年、控訴したが棄却され、上告するも03年6月に取り下げたんで、それで刑が確定しておったんだな。熊本刑務所に服役しておったが、病状が悪化したため、昨年(06年)11月21日に大阪医療刑務所に移送され、で、弁護団の要求していた「刑の執行停止」が突如、認められたのが、年末の12月15日だったもんな。しかし、腐れ検察にしては、面子が立ったな(笑)。だって、桑田兼吉のときは、「病気療養」のため刑の執行が停止されていたにもかかわらず、桑田は病院を抜け出して外で飲み歩いておったんやからな。じつは、桑田は保釈請求の段階で、2度、永田町の性治家を通じて、億単位のカネを積んで動いておったんやが、アカンかったんで、いよいよ「三井環」のカードを切っていったわけやからな。その「手下」として動いとったのが、「キツネ目」のオッサンってわけや。田中義三といい、宮崎学といい、佐藤栄作のクビすら取れなかったサヨク全共闘運動のなれの果てが、このザマか。これぢゃあ、日本に「革命」など、100年経ってもやって来んワ。
#「四国タイムズ」の最新号(07年1月15日号、創刊満15周年オメデトウゴザイマス!)に、オモロイ記事が出てて、増田昌三・高松市長が被告となった漁業補償金返還訴訟の最高裁判決(06年3月10日)で、「市長、逆転勝訴」が言い渡されておるんやけど、その「ウラ」にあるものとして、2審・高松高裁で「5億5千万円を市に返還しろ」との敗訴判決が出た後に、弁護人を同じ高松高校出身で、さらに、同じ県人会寮に住んでいたという松本修二に依頼していた点を指摘しておるんだよな。んで、この松本という弁護士は、最高裁に天下っている例の甲斐中辰夫と同じ中央の法科で、甲斐中が高松高検検事長時代に、「同窓のよしみ」ということで、「特に親しくしていた」ってことやで。しかし、「司法ギルド」によって、こんなところで判決をいじくり回されておったら、たまらん話やな(笑)。同じ中央大法科でも、三井環のオッサンとはえらい違いやな。
それはそうと、この1月15日の午前10時半から、大阪高裁で、三井環のオッサンの「口封じ逮捕劇」の控訴審判決があるが、まあ、99・9%、「控訴棄却」やろう。これで、もし、まかり間違って、「無罪」、もしくは「公訴棄却」(=刑事訴訟法第338条に規定されている、「検察官の起訴の手続きに重大な違法性があるため、起訴自体が無効」)の判決を言い渡した日には、この前の住基ネット訴訟で、「違憲」の判断を下した同じ大阪高裁の判事のように、裁判長は、また、クビを吊って自殺せなアカンからな(笑)。それが、わが国の「腐れ検察=司法ギルド」の「真実」や。しかし、勝負は、これで終わったわけではないからな。それだけはハッキリと言っておく。腐れ裁判所がいかなる判決文を書こうとも、この世に「真実はひとつ」しか存在せんからな。その「真実」を抉り出すのが、ワシらジャーナリズムの仕事や!
#ほいで、三井環のオッサンの「口封じ逮捕劇」の控訴審判決は、ワシの予想通り、「控訴棄却」で、オッサンもその内容に抗議する意味を込めて、途中で法廷から退席しとるんやな。アタリマエや。ただ、三井のオッサンが主張していた、自らの高知、高松両地検の次席検事時代に体験した「チョーカツの裏金流用」については、「究明が必要」とした一審判決より踏み込んで、「そうして不正流用した事実はあったと認めざるを得ない」と、きっちりと認定してるんだな。ちょっと、これには正直、ビックリした。本来、やらなければならなかった悪の独裁検事総長・原田明夫以下、関係者の証人尋問を却下して、実質審理をしないまま判決を迎えたわけやから、であれば、オッサンが告発していたこの根幹部分については、判決文では否定してもよかったっていうか、この部分こそ、「信憑性はない」と否定しなければならなかったんだが、それを考えると、これは、全然、大きな一歩やないか。ちょっと「ありえない話」だったと言ってもいいかもしれんな。
どんな時代においても、権力中枢の恥部を抉り出す「ディープな真実」であればあるほど、それを解明し、世に明らかにするには、ものすごい困難と労力がかかる。そんなもん、1世紀以上の前のフランス(=ドレフュス事件)で証明されている。自らの都合の悪いことを隠蔽するため、その当事者をフレームアップによって葬り去ろうとするのは、洋の東西を問わず、いつの時代においても、腐った権力機構がやる常套手段だ。しかし、そうした「不条理」に体ごとぶつかっていくことでしか、「真実」を掴み取ることはできない。それだけは、間違いない。三井のオッサンは、即日、上告の手続きを取ったわけやな。「見せ場」はホンマ、これからやで(笑)。歴代悪の検事総長・原田明夫、松尾邦弘、但木敬一以下、腐れ法務・検察の首脳諸君、しっかり、クビを洗って待っていてくれたまえ。