「死体に涙する人間」でありたい |
今月下旬に第三書館から刊行されるフォト・ドキュメント『テロ死/戦争死』(第三書館編集部編、128頁、1500円+税)に、以下のような文章を寄稿しておりますので、ご興味のある方はぜひ、ご講読下さい。
時代は21世紀に突入しましたが、それでもしかし、「新しいかたちの、おびただしい死」が、世界を覆っています。それは「テロによる死」であったり、「戦争による死」であったりもしますが、いずれも理不尽な、不慮による一瞬の死ばかりです。
そうしたイスラエルやイラクなどの中東を中心に、日々、次々と起こっているこうした「不条理な死」について、1冊の写真集としてまとめたフォト・ドキュメントです。
ちょうど、この12月14日で自衛隊のイラク駐留期限を迎えることから、そうした撤兵論議を深めていくための判断材料の一つにしていただければ、と思います。
「死体に涙する人間」でありたい
「普段、社会生活を営むなかで人を殺せば刑務所に入れられ、場合によっては死刑にされるが、戦争で人を殺せば、たくさん殺しただけ英雄になれる」とは、言い古された表現ではあるけれども、「戦争」というものが、そこに生きる人間たちを、いかに「価値観の倒錯状態」に置いているかがわかる。
例の「9・11」をきっかけに、これまでにも増して「テロ」という行為が大きくクローズアップされるようになり、強力な近代兵器など持たない“貧者”の側は、「自爆テロ」という究極の戦闘手段によって、大国による蹂躪行為に以前よりまして異議申し立てをするようになったが、こうした「テロ」による死であれ、また、「戦争」による死であれ、その本質にあるものは、何ら変わりはない。
ベトナムでの従軍取材をきっかけに、ベトナム戦争の意思決定を巡り、アメリカ政権の中枢部では、いかに偽善と傲慢に塗れた言動がなされていたかを明かした、デイビッド・ハルバースタムの大著に『ベスト&ブライテスト』(邦訳・サイマル出版会)がある。
当初、ハルバースタム自身は、アメリカが始めたベトナム介入に決して否定的だったわけではなかった。むしろ、「アメリカの正義」を体現しようとする力強い意志をそこに見てとっており、彼自身もそのことをじつに素朴に信じていたという。
ところが、従軍取材で知り合った軍曹たちとの雑談でいつものように出てくるのは、「敵」であるベトコンの優秀さだった。中には「一度でいいから、ベトコンの軍事顧問をやってみたい」と言う者もいた。
ハルバースタムは最初のうちは、そのことを何げに聞き流していたが、アメリカがだんだんとベトナムの「泥沼」に奥深く引きずりこまれていく中で、「このことはじつは、非常に深刻な問題を孕んでいるのではないのだろうか」と思うに至る。それが、『ベスト&ブライテスト』を書くきっかけになったという。
そういった経緯を冒頭の「娘への手紙」で書いたハルバースタムは、自らの従軍取材を振り返りながら、はっきりとこうも綴っている。「私はあのベトナム戦争で心の純潔を失ってしまった」と。
そんなハルバースタムがニューヨークタイムズのサイゴン特派員として従軍して間もない頃、「ハルバースタムはベトコン兵士の死体の写真を見て、涙を流していた」という話をリークした将校に噛みついたことがあった。「俺はそんな敵の兵士の死体を見て、涙を流すような臆病者ではない。ウソをつくな」とねじ込み、彼は一札取った気になっていた。
しかし、後になってその話を聞いた後任のジャック・ラングスが、こんな記事を書く。「確かに、そのハルバースタムのエピソードは事実ではない。しかし、本来はそれは
事実であるべきではなかったのか。敵であれ、味方であれ、死体に涙するのが、本当の
人間ではないのか」
その記事を読んでハッと我に返ったというハルバースタムは、娘にこう語りかける。「そうだ、彼の言うとおりだ。お前にいちばん伝えたかったのは、このことだったのだ。娘よ、お父さんは死体に涙する人間でありたい」と。
国家権力としてのアメリカは、このベトナム戦争での経験を通じ、戦争遂行のためにメディアをいかにコントロールすべきかを徹底的に学んだ。
それは何よりもまず、「アメリカ軍兵士」に血みどろの死体が繰り返し報道されることで、反戦世論へ向かう前段階の「厭戦ムード」が蔓延していったことだった。これをきっかけに、徹底した「血みどろの死体隠し」が行われ、それは湾岸、イラク戦争へと引き継がれてゆく。
さらに付け加えるとするなら、「集団的自衛権の行使」の名のもとに、自衛隊を米軍と前線で共同作戦を行えるよう、憲法の改正を要求しているのも、何よりもまず、「米軍兵士の死者」を出さないためである。
対中国を仮想敵として、将来的に尖閣諸島沖のガス油田を巡って仕掛けたがっているであろう“資源戦争”においては、まかり間違っても米軍からの犠牲者を出してはならない。そんなことでは「戦争遂行」を支える国内世論が瓦解してしまう。だから、そういう汚れ役をやってもらうのは、何よりも、飼い犬よろしくアメリカの言うことをよく聞いてくれる日本の自衛隊なのである。
折しも今年(2005年)の12月14日で、自衛隊のイラク派兵期限を迎える。
米軍が“勝利”し、戦闘が終結したはずの地で、アメリカ兵やイラク市民を標的とした、イスラム過激派とみられる自爆テロは後を絶たない。また、米軍の「フセイン残党の掃討作戦」などといった名目において、これまた数えきれないほどの市民が殺害されている。
イラクの民衆であれ、アメリカ兵であれ、そして、今なおサマワの地に駐留する自衛隊員であっても、そのひとりひとりの人間としての「命の重さ」にまったく変わりはない。であるなら、敵であれ、味方であれ、死体を目の前に嗚咽する人間で私もありたい。
「イラク戦争の大義」に最後まで疑義を唱えたフランスとドイツは派兵しなかったし、スペインでは昨年(04年)3月の総選挙で、サパテロを首班とする社会労働党へと政権交代したのを機に兵をイラクから引いた。来年(06年)春に総選挙が行われるイタリアでは、支持率を伸ばしている野党・左派連合を率いるプロディは「政権を取った暁にはイラクから撤退する」と断言している。
日本もいつまでもアメリカの言いなりになっている場合ではない。これを機に、さっさとイラクから自衛隊を引き上げさせることだ。
なお、私以外の寄稿者は、板垣雄三(東大名誉教授、中東現代史)、酒井啓子(東京外語大大学院教授、イラク近現代政治)、湯川武(慶大教授、中東・イスラム史)、吉川勇一(市民の意見30の会・東京、市民運動家)の各氏です。
