三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、『週金』の最新号(5・24発売)で、その陸自・化学学校(大宮)におけるサリン製造モンダイだが、ぬあんと、当時の化学学校のゲンバ責任者が、「顔出し」で、「そんもん、ちゃんと、作ってまっせ!」って、認めちゃったよなあ。
その顔出しで認めたのは、「山里洋介」っていう、74年から77年まで、その化学学校の研究ブにおって、その後、92年には、陸バクの装備ブの武器・化学課の化学室長となり、2000年6月から2年間、その化学学校の校長を務めて、退職。今は、自衛隊に防護マスクetcを納品しておる興研(本社・東京都千代田区四番町)の代表取締役副社長を務めておるってんだな。
その週金キシャの直撃取材に、「サリン製造は事実!」と認めたうえで、サリンについては、東京五輪が開催された64年の時点で、、既に成功しておったってだな。もっとも、このテの毒ガス兵器については、第2次大戦中のナチス独逸が最も進んでおって、戦後、亜米利加サマも、それは完成させて、本土復起前のオキナワの米軍基地には、このテのタブン、サリン、VXガスを貯蔵しておったことは、認めておったんだな。
#「上」の続きで、今回、『週金』に顔出しで喋った、元陸自・化学学校校長の山里洋介によれば、このテのサリン開発・製造については、「陸自が独自に成功させたもんで、亜米利加サマの世話には、なっとらん!」ってんだな。コイツは、事実とすれば(たぶん、そうなんだろうが)、「へえー」っていうか、意外だったな。
要するに、「亜米利加サマの指示で、こんなもんをこしらえた」んであれば、まだ、リクツはわかりやすいんだが、「陸自が独自のハンダンでこしらえた」ってことになると、「ぬあんで、こんなもんを作る必要があるんだ?」なんだな。
ま、それに対する弁明は、まさに「毒をもって、毒を制す」っていうんか、「そうやって、毒ガスに関して熟知しておらなければ、もし、そうした攻撃を受けた場合、お手上げぢゃないか!」ってことなんだな。確かに、それは、95年のオウムによる地下鉄サリンのジケンで証明されたんで、「そうかあ」とは思う。しかし、それに対する切り返しとして、「ぢゃあ、そうやって製造、保管しとるサリンetcの毒ガスは、どれぐらいの分量なんだ。致死量にして、ナンボや!」っていうのは、吐き出させんとだわなあ。
100歩譲って、今回の山里の主張を認めるにしても、そうやって「防護用にサリンetcを、陸自が製造、保管しておる」といっても、少量っていうか、微量でエエわな。「そこ」は、きちんと、代々木の共産トウあたりが、国怪でジャンジャン追及せんとだわなあ。
#さらに、続きだが、今回の「陸自、サリン製造!」のモンダイ、コイツは、根本的には「シビリアン・コントロール」に行き着くと思うなあ。
っていうのは、こんなチョー重要なアンケンは、陸自の化学学校っていう、ゲンバのレベルで起案して、なされたものでは、100%ない。軍なんてのは、徹底した「上意下達」なんだから、「上からの指示」がなければ、こんなもんは、ゼッタイ動かんからな。だから、「指示の出所」はどこだったんだよ?
だから、あの「三矢研究」のやうに、陸バクの一部がピャーッて暴走しておったハナシのか。それとも、当時っていうか、歴代のぼーエイ庁長官や、ナイカク総理ダイジンには、報告が上がっておったっていうんか、じつは、「そこからの指示」で、コレらの毒ガスの開発&製造にあたっておったのか。
しかし、ココまで、当時の陸自の幹部が顔出しで喋っておるっていうのに、んもう、シンブンはどこも後追いせんよなあ。それこそ、おかしいっていうか、いったい、どうなっておるんだよ? 「報道=ジャーナリズム」としてのモンダイ意識ってのが、全く欠如しておるっていうか、ホンマ、高鼾をかいて、グーグーと寝ておるよなあ(笑)
#で、今朝(=5・26)の東京シンブンの3頁の下の書籍広告んとこに、『週金』の最新号の宣伝が入っておったんだが、その中で、「自衛隊とサリン 第2回」ってことで、「元陸自・化学学校チョーが、毒ガス製造を認めた!」って出ておったなあ。
でも、「毒ガス」って、ま、確かにそうなんだが、ココはニュースのインパクトとして、もっとストレートに「『サリン製造』を認めた!」だわなあ。毒ガスは毒ガスでも、あのオウムの連中のヤラかしたジケンによって証明された、アレだけ殺傷の能力の高い「サリン」を作っておったってのが、キモだからなあ。「それ」をビシッと見出しに出さんことには、読者も本屋で手を伸ばして、敢えて取ろうと思わんよなあ。
しかし、東京シンブンも、こんなのを易々と書籍広告で載せるんでのうて、「こちら特報ブ!」あたりで、ピャーッと後追いせんとだよなあ。そこには、ワシがウラ1面の「TOKYO発」ってとこにおったとき(96年1月━97年7月)、都チョー&都議怪の不正経理モンダイ、つまり、URAGANE追及を一緒にヤッておった、「野呂法夫」という辣腕のブンヤが、今、デスクでおるんだから、当然、「報道キカン=ジャーナリズム」の使命として、「字」にせなアカンわなあ。
#で、今日(=5・28)、最近、『紙のバクダン』でよう書いておるフリーのブンヤの高田欽一と会うて、西岡研介クンが、2010年秋に『週アサ』に連載しておったのとは、また別の「亀谷直人獄中手記」を見せられたんで、コピーを取らして貰うてきた。
高田は、コイツをあるスジから入手したってことで、ヤクザではないんだが、ま、そのあたりともツーカーな人間だろうなあ、その人物から渡されたってんだが、高田はワシのことを知っとるんで、「だったら、古川氏に見せてもエエか?」と水を向けたところ、そのスジの人物は、ワシのこのブログをよう見ておるらしくて、「その古川にこのブツを渡すと、どうせ、また、ピャーッと垂れ流すように字にするだろう。別に、趣旨を変えずに、要約するカタチで中身を紹介するのは、全然、OKなんだが、その手記の内容をそのまま引用するのは、NGや」っていう、また、ヘンチクリンな注文をつけてきたんだよな。
だから、ワシは「ぬあんだ、そりゃ?」って食ってかかったんだが、高田曰く、「向こうがそう言ってるんだから、しょうがないでしょ。もし、古川サンが勝手に、地の文を引用したら、そのネタ元から、私がいろいろと文句を言われることになる」ってことだったんだな。
とりあえず、中身を読んでみて、どういうことが書かれておるんかを吟味せんことには、どうしようもねえんで、とにかく、「アナタの言っておる趣旨は、ご理解賜った」と返したんだ。で、ザーッと目を通して、「うわっ!」っていう、新事実としての「ニュース」はあったんで、それは、後でココに書くでえ!
#「上」の続きで、その高田欽一がワシに見せた「亀谷直人獄中手記」なんだが、全部で65枚。コクヨのB4判横書きの原稿箋(27行)に、ビッシリと書かれてあって、本文は「一」から「六四」まで、左上に漢数字でページが振ってある。で、ページの振ってない最後の65枚目が、ま、「あとがき」みてえなもんだなあ。ただ、後でわかったんが、「二三」(=23頁目)が欠落しておったんで、実際、手元にあるのは、それを除く計64枚だ。その64頁目の最後に、「平成23年10月2日記」とあるんで、おそらく、その日に脱稿したっていうことだろう。
んで、妙っていうんか、ある種、奇っ怪とも言ってエエんかもしれんのだが、亀谷は、この手記をいろんなところに送り付けておるようで、じつは、それぞれに、微妙に内容を変えておるってんだな。それで、今回、高田がそのネタ元からゲットしたブツってのは、最初の1頁目の上んところに、「三井」と書かれておるのと、「尾塚野」と書かれておるのと2種類あったんだな。だから、要は、三井環のオッサンと、在阪のフリーのブンヤの尾塚野形のオッサンに、直接か、第三者を介してかはわからんが、とにかく、それぞれ送ったっていう、「三井バージョン」と「尾塚野バージョン」なんだな。
で、ザーッと見たカンジ、その三井バージョンも、尾塚野バージョンも、ほとんど同じなんだが、高田が言うには、「三井さんに送ったのは、例の2億円の件(=桑田兼吉保釈コーサク)の記述がなくて、尾塚野さんに送った方には、どうも、その記述が入っているらしい」ってんだな。だから、ワシも、そんな2つもコピーするのは、チョー面倒臭いんでなあ。とにかく、その2億円の件が入っておるっていう、「尾塚野バージョン」の方を、チョックラと拝借してだな、近くのコンビニに駆け込んで、コピーを取ってきたんだ。
#さらに続きで、その「亀谷直人獄中手記(平成23年10月版)」だが、ウチに戻って、じっくり目を通したんだが、亀チャンってのは、その達筆さもさることながら(笑)、文章に「。」や「、」、つまり、句読点が一切ねえんだ。だから、コイツは、漢文をそのまま読まされておるようなもんで、漢文を読み下すっていうんか、そのままストレートに引用したところで、読者には非常にわかりづらいと思った。
それで言うと、高田欽一がこのブツの提供を受けたネタ元の思惑とは別に、この手記をそのまま丸写しのカタチで引用することにこだわる必要はねえと思った。ただひとつ、最後の65枚目の「あとがき」なあ。ココには、じつに亀チャンの熱い思いがぶつけてあってだな、ココの部分については、全文、そのままピャーッと公開しようと思う。句読点もなく、すごく読みづらくて、1つだけ判読不明の文字があるんだが、でも、下手にワシが手を入れて要約っていうか、端折ったら、今度の、いと凄まじきこと限りないジケンに、図らずも巻き込まれてしもうた、彼の無念さっていうか、思いは伝わらんだろう。
ワシらの商売は、確かに、ネタ元との信頼カンケイは大事だが、それよりもっと重要なのは、読者に対するセキニンだ。こうした情報っていうのは、ワシらブンヤの「私物」などでは、断じてない。それは、ブンヤが握った瞬間から、「読者のもの」、つまりは「みんなのもの」だからだ。そういうことだから、高田にこのブツを渡したネタ元に対しては、ココでその点、了解を願いたい。ワシは、高田に言ったんだが、「そうやって書いたぐらいで壊れるんだったら、所詮、その程度のカンケイでしかなかった、ということだ」と。
ワシもシンブン社におった頃から、情報源から「書くな」と言われた経験は、数限りなくあるが、しかし、それでも、ワシは「書く」とハンダンしたネタについては、すべて余すところなく、「字」にしてきた。もちろん、書いたことで切れてしまった人間カンケイもあるが、しかし、それでも残った人間カンケイもある。だから、ワシのハンダンで、書くべきことは、きちんと書く。
#で、その「亀谷直人獄中手記(平成23年10月版)」だが、表題は「北野ダイヤハイツの経緯」とある。
この「北野ダイヤハイツ」とは、現在、三井環のオッサンが自宅にしておる、神戸は三宮のマンションなんだが、そのマンションの前の実質的な所有者は、この亀谷だったんだな。競売に出されておったのを、三井のオッサンが落札したんだが、ところは、まだ、亀谷はそこに居座った状態でおって、その明け渡し退き交渉を巡り、亀谷の手下として出てきたのが、あの「渡真利忠光」だったんだ。
結局、三井環のオッサンが、「02・4・22」に、まさに、口封じのためにタイホされたときの容疑が、この明け渡し交渉を巡って、渡真利と接触しておったことから来る、ま、ゴタゴタだわなあ。「そこ」から、上手いこと、腐れケンサツは、ハナシをデッチ上げて、オッサンの身柄を取るんだが、そのとき、大阪チケンの特捜ブで、その渡真利の取り調べを担当しておったってのが、あの「大坪弘道」だったんだわな。
そのとき、亀谷も、三井環のオッサンや渡真利と一緒にタイホはされておるんだが、ショブン保留で釈放され、キソ猶予で終わっておるんで、もちろん、一連の当事者として、「ジケンのキモ」を知る立場にある。そうやって、腐れケンサツが、「ちょーかつ=組織のURAGANE」の内部告発を、三井環のオッサンがしようとしておった矢先、「口封じタイホ」に持っていったっていう、「ウラ事情を知るキーパソン」であるんだわな。
だから、当時、菱本家は、5代目の渡辺芳則がトップだったんだが、その出身母体であった山健組の、3代目だった桑田兼吉の保釈を実現させるため、ありとあらゆるツテを探して、奔走しておったんだな。「それ」に、亀チャンが、ま、当然といえば、当然なんかいなあ。深くコミットしてしもうたワケなんだな。
#「上」の続きだが、その三井環のオッサンが落札した三宮のマンション(=北野ダイヤハイツ)の明け渡し交渉を巡り、所有者だった亀谷直人(当時、菱本家・2代目佐藤組内六甲連合会長)の、いわば、企業舎弟だわなあ。亀谷の手下である渡真利忠光と、三井環のオッサンが、何度か会うて、メシとかも食うとるんだが、その際に、腐れケンサツの筋書きに乗って、「三井のオッサンが、平日の真っ昼間から、勤務先を抜け出し、デート嬢接待をヤッたで!」っていう、大嘘の供述を、その渡真利にさせたのが、ぬあんと、あの「大坪弘道」だったワケや。
その意味では、大坪ってのは、ぬあんて言うんか、「毒を食わば、皿まで」っていうんかいなあ。このときは、まだ、大阪チケン特捜ブのヒラの検事だったんだが、その後、この「渡真利の取り調べ担当」っていう、箔を引っ下げてだな、出世街道を驀進し、そこの特捜部チョーにまで到達したワケや。
だから、今回、あの村木厚子のオバハンのジケンで、ミソをつけなけりゃ、おそらく、陛下の認証官であるコー検の検事チョーまで上り詰め、老後は、「関西ケンサツの大物ヤメ検弁護士!」として、左うちわでゆうゆうだっただろう。その意味では、大坪は、「毒を食らわば、皿まで」どころか、「おかわり」までしちゃったわなあ。
#で、さらに続きで、ココからが本題だが、今回の「亀谷直人獄中手記(平成23年10月版)で、初めて出てきた「新事実」だが、具体的には「40━41頁」に出てくるんだが、例の「2億円の件(=桑田兼吉保釈コーサク)」なあ。
それが、実際に動き出すのは、亀谷がショブン保留で釈放され、シャバに戻ってくるのが、02年5月だが、それ以降、同年8月以降で、より本格化するのは、同年10月から11月のことだ。最終的に「それ」が失敗に終わったことから、亀谷が、当時、3代目山健組の東京責任者だった鶴城丈二(2代目侠友会会長)を、チャカでブチ抜いてコロシたため、サツジンでタイホ、キソされ、懲役20年の実刑が既に確定し、現在、府中のムショで勤めを果たしておるというのは、承知のとおりだ。
で、今回、ワシが「うわっ!」って思った新事実のバクロだが、その三井環のオッサンが落札した三宮のマンションの、明け渡し交渉を巡るゴタゴタを記したメモ(俗に言うところの「渡真利メモ」)を、元大阪コーケン検事チョーで、ヤメ検の荒川洋二のジム所に、亀谷や渡真利らが、わざわざ出向いて、直々に手渡ししたのは、「02・1・30」のことなんだが、じつは、ぬあんと、ぬあんと、こうした状況を、亀谷は、その時点において、関西の建設リケンでズブズブだった、あの芦屋在住のブローカーである「田中八郎」に伝えておるんだな(手記では、「田中」と苗字しか記してないが、流れからして、あの「田中八郎」だ)。
で、驚くべきことは、その田中八郎は、そのことを、ちゃんと、中央大法科時代の御学友で、元福岡コーケン検事チョーの「豊嶋秀直」に、即、ピャーッと伝えておるんだよなあ。そこらの様子がわかる内容を、以下、引用するで(読みやすいように、句読点やかぎカッコを入れてある)。
<豊嶋が「三井の問題を喜んで居る」と、田中と会った時、豊嶋曰く、「大塚次席検事(※当時、大阪コーケン次席検事の「大塚清明」)は三井の直属の上司で、三井に対し『マンションを捨て』と言い、又、『公正人(※正しくは「公証人」)になれ』と言って、三井も了承している」と言い、「三井は特捜部長か高松行と検事正を望んでいると、又三井の上司であった加納(※当時、大阪チケン検事正だった「加納駿亮」)が、三井の栄転を見切った事で、加納を逆恨みをしている」と、豊嶋は福岡高検(検)事長時、部下の不祥事の詰め腹を切らされた事で、「三井の問題を喜んでおる」と口走っていた。>
要するに、コイツはどういうことかと言うと、コレまでに出てきておるハナシでは、その「三井環のオッサンの口封じタイホのウラ」をネタに、あのド腐れケンサツをオドシ上げて、桑田兼吉の保釈コーサクが動き始めて、その田中八郎が、豊嶋秀直にハナシを持っていったのは、「02年10月」ってことになっとるんだよな。
ところが、コイツは、既にもっと早い時点で、ぬあんと、「02年1月」の段階で、そうした今回の口封じタイホにつながる、「マンション明け渡し交渉のゴタゴタ」だよなあ。そのネタを、少なくとも、この手記を読む限りにおいては、亀谷は田中にリアルタイムで、既に伝えておるってことなんだよな。んで、「そこから先」だが、田中八郎は豊嶋秀直にも、このことを、ちゃんと、ご注進しとるってことなんだよなあ。
逆に言えば、関西の建設リケンのハナシで、もともと亀谷直人と田中八郎は、ズブズブの仲だったんだが、それで言うと、その田中八郎と中央大法科の御学友の「豊嶋秀直」には、そうした「マンション明け渡し交渉」に関わる機微なハナシが、最初から、こうやって、ズブズブと抜けておったってことだわなあ。
さらに言えば、豊嶋は、この時点で、こうした「ケンサツ人事」に関わる、超エグいハナシをペラペラとしとるってことは、おそらく、豊嶋も、この田中と組んで、リケンの甘い汁を吸いマクっておるんだと思うで。
で、既にこの段階で、豊嶋の名前が出ておるってことは、当然、その先には、当時の検事総チョーだった「原田明夫」に、ピャーッとつながっておるってことだからな。もちろん、今回、三井環のオッサンの口封じタイホにあたっては、「サイコー検→大阪コーケン→大阪チケン」っていう、オモテのルートが存在しておる。
ところが、それとは「もう1本」で、まさに、ウラ口だわなあ。「亀谷直人→田中八郎→豊嶋秀直→原田明夫」っていう、超ディープなウラのルートが、タイホ前から、そもそも、存在し、そして、ある意味、「既に、動いておった」ってことなんだわなあ。だから、この「裏口ルート」が、最初からあるんだから、例の「2億円の件」についても、当然、ココのツボを押しマクらんことには、動きようがねえよなあ(笑)
#もう少し続けるが、その「亀谷直人獄中手記(平成23年10月版)」で、ワシ、読んでてイチバン、胸を打ったのは、最後の65枚目の「あとがき」に相当する部分だ。このぬあんとも、奇っ怪極まりねえっていうか、トンデモねえジケンに巻き込まれてしもうたことで、結局、ひとりの人間の命を奪い、それで今、服役しておるんだからなあ。その無念っていうんか、万感の思いが、ひしひしと伝わってくる。同じひとりの人間として、一粒の涙を禁じえない。
「上」で喋ったように、この手記を見せて、コピーをさせてくれたフリーのブンヤの高田欽一が言うには、その「ブツ提供者の意向」として、「手記の直接引用は、ゼッタイにアカン」ってことだったんだな。ワシは内心、全然、納得できんかったし、「おかしいぢゃないか!」ってワシが水を向けると、高田は「だったら、コピーを返してくれ」とまで言われたんだ。
もっとも、この手記全文を、例えば、ネット上に大公開するまでの必要性は、ワシん中にはないが、しかし、「ニュースの素材」として、そのキモになるブブンついて、「直接引用」するってのは、記事のスタイルとして必要不可欠だ。ワシ、全文を読みきって、少なくとも、その40頁以降の「豊嶋秀直」が出てくるくだりと、この最後のあとがきだわなあ。世に広く問うて、公表する意味と必要性を感じた。
それは、ワシの「ブンヤとしての志」から出てくることで、このネタを握って、ワシがもし「字」にせんかったら、それは「ブンヤとしての己」を否定することであり、要は、ワシが、既に「生ける屍」であることと同義だ。だから、ワシのハンダンで、ピャーッと「字」にする(読みやすいよう、適宜、句読点を入れた)。
<最後に三井氏がよく引き合いに出すが、「三井事件がなかったら、八重洲で死傷事件も居らず」と。尤もな話で、〇(※判読不明)もなかったこと。三井逮捕に群れる〇(※判読不明)、思うに、三井氏とは膝を突き合わして、語らって居たら、いずれの〇(※判読不明) もない。〇(※判読不明)がなかったら、何事も起こっていない、すべてが。>
で、ココで、「〇(※判読不明)」としたのは、いずれも、同じ文字で、漢字1文字、もしくは、2文字分にも見えるんだなあ。何度も、目を凝らして見たんだが、ワシはこの文字だけは、判読デキんかったのだ。ただ、全体の流れとしては、「その口封じタイホ劇による、例の2億円の件をはじめとして、巨額のカネに群がっておる懲りない面々が、ウヨウヨしておる現状」というような意味には、取れると思うんだが。
だから、一連のジケンの「ババ」を、最終的に亀チャンひとりに押し付けてだな、あと、あの原田明夫以下、ド腐れケンサツの首脳&カンブ連中は、未だに、「ちょーかつなんて、知らぬ存ぜぬ」で、のうのうとしておるんだからな。
今、亀チャンは塀ん中から、その「田中八郎」を相手取って、「2億円」のうち、田中本人に「コーサク資金」として手渡した「1億8000萬円」の返還を求めるサイバンを起こしておるんだが、ホンマ、「桑田兼吉親分の保釈」は実現せず、失敗に終わったんだから、「利子つけて、はよ、全額返せ」ってんだよなあ、このアホンダラが!
#で、今朝(=5・30)の各紙を、ざーっと目を通したんだが、前日に「自公維」のギイン立法ってことで、また、国怪に出された、「単純所持」の導入を柱とする児童ポルノ禁止ホウのいじくり回しホウアンなあ。日本雑誌協会に日本書籍出版協会、ほいで、日本漫画家協会が、「コイツは、表現の自由を抑圧する!」と、即、反対の意見表明をしとるのにかかわらず、食いつきが悪いっていうんか、しかし、大シンブンってのは、「またか」のハナシなんだが、「根本的な危機意識」っていうんか、「批判精神」が、スコーンと抜け落ちてしもうておるよなあ。
そもそも、このホウ自体が、「99年体制=第1次自公」の流れの中で、デキておるんだが、それ以前は、「青少年保護育成条例」っていうカタチで、各都道府県レベルの条例で縛っておったのを、「ホウ」に格上げしとるんだよな。ま、本質的には、あのイケダモン大先生んところが、最も得意とする「ヒガイシャを前面に押し出して、搦め手から縛る!」っていう手法なんだよな。
だから、『週刊新潮』をはじめとして、「女性モンダイを書きマクられ、今や大先生は『報道ヒガイシャ』であられる。だから、そうした俗悪週刊誌には、仏罰を下して、徹底的に取り締まれ!」っていう、単細胞的発想から出てきておるんだよな。
#「上」の続きで、この児童ポルノ禁止ホウだが、ワシ、そもそも、理解に苦しむのは、第2条にある「児童の定義」で、「児童」とは、「18歳未満の者」ってんだよな。通常、「児童」っていうと、「小学生以下」で、年齢で言うと、「13歳未満」って思うんだが、そうぢゃねえんだよな。
「上」でも喋った通り、こうした「青少年保護」を名目にした、「性規制」ってのは、「自公体制以前」は、条例レベルの対応で、確か、東京都と長野県だったなあ。この2つは、最後までそうした規制を設けておらず、90年代半ばだが、ワシが東京シンブンのTOKYO発におった頃、東京都でも、このモンダイをどうするか、ギロンがあって、記事にしたことがある。で、そうしたことに対して、切り返していく論拠として、「性の自己決定権」という考え方があり、「それ」自体が、まだまだ、社会的に影響力を持っておったと思うんだが、最近、ホンマ、聞かなくなったよなあ。
要するに、どういうことかというと、もう、高校生ぐらいになったら、実質的には「オトナ」なんだから、たとえ、18歳未満であっても、年上の人間と自由にエッチしたところで、「いったい、何がモンダイなんだ?」ってことなんだわな。民法においては、女性は「16歳」から結婚デキるんだし、そことの整合性をみても、ホンマ、ヘンっていうか、この「児ポ」ってのは、胡散臭いこと極まりねえホウ律なんだよな。
