三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、ケーサツ不祥事取り締まり庁の初代ちょー官にワシが任命しとる寺澤有だが、長崎ケンケイによるネズミ捕り告発動画をユーチューブにupしたものの、削除要求を突きつけられて、今、ビシバシとヤリ合うておるのかあ。
ま、それはエエんだが、今度の神奈川県立津久井やまゆり園で起こった、19人刺殺ジケンでタイホされた元同園職員の植松聖の鑑定留置の是非を巡って、その後、ウントモスントモなんだが、ココで思い出すのは、富山市の資産家夫婦放火殺人ジケンでタイホされた、富山県警警部補の「加野猛のおやぢ」に対する扱いだよなあ。この加野のおやぢは、ぬあんと、文春に「犯行告白手記」を送付し、タイホ後の取り調べでも、「真犯人にしか知り得ないヒミツの暴露」をしておったにもかかわらず、なぜか、取り調べ段階で「鑑定留置」を施され、要は「キチガイ」にされてしもうてだな、その挙げ句、富山チケンはショブン保留で釈放した末、嫌疑不十分で不キソ(13・7・24)にしちゃって、”無罪放免”でお咎めナシにしておるんだよな。
ま、常識的に考えて、この加野のおやぢと、植松とでは、どっちが「キチガイのレベルが上」かなんて、そのへんの子供でもわかるハナシだよなあ。寺澤や、無論、その長崎ケンケイのハナシもエエんだが、もっと超ディープっていうんか、サッチョウの最中枢で蠢く、腐りきった膿をザックリと摘出してくれんことには、困るなあ。そんな最末端の、いつでもシッポが切れるノンキャリばっか血祭りに上げて、仕事をしたっていうふうに取り繕っておるんだったら、ちょー官をクビにするからな。いいか、頼むで!
#そうか、アベの嫁ハンのアッキーは、その「高江電撃訪問」について、「8・7」の自らのフェイスブックでupしたことで、翌日朝刊の日経と東京がチョロっと記事にしておったな。参院センキョ後に、その三宅洋平と会うて、初めて「高江のこと」を知り、ドキュメンタリー映画『標的の村』も観て、世間をお騒がせすることをカクゴの上で乗り込んだのか。
無論、アッキーが、ダンナのアベに「何とかして欲しい」と頼んだところで、動きようはねえんだが、しかし、「ファーストレディー」、すなわち、「ニッポン国の現職のナイカク総理ダイジンの嫁ハン」っていうポジションが持つ意味は、決して小さくない。確かに反対派の運動員からみれば、「いったい、何しに来た」ってところだろうが、ココはむしろ、「アッキーを抱き込む」ぐらいの懐の深さがねえと、国家ケンリョクの中枢ってのは、なかなか動かせんからな。
っていうかさ、この際、アッキーを高江に呼んでだな、「一緒に座り込みをやりませう!」と誘うぐらいの柔軟さが欲しいよなあ。あのテントん中で、泡盛を酌み交わしながら、アレコレを喋り倒すことで、信頼カンケイってのも生まれてくる。むしろ、こういうことがアベには極めて堪えるんであってだな、もし、そういう展開になれば、また腹を壊して、「セー権、途中放り投げ」の芽だって出てくるからなあ(笑)
#で、溝口敦が日刊ゲンダイに連載しておるコラムで、「6代目菱総本家vs神戸菱本家」の分裂ジケンについて、この5月ぐらいに、「南北朝合一」を目指し、水面下で動いておったハナシを書いておるな。具体的には、神戸菱本家カシラ代行の織田絆誠(4代目山健組副組長)が、6代目菱総本家カシラ補佐の高木康男(清水一家総長)と会うたり、また、双方とパイプのある大牟田の浪川会会長の浪川政浩が、3代目弘道会会長の竹内照明とも会うておったってんだな。
ちなみに、この「5・14」にあった「織田・高木会談」では、人事のハナシも出ておって、織田が切り出したところでは、「現・6代目菱総本家トップの司忍を新設の総裁に、7代目には現・神戸菱本家トップの井上邦雄が就くのは、どうだ」ということだったってんだな。神戸側は「司忍の引退」でなく、「新設の総裁で遇する」ってところに、脈があるっていうんか、「弘道会&山健組の大連立」の芽もなくはねえんだな。
ただ、そうなった場合、モンダイは合併後の「カシラ人事」だと思う。6代目菱総本家のカシラは、今、府中での勤めに入っておる弘道会の2代目の高山清司だが、やはり、この高山を外して、誰かを就けるということになるんだろうが、そのカシラのポストを6と神戸のどっちが取るかで、雲泥の差だ。6代目側としては、竹内照明を就けたいんだろうが、それだと、神戸は収まらんから、ムズカシイ。あー、「5・31」に神戸側に移った池田組(岡山市)カシラの高木忠のタマが取られたってのは、破談による腹いせの線も考えてエエのかあ。
#んで、今日(=8・9)発売のアサ芸に、神奈川県立津久井やまゆり園(同県相模原市)で起こった19人連続刺殺ジケンで、犯人の植松聖(齢26)が、「安楽死を考える革命家Shudan」とかいう妙なグループに所属しておって、そこのリーダー格である、3つ下の「X」とかいうのと、相当綿密なコロシの計画を練っておったっていうハナシが出ておったなあ。
コイツは植松に、そのグループに誘われておった男性のハナシなんだが、この植松が勤めておったやまゆり園以外でも、コロシをヤルっていう計画があってだな、イルミナティだの、フリーメーソンとかいった陰ボー論にハマっておった一方で、ナチスの「障碍者抹殺」にも共鳴しておったってんだな。そのXってのも、中卒で、入れ墨を彫っておるってことで、思想的にきっちりと構築されたものではなく、アチコチ美味しそうなとこを、適当にツマミ食いしておるっていうカンジだよな。でも、このサークルには、若い男女が10~20人ほど参加しておったってことで、果たして、いったい、どこまで実態があったのかは、「?」だわな。
確かに、不確定なブブンはあるにせよ、しかし、1課ジケンの鉄則として、「初動は、構えは広く」ってことから言えば、あらゆる可能性を挙げて、1つ1つ潰していく作業は重要で、このテの参考情報は、シンブンも記事化すべきではないのか。あと、女性セブンが、この植松が80萬円かけて、顔に整形手術を施しておったと字にしておったんだが、あのホストと見間違えるような、異様に整った顔立ちには、こうしたウラがあったんだな。まだ、オモテに出ておらんハナシが、腐るほどある。そもそも、あの数百萬円の借金は、いったい、何に使ったんだよ?
#『フォーラム21』最新号(16年8月号、毎月10日発行)の特集「参議院選挙総括━━罪深き宗教の政治容喙」で、ワシも「徹底した『争点隠しによる低投票率』がもたらした『自公勝利』というトリック」のタイトルで書いているので、関心のある方は、ぜひ、読まれたい。
んで、この「8・8」にビデオレターで公表された陛下の「私の気持ち」だが、「加齢による衰えで、象徴としての務めが困難になってきていることを感じる」と、事前の予想と比べたら、思った以上にストレートにキモチを表明しておったよなあ。もっと回りくどい物言いをするんかと思っておったんだが、ある意味こうやって、自分の意志が、きちんと肉声で伝えることができる今の時点で、自分のキモチをコクミンに伝えたかったんだろうというのは、ストレートに感じるなあ。
それで言うと、同じ陛下でも、「信濃町の天皇」であられるイケダモン大先生だよなあ。創価ガッカイの会則で02年にこしらえた「第3条」の、「牧口常三郎→戸田城聖→イケダモン大先生」と連なる「三代会ちょー」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者」っていう、取って付けたやうな位置づけはともかく、大先生の肩書である「名誉会ちょー」については、第8条の「総務会のギケツに基づき、名誉会ちょーを置くことがデキる」とあるだけで、任期も退位規定もないため、今の陛下と同じ「終身在位」なんだよなあ。
イケダモン大先生は、今、齢88ってことは、陛下よりは6つ上なんかいなあ。そういえば、参院センキョの開票特番で、池上彰が信濃町を急襲し、大先生の健康状態を質したところ、広報室は「大変お元気で、聖教新聞をはじめとして、執筆活動に、あと各地を回って、会員を激励しています」ってことだったってんだが、だったら、せめて、ビデオレターで何か喋って欲しいわなあ。しかし、イケダモン大先生については、誰も「生前退位」について触れようせんよなあ(笑)
#で、陛下が「私の気持ち」を公表したことを受け、元共同通信外信ブで芥川賞作家の辺見庸が、突如、ブログを更新してだな、「忠良ナル汝アホ臣民に告ク!」と吠え倒しておったなあ。「おキモチ=お肝血」と揶揄したうえで、「『生前退位』ならぬ、『生前廃位』を、ぬあんで言わんかったのか」と食ってかかっておるんだが、今や天皇制容認へと舵を切っておるニッポン共産党の日和見ぶりにも噛みついておって、ま、なかなかいいキレマクリンスキーぶりだわな。
その辺見庸に「ボケの鳥越では勝てるワケがない」と、後ろからピャーッと刺されておった鳥越俊太郎のオッサンだが、今日(=8・11)の15:33upの朝日シンブン系列のハフィントンポストに顔出しで喋っておったんだが、結論から先に言うと、彼は「ニュースの職人」、すなわち、「報道人=ジャーナリスト」として終わってるわなあ。オッサンはこう喋っておった。
<ペンの力って、今、全然、ダメじゃん。力ないじゃん。だって、アベ政権の跋扈を許しているのはペンとテレビでしょ。メディアが肝心なところをコクミンにちゃんと訴えないから、こうなるんでしょ。僕はペンの力なんか全然、信用していません。だから、センキョの中で訴えるという1つの手がある。そう思っている。>
そもそも、鳥越のオッサン自身が「ペンを握ったニュースの職人」ではないのか。今の時代、敢えてTVに出演せんでも、ギャラは入ってはこんが、自身のフェイスブックなり、ブログでナンボでもメッセージを主張できる。「それ」を怠りマクった挙げ句、「だから、センキョに出て訴える」と言っても、説得力はゼロだ。だって、民進トウの有田芳生が寝返って、あのヘイトスピーチ規制ホウアンを抱き合わせで、「希代の悪法」こと、「盗聴ホウの実質全面解禁ホウアン」を自公と一体となって、強姦同然に通したことにダンマリを決め込んでおったことが、すべてだわな。「ペンの力がない」ってのは、すなわち、「鳥越俊太郎に、もうその力がない」ってことだ。
あと、あの上智の女子大生に対する強引口説きジケンについても、「事実無根」とシラを切り倒しておることと合わせて、本当に残念なことではあるのだけれども、耄碌が始まっておるんだと思う。しかし、陛下ではないが、「加齢による衰え」というのは、こんなカタチで表れてくるのだろうか。だったら、まだ、辺見庸のように、枯れていきながらも、チョット、キチガイ的にキレていく方がエエよなあ。今、代々木が「民共合作」で、ホンマ、ユルユルの生ヌル路線にシフトしておるんで、ああいう「サヨクの極み」っていうんか、文字通りの「極左冒険シュギ」ってのは、異彩を放っておるよなあ(笑)
#それで、ワシがケーサツ不祥事取り締まり庁の初代ちょー官に任命しておる寺澤有のツイッターにupされておったんだが、隣人に顔をブン殴られ、助けを求めて110番通報したところ、傷害ジケンの被害者であるにもかかわらず、「ケンカ両成敗」ってことで、埼玉ケンケイの所轄署にタイホ、勾留されたため、「鼻骨折の適切な治療が受けられなかった」などとして、豊枝充彦サン(齢80)が起こした国賠訴訟の控訴審ハンケツが、この「8・10」に東京コーサイであり、1審ハンケツを盲従して、「控訴キキャク」だったってんだな。
しかし、タイホするケーサツもケーサツなんだが、サイバン所も、よくまあ、御札を発行したよなあ。まさに「御札の自販機」だよなあ。自宅前の出来事なのに、「逃亡の恐れがある」ってのもスンゴイんだが、もし、この豊枝サンが110番通報せんでおったら、即、適切な治療を受けることができておったってことだわな。いやあ、ホンマ、ケーサツってのは、コクミンの生命、身体、財産を守ってくれる存在ではないんだな。司法もグルになって、自らの落ち度をモミ消そうとしとるんだな。ったく、骨の随まで腐りきっておるわな。
だから、ワシら「ニュースの職人」たる、「報道人=ジャーナリスト」の責務として、徹底的に抉り出さなアカンのは、「こうした退廃の極みが出てくる源泉とは、いったい何なのか?」だわなあ。それはソーサ費をメインとする「URAGANE捻出」であってだな、コイツこそが連中の膿の根源にある。「サッチョウへの上納」も含めて、寺澤、もっとビシバシと叩きマクらなアカンやないか!
#で、今朝(=8・11)のam3:00upの毎日電子版が打って、TBSや時事が後追いしておったんだが、神奈川県立津久井やまゆり園で起こった19人連続刺殺ジケンで、とりあえず、入所者の女性(齢19)に対するサツジン未遂(その後、サツジン容疑に切り替え)でタイホされておる元同園職員の植松聖について、神奈川県警の津久井署捜査ホンブは、勾留期限の切れる「8・15」にも、別の9人の入所者に対するサツジン容疑で再タイホする方針だってんだな。
今回のジケンで、亡くなったのは19人おるんで、おそらく、コロシについては全員、立件するんだろうから、残る10人分の再々タイホがあるってことだな。ただ、モンダイは横浜チケンの刑事ショブンで、コレらの記事では「キソする」とは、1行も出ておらんな。だから、場合によっては、ショブン保留にしたまま、ケーサツが再タイホするっていう展開もあるんだな。通常あれば、計20日間の勾留満期で、いったん、キソするんだが、この植松の「キチガイの程度の解明」について、鑑定留置もまだ行われてはおらんわな。
いずれにせよ、横浜チケンのレベルでは判断デキんから、東京コーケンの指示を仰いでおるのは間違いない。コーケンの刑事ブに担当検事が既に就いておるんで、こういうところに夜討ちをかけんと、「捜査のスジ」は見えてこんわな。あと、植松には、私選弁護人が既に付いておると思うんだが、弁護人サイドのメッセージが全然、出てこんわなあ。
#「上」の続きで、辺見庸が古巣の共同に出稿しておった「誰が、誰を、なぜコロシたのか」だが、この「8・14」の新潟日報朝刊が、上下まとめて一挙に掲載しておったんだが、久しぶりに読み応えのある文章と遭遇したな(ちなみに、琉球新報はもっと早く、この「8・11~12」に上下2回で掲載)。
かいつまんで言うと、今回、タイホされた元職員の植松聖だが、とにかく、今度のジケンについては、まだ、何もわかっておらん、と。ま、すぐ、「狂気」というレッテル貼りでハナシをまとめようとするムキもあるんだが、そんな単細胞なレベルぢゃねえだろう、ってなあ。それゆえ、ドンピシャリで抉り出すコトバを見つけられないでおる辺見は、ホンマかどうかは知らんが、少なくとも原稿の中で、本人が「字」にしたところでは、夜中、ひとり、嗚咽にむせび泣いたってんだな。
辺見によれば、人は誰しも、心の深いところに「穴倉」を抱え持っておるのだという。でも、誰も、それを直視しようとはせずに、日々「愛だ、優しさ」とか言ったうわべのキレイゴトで糊塗しとるってんだなあ。その意味では、今度の植松ってのも、こうした「穴倉の最深部」に生息しておるものなのだろう。
今回、いみじくも、辺見が喝破しておった、植松がジケンを引き起こす推進剤となっておったバックグラウンドっていうんか、まさしく、「生きるに値する人間」と「そうでない人間」との二分法だわなあ。コイツは「狂気」とかいう生温いものなどではなく、「未だに克服することのできない、連綿と続いてきた人間の原罪」ってのは、全くその通りだ。久しぶりに、原稿を読みながら、膝をピャーッと叩いた。こんなのは、めったにあるものではない。
それで言うとだな、ワシなんぞは、あのド腐れ糞ケンリョク様にとっては、まさしく、「生きるに値しない人間」として、今すぐにでも、とにかく、一刻でも早く、「抹殺すべき、いや、しなければならない対象」であるがゆえ、本質的には、今回、犠牲になった障碍者と同じだ。そうやって、ワシも「疎外されて、不条理の極み」に追いやられておる人間であるがゆえ、今度のジケンに対する憤り、悲しみから生まれ出ずる「一粒の涙」を禁じ得ないのだ。
しかし、辺見庸は陛下のおキモチを「お肝血」と揶揄し、「なぜ、『生前廃位』ではなく、『生前退位』なのか」と噛みついておった自身のブログの「私事片々」のカキコミを、こっそりと自主削除しておるなあ。右翼の連中から「いいか、そんな不敬の極みを続けておるようだったら、命はないと思え」と恫喝されマクっておるのならともかく、仮にされておったとしたても、そんなもんは、断固、撥ねつけてupし続けんとだわな。
#そうそう、検事総ちょー交代etcの赤レンガ人事の内示があった翌日の「8・16」に、前アベノミクス推進&TPP担当ダイジンの甘利明のヒショ軍団2人が、再度、東京チケンから不キソ(嫌疑不十分)の刑事ショブンが出されておったんだが、しかし、捜査はコレで終わったワケではない。
確かに、今回、刑事告発されておった特別法の「あっせん利得処罰法」は、「公訴の時効が3年」だから、このお盆の時期も過ぎたんで、適用NGであるにしても、まだ、「公訴の時効が5年」の刑法の「あっせん収賄罪」であれば、甘利以下、このヒショ軍団も含めて、キレイに適用OKだ。甘利以下、コレで逃げ切ったと思ってのうのうとしとるようだが、そうは問屋が卸すかってんだ。何度でも言うが、コイツは憲法39条の「遡及処罰の禁止&一事不再理」ではない。この条文は、あくまで、「キソされ、判決が出たジケン」が対象であって、今回の甘利のように不キソで終わったジケンについては、適用対象ではない。
わかりやすい例を紹介しやう。1974年3月、兵庫県西宮市の知的障碍者入所施設「甲山学園」で起こった甲山ジケンだ。発生直後、保母の山田悦子サンがサツジン容疑でタイホされるも、何も証拠がないため、ショブン保留で釈放となり、その後、不キソ(嫌疑不十分)となっておったんだ。ところが、検察シンサ会が「不キソ不当」のギケツ(ちなみに、法的拘束力はゼロ)を出したことをきっかけに、神戸チケンがワサワサと再ソーサに乗り出し、4年後の78年に山田サンと再びサツジン容疑でタイホし、今度はキソしちゃったんだよな。しかし、コーハンでも最終的に無罪判決が確定し、コイツは「戦後を代表する冤罪ジケン」として有名になるんだが、甲山ジケンはこのように大冤罪だったんだが、一方、甘利に関しては「URに口利きヤリマクリンスキー」は明々白々なんだから、本来であれば、キソされ、有罪判決を受けなければならない。
んで、もっと言うとだな、ぬあんで、ド腐れ糞ケンサツが、都合、四半世紀にもわたって、「メンツ維持」のためだけの上訴を繰り返して、ダラダラと引っ張り続けた理由ってのは、ただ単にキソしたときの担当検事が、その後、関西ケンサツのドンっていうより、「ガン」として蝕みマクった「逢坂貞夫&加納駿亮」のコンビだっただけのハナシなんだよな。2人とも、陛下の認証カンであるコーケン検事ちょーまで昇り詰めるんだが、それと合わせ一本で、ちょーかつにタカリ倒して、甘い汁を吸いマクっておるんだからな。
だから、巷間では「冤罪を起こす温床は、代用監獄に代表される人質司法である」と指摘されるんだが、しかし、そんなもんは、コトの真相の断片に過ぎん。モンダイの根本にあるものとは、まさに、この「ちょーかつ」という名の、ド腐れ糞ケンサツ&垢レンガのURAGANEだ。このキモを絶対に見逃してはならない!
#それで、神奈川県立津久井やまゆり園で起こった、入所者に対する19人死亡、27人重軽傷の大量殺傷ジケンで、東棟1階に入居していた女性(齢19)について、サツジン未遂容疑で緊急タイホされておった(タイホ後、亡くなったため、容疑をサツジンに切り替え)植松聖について、横浜チケンは、勾留満期の「8・15」にショブン保留にした後、即、神奈川ケンケイの津久井署捜査ホンブは、東階に入居しておった女性9人(齢26~70)に対するサツジン容疑で、再タイホしたってんだな。
各紙の記事を突き合わせるとだな、亡くなった残る10人は男性で、いずれも西棟に入居しておったとのことだが、コイツについては、次の3回目のタイホ容疑に組み込み、けがの27人については、ケーサツは追送検のカタチでジケン処理をしていくらしいな。ってことは、9月イッパイぐらいまで勾留を打たれるってことだわなあ。キソするかどうか、イチバン最後で判断すればエエんだから、この2回目のタイホの9人の殺害についても、とりあえず、ショブン保留にしておいても構わんてことだわな。ってことは、今後、どのタイミングで植松に対する鑑定留置に踏み切るか、だわな。
しかし、各紙、かなり早い段階で、「植松に鑑定留置の方針」と打ったにもかかわらず、ケンサツ当局は今のところ、ぬあんだか、コイツには慎重だわな。外野があまりとやかく言うツモリはないんだが、ただ、あの富山市の資産家夫婦放火殺人ジケンで、文春に犯行告白の手記を郵送しておった、富山ケンケイ警部補の加野猛のおやぢに対しては、この鑑定留置のソチが、異様に早かったからなあ。だから、「それ」に比べると、全然、モタモタしとるよなあ。しかし、犯行の根底にある、「生きるに値する人間と、そうでない人間との峻別」ってのを、「短絡的にキチガイ沙汰にしたらアカン」と、あの辺見庸も言っておるゆえ、ココはクソ猛暑の中、脂汗を極限までかきながら、脳味噌を振り絞って、考え抜く必要に迫られておるよなあ(笑)
#「上」の続きで、刑訴法における鑑定留置には、じつは、「①キソ前のヒギシャ段階」と「②キソ後のヒコク人段階」の2種類があるんだよな。んで、①の「ヒギシャ段階」ってのは、刑訴法の223~225条にあり、コイツはソーサ当局、つまり、ケンサツ官(orケンサツ事務官)や司法ケーサツ職員(=サイバン所に御札を請求する資格のある警部以上のケーサツ官)が、「必要あり」とハンダンした場合に行うものであるのに対し、②の「ヒコク人段階」ってのは、刑訴法の167条~170条にあり、こっちはサイバン官がその職権において行うものだ。
今度の相模原での連続殺傷ジケンで、今出ておる「鑑定留置」のハナシってのは①で、要は、既にソーサ当局がヒギシャに対して刑事セキニンを問えるかどうか、最終的な刑事ショブンを下すにあたって、精神鑑定を求めるものだ。どういう鑑定が出るかはヤッてみんことにはわからんが、しかし、①の鑑定留置をヤルってことは、立ケンにあたって、ソーサ当局、特に今回に関してはケンサツだが、まだ腰が定まっておらんってことだ。
そこで、ワシも池上彰と化して、子どもでもわかるように解説するとだな、その精神鑑定によって、「心神喪失」、もしくは「心神耗弱」が出た場合、刑法39条により、心神喪失の場合は罰せられないし、心神耗弱の場合は必要的減軽の対象となる。ちなみに、心神喪失とは、精神障碍によって善悪の判断が全くできない状態をいい、ま、「完全なキチガイ」だ。一方、心身耗弱とは、精神障碍によって善悪の判断能力が著しく低下しておる状態をいい、要は「半分キチガイ」だ。もし、①のヒギシャ段階における鑑定留置を行った結果、もし、植松聖に「心神喪失」の結果が出た場合、不キソになるし、また、「心神耗弱」だった場合は、キソはされるが、少なくとも、ハンケツで死刑にはならん。
ワシは、今回のジケンで、慎重を期すという意味において、①のヒギシャ段階における鑑定留置を行うということ自体、何のモンダイはないと思う。その結果を見て、最終的にキソか、不キソをハンダンすればエエんだからな。仮にもし、今回、①のヒギシャ段階での鑑定留置を端折って、キソに持ち込んだとしても、おそらく、サイバン所が、②のヒコク人段階の鑑定留置を実施すると思う。そもそも、弁護人が間違いなく、②の鑑定留置を求めると思うからな。だから、それを考えると、あの富山市の資産家夫婦放火殺人ジケンで、タイホされた富山ケンケイ警部補の加野猛のおやぢが、即、①のヒギシャ段階の鑑定留置がピャーッと施され、その挙げ句に不キソ(嫌疑不十分)にされたってのは、ったく、異様の極みなんだよな(笑)