京大病院のエタノール誤注入事件を、再度、不起訴処分にした |
ここんところ、ずうーっと永田町のどうでもいいような、有象無象を相手に遊んでばっかりいて、タイトルにあるような、本来、まっとうなジャーナリスティックなテーマからは、とんと遠ざかってしまっていたので、ちょっと久しぶりに医療過誤の問題を取り上げたいと思います(#これでも、いちおうワシも医療過誤のテーマで本を書いとるから、「医療過誤追及ジャーナリスト」でもあるんや)。
そこで、今回、書く内容はこのタイトルに集約されているのですが(笑)、まず、この「京大病院事件」の概要を簡単に説明しますと、京大病院(京都市左京区)で2000年3月、当時、17歳だった藤井沙織さんという、ミトコンドリア脳筋症という難病と闘っていた女性が、本来なら人工呼吸器の加湿器に蒸留水を入れるべきところ、看護婦が誤ってエタノールを入れてしまったために、エタノールを53時間にわたって吸引させられ、その結果、中毒死させられたというものです(事件の詳細を知りたい人は、本サイトの表紙の「リンク」のところをクリックしますと、「さおちゃんの会」のウェブに入れますので、そちらを参照して頂くとともに、拙著『あなたが病院で「殺される
」しくみ――システムとしての医療過誤』(第三書館、2002年)の第3章にある京大病院事件のレポートをお読み下さい)。
確かに事故そのものは、当時の担当看護婦の勘違いによる、単純ミスによるものなのですが(確かに、私も写真で見る限りは、蒸留水の入ったポリタンクとエタノールの入ったポリタンクはほぼ同じ形、大きさをしていて、うっかりしていると間違えてしまうのもわからないでもないのです)、亡くなった沙織さんのご両親もそうですし、私もそうなのですが、絶対に許せないのが、京大病院側が、彼女が亡くなった原因はこの「エタノール中毒」であるのは、火を見るより明らかなのに、そうした事実を隠蔽したことなのです。
で、当時、主治医だった京大医学部小児科助手の服部春生医師が、当初、この医療過誤の存在を両親に隠した挙げ句、死亡診断書にも、本来なら、「エタノール中毒による死亡」と書くべきところを、「病死及び自然死」にマルをつけという大ウソをつきまくっていた、ということなのです。
ちなみに、この大ウソ死亡診断書を書いた沙織さんの主治医・服部春生は、こうした医療ミスの最終責任を追うべき、いわば「現場責任者」の立場でありました。
しかし、ぬあんと、驚くべきことに、「沙織さんの死」と「エタノール誤吸入」との因果関係はないという大ウソをつきまくった挙げ句、京大病院内部でも、その責任を追及がなされることはありませんでした。
通常、こうした不祥事が起こった場合(別に病院に限りませんが)、そうした責任を追及し、降格や減給といった関係者の処分がなされるのが、世間一般のジョーシキです。
しかし、そこは「京大病院のジョーシキは、世間の非常識」を地で行っていて(笑)、ぬあんと、腰を抜かすほど驚くべきことに、この“主犯格”といってもいい、主治医である服部春生をクビにするどころか、助手から小児科の専任講師に昇格させるという、「裏ワザ」まで見せてくれたのです。
私がこの京大病院の取材を通して、この上のない怒りを感じるのは、沙織さんが難病のため、ほとんど言葉を喋ることができなかった。それゆえに、本来であれば、そのようにエタノールを間違って人工呼吸器に混入されたとすれば、「苦しい」と声を上げて、SOSを知らせることができたはずなのですが、それができなかった。
もちろん、病気で入院していること自体が、弱い立場に置かれているということではありますが、そういう難病に冒され、さらにいっそう弱い立場にあったがゆえに、こうした「非業の死」に追い込まれていった側面があるという、悲劇の根の深さを、そこに感じるからです。
こうした「弱い立場にいる人たち」が、犠牲になってしまうのは、確かに、人間社会の不条理なのかもしれません。
これは私の根本的な生き方なのですが、そうした不条理をやすやすと受け入れるのは、単なるニヒリズムであって、行動によって、そうした不条理を乗り越えようとする人間の行動に、私は価値を見いだすのです。
もちろん、それは最終的に「敗北」(もっといえば、それは「死」ですが)に行き着く道であることは、私も承知していますが、しかし、それに「抵抗する」行為の中にこそ、「人間の尊厳」は存在すると思うのです。
さらに、そこに私の怒りに火に油を注ぐ結果となるのは、直接の「死因」は、そうしたエタノール中毒であるにも関わらず、そうした「真実」は隠蔽したうえで、主治医は「死因はエタノールの誤混入ではなく、もともとの持病が原因」という、ウソの説明を平気でやっていた点です。
この京大病院事件では、沙織さんのご両親が、01年10月に京都地裁に民事提訴する一方、刑事事件としては、京都府警が01年1月、沙織さんの看護を担当していた看護婦計7人を業務上過失致死容疑で、また、このエタノール誤混入の事実を隠し、直接の死因を「急性心不全」「病死及び自然死」とウソの死亡診断書を書いた主治医の服部春生を虚偽有印公文書作成、同行使の容疑で京都地検に書類送検しています。
これを受け、京都地検は、本格的な捜査を始めるわけですが、チンタラチンタラと時間を引っ張った挙げ句、02年10月に、最初に蒸留水とエタノールを誤って人工呼吸器に混入させた現場の看護婦だけを起訴し、ぬあんと、驚くことに、他の計6人は主治医の服部春生も含めて、全員、不起訴処分ということになりました。
そのため、沙織さんのご両親は、検察審査会に審査を申し立てた結果、審査会は昨年(04年)9月に、不起訴処分となった6人のうち、現場の看護婦を指揮すべき立場にあった副看護婦長と、このウソの死亡診断書を書いた服部春生の2人ついては、「不起訴不当」の議決を出し、京都地検に再捜査を命じていたのです。
ところが、です。
京都地検は、何ともチョー驚くべきことに、今年の2月9日に、再び、この2人について、「不起訴処分(嫌疑不十分)」という、ちょっとシンジラレナイ裁定(最低!)を出しているのです。
病院側は、沙織さんへのエタノールの誤注入が始まって約53時間が経過して、初めてその時点でミスに気づき(もちろん、当初はそのミスの存在自体を両親には隠していましたが)、じつはエタノール中毒に対する対処療法も行っているのです。
確かに、死亡の直接の原因となったエタノール誤混入については、現場の看護婦のミスということで、「業務上過失致死罪」については、主治医である服部春生の刑事責任は問うていません。
しかし、ミスが分かった後も、その事実を両親に隠蔽した挙げ句、本来ならそこで血中アルコール濃度検査をしなければならないはずなのに、「京大病院では血中アルコール検査はできない」と、ワケのわからない理屈を並べ立てている始末です。
んで、京都府警の捜査一課は、沙織さんの死亡診断書にウソの記載をしたこと、つまり、「医療ミス隠し」に京大病院側が走ったことを、重く受け止め、現場の看護婦に加えて、主治医の服部春生も「有印公文書偽造、同行罪」での書類送検に踏み切ったというわけです。
ある京都府警の幹部はこう述べています。
「一日半もエタノールを吸引させられたら、健康な人でも死にます。そもそも死亡診断書に『急性心不全』なんて書くことは普通しないし、医師としては恥ずべきこと。鑑定書は複数の医師から取っており、あれだけの大量のエタノールを吸引したことが死に関わってとして、死亡診断書にも『エタノール中毒』の記載がないのは、おかしい、という意見をもらっている。アルコール検査をしなかったのは因果関係があるからこそしなかったとしか思えない。許せんですよ。鑑定した医師によれば、あれだけの量のエタノールを吸引していれば、もう対症療法をしても意味がなかったということだが、しかし、服部医師らは事故発覚後、そうしたエタノール中毒の対象療法を行っており、中毒であることの自覚は十分にあったはずだ」
ここで私が刑法の本を読んでいて、オモロイなーと思ったのは、業務上過失致死罪の最高刑が「懲役5年」であるのに対し、有印公文書偽造罪は「懲役10年」と、公文書を偽造する罪の方が重いのです。
つまり、現場の看護婦がうっかりミスでエタノールを誤混入させて、患者を死なせてしまった行為(=業務上過失致死罪)よりも、そうした医療事故を隠して、ウソの死亡診断書を書いた行為(=虚偽有印公文書作成罪)の方が罪が重いのです。
というのは、刑法は、「公務員」という立場にある人間は、それだけ「公正さ」や「透明性」、「説明責任」を果たさなければならないことを命じているわけで、それがゆえに、ウソの公文書を作成することは、罪が重いのです。
ちなみに、ここで京都府警が、現場の看護婦だけでなく、主治医の服部春生をも立件の対象とした背景を敢えて明かしますと、私の知っている記者が当時、京都府警を担当しており、その記者はもともと医療過誤の問題に強い関心があって、以前、この問題を詳しく調べ挙げた連載記事を書いた経験があったのです。
んで、中枢の捜査幹部への夜回りの際、その記事のコピーを持っていって、「こんなひどい事故隠しを放っておいていいんですか。私は絶対に許せない。こういう不正を摘発することが、(殺し、叩きを専門とする)『現代の捜査一課』の仕事じゃないんですか」と、せつせつと訴えていたのです。
もちろん、最終的に京都府警が服部春生をも書類送検に踏み切ったのは、それを立証できるだけの証拠が十分に集まったからですが、「我々にできるのは、書類を検察庁に送るまでだが、しかし、やるべきことはちゃんとやった。その先の起訴か不起訴かの刑事処分は検事に委ねるしかない」とその記者に漏らしていたといいます。
んで、沙織さんのお父さんとお母さんが、京都地検に呼ばれ、今度の事件の再捜査の結果を、「長崎」という名前のオッサン検事から、伝えられたのは、地検が正式に記者会見を行う前日の今年2月8日の午後のことです。
検事の部屋に通されて、最初に言われた言葉が、「2人とも、起訴しません」という淡々とした言葉だったそうです。
当然、お父さんもお母さんも、これには納得がいかず、約3時間半にわたって、この長崎という検事に食い下がって、説明を求めましたが、ラチが空かなかったということです。
要するに、このアホ長崎の説明では、主治医の服部春生から事情聴取をしたけれども、「私は知らなかった」とシラを切って否認していたので、不起訴にしたということです(笑)。
これは、93年4月から3年間の高松地検次席検事時代に、ぬあんと、47人の被疑者を独自捜査でパクり、「中小地検における独自捜査の犯罪検挙数」では、おそらく、「日本最高新記録」を打ち立てている三井環氏がいつも言っていることですが、「捜査とは真実のみを愚直に追求することだ」と。
状況証拠を丹念に見れば、この服部春生のやったことが、「真っ黒クロ」であることは火を見るより明らかで、通常の刑事捜査では、こうやってウソをつくために否認をしている被疑者については、即、逮捕状を請求し、身柄を確保するのが捜査の常道というものですが、要するに、京都地検のこのアホ長崎は、服部の言い分だけを「はー、ごもっともですねえー」と一方的に聞いて、それで刑事処分を出しているのです。 んで、ぬあんとも驚くべきことに、この京都地検のアホ長崎は、被疑者サイドは服部春生はもちろん、担当の弁護士までも何ともご丁寧に事情を聴取しているのに対し、被害者サイドからは、両親はもちろん、両親の担当弁護士にも一切、事情を聴くことなく、一方的に「不起訴処分」ですので、こんなもんは、捜査でも何でもない。
さらに言いますと、現役の検察幹部として、検察の裏金、すなわち、調活費の不正流用を内部告発しようとして、口封じ逮捕された三井環氏が、なぜ、最終的に「顔出し」して喋るかに至ったかといいますと、例の大阪地検検事正・加納駿亮の福岡高検検事長昇格に際し、当時の原田明夫以下、法務・検察の首脳が、加納が刑事告発されていた調活費の問題に関し、時の政権中枢、すなわち、小泉純一郎と「裏取引」をして、「クロをシロにしてやれば、人事を認めてやるで」とのサジェスチョンを貰ったため、です(ちなみに、東京・麹町での後藤田正晴事務所における原田―小泉会談は01年10月2
8日)。
そこで、きちんと捜査すれば、加納は起訴されて、刑事訴追されるのは明々白々なのに、当時の「元祖・悪の検事総長、原田明夫」の指示で、それを放棄したわけです。
つまり、検察の使命とは、「真実とは何かを愚直に追求し、それを確定する」というハズなのに、テメーラの保身を優先させて、加納を「シロ」(=嫌疑なし不起訴)にして、福岡高検検事長への承認を内閣に認めさせてしまった。その時点で、三井氏の「加納駿亮への私憤」が、「真実の追求を放棄した法務・検察組織への公憤」へと昇華し、「顔出し」の内部告発に踏み切らせるのですが、そうした人間に対して、今度は「シロをクロ」にすべく、ないものをデッチ上げて、「予防拘禁」とばかりに、拘置所の中に「隔離」させるわけです。検察組織がここまで腐りきっているわけですから、もう、ほんとにどうしようもないところまで来ているのです。
話を戻しますと、そうやって、京都地検のアホ長崎検事によって、主治医の服部春生と、副看護婦の2人が再度、不起訴になりましたが、そこでご両親はあきらめずに、京都の検察審査会に、服部春生についてだけは、この3月31日に再審査の申し立てを行いました。
実際、同一事件について、被害者サイドが審査会に2度も審査の申し立てをすること自体が、超異例なのですが、これはお父さんがインターネットなどを使って、必死に調べた結果、次のような「前例」が存在することがわかりました。
というのは、静岡で起きた死亡ひき逃げ事件で、02年12月に、遺族の2度の審査請求で、1度目は「不起訴不当」の議決を出した後に、静岡地検が「不起訴」にしたのち、再び、審査請求したところ、2度目は「起訴相当」の議決を出し、この決定を受けて静岡地検が再々捜査をした結果、今度は起訴に踏み切った、というのです。
検察審査会法では、「同一事件については、更に審査申し立てできない」ということになっていますが、お父さんが、その静岡の遺族に電話で問い合わせたところ、ここにある「同一事件」とは、「同一の事件番号」を指し、そうやって検察審査会の決定を受けて地検が再捜査する際は、必ず事件番号が異なっているため、審査の申し立てができ
る、ということなのです。
ただ、実際には「時効のカベ」がありますし、さらに審査会自体が膨大な事件を抱えているため、請求を受理して、議決を出すまでに1年かかるのはザラですので、現実問題として、2度も審査会に審査請求するのは、困難ではあるのです。
とりわけ、今回、不起訴となったうち、副看護婦長の業務上過失致死事件については、「公訴の時効」が、5年であるため、この3月で時効を迎えました。
んで、残るのは、最高刑が「懲役10年」である、主治医の服部春生のウソの死亡診断書を書いた、「虚偽有印公文書作成、同行使事件」で、これは公訴の時効が7年ですので、再来年(2007年)の3月まで時間的猶予がありますので、何とか受理してもらって、再審査してもらうことができるわけです。
ちなみに、この服部春生は、一連の刑事事件でただ一人起訴された、現場の看護婦の大阪高裁判決が確定した昨年7月以降、なぜか京大病院を退職し、京都府の長岡京市で小児科のクリニックを開業している、とのことです。
本来であれば、とっくの昔に地検が起訴し、それを受けて裁判所が有罪判決を出したのをきっかけに、医道審議会で処分がなされ、この服部に対する医師免許の剥奪、もしくは医業停止の処分がなされてしかるべきですが、例によって、検察庁がこれだけアホなため、あの乱診乱療の富士見産婦人科事件のオンナ院長と同様、今もって、のうのうと医療行為を続けることができているわけです。
神奈川県警を皮切りとする99年の一連の警察不祥事以降、「ウソつきは警察の始まり」と揶揄され、さらに02年には元大阪高検公安部長の三井環氏が「調活費」、つまり、「検察の裏金」を内部告発しようとし、テレビ朝日の「ザ・スクープ」の鳥越俊太郎氏のインタビュー収録当日の朝に、「口封じ逮捕」したあたりからは、「ウソつきは検察の始まり」ということになっていますが、ここでは「ウソつきは医者の始まり」「ウソつきは京大病院の始まり」を、まさに地で行っているというわけです。 この京大病院事件が、ブンヤ的になぜ、キョーミをかき立てられるのかといいますと、事件の舞台が、「東の東大」「西の京大」といわれるように、まず、「白い巨塔」の最高峰である「天下の京大」で起こっている点です。
これが、カネさえ積めばサルでも入学できるような、「三流金権バカ医大」で起こった医療ミスであれば、「まあ、しょうがねえのかなあ……」という見方も世間一般にはあるのかもしれませんが(もちろん、そんなこと、あってはなりませんが)、しかし、「京大」は違います。京大といえば、その存在自体が、関西のアカデミズム界の最高峰であり、一つの「最高権威」を構築しています。
特に京大病院は生体肝移植をはじめとする先進医療も手掛けていることから、亡くなった沙織さんもそうでしたが、難病を抱える患者と家族に取っては、医療機関としては「最後の砦」という側面もあるのです。ここで拒否されたら、他に行き場がないのです。
その点、三流金権バカ医大であれば、他にいくらでも代わりの大学病院はありますので、そこに逃げ込めばまだ救済の道はありますが、そうではない「西の最高権威」である京大を敵に回すというのは、それは勇気のいることなのです(#だから、ワシなんかには叩き甲斐があるんや)。
さらに、もう一つだけ指摘するとすれば、あの札幌医大の和田移植事件以来、脈々とある“伝統”なのかもしれませんが、医療行為に対しては、「密室性」「専門性」「封建制」という、3つのカベが存在し、医療過誤が起こったところで、病院側はいくらでも、事故自体を「モミ消す」ことが可能だったのです。
それゆえ、医療機関は、「聖域」として存在しつづけ、こうした医療ミスはもちろん、平気で診断書やカルテを改ざんしたところで、ほとんど刑事責任を追及されることがなかったのです。
じつは、この藤井沙織さんのケースのように、死亡診断書に大ウソの記載をしても、刑事訴追されないケースはいくらでもあって、例えば、マスコミでも頻繁に取り上げられているのでご存じの方もいるかもしれませんが、埼玉医科大総合医療センターで起こった、抗ガン剤の大量投与によって、高校生の娘さんを亡くした古館文章さん(埼玉県鴻巣市在住)のケースでもまったく同様に、当時の主治医たちが「事故隠し」のため、大ウソの死亡診断書を発行したにも関わらず、さいたま地検は不起訴処分にしています。
当然、古館さんも検察審査会に審査を申し立て、審査会の議決を受けて、さいたま地検が再捜査しましたが、京大病院と同様、再度、不起訴処分にしています。
私の問題意識は、こうした医療機関のデタラメさもさることながら、そうした不正を糺すべき捜査機関(=検察庁)の怠慢ぶりはいったいどうなっとるんかいな(#まあ、「魚は頭から腐る」のことわざ通り、こんなもんは、別に今に始まった問題じゃないけどな)、というところで、例の調活費ともリンクさせて、ガンガン、検察を叩いたらオモロイと思って(#おう、そのうち、加納駿亮の芦屋の「調活マンション」ギワクも、書いてやるからな。アレはホンマ、ひどいで。99年の例の内部告発文書騒動以降に、ああいうデタラメなチョーカツの使い方をしとるってのは、弁論の余地はないわな)、いま、あるジャーナリスト(の卵?)を通じて、大マスコミでも取り上げてもらえるよ
う、チョッチ、裏で画策しているのですが(笑)。
#それでな、沙織さんのお父さん、お母さんの住んどるところも、京大病院の所在地も、同じ京都市の左京区なんや。ここは衆院の京都2区で、誰が国怪議員か調べたら、民主党の前原誠司なんやな。前原も最近、週刊誌でオンナの問題を書かれて、次のセンキョも危ないようだから、こういう「足元」の問題にも、ちゃんと関心を持ってもらわんと困るで。医療過誤と裏金のモンダイは、イデオロギーとは全く関係なく、右、左を問わず万人が関心を抱く問題やからな。そういうところにも目配せせんと、補選の結果を見てもわかるように、民主党があの体たらくやから、自民党がイキのいい新人をぶつけてきたら、前原もアウトやで(笑)。