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2022年 03月 13日
連日、花粉が大量に飛びマクると予報される中、くしゃみ&鼻水の連続のわちきは、むしろ、このためにマスク装着が必要なところ、相変わらず、マスクもせんゆえに、変人扱いされる巷の視線をも物ともせず、今日もまた、ひたすら正義を希求する己のペンを、ド腐れ糞ケンリョクどものドテッ腹にピャーッと突き刺して、そのはらわたの奥深くに巣食う膿の塊を、グビグビと抉り出すなりぃーーーーーっ!!!!!
#固定ツイートってヤツで、ワシの新著『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版、ソフトカバー・485頁、2800円+税)が、只今絶賛発売中ゆえ、現在のウクライナ戦争において、プーチンの露西亜がぬあんで、アソコまで執拗に原発etcの核施設に攻撃を仕掛けるのか、その機微もすべて盛り込んでおるので、ぜひぜひ、ヨロシク! それで、本書の取材協力者で、米グン基地関連の仕事を受注していたことで、辺野古弾薬庫に出入りしたことから、「オキナワの核」について実名で証言した建築設計士の本村安彦サン(浦添市在住)に本書を渡してきたハナシの続きだが、それでいろいろと喋った中で、前回、取材で本村サンと会うたのは8年前なんだが、その辺野古弾薬庫で「1097」の番号が振られておる核バクダン専用の部屋だが、「その後も、この1097番とかに改修が入っている」とのことだった。要するに「今もなお、オキナワには核バクダンがある」ってことで、辺野古に2つ、嘉手納には5つあるんだよな。 じつは、辺野古で座り込んでおったジイサンに「辺野古の弾薬庫に、今でも核はあると思うか?」と尋ねたら、「あると思う」とバッチシ言っておったで。あと、本村サンの見立てでは、目取真俊も「オキナワの核」について、原稿を書いているんだろうが、琉球新報とか沖縄タイムスとかがボツにしているのではないかとのことだったが、でも、目取真のブログ「海鳴りの島から」を見る限り、全然出てこんわな。だって、米露間のINF(中距離核戦力、射程500~5500km)の失効に伴い、中国がズッポシと射程に入るINFのイチモツの配備先に、さっそく、オキナワが取り沙汰されておるんだが、要は「辺野古にINFの核バクダンを置く」ってことだからな。地元で「目取真は生温い」っていう声を聞いたからなあ。 それと、この本村サンが「オキナワの核」について、喋り出すきっかけになったのは、若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)が94年5月に刊行されたことなんだが、当時、琉球新報は字にしておった一方で、同時並行で沖縄タイムスにおったあの屋良朝博(1988年入社、12年に退社し、19年4月の「衆」の補欠センキョで、沖縄3区から立民公認で当選するも、昨年10月の総センキョで落選)にもブツを渡して、全部、喋っておったのに、沖タイの方はボツにしておったってんだな。2011年8月にTBSの報道特集で本村サンが顔出しでの証言した際にも、このとき、社会部チョウだった屋良は本村サンに「見ましたよ」と言っておったってんだな。ま、この屋良だけではないんだが、琉新も沖タイも「オキナワの核」については、分かりマクっておるくせに、んもう、完全スルー状態なんだからな、この糞アホンダラが! #「上」の続きっていうんか、オキナワ出張での辺野古見物記だが、ワシがゲンバに行ったのは「3・9」だな。その県庁とは目と鼻の先にある民宿を午前10時過ぎに出て、那覇バスターミナル10:35発の沖縄バスは77番・名護東線の急行に乗り込んで、ちょうど2時間10分後だったな、辺野古のバス停を降りたのは。その間、ぼうーっと車窓からの光景を見ておったんだが、至るところに鉄条網のフェンスがあって、まさにそこから先は亜米利加なんだよな。ま、「ニッポン国内の米グン基地の75%がオキナワに押し付けられている」と枕詞のやうに言われておるんだが、確かに、それは痛感する。「基地の隙間に街がある」っていうんかいなあ。 それで、辺野古のバス停を降りて、砂浜に直行したんだが、座り込んで反対しておる人らがおるかと思ったら(前回の8年前はテントが設営されてて、ワサワサと人がおった)、誰もおらんくて、「アレッ?」と思った。基地との境にある鉄条網だが、8年前はハンカチだとか、横断幕が取り付けてあったんだが、全部、外されてて、その鉄条網の向こう側に、たぶん、ニッポン人だと思うが、ヘルメットを被った2人組の警備員がおったんで、「すいませーん」と声をかけたんだが、無視されたワ。 で、山の方で「ドンドンドン」と砲弾のようなものスンゴイ大きな音がして、「ひょっとして、米グンの実弾演習かいなあ」と思って、地元の人に聞いたら、その通りだった。「アレは海兵隊。朝6時から、日が暮れるまでやっている。コレでも少しマシになった方で、以前はもっと酷かった」と。ちなみに、ワシがこの辺野古を訪れるのは、コレが3回目なんだが、実弾演習に遭遇したのは今回が初めてで、あの耳を劈く轟音は、じつにリアルだ。だから、ウクライナも同じなんだな。 とにかく、腹が減ったんで、その目と鼻の先で基地が始まる中を貫通する国道329号から、辺野古の集落に入ってすぐのところにベーカリーがあって、外のテラス席で食べれるんで、ハンバーガーとコーラを注文した。米グン兵士もよく来るんだろう、メインはハンバーガーだが、でも、かつ丼やカレーライスもあって、そこらあたり、商売人は如才ないっていうんか、二刀流なんだろう。ひょっとしたら、米グンの連中も、かつ丼とかカレーライスも注文するんかもしれんが、そこまでの聞き込みを店員にかけるアタマも回らんくらい、腹が減っておったのだ。 #続きで、辺野古の集落を歩いていると、「クッション 平和サポート」と書かれた、ゲストハウス兼座り込み運動の紹介所みたいなところがあって、覗いてみたら、辺野古関連の書籍を販売してたりとかしてて、ワシは「砂浜に行っても、誰もおらんくて、いったい、どこで座り込みをヤッとるのか」と尋ねたら、その国道329号を少し歩いた先に基地のゲートがあるんで、「そこ」だと教えてもらい、ゲンバに行った。恐らく、埋め立て工事が始まってからだろうが、工事車両の出入りに抗議するため、座り込みの拠点が「そっち」に移ったようだ。 この基地ってのは、海兵隊の「キャンプ・シュワブ」で、今、ネットで調べたら、地理的には名護市と宜野座村にまたがる20.63平方キロで、地続きで辺野古弾薬と、あと、キャンプ・ハンセンとも繋がっていて、全部足したら、ものスンゴイ膨大な面積になるんだな。ゲンバを歩いて初めて気づいたんだが、その国道329号の下にはトンネルがあって、辺野古では海側と山側は繋がっておって、だから、米グン基地ん中を申し訳なさそうに、国道329号が通っておるってカンジなんだよな。 だから、辺野古新基地とは言うが、この「キャンプ・シュワブ&辺野古弾薬庫」が拡大するってことなんだよな。位置づけとしては、普天間飛行場をココに持ってくるってことで、それで海側を埋め立てて、ヘリだけでのうて飛行機も使える滑走路をこしらえるってことなんだよな。その座り込みのゲンバで会うた人と四方山話をした中で、そうやって埋め立てはなされておるんだが、方角で言うと東の方になるんかいなあ、もっともコイツは前から言われておったんだが、大浦湾側の水深が70mよりさらに深く、その軟弱地盤は90mはあるってんだよな。ネットで検索したら、シンブン赤旗(19・2・9)にも載っておるんだが、そもそも、「ニッポンでは水深70mの地盤改良工事すら前代未聞で、90mなんて想像がつかない」ってんだよな。 米グン様が、辺野古に拘泥しとるのは、この水深のある大浦湾に空母を付けたいからなんだが、ただ、今となっては、コイツが最大のガンと化しておるんだよな。その四方山話ん中で「米グンも、大浦湾への空母接岸になんか、こだわらんでもエエのに」と水を向けたら、「辺野古集落の人間を(1世帯あたり)1億(円)で動かして、海側に持っていくっていう話もあったんだが、でも、動かなかった」ってんだよなあ。だから、「埋め立ては、あと30年かかる」ってことで、ホンマにコイツは完成するんかいなあ(笑) #さらに続きで、その反対運動の座り込みをしておる基地(=キャンプ・シュワブ)のゲートってのは、いくつかあるんだが、その中で工事車両が出入りするゲートで、平日(月~金)の毎日、ヤッとるとのことだった。とにかく、毎日、最低1回は工事車両が出入りするんで、その車両が入ってくる時間を狙って、ゲートの前で座り込むんだな。ワシが見物に行った日(=3・9)は、午後2時45分に車列が来るってことだったんで、ちょうど、その場面に遭遇デキた。 で、反対運動のリーダーである山城博治がタイホされたことがあったわなあ、ってのは、その工事車両が出入りするこのゲートんところに、ぬあんと、コンクリートのブロックを相当数だわなあ、積み上げたんで、それで威力ギョーム妨害etcの戒名でタイホされて、既に隼町で有罪ハンケツが確定しとるんだが、まさに「ザ・直接行動スペシャル!」ってことで、スンゴイとしか言いようがねえわなあ。 それで、手動で開閉するフェンスの前に座り込むんだが、この日は10人ぐらいはおったかいなあ。ほとんどが年寄りで、ま、若いのは仕事してメシの種を稼がんとってのもあるだろうが、国道329号は東側の名護方面から、ダンプやコンクリートミキサー車といった、とにかく、超デカい工事車両が、チョロチョロと到着して、鈴なりの列になっていくんだが、いっつも、それが50台ぐらいにはなるってんだから、すごい長さだ。そうやって、チョロチョロと車列が伸びていく間、おじいやおばあが座り込んで、三味線を弾きながら、「辺野古の海は美しくやさしく、ジュゴンも泳いでいる。この海を守りたい、オキナワを返せ」と謡い始めてだな、オモロかったワ。 そのフェンスの後ろ側には、ヘルメット被った警備員が、数十人はおったなあ、列を組んで人垣を作っておって、所属は「綜合警備保障」ってことだったんだが、それはともかく、そうやって座り込みを始めると、アレは機動隊ってんだが、でも、ヘルメットでのうて普通の帽子を被ったオマワリが何人が出て来て、「説得」を始めるんだ。で、しばらくは、そうやって唄を謡ったりしておじいやおばあは座り込んでおるんだが、見てるとコイツは阿吽の呼吸だわなあ、時間にして10分とか、15分ぐらいだったかいなあ、ま、せいぜい、半時間ほどだが、その説得を受け入れて、ゲート前から去って、それで工事車両が基地内にゾロゾロと入ってイクってワケだ。あの50台もの工事車両の列ってのは、それだけで渋滞を引き起こすんで、ヤリ過ぎると山城の前例があるし、まさに阿吽の呼吸だったな。 #まだ続きで、ワシのブンヤなんで、「1歩でも対象に近づく」ってのが行動原理なんで、テントが設営してある道路の反対側から、その国道329号を渡って、そのゲート前で座り込んでおる、おじいやおばあのすぐ横まで近づいて見物しとったら、まだ、四十路前後ぐらいの若いオトコが中におって、ワシに対して、いきなり「マスクしろ、マスクしろ」と怒鳴りつけてきやがったんだ。 っていうか、ワシは反対運動のメンバーとして、「そこ」に座り込んでおるワケではないんで、そもそも、そうやって「マスクしろ」なんて言われる筋合いもどこにもねえんだ。ぬあんか、シバキ隊的なキンキンとした人間で、とにかく、その場を離れて、また、道路の反対側に戻って、持っておったマスクをしたんだ。で、座り込みが終わってから、そいつにワシは「何が、マスクだ。その物言いは、ここにおるケンリョクの手先のオマワリと何も変わらんぞ」と、そのオマワリの目の前で怒鳴りつけてヤッたんだ。そしたら、ただ、「マスクしろ、マスクしろ」と喚くんで、「ちゃんと、しとるワ、このボケ」と言って、立ち去ったワ。 後で他のメンバーに聞いたら、「とにかく、(新型コロナの)感染者を出したくない」ってんだな。そこで考えられるのは、特にオキナワでは、コロナ感染が「米グン基地発」ってことで、玉城デニー以下、ワーワーと抗議しておったわな。だから、コイツもあるのかなと思ったな。まだ、ゲンバにおったオマワリに「マスクしろ」と言われるのならまだしも、ぬあんで、あんなヤツに言われなアカンのか、無茶苦茶、はたわたが煮えクリ返ったワ。 ハナシを戻して、辺野古はキャンプ・シュワブのゲート前の座り込みだが、こうやって、座り込んだところで、工事車両の進入を止めれるワケではないんだよな。それで言えば「効果はあるのか」だが、ただ、ワシがずうーっと見てて、「効果ゼロ」ということはない。プレッシャーにはなり得ておるっていうか、やっぱ、なっておると思う。だから、今度の辺野古見物を通して、「ザ・直接行動スペシャル!」の意味を、今のウクライナ戦争とも絡めながら、アレコレと考えておるワ。 #「上」の続きだが、そもそも、今ある辺野古の「キャンプ・シュワブ&弾薬庫」ってのが、米グン基地であるワケで、でも、ココには飛行場がねえんだよな。普天間基地(宜野湾市)ってのは、基本的には飛行場がメインなんで、要するに、キャンプ・シュワブ(&弾薬庫)に飛行場と、あと、普天間基地は内陸で港がねえから、海に面した辺野古では、空母着岸OKの軍港を大浦湾側に作るってことで、要は、現在あるキャンプ・シュワブ(&弾薬庫)の拡大強化なんだわな。 ただ、現行のキャンプ・シュワブだと、やんばるの山ん中で、実弾演習でドンパチをヤッとるのが関の山なんだが、「滑走路&港」が新設されるんで、コレは大きいと思う。あと、あの海側を埋め立てると、かなりスペースが広くなるんで、長射程のイチモツをジャンジャンと置けるわなあ。もちろん、その先っちょには核バクダンを装着して、「いいか、中国目がけて、ブチ込むぞ」なんだから、最大のキモは、まさにコイツで、芥川賞作家の目取真俊は、「辺野古への核バクダン配備」を言わんとアカンわな。コイツを言うことで、ヒロシマ&ナガサキからの援軍も来るわけで、「ヤマトゥーは、ウチナーを虐げマクるばかりで許せん」だけでは、運動の幅広がりは出てこんよなあ。 ただ、思ったんだが、もちろん、「辺野古の埋め立て工事ハンタイ」は、ワシもそうなんだが、しかし、その一方で「ぢゃあ、今、チョーうるさいだけの嘉手納は、どうなってるんだよ?」なんだよな。オキナワに入って、不思議だったのは、誰も「嘉手納は出ていけ!」と言っておらんのだよなあ。少なくとも、大田昌秀までの革新系チジってのは「オキナワにある米グン基地の全面返還」を主張しておったんだが、翁奈雄志以降のオール沖縄てってのは、コイツを言わんなったんだよな。すなわち、「辺野古はノーでも、嘉手納はイエス」なんだよな。ちなみに、嘉手納周辺の軍用地が、イチバン、値段が張るってんだが、その理由ってのは「どうせ、嘉手納はゼッタイに返還されない」っていう想定からってんだよなあ(笑) #続きで、考えると、オキナワも狭いんだが、その一方で、ぬあんて言うんかいなあ、「広い」という表現が的確なんかどうかだが、とにかく、一筋縄では行かんのだわな。分かりやすくするため、保守系を白組、革新系を紅組と分けて、例えば、本島を塗り分けていくと、嘉手納基地のある嘉手納町は、白いんだよなあ。ところが、移設の対象である普天間基地のある宜野湾市は、だいぶ、赤色に染まっておるわなあ。例えば、今夏の参院センキョにオキナワから、オール沖縄の伊波洋一が再選目指して出馬表明しておるが、元々、宜野湾市長だったんだよな。それで言うと、辺野古のある名護市は、紅白が混在しとると思うな。 それで、辺野古はキャンプ・シュワブのゲート前で座り込みをしておった御爺と四方山話をしとったら、この前の名護市長センキョだが、小渕優子が来ておったってことで、で、そのヒショってのが、カネをバラ撒いておったってことで、「1人アタマ5千円配っておった」ってことで、「いかにも」だわなあ。もっとも、小渕の親父が、官房ちょー官だった野中広務と一緒になって「自公の創立者」だからなあ。そのあたり、さすが世襲ってことで、きっちりと引き継いでおるってことなんだろうなあ。 あと、イケダモン大先生んところの創価ガッカイには、舌を巻いておったな。名護市長センキョも、とにかく、「給食無償化」を始めとする諸々無償化実現を「コレでもか」っていうくらい訴えておったってんだよな。まさに、現世利益っていう名の飴玉なんだが、曰く、「公明トウはしつこい。1回や2回、断ったぐらいでは諦めない。何度でも来る」ってんだな。連中が凄いのは、飴玉をシャブらさせるだけでのうて、鞭も振るってくるってんだな。 その御爺は普天間基地のある宜野湾市の方でも、あの山城博治が率いる「沖縄運動平和センター」のノボリを立てて演説しとったら、ガッカイ員が、いきなり近づいてきて、「アンタ、今、センキョ運動しましたね。公選ホウ違反なんで、ケーサツに通報しますよ」と言ってきたってんだ。で、それが、ぬあんと、オンナ、それもオバハンだったってだよなあ。んー、婦人ブ(現・女性ブ)恐るべしやな(笑) #それで、今回のオキナワ出張で、偶然、引っかかったハナシなんだが、「2019・10・31」の未明に発生した首里城の火事なあ、どうも、コイツは放火の疑いが濃厚ってことで、それで、ぬあんと、ハンニンは「自衛隊」ってんで、でも、恐らく、オモテに出ておる正規ブタイでのうて、まさに「陸自別班」を始めとするヒミツ部隊の仕業ってことで、ケーサツも県当局も「皆、知ってる」ってんだよなあ。 で、ワシは、今回、焼け落ちたのは、正殿だけかと思っておったら、どうも、火元はこの正殿のようだが、その日は風が強くて、瞬く間に火が広がり、北殿や南殿etc全部で7棟かよ、とにかく、首里城の相当部分が焼けたんだわな。ま、建物自体は、コレまでにも何度か焼失し、特にオキナワ戦でも全焼しとるんで、時間はかかるけど、再建そのものは大丈夫だが、収蔵されておった宝物類や史料だわなあ、コイツが痛いわな。 ちなみに、世界遺産に指定されておるのは、首里城では「基壇」と呼ばれる石積みの土台ブブンだけで、ちょうど、炎上したことで、再建工事は始まっておるんだが、そのおかげで、この内側っていうか、建物の下にある中身が、今、見れるってんだな。ワシ、ゲンバに行ったのが、入場券販売終了の17時過ぎだったんで、残念ながら、中には入れんかったワ。推測だが、首里城の建物は何度も焼失しとるんだが、この基壇ってのは、創建当時から残っておるってことで、だから、世界遺産に指定されたんぢゃねえんかいなあ。 ゲンバにおった案内の人に聞いたら、「(再建には)正殿で5年、全体であと9年ほどかかる」ってことだったが、ま、今だからこそ見れる世界遺産としての首里城の核心ブブンである、この「基壇」なあ、逆にジャンジャンと観光PRすればエエと思う。人間の足腰に相当するワケだが、土台は大事っていうか、すべてだ。 #ハナシを戻して、「ぢゃあ、ぬあんで、自衛隊が首里城に放火したか?」なんだが、もちろん、オキナワの観光のシンボルである首里城を狙うことで、観光収入を始めとするオキナワにダメージを与えるってことなんだが、時期的に、ちょうどこの19年の「10・1」に中国であった建国70周年の記念パレードで、極チョウ音速のイチモツ「東風17」を初披露したことで、コイツは、そもそも、最初から弾道ミサイルすらゼッタイに当たらんMD(=ミサイルぼー衛)では撃ち落とせないってのがウリなんだが、コレに米グン様がビビりマクったのが、引き金になったってんだなあ。 あと、それまでは、例のインバウンドで、オキナワは中国や韓国、台湾etcからの観光バブルがスンゴかったってんだな。それを背景に、何も今に始まったことぢゃねえんだが、コレに気をよくして「オキナワ独立論」ってのが、地元紙の琉新&沖タイが煽り倒す格好で、スンゴかったんだが、この首里城火災以降、皆、ダンマリを決め込んでしもうたってんだな。 要は「オキナワは観光収入で食ってイケるんで、米グンがオキナワから出て行って、軍用地収入がなくなっても、大丈夫」っていう流れになっておったんで、コレを叩き潰す目的があったってことで、「なるほどな」と思ったワ。それと合わせ一本で、この首里城火事を機に、例の「南西ぼーエイ」がさらに声高に言われるようになってだな、あー、陸自の宮古島駐屯地は19年3月オープンで、その後、この首里城火事の後、イチモツ配備の前提となる「弾薬庫建設工事」が一気に進んで、ほいで、石垣島駐屯地も22年度中にオープン予定かあ。じつに分かりやすいわな。 一応、現時点では、オモテ向きに出火原因は「漏電」ってことになっておるんだが、ワシもブンヤなんで、首里城におった案内人に聞き込みをかけたら、「じつは、出火原因は分かってないんです」と喋ったのもおって、「なるほどな」と思ったで。出火当時、スプリンクラーが設置しとらんかったら、火の広がりは早かったウンヌンと騒いでおるんだが、そもそも、こんなもん、プロの手にかかったら、赤子の手を捻るようなもんだからな。だから、まさに「ボー略三昧の極み」で、旧ニッポン軍も、日中戦争の際、アレは故宮博物院にあったんかよ、北京原人の骨を強奪しておったんだが、それをクリソツやで。 ちなみに、北京原人の骨は、シベリア出兵の際に強奪した、アレはロマノフ王朝由来とされておるんだが、金塊と一緒に(あと、ゼロ戦とナガサキに投下しながらも不発だった核バクダンも)、旧海グン飛行場のあった、現在、北海道は美幌の陸自駐屯地の地下に埋められておるってことなんで、習近平にプーチンはニッポンに「さっさと、返せ」って言わなアカンで。んもう、ワシが「エエ」と言っておるんだから、遠慮は要らん! ま、それはともかく、ったく、「桃栗3年柿8年」ならぬ「コロシ3年火事8年」やな(笑) #で、続きで、他の職種ならともかく、やっぱ、ワシらのブンヤ稼業ってのは、「リモート勤務など、あり得ん」と改めて痛感したワ。ゲンバを踏む、見る、ほいで、ハナシを聞くってのは、大事っていうより、すべてだ。折しも、昨晩(=3・15)、芥川賞作家の目取真俊が、自らのブログ「海鳴りの島から」を更新して、辺野古での座り込みの様子で写真ゾロゾロでupしておったんだが、ま、悪い意味で言うツモリは毛頭ないが、まさに「運動のプロパガンダ」だわな。ワシが行ったときもあったんだが、あの「新基地断念まで24時間監視中 座り込むゾ! 不屈2809日」の看板なあ、そもそも、「『新基地』って、ナニソレ?」なんだよな。 だから、その機微ってのが、辺野古に足を運ぶのは、通算で確か3回目なんだが、ほいで、今回、初めて分かったっていうか、戻ってきて、このブログを徒然と書く中で、気づいたっていうんかいなあ。まずは、そもそも、ゲンバの辺野古には「キャンプ・シュワブ&弾薬庫」っていう米グン基地が、既に厳として存在しとるんだよな。今回、運よくっていうんかいなあ、初めて、あの鬱蒼としたヤンバルの山ん中での米グン連中の実弾演習に遭遇して、「あー、基地があるって、こういうことなんだな」と、恥ずかしながらも、今更ながらに気づいたんだ。あの耳を劈くばかりのドンパチの轟音って、スンゴイからなあ。まさに、今のウクライナが「こう」なんだよな。 ワシは今頃になって、「あともう1日、オキナワに滞在して、嘉手納周辺で徹底した聞き込みをしたかったあ!」と思っておるっていうか、後悔しとるんだよな。その「辺野古はノーでも、嘉手納はイエス」ってことで言うなら、あの看板にある「辺野古新基地」ってのは、その沖合の埋め立て工事に象徴される「辺野古基地の機能up」、具体的には「滑走路&港の新設」なんだが、要するに「新基地」の内実ってのは、コイツなんだよな。 ってことで、目取真に尋ねたいんだが、その「辺野古新基地ノー」はよう分かったんで、ぢゃあ、今ある「キャンプ・シュワブ&弾薬庫」っていう「辺野古現基地」については、「イエスorノー」のどっちなんだよ? でも、こうやって、うっかり、突っ込んでしもうと、「ウチナーをイジメ倒して、虐げマクるだけのヤマトゥーの人間に、そんなことを言う資格があるのか!」と、あの「マスクしろ!」とワシに喚いてきたおやぢのやうに、シバキ倒されてしまいそうだよなあ。 ちなみに、ワシが目取真の小説の中で最も高い評価をしとるのは、朝日シンブン(99・6・26夕刊)に載った『希望』と題する「街物語 コザ」や。400字詰め原稿用紙換算で5枚足らずの短編だが、そのコザで発生した米グン兵士の子供に対するコロシにおいて、犯人が出して声明文では「今オキナワに必要なのは、数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ」としたうえで、「反戦だの反基地だの言ったところで、せいぜいが集会を開き、お行儀のいいデモをやってお茶を濁すだけのおとなしい民族。左翼や過激派といったところで実害のないゲリラをやるのがせいぜいで、要人のテロや誘拐をやるわけでもなければ、銃で武装するわけでもない。軍用地料だの補助金だの基地がひり落とす糞のような金に群がる蛆虫のような沖縄人。平和を愛する癒しの島。反吐が出る」と書き込んでおってだな、読んでてヒリヒリするっていうか、まさしく、身を削って文章を紡ぎ出しておるってのがわかって、超エエわ。今だったら、間違いなく、この原稿は築地にボツにされておると、ワシは自信を持って断言するで(笑) #「上」の続きで、今、「辺野古新基地ハンタイ」を唱える「オール沖縄」ってのは、要するに「保革共闘」ってことだわなあ。自民トウ支持層、つまり、保守の一角と革新側が手を握って、チジ以下の首チョウやギカイを制するってことなんだが、その始まりが14年のチジ選で初当選した翁長雄志だったんだよな。革新サイドは98年に大田昌秀の3選を阻まれて以降、その前の10年まで「ザ・自公スペシャル」に4連敗を喫しておったんだわな。 ちなみに、イケダモン大先生を創立者とする公明トウ(=創価ガッカイ)ってのは、94年の大田再選までは革新共闘の側におったワケで、自公ってのは、その98年秋のオキナワ県チジ選から、おっ始まるんだが、つくづく、信濃町がココで寝返って、現在に至っておるってのは、オキナワはもちろん、ニッポン全体における政治力学上のバランスの変化ってのは、ものスンゴイものがある。まさに、オセロゲームの隅を取るが如く、ま、コイツは露西亜における北方領土であり、クリミア半島みてえなもんだが、「オキナワから自公が始まった」っていうことの意味は、超ディープだわなあ。ま、オブチッチの娘の優子が、ヒショを連れてカネ配りに名護に入っておったってのは、そこはさすが世襲ギインやで。 ハナシを戻して、かつての革新共闘で勝ち抜いた大田昌秀と、オール沖縄(=保革共闘)で当選しとる翁長雄志、玉城デニーとの最大の違いは、大田は「米グン基地の全面返還」を主張していたが、翁長&玉城は「それ」を引っ込めて、代わりに「辺野古新基地建設ハンタイ」を言っておるんだよな。ってことは、「辺野古新基地はノー」でも、「嘉手納や辺野古現基地(=キャンプ・シュワブ&弾薬庫)」はチョーOKなんだよな。 ま、革新側が保守勢力の一部と手を組むには、大田が言っていた「米グン基地の全面返還」は引っ込めるしかなかったんだわな。もっとも、自公を切り崩すには、コレしかなかったのも事実で、そこで、政治家はもとより、活動家っていうか、運動屋がコレを飲むのはエエとしてもだな、ブンヤっていうか、表現者たるものが、「コイツをピャーッと丸呑みするのは、いかがなものか?」なんだよな。このことをワシは芥川賞作家の目取真俊に問いたい。 #続くが、普天間基地返還が出てくるのは、96年の橋龍んときだが、その前段として、大田昌秀が、アレは94年に若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)が刊行されたことがきっかけで、「オキナワの核」がスポットライトを浴び、ワシの『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版)でも書いたんだが、米グン基地の工事も請け負っておった建築設計士の本村安彦サン(浦添市在住)が、当時は顔伏せだったんだが、琉新で「辺野古弾薬庫の核バクダン」について喋っておったんだが、コレで大田は「辺野古と嘉手納の核バクダンの撤去」を言い出したんで、それで「普天間返還」が決まったってんだよな。 そういうことも含めて考えると、米グンがオキナワに基地を置く最大の理由は「核バクダンの持ち込み」なんだよな。ココで言う「持ち込み」は、蜜約で出てくる「トランジット」なんかでのうて、もちろん、陸上の基地に半永久的に留め置く「イントロダクション」のことだが、特にオキナワはコイツがキモなんで、ココを突かんことには、意味はねえんだが、地元紙の琉新&沖タイは「コレでもか」っていうくらいに、ダンマリを決め込んでおるんだよな。ワシは欺瞞の極み以外の何物でもないと思う。折しも、今、アベが言い出した核共有を巡って、「非核3原則の見直しウンヌン」とさざ波が立っておるんだが、バカ、こんなもん「3原則」どころか、実態は「ゼロ原則」だからな。 だから、2011年にTBSの報道特集で本村サンが顔出し証言したことで、当時、オキナワ県警ホンブちょーだった村田隆の指示で、もっとも、この村田も「サッチョウの上の方からの指示」だが、嫌がらせタイホに持って行ったってのは、断じて許せない。こんなもんは、自己責任とかいうレベルを超えておって、謂れのない人権侵害以外の何物でもない。こんなもん、あのウクライナ戦争になだれ込んで、反戦を訴えるコクミンを片っ端からタイホしとる露西亜と同じだ。 ましてや、ワシの『核と原発』が発売開始になった「1・14」の未明に、このことをココで告知したら、御役御免ってことで、フィンランド大使に放り出されておったこの村田を、即日、ナイカク危機管理カンに就けるっていう人事をヤラかしておることが全てだが、この「核バクダン」ってのが、原発ともども、いかに「触れたら最後、命はないと思え」と、連中が恫喝し倒してくるタブーになっておるかだ。とにかく、こうやって、「オキナワの核」について実名証言した人物に対し、嫌がらせタイホして見せしめにすることで、現地に6万人はおるとされる、こんなふうに「オキナワの核の存在を知っている当事者」の口封じを、ド腐れ糞ケンリョクどもがヤラかしておるか、だ。とにかく、「目の前で起こった事実」であり、「歴史の真実」をこうやってオモテに出すことがワシの使命であってだな、ま、それしかデキんが、しかし、ヤレる限りのことはヤルからな、分かったか、村田隆以下のこのアホンダラが! #「上」の続きで、その本村安彦サンからメールをもらって、その後、念のため、ウィキペディアでも確認して、うかつにも初めて知ったんだが、本来は「建築士」と「建築家」は別物なんだな。建築士ってのは飽くまで「国家資格」であるのに対し、「建築家」ってのは、設計や工事の監理を含めてトータルに「建物の建築」を手掛ける職業者のことで、本村サンは後者だが、しかし、「建築士」の資格も持っていて、ま、素人には分かりずらい。逆に言えば、建築士の資格を持たない建築家もいるワケで、法律の素人だと、「起訴」と「提訴」の区別が分からんようなもんだ。ワシは「資格としての建築士」ってのはもちろん知ってはいたが、「建築家」とチャンポンにしておったんで、訂正しておくワ。 正確には本村サンは「建築士の資格を持つ建築家」であり、専門は構造設計で、それで辺野古弾薬庫の「1097」が、「おかしい」ってピンと来たんだな。ワシの『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版)にも書いたんだが、例えば、構造設計においては、病院なら、病院にしか使えんようなつくりになっておって、ってのは、病院の間仕切り壁の厚さは15cmと決まっておるってんだな。そこで、辺野古弾薬庫にあった「1097」の部屋ってのは、その間仕切壁がぬあんと「76cm」もあって、「こんなものは、今まで見たことがない」ってんだな。「もし、76cmもある間仕切り壁の建物があるとすれば、それは原発以外にない」ってことで、「だから、コイツは核専用だ」と。 それで、本村サンがこの「辺野古弾薬庫の核」について喋るきっかけになったのは、94年5月に若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)が刊行されたことなんだが、当初、琉新には匿名だったんだが、初めて顔出しで喋ったのが、同年の「9・9」に地元の琉球放送(JNN系列)がOAした夕方ニュース「メディア最前線」だったってんだな。ただ、コレについては、「上の了解」を取らないまま、ゲンバで勝手にヤッてしまったため、担当した男のアナウンサーが、それから、クビになってしもうたってんだな。もっとも、表向きは「定年」ってことだったらしいが。 名前は聞いたんだが、申し訳ない失念してしもうて、あー、ウィキペディアに載ってて、番組のメインキャスターは同局アナの新屋敷二幸ってんだな。オキナワでは有名人なんだろう。いやあ、コイツは新屋敷の降板に伴い、番組そのものもなくなってしもうて、看板を架け替えてしもうとるんだな。んもう、スンゴイわな。ちなみに、この新屋敷ってのは、その後、大田昌秀に引っ張られて、県のスポークスマンみたいなことをヤッとったってんだな。んで、11年OAのTBSの報道特集だが、アレは本村サンだけでのうて、他にも元米グン兵士が何人か顔出しで喋っておるんだが、コレに関わったスタッフも、その後、次々と飛ばされたってことで、ま、「いかにも」だわなあ(笑) #「上」の続きっていうか、ワシの『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版)にも書いたんだが、じつは、オウムの連中ってのは、サリンだけでのうて、ぬあんと「核バクダン」も虎視眈々と製造しようとしとってだな、天然ウラン鉱を産出する濠太剌利に、その研究拠点をこしらえておったんだよな。もっとも、ウラン濃縮やプルトニウム抽出はもとより、起爆ソーチの開発ってのは、カネも手間もかかるんで素人集団には無理だが、でも、ダーティ・ボムぐらいなら、ウランの粉末に火薬を混ぜて火炎瓶で投げつけて、「いいか、ちゃんと糞ションベンも入っておるからな」と恫喝すりゃ、バカなコクミンどもはビビりマクるんで、あの地下鉄サリンで尻尾を出さんかったら、完成させとったかもしれんわな。 で、本村安彦サンと喋ってて、「へえー」だったのは、その顔出しで琉球放送の夕方ニュース「メディア最前線」に喋った後に、あの上祐史浩がオキナワにやってきて、浦添市内の本村サンの設計事務所の前をウロウロしとったってんだな。当時、オウムは那覇にも拠点があって、麻原彰晃んとこに連絡が入ったんだろう。その頃、本村サンは「オキナワからの核撤去」を求めて、浦添市内の全戸を回って、署名活動を始めていて、地元紙の琉新&沖タイも取り上げておったんで、上祐は本村サンの身辺をチョーさしとったみたいだな。だから、連中の核バクダンの開発ってのは、それなりに本気だったんだわなあ。 しかし、オウム真理教の連中の地下鉄でのサリンばら撒きによる大量死傷ジケンだが、陸自は大宮の化学ガッコーには、オウムの信者が2人もおって、ココからサリン製造法がダダ漏れしとったんだからなあ。んもう、コイツだけでも取り返しがつかんのに、首里城火事においても、陸自のヒミツ部隊で言えば、どうせ、また、別班あたりだろうが、「放火情報」が出ておるからなあ。ったく、このハンザイシャ集団のデタラメ三昧の極みってのは、とどのつまりは「暴力ソーチとしてのグン隊」ってことに起因するんだろうが、ま、あの露西亜グンとクリソツで、シビリアン・コントロールが及ばんから、全くもって困ったチャンだわなあ(笑) #で、ウクライナ戦争だが、ゼレンスキーの国怪でのリモート演説を巡って、今日(=3・18)までに、鳥越俊太郎がツイッターで、あと、朝日シンブン政治ブで、その後、特報ブのデスクとして例の吉田調書をスッパ抜きながらも、左遷を食らって昨年5月末に齢49で退職し、今、コイツは、あのタナリュウこと田中龍作と同じ、要はテラ銭ブログだわなあ、SAMEJIMA TIMES(サメタイ)で発信しとるんだが、いずれも「戦争の一方の当事者の言い分だけ、国怪で垂れ流すのはおかしい」との主張だが、スジ論としては全くその通り。ま、こうやって、いろいろと意見があること自体は、エエことだと思うワ。ちなみに、この鮫島ってのは、最近のダイヤモンド電子版で「アベはプーチンと27回も会うとるのに、このタイミングで説得もデキんのか」と噛みついておったんだが、所詮、総理ダイジンも「辞めたら、タダの人」なんで、だから、相手にされんってだけだからな。 しかし、その「トリガー条項凍結の解除」を梃子にした「自公国路線」だが、アレは、いったい、どこまで本気なんだろうなあ。ちなみに、「3・10」の産経には「国民との連携バナシは、自民トウ副ソーサイの麻生タロウらが水面下で模索し、動いてきた」と。さらに、今朝の朝日には「麻生タロウが呼びつけて、連合会ちょーの芳野友子と、3・16の晩に都内のホテルで一緒にメシを食い、麻生派からは森英介、連合からはジム局ちょーの清水秀行も同席した」とあってだな、どうも、ココらあたりで、ワサワサと動いておるみてえなんだわな。麻生派からは佐藤勉らが抜けて、「ガースー派結成」の動きがあるとか、ないとかで、たぶん、このへんだろうなあ。だから、コイツに河野タロウが同調するとなると、ま、政局ではないが、とはいえ、「さざ波以上」ではあるだろう。 ハナシを戻して、朝日シンブンの吉田調書モンダイだが、アレも結局、何が何だか訳がワカらんまま、モヤモヤとオシマイになってしもうたよな。何度もココで喋っておるんだが、だから「所長命令に違反して、フクイチにおった9割の所員が、バクハツ直後にゲンバから撤退した」との記述は、吉田調書にはねえんだよな。その意味では、記事スタイルで「吉田調書によれば」と書いておる限り、嘘ニュースなんだが、でも、吉田調書にはそう書いておらんでも、実際にはコレが「本当のハナシだった可能性」は、十分にあるんだよな。ま、その「9割」は大袈裟にしても、「半分ぐらい」は逃げておっても、何もおかしくねえわなあ。パージされた当事者は、何人か既に退職しとるんだが、コイツについて、読者が納得する説明セキニンを果たしてはおらんわな。おかしい。 #で、今日(=3・19)、11:02upの47NEWSってのは、共同電だわな、オウムの連中による地下鉄サリンばら撒きジケンで、発生当時、サリン回収を担当した桜田門は警備ブの元デカのハナシを載せておったんだが、ま、何が何だか訳のワカらん中で、大変だったわなあ。しかし、このワシですら、「大宮の化学ガッコウにはオウムの信者が2人おって、ココからサリン製造法がダダ漏れしておった」っていうのを掴んでおるんだぞ。取材能力の欠如から、本当に申し訳ない、この2人の固有名詞までは特定デキてはおらんが、当然、陸自は知っておる。だから、あの河野義行をハンニンを決めつけた田舎の長野ケンケイならまだしも、1課にせよ、公安ブにしても、首都のチアンを守るべき桜田門が、この2人の存在を、もし、掴んでおらんかったとしたら、許し難い。要するに「寝ながら回ってる」ってことだからな。 一方、ワシが今回のオキナワ出張で掴んできた「首里城放火は自衛隊の仕業」のハナシだが、蓋然性は有りマクリっていうか、全然、あっておかしくはない。通常は「まさか、そこまでヤルか?」だが、しかし、連中的には、「ヤルときは徹底的にヤル」で。しかし、こんなもんは、正規ブタイでのうて、例の陸自別班か、それに準ずるヒミツ組織だろう。ヤクザが鉄砲玉を偽装破門させるように、それとクリソツやな。ただ、ニッポンの自衛隊が「米グン様の2軍」であることに集約されるんだが、バックにあるのは「米グン様の意向」なんで、沖縄ケンケイが手をなかなか出せないってのも、ある意味、しょうがない。だから、オウムによる地下鉄サリンのばら撒きジケンに対する、桜田門の手ぬるさっていうか、無能ぶりにはらわたが煮えクリ返っておるんだ。 オキナワ出張のハナシも、そろそろ締めようかと思うが、改めてブンヤはゲンバに足を踏み入れんことには、ハナシにならんと痛感したワ。例えば、普天間基地の鉄条網に「基地のお仕事はまず登録から」の宣伝用のノボリが結び付けてあってだな、だって、こういうのって、至るところにある「軍用地買い取ります」の看板ともども、本土におって、ネットをいじくり回して、琉新&沖タイの記事を眺めておるだけでは、絶対に分からんからな。ま、こんなことを言うと、「ウチナーを虐げマクるだけのヤマトゥーに、そんなことを言える資格はない」とシバキ倒されてしまいそうなんだが、「オキナワから、米グン基地がなくなっても、本当にエエのかよ?」と問いたくなるんだが、しかし、言ったら最後、んもう、石を投げられてしもうわなあ(笑) ♯ほいで、新旧コロナのバカ騒ぎは、明日(=3・21)をもって、マン防全面解除ってことだが、つくづく、コイツはチアン維持そのものだわな。製薬ガイシャや厚生ショウと結託した専門家集団が「いいか、バカなコクミンどもめ、ワクチンを打たんと、重症化して死ぬんだからな」と恫喝すりゃ、「ハイ分かりました!」と唯々諾々と従うワケだからなあ。もう一昨年になってしもうたが、都ちょーの女帝サマ(=小池百合子)は、コレでブッちぎりで再選したやうなもんだからな。 そのオキナワ出張で久しぶりに飛行機に乗ったんだが、この御時世、搭乗券発行なんてのは、自分でパネルにタッチして、予約番号を入力するのが当たり前で、ワシのアタマはアナログ三昧の極みで昭和で止まっておるんで、カウンターにおるおねえさんにバウチャーを差し出すと、端末をカチャカチャと叩いて、ピャーッと搭乗券を印字してくれる時代ぢゃねえんだよな。ちなみに、京急は品川、あと京成は日暮里で対面での乗り換え用きっぷの窓口を残しておるんだが、この御時世、こうやって対面対応があるってのは、ホンマ、ホッとするワ。 ま、それはともかく、ワシは空港内でもマスクをしとらんから、そのLCCの自動搭乗券発行機のあたりにおったおねえさんが「お客様、マスクは?」と声をかけてきたんで、「乗るときにちゃんと着けるんで、心配するな。いちいち、こんなんで『マスクをしない権利を認めろ』とケンカしてもしゃあねえからな」と言うと、ホッとしたような表情をしとったな。このバカ騒ぎが始まって、3時間もマスクしたのは今回が初めてで、ちなみに、コレまで最長は免許証更新の講習の際の半時間だったからな。 しかし、一連のマン防&緊Qのバカ騒ぎを振り返ってだな、ホンマ、ワシ個人については、ほとんど全く影響はなかったな。もちろん、マスクはしとらんし、仕事も元々、フリーランスなんて自宅でひとりでヤッとるんだから、全く関係ない。確かに居酒屋が休業or時短営業だったが、用もなけりゃ、外では飲まんし、晩酌用の酒類もスーパー&コンビニで売ってるんで、正直、全く困らんかった。でも、過去を振り返って、大学生の頃は、ホンマ、毎週のように居酒屋で飲んだくれておったから、今度のバカ騒ぎで、大学生は休講も含めて、大変っていうか、受難だったと思うな。居酒屋ってのは、格好のバイト先だし、こうした若者の声ってのは、少なくともシンブンは、ほとんど全く取り上げずに、スルーしとるよなあ。 折しも、お隣は韓国の大統領センキョだが、超ヒートアップして、投票率もぬあんと77%と、ニッポンと比べたら、信じられんのだが、セー権交代の決め手は「若者票」だったからな。今回、当選した元検事総チョウのナントカってのも、あの若者に対する媚びマクリぶりが、スンゴかったわなあ。翻ってニッポンは、自公は年金暮らしのジジババにだけ損失補填用に5千円の小遣いを配るってんだが、コイツは若者は思うところあるんだろうが、しかし、こうした「疎外された人らの声」を掬い上げてくれる野党が皆無なんだよな。ま、れいわ総帥の山本タロウがココに手を突っ込んで、ゴッソリと持ってイクようだと、夏祭りもオモロクなるだろう(笑) #で、この「3・16」の晩に発生したフクシマ沖を震源とする震度6強の地震だが、今朝(=3・21)6時upの河北新報電子版だと、浜通りにある相馬共同火力は新地発電所の損傷が、思った以上に酷くて、再開までに時間かかるってんだな。隣接する相馬港から燃料である石炭を搬入しておるってんだが、ココも損傷も大きくて、東北電が50%、残りの50%を東電と中部電が出資しとって、それに応じて電力を供給しとるってことで、東北新幹線はともかくとして、死傷者はそんなに出なかったんだが、とはいえ、かなり強かったんだな。 ただ、今回は11年前の「3・11」と違って、諸々、被害がまだ全然マシだったのは、津波が来なかったってのは大きいわなあ。フクイチの爆発だって、「津波による全電源喪失」ってのがすべてだからな。それで、さっそく、この河北新報の記事に対するヤフコメ民の反応は「まだ、石炭火力をヤッとったのか」っていう罵声で、少なくとも、コレに対してワシは許し難い。少なくとも、石炭火力は津波で全電源喪失したところで、あの3号機のやうに、核バクハツなんか間違っても起こさんから、それに比べたら、「安心&安全」という点では原発の比ではない。 だから、今、あのSDGsとやらが異様に持ち上げておる「地球温暖化阻止のため、二酸化炭素の排出量を減らせ」だが、コレこそが「原発推進」の切り札にさえなっておるんだからな。その「地球温暖化の嘘」ってのは、ワシの『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版)でも書き込んだんだが、要するに「二酸化炭素が増えたから、地球が温暖化した」んでのうて、本当はその逆で「地球が温暖化しとるんで、二酸化炭素が増えておる」んだからな。繰り返しになるが、「エネルギーの自給&自立」というところからも、石炭火力の増設は必要不可欠で、それと合わせ一本で閉鎖させられた炭鉱の再開、コレは声を大にして言わせてもらう。 そこで、最近思うんだが、東京シンブンは原発関連の記事が減っておるわなあ。特報面とか、前はもっとジャンジャンと載っておったんだが、恐らくゼロではないとは思うんだが、勢いがない。出田阿生や榊原崇仁とか、異動で特報ブからおらんなってしもうたってことかよ。あと、そのジェンダー平等ウンヌンをブチ上げておるSDGsとやらに引っ張られておるってことなんかよ。社会ブ在籍が異様に長くてなっておって、支局のデスクにも出とらん望月衣塑子、そのへんはどうなんだよ? #ウクライナ戦争だが、ニッポン時間の今朝(=3・21)、発生したっていうキエフ北西部にあるショッピングモールへの爆撃で死傷者が出たってことで、恐らく、コイツはミサイルだと思うが、どこから撃ってきておるんだろうな。ただ、露軍の戦車部隊は、キエフに近づいているらしいとのことだが、手前で止まっておるってんだよな。だから、キエフ侵攻に当たっておる露軍ってのは、今、どこにおって、どれくらいの戦力なんかだわな。そのトルコ仲介による停戦交渉だが、コレはどこまで脈があるのかだわな。 確かに、経済制裁ってのは、それなりか、一定か、とにかく、効果はあるだろうが、何度も言うように「漢方薬」だからな。見たカンジでは、和戦両様で、プーチンにせよ、ゼレンスキーにしても、まだ、「参った」という段階ではないわな。とにもかくにも、ウクライナ側としては、何より「停戦&露軍の撤退」だわな。いずれにしても、露軍を叩き出すには、露西亜に対しても、諸々、もっとダメージを与えんことには、動かんと思うな。長期戦になれば、まだまだ、ウクライナ側の死傷者と損壊は出るが、露西亜もその分、カネが腐るほどかかっておるんで、ま、自分で自分の首を絞めておるようなもんだから、今、まさに、そのチキンゲームの最中だ。 だから、コレ以上、長引かせずにカタを付けるには、もちろん、主語は「亜米利加」だが、軍事介入以外にない。ペンタゴンの持ち場としては、欧州部隊なんで、NATO用にハケンしておる空母は、ロナルド・レーガンかよ、それをボスポラス&ダーダネルス海峡を通過させて黒海から進入させて、マリウポリに着岸して上陸し、露軍とドンパチだわなあ。そうだよ、そうだよ、斬り込み役としての海兵隊だが、ったく、辺野古はヤンバルの山ん中で、のうのうと実弾演習をヤッとる場合かよ。梅田は、はよ、出動指令を出して、このオキナワの海兵隊をマリウポリに放り込めってんだ、アホンダラが! #ま、コイツは私事の領域に入ってしもうて、恐縮なんだが、オキナワに行くと、いっつも、県庁対面のパレットくもじの7階にあるデッカイ本屋に足を運んで、琉新&沖タイを始めとする地元の版元が刊行した本のコーナーを覗いてくるんだが、既に知ってはおったんだが、あの大毎社会ブにおった藤原健(74年入社)が、最後は大毎の社会部ちょーから編集局ちょー、んで、スポニチ大阪ホンシャ代表かよ、それで退職した後、嫁ハンがオキナワ出身なんかいなあ、それでオキナワに移住して、琉球大かよ、とにかく、大学院に籍に置いて、オキナワの戦後ジャーナリズムを題材に論文を書き上げて、それを琉新から本を出したってことで、2冊あり、あー、肩書は琉新の客員編集イインを貰うておるんだな、「あるある」だったな。 この藤原ってのは、最後は竹橋の専務兼主筆まで登り詰めながらも、トップにはなれなかった、あのキンタこと木戸湊(63年入社)の腰巾着で、それゆえ出世コースに乗れたんだが、ちなみに、この4月人事でワシと88年入社同期で、竹橋の編集編成局チョウの亀井正明が、編集編成キョク総務ってのは、その1つ上なんかよ、いずれにしても、最近デキたポストだが、一応、まだ、出世コースには乗っておるようだが、だから、今の亀井があるのは、大毎社会ブでこの藤原の寵愛を受けたことが、すべてなんだよな。しかし、この藤原なんて、思い出すだけで、今でも虫唾が走るっていうか、ワシに言わせれば、まさに「社畜の成れの果て」や。ま、老後をノンビリ過ごすには、オキナワはあったかいんで、エエと思うワ。 で、この藤原の名前で検索をかけると、今、ネットの時代なんで色々と引っかかってくるんだが、「大阪毎友会」っていう退職者の親睦ソシキがあって、ココで藤原の本が紹介されておって(毎日の紙面でもだが)、あー、毎友会ってのは、東京もあるんだな、しかし、おぞましいこと限りなしっていうんか、カイシャを辞めてもなお、こうやって、ツルんでおるってのは、んもう、スンゴイとしか言いようがねえわなあ。その大阪毎友会の公式HPを見たら、この「3・19」の最新投稿で、奈良シキョク在籍者による30数年ぶりの親睦会ってことで、コレもワシの同期だが、去年末で辞めて、今は大阪ボランティア協会に勤めておるっていう増田宏幸も参加しておったとupされておったなあ。そうそう、増田は初任地が奈良で、確か、大毎の編集局ちょーをヤッとったみたいなんだが、肩叩きに遭うたのか、勤め人だから、色々あるわなあ。この増田ってのは、キャラとしてはノリがようて、同期だと、本籍・竹橋の東海林智と似たところがある。もっとも、東海林よりはジケンはデキると思うが。 ハナシは変わるが、この「3・16」の地震を受けて、今晩(=3・21)の19時過ぎかよ、通産ショウが、突如、思いついたやうに、史上初の「電力の需給逼迫警報」なるものを発令したってんだが、首都圏も夜になって、急に冷え込んできたわなあ。ま、コイツも「いいか、バカなコクミンどもめ、原発再稼働にイエスと言わんと、電気を止めるからな」っていう恫喝だわなあ。ったく、こんなもん、言うんだったら、最初から言えってんだよな(怒) あと、ゼレンスキーがイスラエルの国怪演説で提供を求めた迎撃ミサイルの「アイアンドーム」だが、コイツは実戦でよう使われる短射程ミサイルの命中率が相当、高いみたいなんだな。亜米利加のMD(ミサイルぼーエイ)ってのは、長射程の弾道ミサイルで、コレは基本的に核バクダン用だからなあ。さすが、イスラエルは日頃から、ハマスとかと事を構えておるだけあって、ちゃんと「使える兵器」ってのを開発しとるんだなあ。
by toshiaki399
| 2022-03-13 18:07
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