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2022年 01月 08日
松の内も明け、暦は一年中で最も寒い大寒を迎えど、寅年の今年は、かの虎の穴で悪党レスラーとなるようシゴキ倒されながらも、脱出してタイガーマスクとなった伊達直人のごとく、「ブンヤ版・タイガーマスク」として燃え盛る炎となって、今年も、この国のド腐れ糞ケンリョクどものはらわたにガブリと噛みつき、その腐れ切った膿を抉り出すなりぃーーーーーっ!!!!!
#固定ツイートってヤツで、ワシの新著『「自民党"公明派"」20年目の大失敗 選挙のたびに激減する公明党票』(第三書館、ソフトカバー・224頁、1500円+税)が、今夏の参院センキョに向けて、絶賛発売中なので、ぜひぜひ、ヨロシク! 私事で恐縮だが、ホンマ、ワシがイケダモン大先生んとこの信濃町とかかずらうことになるきっかけってのは、だから、年が明けたんで、もう23年になるんだが、その『「新聞記者」卒業 オレがブンヤを二度辞めたワケ』をこの第三書館から出したことなんだよな。前もココで喋ったかもしれんが、大毎は毎日シンブンを退社後、東京シンブンに転職したものの、ココも97年7月末で辞めて、しばらく、ブラブラとしとったんだよな。まだ、三十路になったばっかりで、勤め人を辞めたってのも、コイツも今にして思えば、「その場の勢い」としか言いようがねえわな。 今でも、時々、当時のことを思い起こすこともあるんだが、人生なんてのは、じつは、ホンマ、ちょっとしたきっかけっていうか、例えるなら「ボタンの掛け違え」とも言うべき、ささいなことから、妙な方向に転がってイクもんかもしれんのだよな。その毎日もそうだし、東京もそうだが、退社した直接の引き金は人事異動に対する不満で、東京シンブンの場合は、入社後、配属されておった首都圏ブはTOKYO発取材班から、浦和シキョク管内の所沢通信ブだったんだよな。ワシはそのTOKYO発で1年半、好き放題書いておったんで、もう少しいたかったのがホンネで、あと、当時住んでおった、蒲田というか、最寄り駅は京急の雑色だったんだが、凄く気に入ってて、もうしばらく住みたかったというのはあった。ただ、このとき、異動先の辞令が、もし、ヨコハマ支局管内の藤沢通信ブだったら、たぶん、辞めてなかったような気がするんだわな。ってのは、当時、一番仲の良かった大学時代のポン友が、鵠沼海岸に住んでて、しょっちゅう、一緒に飲んだくれては、彼のアパートに泊っておったんで、逆にむしろ、「そいつと、コレからジャンジャンと飲んだくれることがデキるワ!」と、恐らく、辞めてなかったやうな気がする。で、そうなってたら、また、その後、全然、違った道のりを歩んでおったワケで、だから、人生とは、分からないものだ。 ハナシを戻して、東京シンブンを辞めて、しばらく経ってから、突然、思いついて、その「新聞記者卒業」と題した手記を、ま、狂ったように書き上げた。ワシとしては、「ブンヤ稼業はヤリ尽くした。この際、他のことをヤッてもエエだろう」と、まさに「ブンヤ卒業」との思いもあって、その頃、「オキナワの戦後ジャーナリズム史」でも研究しようと、琉球大の大学院修士課程に合格もしておったんだが、結局は、行かなかった。で、その間、原稿をいくつか出版社に持ち込んだものの、全て断られ、ほとんど諦めておったところ、東京シンブン時代に、何かの席で名刺を交わしておった第三書館の北川明社長に持ち込んだところ、「ウチで出しましょう」と。ただし、「初版は印税ナシで現物100部贈呈で、もし、再刷がかかったら、その時点で印税を払う」で、無論、それで御の字だったんで、まさに「コレでブンヤを卒業デキたあ!」と、晴れ晴れとしたキモチだったんだ。運よく再刷になって、少しばかりの印税も貰った。 そしたら、北川社長から「せっかくの縁だし、もし、その気があるなら、公明党・創価学会で本を書きませんか? あの自自公路線での豹変で、みんな『おかしい』と思ってる。信濃町周辺の異様な警備も、怪しい」とか言われて、ま、今にして思うと、そのとき、とにかく、ワシには、ま、「他にヤリたいことも、そして、ヤレることも、なかった」んだよな。1999年の初夏だった。だから「運の尽き」とは、このことで、ホンマ、ブンヤってのは、潰しが効かんとつくづく思うワ(笑) #で、今朝(=1・8)の産経の1社アタマに「米グン基地クラスター 地元住民混乱、不安」「情報共有されたことない」と載っておってだな、さすがに「地位協定ウンヌン」にまでは踏み込んではおらんものの、とはいえ、コイツは昨朝の朝日の後追いだわなあ。ちなみに今朝の産経社説は「マン防を全国に適用拡大せよ」と、んまあ、煽り倒しておるんだよな。 確かに米グン様は、一般人のやうに、ニッポン側による入国シンサ&検疫なんかしとらんで、ダイレクトに在日米グン基地に入ってくるワケなんだが、ただ、エボラ出血熱やコレラ、ペストといった、ニッポンの感染症の分類では1類に該当するやうな、致死率が異常に高い伝染病ならともかく、この新型コロナをワシも、さすがに「風邪と同じ」とまでは言わんが、しかし、「インフルエンザ並み」だわなあ。もっとも、コイツはニッポンに限ったハナシでのうて、欧米のバカ騒ぎぶりは、こんなもんぢゃねえからなあ。ぬあんか、今や「在日米グン基地があるおかげで、新型コロナの変異種が拡散し、そのおかげで感染拡大しマクっておる」っていうふうに、ハナシが持って行かれておるよな。 しかし、この新旧コロナのバカ騒ぎだが、ワシは「せいぜい、1年も持てばエエだろう」と高を括っておったんだが、あに図らんや、「いつまで、引っ張るんだよ」だわなあ。もっとも、WHOが終息宣言を出しておらんから、ダラダラと全世界で続いておるんだが、さすがに、アベがヨミで顔出しで喋っておった通り、「インフル並みの5類に指定を下げる」だわなあ。んー、消費税増税も五輪開催も、シンブンはヨコ並びっていうか、金太郎飴の如く「いいぞ、いいぞ、イケイケドンドン」だったんだが、「多事争論」をモットーとするシンブンは、せめて、ヨミぐらいは「過度な規制は慎むべき」との論陣を張ってもエエわなあ。 それで言うと、「現職・渡具知武豊vs新人・岸本洋平」の一騎射ちとなる、オキナワは辺野古を抱える名護市長センキョ(1・16告示→1・23投開票)だわなあ。コレまでは自民トウを中心に「国政センキョ並みの態勢」ってことで、閣僚クラスをジャンジャンと現地に投入して、ブイブイと押しておったみたいだが、分からんなったよなあ。ま、今までは青信号の楽勝ムードだったと思うが、コレで信号機も黄色に変わってしもうたよな(笑) #「2つ上」の続きで、個人的なハナシで恐縮だが、他に書くとこもねえんで、ココを覗いておる超ヒマな読者には御寛恕願うが、その『20年目の大失敗』に関しては、いろいろと言いたいことがあって、その入稿してから刊行されるまでに半年以上がかかっただけでなく、当初、収録を予定しておった『フォーラム21』の60本超の拙稿のうち、最終ゲラで突如、その3分の1が落とされたりとか、何か「?」とモヤモヤしたことが、いくつも起こっておるんだよな。 その1つだが、コレも「そんな大したことではない」と言ってしまえばそれまでなんだが、ワシは第三書館から10冊以上も本を出しておるんで、今までだったら、奥付の著者プロフィール欄には、コレまでの著作名が入っておったんだが、今回はそれがスッポリと抜け落ちておって、「現在はフリージャーナリスト」とあるだけで、あと、最後の頁も、これまでだったら「古川利明の本」と、『「新聞記者」卒業』から始まって、第三書館から出してきた拙著の一覧が広告として入っておったんだが、コレも今回はなく、真っ白々の白紙で、正直、「?」だったんだ。客が手に取ったり、また、買うてもらうた際に、「ほうー、他にもこんな本を出しているのか。だったら、ひとつ買うてみるか」となるわな。 その『フォーラム21』の表紙ウラの無料広告掲載の件も、北川明社長は「分かりました」と言っておきながら、そのままほったらかしにされて、ワシが「どうなったんですか?」と尋ねたら、いきなりキレて「そんなにやりたいんなら、著者であるアナタがやればいいでしょう。大学教授の著者は、みんなそうしてる」と。だから、「あー、コレは本を売る気がねえんだな」と思ったな。 で、ワシも「どういうことなんだ?」と、ずうーっと疑問を感じておったんで、問い質すと、「アナタの本は売れない。政治の本は売れない」とまで言われて、ホンマ、キツネにつままれた思いとは、このことなんだよな。ワシなりに、いろいろと考える中で、その公安テロ情報本の出版を巡って、損害賠償支払いが確定したものの、払わん(払えん)かったんで、債権者側から第三書館と北川社長に対して破産の申し立てがなされ、それが認められたことで、コイツが大きく影響しておるのかなとは思う。ただ、外部からは第三書館の経営状態なんて全く分からんから、コレが上場しておるところなら、経理に関する公開情報が、それなりに入手できるが、こんな実質、北川社長が1人で切り盛りしておる会社なんて、どうなっておるのか窺い知れないんだよな。 その公安テロ情報本だって、こうした結果を招いた以上、本来であれば、当然、経営責任が問われてしかるべきだが、そこは、ひとり経営のいいところっていうか、悪いところでもあるんだが、「それ」がない。アレはネット上に流出したものと、それを本として編んで刊行するってのは、次元が違うんだから、確かに、あの出版差し止めの司法ハンダンは明らかにおかしいが、とはいえ、そうでなくても、この御時世、個人情報ウンヌンがうるさいし、少なくとも、監視対象にされたイスラム教徒については、個人を特定し得る固有名詞とか、番地までの現住所、それにケータイ番号なんかは、黒塗りにしたところで、資料としての価値は毀損されないわなあ。 要は「本にして売り捌いたことでカネ儲けのダシにした」ということが、原告はもとより、世論の反発が凄かったからな。ワシが版元だったら、アレを本にするという選択肢はなかったが、今、振り返ってみて、アソコまでのリスクを賭けてまで出すだけの価値のある本だったのか、はなはだ疑問だ。 その一方で、第三書館が15年2月に刊行し、ワシも原稿を頼まれたんだが、シャルリ・エブドの風刺画をまとめた『イスラム・ヘイトか、風刺か Are you CHARLIE?』については、ムハンマドの顔にモザイクやぼかしを入れておってだな、どうも他の執筆者から「顔出しはやめてくれ」と泣きが入ったからのようだが、むしろ、情報公開を貫徹するとすれば、こっちの方だわなあ。こんなのは「表現の自由」にもかかわってくるからな。ずっと、疑問に思ってたんで、コレは先日、北川社長にワシが言ったんだが、「アレでぼかしを入れた方が売れたんで、よかった」と言われて、「それは違う。顔出しにした方が売れたに決まってる」とワシは反論したんだが、「何かヘンだな」と思い始めたきっかけだった。 #で、新旧コロナのバカ騒ぎに関連して、今日(=1・9)、日米合同イイン会の名前で、在日米グンのカンケイシャは、明日から2週間、「不要の外出を控える」との自主規制を行うと発表したってんだが、んー、コイツはモロ、オキナワは辺野古を抱える名護市長センキョ(1・16告示→1・23投開票)向けだわなあ。要は「コレ以上、刺激してしもうと、現職の渡具知武豊が落選し、玉城デニー与党はオール沖縄勢が推す岸本洋平が当選しかねない」との政治ハンダン以外の何物でもねえわな。 ま、恐らく、コイツは在日米グンの現場レベルでのうて、ペンタゴンを含む亜米利加本国のハンダンだわなあ。ただ、軍人にこんなきめ細かなケッテイがデキるとは、なかなか思えんから、ココは国務ショウがペンタゴンを宥めスカしたんと違うんかいなあ。ゲンバの空気は、出先の大使館でねえとなかなか分からんから、本国にキミツ電報を打ってだな、「ココはおとなしくネコを被って、いい子チャンにしとらんと、岸本が当選し、その勢いを駆って玉城が今秋のチジ選で再選してしもうたら、辺野古移転にあと20年はかかる」ぐらいのことは、報告してそうだよなあ。とりあえず、コレで信号機は黄点滅のままで、渡具知と岸本と、どっちが勝つか、現時点では、全く分からんわなあ(笑) ちなみに、この日の産経が「米グン駐留経費、なぜ負担増 5年間で年2110億円 梅田セー権でも変わらず」と打っておって、思わず、ワシは朝日か赤旗かと勘違いしそうになってしもうたんだが、あの産経にこんな記事が載るとはなあ。本来だったら、「日米同盟強化のための応分の負担ってことで、ニッポン政府はもっと貢ぎマクれ」とケツを叩いてもよさそうなもんだが、やっぱ、コロナは聖域化しとるんだな。 #ほいで、イケダモン大先生を創立者とする公明トウ(=創価ガッカイ)トップのなっちゃんだが、「敵基地攻撃能力を持つ長射程のイチモツ配備」について、「検討すべき」と喋ったってんで、早速、今朝(=1・10)のシンブン赤旗では「このどこが、平和の党だ!」ってことで嚙みつかれおったなあ。余計なお世話だろうが、名護市長センキョが終わるまでは、少しネコを被っておとなしくしておった方がエエと思うなあ。スイッチ入って、下手に勢いづかせたら、どうするんだよ? だがらさ、この「1・23」に投票箱の蓋が開いて、現職の渡具知武豊の再選を確認した時点で、ピャーと豹変してだな、「イケイケドンドン」で突っ走ればいいぢゃないか。あの99年の自自公路線んときがそうだったが、春の統一地方センキョが終わるまでは、ホンマ、死んだフリっていうか、軸足は完全に野党に置いておったんだが、終わった途端、いきなり、ちゃぶ台返しに打って出たんだよな。それで、盗聴法以下、重要ホウアンに全部賛成に舵を切っておったやうに、まさに、コレだわなあ。ぬあんか、なっちゃんはオキナワの空気が、全然、読めておらんカンジだわなあ。会ちょーの原田稔の指導が足りんな。とにかく、あの産経が最近、コロナのバカ騒ぎにかこつけて、妙なことを言い始めておるんだから、シンブンにちゃんと目を通せってんだよな。 それはそうと、遠山の清チャンのジケンだが、ワシ、一連の在宅キソの各紙記事を読んで、改めて「?」だったのが、去年1月、のチョー高級倶楽部での豪遊三昧が文春にスッパ抜かれて、それで衆院ギインを辞め(させら)た後も、引き続き、融資口利きをヤッとったってことなんだよな。だって、サルは木から落ちてもサルのままだが、ギインはセンキョに落ちたりして、バッジを失くしてしもうたら、通常であれば、サル以下の存在だからなあ。清チャンがキソされた計111件の中には、ギイン辞職後の「去年6月までの分」が入っておるんだよな。そうやって、清チャンが「タダの人」となってもなお、口利きをヤリマクって、小遣いをゲットOKだった「力の源泉」は、いったい、どこにあるんだよ? あと、まだ分かんねえのは、清チャンがキソされた計111件のうち、あの牧厚と共謀しておったのは29件だけで、「残る82件」ってのは、「清チャンの単独ハン」ってんだよな。しかし、コイツは牧みてえなブローカーに頼まれて初めて、「口利きの着手」になるワケで、清チャンに融資アンケンを依頼した人物がおるハズだわなあ。んー、この清チャンを秘蔵っ子として抱え込み、ガースーとの超ズブズブから俗に「SSライン」とも呼ばれておった、あの佐藤浩ってことは、まさか、ねえよな? んー、今晩の22:48upの日テレ電子版によれば、岸田は、自衛隊によるコロナのワクチンの大規模接種センターを再開する腹を決めたってことで、明日発表するってんだな。コイツは、いよいよ、名護市長センキョの帰趨も、分からんなってきたよなあ(**) #で、今日(=1・11)、午前10時upの朝日電子版に「ローカル線でも監視カメラ設置義務化方針、地方は動揺」の見出しで載っておったんだが、要は、異論&反対の声が挙がっておるってことで、「むべなるかな」だわな。とりあえず、国交ショウは「カメラ設置費用は負担する」ってんだが、カネはそれでオシマイでのうて、維持管理にもさらにカネがかかるからな。そうでのうても、今は地方は赤字ローカル線をどうするかってことで大変な状況なのに、ハッキリ言って、このテの監視カメラ設置は「有害無益」どころか、「有害大損」以外の何物でもない。既に車内監視カメラ設置が済んでおる東急が来春からの運賃値上げに踏み切った理由の1つに「監視カメラの設置&維持管理費がかさばっている」ってのがあるからな。どうせ、カメラ設置したところで、その維持管理ってのは、ケーサツ天下りしマクリのアルソック以下の警備会社etcに丸投げななんだろ? そもそも、こうした電車内でのうても、監視カメラがあったところで、諸々のハンザイを防ぐなんて、無理だからな。「監視カメラさえあれば安心、大丈夫」っていう思い込みっていうか、洗脳を解くことからだわな。そんなあの小田急や京王での暴漢みてえに「死刑にさせてくれ」と喚いておる輩に、こんなカメラを付けたところでクソの役にも立たん。緊急停止とか、避難誘導とか、マンパワーで対処する訓練に力を入れる方が大事だし、カネもかからんからな。こういう時代なんで、「もし、いざ、起こっても、その際は慌てずに、いかに冷静に対処して、被害を未然に最小限に抑えるか」だ。 折しも、3日前の「1・8」の晩に、東京・代々木の焼き肉店に20代オトコが刃物持って立て籠ったんだが、コレも「死刑にさせてくれ」と喚いておったってんだろ。だから、カネ目的の強盗ぢゃねえんだよなあ。そのゲンバが小田急や京王の電車から、焼き肉店に替わっただけのことで、その根本にある「社会の歪みや矛盾」というものに目を向けずに、「ケシカラン、ケシカラン」と喚いても、意味はない。間違いなく、「貧困」ってのはベースにあるんだから、ココは「急がば回れ」で、消費税減税に手をつけんと、だ。 #それで、そのCLPモンダイだが、望月衣塑子のツイッターを覗くと、リツイートがアレコレと貼り付けてあってだな、要するに、立民の幹事チョウだった福山哲郎のハンダンで、その立ち上げの時期に当たる20年8~10月に4回に渡り、計約1500萬円が流れておったってんだが、コイツは、そのCLP側から立民っていうか、福山に申し入れがあったっていうんか、ま、「泣きが入った」ってことだわなあ。 ただ、その経理ソーサを見ていくと、じつに巧妙で、この約1500萬円ってのは、全額、「博報堂」を経由しておってだな、それも「番組制作費」の名目なんで、要は「ロンダリング」を施して、足が付かんようになっておったんだな。ワシの見立てでは、恐らく、博報堂は「中抜き」っていうか、「仲介手数料」は取っておるハズなんで、博報堂には、それ以上の金額、例えば、計2千萬円が立民から支払われておったと見るべきだろう。んー、こうなると、カネの流れを見ても、あのDappiモンダイとクリソツだわなあ。 だから、本来であれば、立民は博報堂をテコに、このCLPに対して、「立民を利する番組の制作」を要求してしかるべきなんだが、そこはぬあんと言うんか、まさに阿吽の呼吸とでも言うのか、オトナの判断だわなあ。ただ、このテのハナシは、まさに、ザ・内部情報の極みで、俗に言うところの「キミツ」だからな。こんなもん、外部の一般人はもちろんだが、中の人間でも、ごく一握りのトップ以外、知り得んハナシだわな。んー、あの津田大介は、コイツを知り得る立場にあったってことだわなあ。 あと、望月のツイッターにリツイートで貼り付けてあった投稿で、ワシは初めて知ったんだが、京都精華大専任講師の白井聡(齢44)ってのが、「野党というか、反体制にカネがないのは当然の助動詞で、かつてだったら、経団連から引っ張ってきたカネを田中清玄が第1期ブントに流していたものだった」と喋っておって、確かにその通り。 早速、ウィキで経歴を調べたんだが、早大総長だった白井克彦の倅で、大学は同じ早稲田政経の政治学科で、大学院は一橋で博士課程まで修了(単位取得退学)なんで、この経歴だったら、それなりに名の通った大学の准教授か、早ければ教授になっておってもおかしくねえんだが、専門が「レーニン主義」なんで、さすがにこの御時世では、講座を持たせてもらえんのだろうなあ。ひと昔前だったら、革マル巣窟の早稲田や、中核派拠点の法政とか、あと、関西だったら、左派の砦は立命館だわなあ、この白井聡なんかは、ココで講座を持てておるワ。ちなみに、ワシは慶應文學ブなんだが、三田に通った80年代のトップの塾長は、中国現代政治が専門の石川忠雄だったが、彼はナカソネ肝煎りの臨教審トップ代理に就くなど、バリバリの体制派だが、もちろん、当時、東西冷戦の真っ只中ではあったんだが、その石川なら、この白井を慶大教授で政治学科に引っ張ってくるだけの懐の深さはあった。だって、看板の経済学ブだって、寺尾誠みたいなバリバリのマル経がおったからな。 で、今回のCLPモンダイをどう捉えるかだが、もちろん、褒められたハナシではないってのは言うまでもないが、最悪は新潮あたりにスッパ抜かれることだったんで、ま、こういうカタチで、要は刺し合いってことなんだろうが、オモテに出てきたってのは、まだ、マシだったと思うなあ。あと、立民前幹事チョウの福山だが、本当に「コレは将来に対する投資で、見返りは要らん」ってことで、ポンと差し出したってのであれば、大したもんだ。コイツはトップだった枝野には報告しておったんかいなあ、こんなきめ細かい芸当をヤルだけの手管があったとは、むしろ、見直したで(笑) #「上」の続きで、ワシは信濃町のちょー報員だと睨んでおるんだが、しかし、頑として本人は否認を続けておるナニワ在住の、「ナニワ」と言うと、狭義では大阪市内に括られるんかよ、それで言うなら府下在住だが、メールがあって、「ブンヤのくせに、白井聡も知らんとは、勉強が足りん」と、ありがたいお叱りを受けたで。この世代の「左」のアカデミシャンで言うと、中島岳志(北大→東工大)や国分功一郎(高崎経済大→東工大→東大)と一緒に括られるってんだが、いかんせん、中島は「リベラル保守」というカテゴリーで、右と左に上手いこと保険をかけておることに加えて、この白井ってのはファナステックなところがあり過ぎるんで、京都精華大の専任講師で留め置かれておるってことだわな。ま、そうしたキャラもあるだろうが、しかし、この御時世、「レーニン主義」の研究で大学教授の肩書を用意してくれるようなところは、ねえと思うよな。 で、ワシは明治以降の左派研究ついては素人同然なんで、詳しいところはよう知らんのだが、指摘されて「へえー」だったんだが、慶應の経済学ブってのは、代々木のイデオローグでもあった野呂栄太郎に象徴される「講座派」の牙城だったってことで、小泉信三はコレらを叩き出そうと頑張ったんだが、やっぱ時代だろうなあ、駆逐はデキんかったってんだな。 もっとも、ワシは文學ブだったんで、あんまり政治的な右左には、大学紛争の時代ならいざ知らず、そんな影響は受けなかったんだが、法学ブ政治学科のポン友が、内山秀夫っていう、軸足としては極左と言ってもエエと思うんだが、そこのゼミの所属で、彼の影響でアントニオ・グラムシを知った。左派のマトモなところは「富の公正再分配」ということをきっちりと主張するとこで、そのポン友との付き合いがなければ、「左派思想の洗礼」は受けていなかったと思う。マルクスっていうか、レーニン&スターリンの暴力カクメイ路線は違うが、ソ連崩壊ア以降、まさに糞味噌一緒くたで、左派思想の根幹である「富の公正再分配」までもが、全否定されんとする風潮は、ゼッタイにおかしい。 その慶應の政治学科で言えば、もう30数年も前だが、その極左の内山秀夫の対極に、サンケイ正論陣の筆頭の中村勝範がおって、日吉の般教では、ワシは彼の政治学を取って「A」を貰ったが、オモロかった。あの時代、「右か、左か」という選択肢を突きつけられれば、右に触れるのがまだ、マトモだったと言えるだろう。だから、初めて投票権を得た86年のダブル選では、自民トウとコイズミに投票したし、シンブン社の第一志望もヨミだったんだ。ま、時代が変われば、人間も変わるんだわなあ。それで言うと、ワシは「右→左」の転向と言えなくもないんで、仏蘭西のミッテランに近いかもしれんな。 #「上」の続きで、ワシが勝手に信濃町のちょー報員と思っておる、そのナニワ在住の読者からレスがあって、ま、年代的にはワシよりは上で、ひょっとしたら、全共闘の連中より上なのか、大相撲の栃若を、恐らく子供の頃だろうが、知っておるとのことなんで、それなりだろうが、地アタマが相当いいんで、関西のそれなりの大学を出ておると推測するんだが、関西の大学におけるアレコレを熟知しておってだな、「へえー」なんで、ヒマな読者にとっても参考情報になると思うんで、upしとくワ。 もちろん、東西冷戦下は昭和の時代のハナシだが、学生運動の砦は京大で、次に来るのが同志社に大阪市大、立命館は民青(共産党)の巣窟。戦後はどこもそうだが、マル経(マルクス経済学)が力を持ってて、国家ケンリョク様は、近経(近代経済学)を広めようと、京大は経済研究所をこしらえたり、阪大は高田保馬ってのを中心に近経中心の経済学ブにしたってんだな。オマケで言うと、関東だと、東京教育大が看板を架け替えて、筑波大となって移転したのも、この延長線上にある。 それで、今、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)がかなり売れてて、新書部門のトップ級なんだが、ワシが信濃町のちょー報員と思っておる人間によれば、「こんなのが売れてるとは。以前なら、この程度のことを言う学者は掃いて捨てるほどおった」ってんだな。ワシもうかつで「あー、そう言えば、本屋に平積みになっておったな」ぐらいの認識で、早速、ウィキで検索すると、この斉藤ってのは、東大理Ⅱに入ったものの、3カ月しかおらず、その後は、亜米利加の大学、独逸の大学院に行って、それで今、齢34にして、大阪市大経済ブ(大学院)の准教授ってことで、大阪市大が引き取っておるってのは、そこはまだ、「マル経&学生運動のメッカ」の末裔なんだろう。ま、国策としての「マル経学者撲滅運動」が極まって、今に至っておるということだろう。 それで言うと、京大経済学ブ(大学院)教授に依田高典というのがおるんだが、ワシが卒業した長高こと、新潟県立長岡高校の同級生で、1年生んときは同じ6組だったんで、よう知ってて、ワシは吹奏楽部で、依田は弓道部だったんだが、前もココで喋ったかもしれんが、数年前の東京同窓会で、ずうーっと一緒に喋って、最後は4次会だったかな、カラオケまで付き合うた。たまに朝日シンブンとかに顔出しで、依田はアレコレと喋っておるんだが、ワシが「いいか、アベノミクスのケツ持つなんかヤッてんじゃねえだろうな」とイジり倒すんで、「古川、そういうこと言うなよ」ってことで、「で、マル経とか、どうなってるんだよ?」と突っ込むと、「バカ、今、そんなマル経なんて物言いなんかしないんだ」ってことで、ナントカ学と言い換えておるってんだな。酒を飲みながら「(上からの)締め付けが厳しくなってきている」と、依田は愚痴っておったんだが、ちなみに、ワシは京大文學ブが第一志望で、あの「自由の砦の京大」ですら、この御時世はそうなのか、と訝ったものだ。 #『フォーラム21』最新号(22年1月号、毎月10日発行)の特集「創価・公明が破壊・歪めた無残な『この国のかたち』」で、ワシも、この20年余で「公明党=創価学会」が破壊してきた「民主主義たる『この国のかたち』」のタイトルで、今回は遠山の清チャンを秘蔵っ子として抱えておった、あの佐藤浩のこともガツンと書いておるので、関心のある方は、ぜひ、読まれたい。ちなみに、遠山の清チャンは、奇しくも、今日(=1・13)、除名ショブンとなったことがトウの中央幹事会で正式承認されたってんだが、んー、清チャンは運悪くバレただけなのになあ。チョット、可哀想な気もする。 同号の小沢イチローの懐刀だった平野貞夫の連載「『公明党と創価学会』を考える」では、ここんところ、竹下登ナイカクで消費税を導入した際のウラをずうーっと書いておるんだが、国怪シンギが行われておったのは88年後半だったんだが、当時は、55年体制なんで、自民党が衆参両院で単独過半数を制しておったため、「与党のアタマ数」は既に揃っておるので、最大のキモは「野党を引っ張り込んで、いかにシンギ入りさせるか」なんだよな。そもそも、国怪には「会期」ってもんがあるんだから、ある意味、「日程闘争」がすべてであってだな、シンギ拒否せん野党なんてのは、ストライキを打たん労働者と同じで、セー権与党からしてみれば、屁以下でしかねえわな。 で、当時は、イケダモン大先生を創立者とする公明トウ(=創価ガッカイ)は、例の「社公民路線」で野党で(のフリをして)おったんだが、政府与党である自民トウとしては、消費税導入ホウアンを国怪シンギ入りさせるには、そうやって「寝てる野党」を叩き起こさんとなんだが、やっぱり、突破口は「公明トウ」で、そうしたコクタイのウラが余すことなく書いてある。そこは、やっぱ、社会党なんかとは違って、田中角栄があの藤原弘達の『創価学会を斬る』(日新報道)に対する言論出版妨害ジケンの当事者となって、イケダモン大先生の要望を受け入れて、藤原を料亭を呼び出し、「こんなもんを出したら、アカン」と説教しておったんで、コレら含めて、大先生のキンタマをギュッと握っておったんで、諸々、動かしやすかったんだよな。 この平野の連載を読んでおると、イケダモン大先生はやっぱ、自民トウとくっつきたくてしょうがなかったってのが、よう分かるワ。ワシに言わせれば、自公の淵源なんてのは「公明トウが野党だった55年体制下」にバッチシとあるからな。今回、自民トウ側に「シンギ入りの切り札」として持ち出しておったのが、バーターで「静穏保持ホウ」をこしらえさせるってことで、「へえー」だったな。補足すると、この静穏保持ホウってのは、「カネ儲けのウマい竹下サンを総理ダイジンに」っていう皇民党の街宣にホトホト困っておったんで、そいつを取り締まるホウ律で、この88年後半の臨時国怪で消費税導入ホウアンと一緒に成立しておるんだが、じつはこの静穏保持ホウの対象区域に、なぜか「信濃町」がズッポシ入っておってだな、「あー、なるほど、そうだったのか!」と思わず、膝を打ってしもうたで(笑) #「2つ上」の続きで、その斎藤幸平(大阪市大経済学ブ准教授)の『人新世の「資本論」』(集英社新書)なんだが、さっそく、近所の本屋でも、新書コーナーにデカデカと陳列してあって、ざーっと目を通したんだが、帯広告のオモテは「40万部突破」「2021年新書大賞」、ウラは外務ショウのラスプーチン様こと佐藤優の「コレはあのトマ・ピケティを超えた」と、初版発行が[20・9・17」で、再刷を重ねマクっておって、このテの固いアカデミズムの本が、それも300頁超のボリュームで、コレだけ売れておるってのは、ジケンと言うと大袈裟だが、でも、ニュースだわな。 この斎藤は刊行時が齢33かよ、その若さとも相まって、ワシらの年代だと、あの「スキゾ&キッズ」の『逃走論』や『構造と力』で80年代前半にブレイクした浅田彰を彷彿とさせるな。斎藤も学者の文章なんで硬いが、でも、読みやすい。浅田の『構造と力』とは、ジャンルはやや違うんだが、ま、「マルクス」ってのは、大学の講座で言えば「経済学」と「哲学」の両方からアプローチできるんで、それで言うと、本書は「哲学からのアプローチ」だろう。あの『構造と力』は、当時、一世を風靡した「ポスト・モダン」っていう、ま、フランス現代思想だが、そのあたりとマッチして、「難解ゆえにありがたがられた」という、あの何ともノー天気極まりなかった時代の産物だったが、この『人新世の『資本論』」の方は、まさしく、「格差拡大による貧困層の増大」という今の時代背景ゆえに、売れておる。見たカンジ、この斎藤ってのも、浅田に似た雰囲気があって、お勉強がよくデキる秀才肌のお坊っちゃんやな。 要するに、この本は、今、流行りの「地球温暖化」や「SDGs」の文脈から、マルクスを解釈しておって、「マルクスは『脱成長』を言っていた」ってんだな。その浅田にも通底する、トレンドに上手く乗ってイケるだけの腰の軽さがある。なぜ、斎藤がこの本を書けたかと言えば、「ニッポンの大学の講座に本籍を持たないアウトローだった」ということに尽きるだろう。東大理Ⅱは、進振り先としては農学ブと薬学ブの枠が多いんだが、3ヵ月で亜米利加の大学に行ったってのは、「東大はとりあえず入った」ってとこなんだろう。 そもそも、ずっと東大におったら、理系なんで、こんなことにクビを突っ込むことなど、間違ってもなかったわな。文系で「マルクス」をやろうと思ったら、経済学ブか文学ブ哲学科だが、いずれにせよ、大学の卒論でコイツは書けても、その先、大学の研究者として、このマルクスでメシを食っていくってのは、まず、無理だわなあ。それで言うと、あの毒霧噴射のプロレスラー、「東洋の神秘」こと「ザ・グレート・カブキ」みてえなもんで、「逆輸入でブレイク」だわな。自信を持って言えるが、あの『人新世の『資本論』」は論文としては、ニッポンの大学院は通らんって。だから、斬新さの上にノリの良さがある(笑) #ほいで、いよいよ、正式発表の時がやってきて、暦が替わり、大安吉日の今日(=1・14)から、10年以上の及ぶ取材&執筆を経て世に問うワシの渾身の最新作『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版、ソフトカバー・485頁、2800円+税)が、まずは、オン・デマンド方式っていう、ネット注文による販売が始まったで。とりあえず、アマゾンで確認できたんで、ぜひぜひ、ヨロシク! ネット検索の「アマゾン 本」から、ワシの名前(=古川利明)を入力すると、出てくる。 帯のキャッチコピーは「日本への原爆投下はプロローグに過ぎない。『核』と『原発』が、じつはいかに表裏一体であるかを徹底解明し、タブーを突き破る」だ。 タイトルを含め、本書の各章の見出しもワシが付けたんだが、ますは、コイツが読者には分かりやすいと思うんで、紹介する。 第1章 核兵器は現代科学の真髄を総結集して開発された 第2章 ビキニでの第五福竜丸被爆をきっかけに原発導入が始まった 第3章 一発大逆転狙いの戦前日本の原爆開発 第4章 「原子力研究」のウラ側にピタリとくっついている「核開発」 第5章 もんじゅ開発の目的とは「機微核技術の保持=日本の潜在的核武装」である 第6章 朝鮮戦争を機に本格化した米軍による日本への核持ち込み 第7章 「安保法制=日米同盟」の最奥に埋め込まれた「核使用の共同作戦」 補遺 「究極かつ最終兵器としての核爆弾」に至る兵器開発の歴史 まずは、市ヶ谷はボーえい庁に外務ショウだわなあ、はよ、買うてだな、「こんなトンデモ本が出てしまいました。この不始末を、大変、申し訳ありません!」ってことで、亜米利加サマに、抄訳を付けて御報告申し上げんとだからな。ホンマやで(笑) #「上」の続きっていうか、今夕(=1・14)の各紙、元ナイカク総理ダイジンの海部俊樹が、齢91で亡くなっておったと報じておるんだが、じつは、ワシの新著『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版、ソフトカバー・485頁、2800円+税)でも、サイドストーリーとして、この海部のことにチョロっと触れておるんだ。 ってのは、本筋のハナシってのは、1976年の通常国怪んときに、亜米利加は上院のチャーチ委員会でロッキード疑獄が噴き上がり(2・4)、それからニッポン中が「ロッキード一色」となって、最終的には時の総理ダイジンだった三木武夫による「角栄ゴロシ」の決断によって、「田中角栄タイホ」(7・27)となるんだが、じつはこのロッキード疑獄追及と並行して、このときの通常国怪の最大アンケンが「NPT(核拡散防止条約)批准アンケン」だったんだな。 ちなみに、コイツは小沢イチローの懐刀で、当時、衆院ジム局で議チョウだった前尾繁三郎の秘書を務めておった平野貞夫のオッサンが、『昭和天皇の「極秘指令」』(講談社+α文庫)ん中で詳述しておって、このNPT自体は70年2月にニッポンは署名しておったんだが、その後、ダラダラと批准を棚ざらしにしておってだな、それで昭和天皇こと裕仁が、亜米利加サマetcから「いったい、オマエんところはどうなっておるんだ。マジで核武装でもする気か」と恫喝されておったってんだよな。だから、昭和天皇は「NPT批准を死んでもヤレ」と前尾にネジを巻いておったんで、それで前尾は悩み倒しておったんだな。 で、このNPT批准アンケンは、既に国怪に上程はされておったものの、シンギ入りの優先順位は全然低く、特に76年の通常国怪では任期満了が近づいてきておったため、政局はカイサン含みの展開になっておったんだ。だって、「カイサン&総センキョ」となれば、ホウアンは全部、廃案になるんで、即、パーだからな。だから、裕仁も気が気でなくて、前尾を呼びつけては「アレはどうなってるんだ」とせっついておったってんだよな。 じつは、ワシは10年以上も前だが、平野のオッサンと会うて、このハナシを聞いておったんだが、この76年春における政局動向は、三木は虎視眈々とカイサンを狙っておったってんだな。しかし、裕仁は「カイサンはゼッタイにアカン。はよ、NPTを批准しろ」だったんで、そのせめぎ合いがスンゴかったんだな。そこで三木はカイサンと抱き合わせで、民社党を抱き込んで新党結成を目論んでおって、平野のオッサンはその『昭和天皇の「極秘指令」』では、その新党構想までは触れずに「総センキョに当たって、民社党に3億円の資金提供を約束したが、実際に払ったのは3千萬円だった」と、ボカしておったんだ。そこで、平野のオッサンがワシに喋ったところでは、「このとき3千萬円を運んだのが、当時、官房副ちょー官の海部だった」ってことで、海部の顔出しをさせて、このこともバッチシ、「平野貞夫の証言によれば…」と全部、新著の中で書いたんだ。 そのとき、平野のオッサンと「あーでもない、こうでもない」と喋ったなかで、「あのとき、昭和天皇が前尾にNPT批准をゴリ押ししとらんかったら、三木はカイサンに踏み切っておった可能性が大。その際、もちろん、NPT批准はパーだし、さらには、角栄タイホもフッ飛んでいたかもしれない」と、「歴史における、もし」について、ふたりで熱く語り合ったんだ。だから、このとき、昭和天皇がゴリ押ししておったNPT批准アンケンが、ものスンゴイ政局のツボと化しておったってことなんや。アレから時間が経ってしもうて申し訳なかったが、恐らく、平野オッサンもワシからの取材など、忘れておるだろうが、この新著はサイン入り贈呈ってことで、ワシの方から平野のオッサンんところに、郵送させてもらうで(笑) #ほいで、今晩(=1・14)、20:54upの共同電に、イケダモン大先生を創立者とする公明トウ(=創価ガッカイ)の衆院ギインで大蔵副ダイジンだった、「堕ちたプリンス」(by毎日シンブン)、「堕ちたエース」(by産経シンブン)の遠山の清チャンの在宅キソについて、「1日早く打電した」ことについて、「大誤報の極みで、ゴメンナサイ」ってことで、ヤクイン報酬の一部返納の編集局ちょー以下、編集カンブが懲戒ショブンに付したと載っておるんだが、しかし、東京チケン特捜ブが在宅キソを見送っておったんならまだしも、翌日にはちゃんとキソしとるんだからな。 確かに、勇み足ではあるんだが、でも、こんな枝葉末節っていうか、重箱の隅ごときでお詫び三昧とは、致命的な嘘ニュースぢゃねえからなあ。だって、清チャン側弁護人が「キソされました」と司法キシャ倶楽部の幹事社に連絡があって、それをケンサツ幹部に当てて、ウラ取りに行ったら、「その通り、キソしたで」ってことだったんだわな。ぬあんか、奇っ怪極まりねえわなあ。ただ、「昨日に賢明である」ためには、どうせ、公式発表されるネタを1日早く打つことに、いったい、何の意味があるんだ? 読者は皆、どうでもエエと思っておるんだが、中におる人間だけが、分かっていない。 それで言うなら、むしろ、最近では「核モンダイの専門家」として、「センセイ」と持ち上げられる一方で、報ステのコメンテーターにも出ておる共同の論説&編集イインの太田昌克だわなあ。ワシの新著『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版、ソフトカバー・485頁、2800円+税)の「第7章 『安保法制=日米同盟』の最奥に埋め込まれた『核使用の共同作戦』」で、太田が『盟約の闇 「核の傘」と日米同盟』(日本評論社)ん中で言及しておった、コア(=核)をあらかじめ装填した「シールド・ピット・ウェポン」の扱いについて、バカなことを書いておったゆえ、名指しでブッた斬っておるんで、太田はちゃんと買うて読まんと、アカンで。確かに、駐ニッポン大使だったライシャワーの反対で、いったんは「それ」の配備を止めたフリをしとっても、シールド・ピット・ウェポンは配備されとるし、もっと言えば、現時点において、在日米グン基地に配備されておっても、おかしくない。 だって、米グン関連の公文書公開は、ごくごく一部で、キミツ解除されとらんものなど、腐るほどあるからな。そのほんのわずかな公開ブンショでもって、あたかも「全部がお見通し」っていうふうに、だから、「木を見て森を見ず」と忠告してくれる輩がおらんから、ま、疑うことを知らんお人よしっていうか、ノー天気でおれるだよなあ(笑) #「上」の続きで、その「シールド・ピット・ウェポン」だが、直訳すると「種を埋め込んだ兵器」で、「種」とは「核」のことなんで、だから、「核バクダン」やな。時代は60年代初頭だが、それまでの米グンにおける核バクダンってのは、「コア」と呼んでおった「核」のブブンと、「コンポーネント」と呼んでおったそれ以外のイチモツは別々に保管しておって、「いざ、鎌倉」という際に、この2つのドッキングさせて使うんだが、軍ブにしてみりゃ、面倒臭くてかなわんからな。 ただ、こうやって、コアとコンポーネントを別々に保管させておったってのは、まさにシビリアン・コントロールなんだわな。そうやって、手間をかけさせることによって、「核バクダンの使用をコントロールする」ということだが、始まりは朝鮮戦争だったんだが、コレが亜米利加ではアイゼンハワーの時代に、「そんな面倒臭いことはアカンわ」ってことで、そこから出てくるのが、この「シールド・ピット・ウェポン」やな。 亜米利加の本国では、ジャンジャンとこのシールド・ピット・ウェポンの配備を推進してイクんだが、当然、軍ブにしてみれば、西側の同盟国にもコイツを拡大させるなんてのは、当然の助動詞だわなあ。それまでのニッポンにおいては、コンポーネントはミサワとかの基地に配備しておったんだが、コアはオキナワに保管しておって、そうやって、「いざ、鎌倉!」となって、コアをミサワとかに空輸するのを「ハイギア作戦」と呼んでおったんだな。「ハイギア」ってのは、クルマでもそうだが、ギアがトップに入った状態のことで、「コレからイケイケドンドンで突っ込むで」っていう意味合いやな。だから、ニッポンでも、こうしたハイギア作戦が行われおったなんてのは、今さらオモテに出したところで大したことはねえから、米側公文書でも公開されておるんだ。 ま、コアをオキナワに置いておくのは、当時は米グン占領下だったから、亜米利加としては何のモンダイもなかったんだが、ところが、このコアをニッポン本土の米グン基地に置くとなると、そのビキニでの第五福竜丸の被爆ジコを機に、反核運動がピャーッと全世界に広がっていったんで、特にニッポンはヒロシマ&ナガサキがあるんで、うっかりバレるとやっかいだからな。だから、亜米利加ナイブでも、このシールド・ピット・ウェポンをどう扱うかで、ギロンはあって、いろんな選択肢が用意されてて、当時、駐日大使のライシャワーは「そんなもんをニッポン本土の米グン基地に配備するとは、まかりならん」との意見を本国に打電してて、コレは公開済みなんだわな。 ところが、共同の論説&編集イインで、最近は報ステのコメンテーターもヤッとる太田昌克はだな、コイツをもって「ライシャワーは、二ッポン本土の核バクダン配備を、カラダを張って阻止しました、ヤッター、万歳!」と指摘しておるんだよな。確かに、ライシャワーがシールド・ピット・ウェポンのニッポン国内配備に反対したっていう意見を具申した公電は存在するし、公開もされとるんだが、しかし、コレを受けて、米グンが最終的にどう判断し、どういう行動を取ったかについては、それを示す公文書といったブツは出ておらん。だから、ワシは太田の見立てが余りにも大甘三昧の極みっていうんか、まさに「木を見て森を見ず」だとバカにしておるんだ。ただ、「体制内キシャ」として生き残るには、ま、この程度で留まっておらことには、到底、無理なんだがな(笑) #「上」の続きになるものの、私事になってしもうて恐縮なんだが、今回、新著『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』(アメージング出版)の上梓に、ようやくこぎつけたってことで、ま、ヤレヤレはいつものことなんだが、今回はホンマ、徒労っていうか、ウンザリ感が、まず、ある。版元に送ったメールでは、営業トークとでも言うのか、「感無量」とはしたものの、もちろん、ゼロではないし、んー、それなりっていうか、やっぱ、そこそこなんかいなあ、それは間違いなくある。しかし、正直なところ、今、ワシの口から出てくるのは、「んー」、「いやあ」、「うわっ」だわな。 ってのは、前にもココで喋ったやうに、コイツはもともと、08年2月15日付で出版契約を交わしとる第三書館(北川明社長)から、『国防の闇(仮題)』の書名で刊行するハズで、自分としては、親の介護と、さらにはイケダモン大先生んところの信濃町をメインの持ち場とするブンヤ活動と両立させながら、10年超の歳月を経て、19年5月末に完成原稿を第三書館に送信しておったものの、正直、ホンマ、ココから真の苦渋が始まったワケだからな。今でも、あのとき、送信を終えて「ヤッター!」の瞬間を覚えているんだが、あのときは、ホンマ、「人生、バラ色」だった。ところが、まさか、そこから、こういうカタチで世に出るまで、2年半もの歳月を費やすとは、夢にも思わなかった。しかし、人生、何があるか分からんって、まさしく、このことで、まさか、ココに泥濘っていうか、ドツボがあるとは、想像の域を遥かに超えておったワ。 それで言うと、自分の中では、この2年半に渡って、もがいておった途端の苦しみだわなあ。コレまでのブンヤ活動において、例えば、信濃町の連中から、尾行を始めとする嫌がらせを受けておったとかいうレベルでは、全然、ねえんだ。ってのは、こういうのは、まだ、肥やしのレベルで、エンジンを動かすためのガソリン以外の何物でもねえんだが、今回は、要は、命の半分を預けておったところから、裏切られたに等しいからな。自分の中では、何よりまず、今、起こっている現実が何であるかを咀嚼、理解することが全てだったな。「ナニコレ、いったい、どうなってるんだ?」なんだわな。ワシとしては、まさに、今、この瞬間に第三書館が潰れても、全く構わんのだが、本当に自分の手で潰し切りたい、というぐらいの思いだ。 #もう少し続けるが、親の介護を通じて、行動原理というと大袈裟だが、体得したものに、ま、コイツは普段の仕事も含めて全てに当てはまるとは思うんだが、「最悪を避け、より少ない悪、すなわち、よりマシであれば御の字」と。だから、この娑婆世界に、最善(ベスト)だの善(ベター)などといった、おめでたいものなどなどないと思った方がエエわな。 だから、コレは『国防の闇(仮題)』改め『核と原発 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、そしてフクシマを繋ぐ悲劇の誕生』の出版劇でも、見事なまでに当てはまるんだが、既述の通り、出版契約を結んでおった第三書館がグダグダと言い出して、そのやりとりの中で北川明社長から「60萬円」とか「100萬円」といった費用負担を暗に求められておったんだが、そこでワシが想定した最悪の事態とは「このカネを払い込んでも、本が出ない」ということだった。しかし、それは十分あり得たと思うんで、それで言えば、まず、最悪の事態は避けれたのかな、と。 潰れかかった版元が「自費出版サギ」を引き起こすケースなんて、それこそ新風舎の例を始めとして、世の中、ゴマンとある。あの七つ森書館も、19年に倒産する直前だが、ある著者が費用を負担するということで出版契約を交わし、原稿を引き渡し、カネも振り込んだにも関わらず、半年以上経っても本が出ず、それで、裁判を起こしたものの、社長が死んだらしいってことで、結局、取り下げたという投稿がネット上に出ておるからな。 それで、今回、本を出すアメージング出版というのは、全く面識はなく、ネット検索で見つけた。まさに出会い系サイトで知り合うたってのと同じやな。この御時世、メールで済む時代なんで、版元とは会うたこともなければ、電話で喋ったことすらない。で、出版するにあたって、費用負担を求められて、こういう経緯があるんで、ワシもいろいろと考えるところがあったんだが、第三書館が仄めかしておった60萬円よりは遥かに低い金額だったのと、それと、売れた分の印税はちゃんと支払うことと合わせて、「もし、半年以内に1500部売れた場合は、払ってもらった費用を全額キャッシュバックする」とのことだったんで、手を打つことにした。だから、仮に著者による費用負担のカタチで第三書館から出せておったとしても、今回は、それよりは安く済んでおったんで、それで言うと、全然、マシだったからな。ましてや、ワシは北川社長から「アナタの本は売れない。政治の本は売れない」とまで言われたんだから、第三書館自体に、もうこのテの本を売る意志が、そもそもない。 ただ、今回は「オン・デマンド」と言って、注文を受けてから印刷し、発注するっていうやり方なんで、さしあたって、アマゾンとかのネット通販のみでの販売となる。「さしあたって」と言うのは、版元によれば「売れ行きが好調であれば、書店にも出荷する」と。ワシもよう分からんかったんだが、通常、本の出版というのは「オフ・セット」と言って、最低でも1千部だが、まず、まとめて印刷し、取次を通じて全国の書店に配本される。だが、ご存じの通り、出版不況と称する本の売れない時代にあっては、売れん本は片っ端から返品となり、出版社が委託管理する倉庫に山積みとなって、場合によっては、大手なんかは特にそうだろうが、毎月のように本を出しておるので、売れ残って返品されたものは、そこでピャーッと裁断ショブンしてオシマイなんだわな。その点、オン・デマンド方式だと在庫を抱える必要がないんで、ネット通販にマッチした今様であるとは言えるだろう。 #続きで、こうやって、愚痴をグダグダと垂れておるんだが、ま、他に書くとこもねえし、喋る相手もおらんしなあ。しかし、腹に溜まった不満ガスを吐き出さんことには、精神衛生上、よろしくないんで、ピャーッと吐きマクるで。 それで、『国防の闇(仮題)』だが、ワシとしとしては、出版契約に基づいて、第三書館(北川明社長)に原稿を納めたところ、ウントモスントモで動かんから、20年4月14日に北川社長と会うて、『「自民党"公明派”」20年目の大失敗』の件で打ち合わせた際、この『国防の闇(仮題)』のことも出すと、「アレは本にすると、600頁にもなる(だから、文量が文過ぎるんで、印刷にもカネがかかる)」と言われたんで、「前に北川さんに言われた通り、北朝鮮の部分も加筆した」と申し向けると、「それは知らなかった。どれくらい書いたんですか。書いたところだけでも(送ってもらえますか)」と言われた。だから、この時点では、完全に脈がなくなったワケではなかったんだろう。で、このとき、北川社長からは「他(社)に持ち込んでもいいですよ。でも、出すところはないと思う」と言われ、「ま、私もそう簡単に見つかるとは思えない。でも、出版社は第三書館だけではない」と答えておったんだな。 その後、20年7月下旬に『「自民党"公明派"」20年目の大失敗』が刊行されたんで、北川社長んとこに電話して、「あと、3冊ほど送ってもられませんか」と申し向けたところ、「3冊と言わず、10冊送ります」と言われ、「いや、3冊で結構です」と答えて、自宅に宅配が届いたんだが、かなりデカかったんで、「10冊も送ってきたのかいなあ」と思い、封を開けると、本自体は3冊で、それと一緒にプリントアウトされた『国防の闇(仮題)』が入ってて、「えっ?」だったんだ。それで電話入れて問い質すと、「古川さん、原稿を返してくれと言ってたでしょ」と言われ、さらに「えっ?」だったんだな。「そんなこと、一言も言ってないですよ」と反論すると、北川社長は「あー、そうですか」でオシマイだったんで、「ぬあんだ、こりゃ?」だわな。だから、このテの訳のワカんねえことが、ゾロゾロと続いておって、ワシとしては、正直、呻吟状態だったんだ。 その後、去年の11月5日に「取りに来てください」と言われたんで、計15萬円の印税のうちの5萬円を取りに第三書館に行った際、既にその『国防の闇(仮題)』については「契約自体が消滅した」と言われておったんで、「それは、どういうことか?」とワシは北川社長に詰めたんだ。そしたら、曰く、「あの破産によって(第三書館は)消滅して、『電子本ピコ第三書館販売』になって、それでやっているから」ってんだよな。であれば、第三書館自体が、この世に存在しておらんワケだが、ワシはその『「自民党"公明派 ”」20年目大失敗』についても、その存在しないハズの第三書館と出版契約を結んでおるんで、ホンマ、何が何だか訳がワカらず、「???」なんだよな。しかし、前はその「電子本ピコ第三書館販売」ってのは、「銀行の口座名だ」と北川社長は説明しておったんだよな。だから、そもそも、「第三書館」という会社自体が、既にゾンビなんだよな。 さらに酷いのは、ワシが10年がかりで取材&執筆して、ようやく脱稿した『国防の闇(仮題)』を第三書館に送信した直後だが、「Iさん」という、北川社長とはピースボート時代からの旧知の女性がおって、以前、西麻布で洋風居酒屋を経営してて、ワシも知っとるんだが、その店で北川社長と一緒に打ち合わせをしたものなんだが、乳がんを患い、12年4月末でその店は閉めて、その後は、時折、第三書館に事務などの手伝いに来ておったんだ。辻元清美もIさんを知っとる。 で、そのIさんは乳がんが転移して、結局、19年8月に60代半ばくらいで亡くなったんだが、じつはその治療費を第三書館が出しておってだな、そのことを北川社長から知らされたのは、その20年4月14日の打ち合わせの場で、ワシとしては「それはないだろう!」だわな。抗がん剤か分子標的薬か、治療費にナンボかかったか知らんが、ま、マトモな会社であれば、こんなもん、経理を通らんわな。っていうか、そんなカネがあれば、ワシの『国防の闇(仮題)』だって、印刷に回せておるわな。確かに、こうした個人経営の会社ってのは、意思決定が迅速で、エエところも多々、あるんだあるんだが、ただ、こんなふうに「自らを厳しく律する」っていう歯止めを喪失してしまうと、公私混同のデタラメに、いとも簡単に転落する。Coccoが『雲路の果てに』で「この目さえ光を知らなければ、見なくてもいいものがあったよ」と歌っておるんだが、まさしく、その世界だ。
by toshiaki399
| 2022-01-08 19:36
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