「障害者自立阻害法案」徹底批判――ジャーナリスト・山田直樹氏の論文より |
障害者を虐げる自・公政権
小誌がお手許に届くころ、郵政民営化法案の決着がほぼついているだろう。実はこの法案の陰に隠れ、ふたつの悪法が成立しようとしている。ひとつは「人権擁護法」であり、いまひとつが「障害者自立支援法」(以下、自立支援法と略)である。前者に関しては、本誌読者ならその問題点は十分に把握されているはずだ。後者がくせ者で、小泉首相が政権を投げ出しても、この「置き土産」の影響は甚大だ。
税調が提起した「国民財産収奪」構想を改めて述べる必要はあるまい。見逃してはならないのは、小泉政権がとりわけイラク問題以降強調してきた「自己責任」論にある。鳴り物入りでスタートした介護保険制度――。施行早々に破綻が始まり、ついに「予防介護」なるリクツを捻り出した。これも自己責任論の一種。同様に、破綻しかけている障害者に対する「支援費制度」の現状打破(?)策として打ち出されたのが自立支援法だ。
自己責任論の背景にあるのは、応能負担という考え方である。単純に言えば、所得に応じて自己負担しろとなる。一見、聞こえはいいが要は、「取れるところから取る」仕組みにすぎない。様々な控除が廃止されることで、家計が火の車になることは目に見えている。これは分かりやすい。もう一方の柱は、補助金=国家負担を減らすこと。厚生労働省は、実に熱心にこれに取り組んでいる。
そもそも支援費制度は、それまでの「措置制度」という各自治体が独自に決めていたサービス内容を均質化し、各々の障害者が必要に応じて選択できることを主眼に開始された。ところがあっと言う間に、財源不足。04年度では、国の補助分だけで274億円分足りない。そこで厚労省は、こんなふうにしてカネを捻出しようというのである。 ・所得が少なく、応能負担の範囲外であった障害者に対するサービスに定率負担を導入する。
・国、都道府県の市町村への補助を「できる範囲内で負担する」裁量的経費から、「必ず負担する」義務的経費に変える。
で、どれだけの負担を障害者がするのかというと原則1割。単純に見ると、サービス
利用が多い重度の障害者ほど負担額が増すのである。しかも、そこの部分での減免措置の具体的内容さえハッキリしていない。この法案がそれでは十分な検討措置期間を経て提出されたのか。実はそのグランドデザインが明らかになったのは昨年10月。今年1月に法案の要綱が出て、翌月には国会上程。そして衆議院での可決は7月15日。野党は反対したが、自公の賛成多数で押し切られた。
障害者の圧倒的多数は月額7~8万円の障害者基礎年金に依存して生活している。雇用の場である福祉作業所などの給与は月1万程度だ。つまり法案の自立とは裏腹に、障害者の生活を脅かし、打ち砕く悪法そのものなのである。サービス料が支払えないと、同居する家族が負担することになるが、家族のいない一人暮らしの障害者はどうすればよいのか。まさしく自立を妨げる法案なのだ。
5月12日には、障害者団体の呼びかけで1万1000人もの法案反対集会が開催された。これほどの障害者が一堂に会したのは初めてのこと。その声を無視して、法案が成立したのである。
悪用される自己責任論
問題点は他にもある。自立支援法で言う障害者とは、身体障害者福祉法や知的障害者福祉法などで規定される人々。難病や自閉症など、前述の法律の対象外だった人々は、自立支援法に該当しない。自分で努力しろと言っているようなものだ。
根本的な発想はどうだろう。この法案の目的には「障害者が有する能力、適正に応じて、日常生活または社会生活を営むこと」とある。これに対し、多くの障害者団体からは、こんな声が聞かれる。
「障害者の分に応じて暮らせ、それに甘んじろという文脈ではないか」
「障害を持って生まれた人、病気、事故で障害者になった人は、あなたたちの自己責任で生きなさいといってるようなもの」
法案の内実からは、このような指摘もある。
・この法案は介護保険制度同様、ただ単に「整合性」だけを優先している。
・昨年改正された障害者基本法より、自立や社会参加の水準が後退している。
・法案に重要事項が銘記されておらず、政令や省令にゆだねられている。(つまり、厚労省のフリーハンド)
実際、この法案を霞が関で考えた官僚のほとんどは介護保険制度のデザインを考えた連中だ。そして彼らは将来、すべてを介護保険制度に統合するつもりだという。 では、現実的にこの先何が起きるのだろうか。まず出生した子供が障害児だった場合から見ていこう。こうした子供たちは「療育施設」に通うことが多い。来年秋からは、これが利用契約制度に移行する。ここに定率負担が導入される。給食や施設利用料の自己負担は先述した通り1割。1家庭あたりの負担は3万円を超えることが予想される。こうなると障害児の多くが閉門蟄居状態に追い込められる可能性がある。
障害程度の区分がこれまた問題である。法案は修正部分で「障害者」も程度を決定する「市町村審査会」の認定に入ることを認めたが、そもそも障害特性を知らない役人がこの審査会を構成すること自体にムリがある。訪問サービスなど「非定型」の場合も、前出の審査会が決めてしまう。障害者本人に会わずにだ。
就労部分でも、収入があれば1割は取られるから生活が立ち行かなくなるのは前述の通り。グループホームなどへの入所者への負担減免措置は、「今後の課題」というが、結局は厚労省がヘゲモニーを握る政令、省令で決められてしまう。
戦犯は「福祉の公明党」
最大の問題は、障害者団体が立場の違いを超えてほぼ「反対」を表明したのに、自公政権がそれを圧殺したことに尽きる。「福祉の公明党」は、明らかな戦犯である。自立支援法の構想は、おそらく坂爺時代に練り上げられたものだろう。介護保険制度にせよ、支援費にせよ公明党の大臣が敷いた路線の延長線上に「改悪」がある。実際、自立支援法では「大枠」しか明示されていない。政令などで今後決めるといっても、シュミレーションさえないのである。
一方で自民党の勉強会などでは、党内の部会で検討されていないものがポンポン出るのだという。そこで反論が起きると、「これは正式なものではない」と逃げを打つ。おそらく根幹部分は了解事項として、議員への根回しが済んだ上で、法案が提出されたと思われる。法案がグランドデザインから可決まで、一瀉千里のごとく成立したのには、そんな理由があるからだ。
これほどの悪法であるにもかかわらず、メディアの動きは鈍かった。逆に言えば郵政民営化議論で目くらましにあっている状況なのである。ノーマライゼーションに逆行するこの流れは、財政再建の美名、聖域なき改革のスローガンの下、きわめて強大なものになった。支援費制度が決められてから5年。この制度によって障害者の所得保障や就労が進んでいるかといえば、まったくそうではない。
「応益(定率)にすると、重度であるほど負担が大きくなる。所得は下がり、障害者の雇用率も低下している。そんな状況下での応益が何を意味するのか」
知人の障害者団体メンバーは、そう憤る。
しかしながら、これが小泉改革のひとつだとすれば納得しうる。取れるところからは取るだけの話が、ここでも繰り返されているだけなのだ。福祉や医療が「金食い虫」だと百歩譲って認めよう。財源不足の深刻さも理解できる。だから負担を求められることも仕方ない側面はある。だが、障害の重い人間ほど負担が増える仕組みを、どうすればよいのだろうか。
参議院で野党が徹底抵抗すべきなのは、この法案においてである。
山田直樹(やまだ・なおき) フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経て独立。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞。著書に『創価学会問題とは何か』(新潮社)
以上が、山田氏の論文です。
私と同じ「学会おたくジャーナリスト」といっても、ほとんどヨコの繋がりはなく、山田氏とお会いしたのは、実はたった1度しかなく、それがぬあんと、昨年末、東京地裁であった例のNTTドコモ不正アクセス事件の公判でした(笑)。もっといいますと、その場には、学会問題では私よりキャリアは全然上の乙骨正生氏、野田峯雄氏もいて、世間は実に狭いと思いました(笑)。
それはともかく、私はこの「障害者自立阻害法案」の細かいところはわからなないのですが、とにかくブンヤのカンで、これは酷いということはわかります。最後にある「障害が重い人ほど負担が増える」という、どう考えても無茶苦茶な制度を作り上げようとしている腐れ厚労官僚はもちろんですが、こんな法案がマトモな審議もなくスーッと国怪を通過してしまうというのは、いったい、どういうことでしょうか。前回の原稿でも書きましたが、で、こうした問題点を取り上げ、批判しないマスコミ(ただし、フジテレビの「滝川クリステル&ニュースJAPAN取材班」を除く)。そして、体を張って死に物狂いで抵抗しない野党。ほんと、腐りきっています。