三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、「下」からの続きで、その明日(=4・22)発売になる、溝口敦、荒井香織(元ガジェット通信)の共著による『ノンフィクションの「巨人』佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』(宝島社)だが、ワシのカンなんだが、おそらく、この程度のハナシを穿り出したら、おそらく、ノンフィクションっていうか、この出版ギョーカイにおいては、「佐野眞一ひとりのモンダイ」で済むハナシではないような気がする。
ま、そのガジェット通信で連載しておった荒井香織ってのは、ワシ、知らんし、その異様な執拗さについて、イケダモン大先生んところのガッカイ員である可能性を、今でも疑ってはおるんだが、でも、聞くところによると、この荒井ってのは、佐野眞一と同様、パクリ疑惑で、今、窮地に立たされておる、あの「日垣隆」の下で、手足として働いておったってんだよなあ。別に、佐野のそうしたパクリ体質を徹底糾弾するのは、それはそれで、全然、エエと思うんだが、「だったら、ぬあんで、日垣をほったらかしておるんだ?」なんだよな。そこが、ホンマ、胡散臭いっていうか、「世のため、人のため、この身をすべて捧げよう!」っていう、西郷どん的な、時代を根底から引っクリ返す「志」から発した仕事とは、とても思えんのだよな。
だがら、あの『週アサ』のハシシタ連載でケチをつけたところに付け込んで、「さあさあ、今が佐野の叩きどきですよ」っていうムードに乗っかって、どうせ、佐野も何も反撃してこんだろうっていうのを見込んでだな、「ぢゃあ、いっちょ、叩きマクって、ピャーッと一儲けしてやらう!」っていう下心が(もちろん、それを後押ししておる宝島社の存在ゆえなんだが)、ミエミエなんだよなあ。
#さらに続きだが、とはいえ、ワシは今回のモンダイで、佐野眞一に瑕疵がゼロだとは、思わん。例えば、コレだけ批判、糾弾されておるにもかかわらず、ハシシタ連載の打ち切りも含めて、ずうーっと、佐野作品を支持してきた読者が納得するような説明が、ほとんど全く、なされておらんからな。そのセキニンは極めて大きいと思う。
あと、今回、こうやって世間をお騒がせしたことについて、西岡研介クンなんかは、自分のツイッターで「佐野眞一、筆を折れ!」と言っておったんだが、それは違うと思う。逆だ。
もし、今回の件で、佐野眞一が表現者としての信用を貶めたというのであれば、それを回復する手段は、「自らのペン」に拠るしかない。であれば、ぬあんで、そのハシシタ連載を継続するなり、『ポスト』で中断したままになっておる、イケダモン大先生と信濃町の80余年史「化城の人」の第2部(=イケダモン大先生編)を、再開せんのだ?
だって、あの「化城の人」の第1部(=戸田城聖編)の連載も、去年(12年)の1月から約半年間の時期で、ワシに言わせりゃ、「イケダモン大先生不在」が固定化して、「すわっ、Xデー近しか?」ってのが囁かれておった最中、信濃町丸ハムファイターズが下野しておって、その落ち目のタイミングを狙ってだな、「さあさあ、今が叩きどころなんで、ココで叩きに叩きマクって、ピャーッと売り抜けませう!」っていう、売らんかなシュギってのが、露骨だったからなあ。
だから、「それ」と同じことを、今、佐野眞一がヤラれとるワケだからなあ。信濃町にとってみれば、「佐野の野郎、ザマーミロ。デキるもんなら、その第2部とやらを再開してみろってんだ!」って、高笑いが止まんねえよなあ(笑)
#うわっ、今日(=4・21)投開票のあった名古屋市チョーのセンキョは、減税ニッポン代表の現職・河村たかしが427,542票を獲得し、自民トウの前同市議の藤沢忠将(自民推薦、民主支持)の192,472票、柴田民雄(共産推薦)の67,353票に圧倒的な大差をつけ、3選(実質的には2期目)かあ。
ま、今回、投票率39.35%ってのは、決して高くはねえんだが、名古屋を含めて愛知県ってのは、そもそも、民主トウの牙城であるうえ、今のアベ人気を考えたら、せめて僅差の勝負にならんとおかしいと思うんだが、その自&民がまとまってぶつかっても、河村を降せんのかよ(**)
しかし、名古屋市政は、いったい、どうなっとるんだよ。ワシ、ゲンバの空気がわからんから、チョット、今回の河村たかし圧勝の原因を、どこかちゃんと分析して欲しいよなあ。だって、ダブルスコア以上だからなあ。非常に理解に苦しむ(笑)
#ふーむ、そのボストンでのバクダン死傷ジケンで、身柄拘束された弟のジョハル・ツァルナエフは、ニッポン時間の今日(=4・23)までに、兄のタメルランが主導しておったことを認めたうえで、その犯行の理由として、「イスラムへの攻撃から守りたい」と口にしておったってことかあ。いずれにしても、今度の実行ハンが、このツァルナエフ兄弟であることは、ほぼ間違いなさそうだな。
1つには、あの防犯カメラetcの映像があって、アレだけ顔の容貌がわかるほど鮮明に映っておったうえ、その圧力鍋バクダンの入ったバッグを置いた直後に、バクハツしておるのがわかっておるってことだわな。その意味で、今回の撮影映像に関しては、証拠能力が高いと言えるわな。あと、自宅とかのガサ入れで、同様のバクダンが出てきておるってことだよな。
さて、翻って、ニッポンにおける、遠隔操作ウイルスによる「なりすましカキコミ」のジケンだが、その江の島の監視カメラに映っておったっていう片山祐輔クンなあ。いったい、どんな映像だったんだろうなあ。今回のボストンでの爆弾ジケンのように、顔の容貌から、「本人」であることが、誰の目にも明らかなうえ、そのグレーとかいう野良猫の首に、100円ショップで売られておる首輪を付けたってことが、その映像から、ドンピシャリわかるんだろうな?
ハンニンの立場からすれば、ボストンの場合は、アレだけ動かぬ証拠を突きつけられたら、ま、衆人環視の状況だったっていうこともあるが、コイツは「逃れられん」って観念したんかもしれんわな。はよ、その江の島でのビデオの映像も、桜田門の1課っていうか、東京チケンかあ。ピャーッと大公開せんとだわなあ。満を持してタイホしたってんだから、よっぽど自信があるんだろう(笑)
#で、今朝(=4・24)の朝日に、ゴルバチョフが91年4月の来日前に、北方領土について、「歯舞&色丹は、返還ギムがあるで!」etcとの内部ブンショを、こしらえさせておったっていうハナシが出ておったなあ。つまり、北方領土については「解決済み」ってんでのうて、「日ソ間には、領土モンダイが法的に存在する」っていうのを、ソ連側が認めておったっていう内容なんだが、じつは、コイツと、ドンピシャリ符合する記述が、高橋五郎のオッサンの『天皇の金塊』(学研)の314━315頁に、出てくるんだよな。
要は、ゴルバチョフに、その「陛下の金塊ファンド」から小遣いを渡してヤッたってことで、具体的には、現金で15億ドル、IT機器支援のカタチで15億ドル分ってことで、それで、北方4島は「カネで買うことにした」ってんだよなあ。ところが、ソ連から露西亜に看板が架け替わって、エリツィンやプーチンに後釜が代わっていく中で、「そんなもん、知らぬ、存ぜぬ」ってことで、反故にされたっていうブブンも、一致するなあ。
しかし、ニッポン政府ってのも、ホンマ、バカの極みっていうんか、カネだけフンだくられて、「あとはバイバイ!」だからなあ。ったく、こんなんだったら、ゴルバチョフから、利子つけて、返して貰わんとだよなあ。時効なんて、あるかってんだよ。ぬあんか、末尾のカイセツ記事では、「コイツは、ゴルバチョフの新思考外交を反映したものでーす」って、持ち上げマクっておるんだが、バカも休み休みにしろってんだよなあ。こんなもん、全部、カネでカタをつけとるんだからな!
#それと、この「4・22」の神奈川シンブン朝刊に出ておった共同電なんだが、その日から、ジュネーブでおっ始まるっていうNPT再検討会議の準備イイン会で、ニッポンが瑞西(スイス)から、「いかなる状況下でも、人類は核兵器を使うたら、アカン!」っていう共同声明に賛成するよう、懇願されとるにもかかわらず、「そんなもん、嫌や!」って渋りマクっておるってんだよなあ。
で、その共同声明文には、「ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の経験から、核使用が受忍デキない被害をもたらす」とまで言及しとるのに、ジム方の外務ショウは、亜米利加サマの意向を忖度してか、しのごのと渋っておるってんだよな。
いやあ、だって、そのヒロシマ、ナガサキの直接被害者は、我々ニッポン国のコクミンなのに、その当事者が賛成デキんってんだから、こんなもん、マンガもエエところだよなあ。また、コクサイ社会の物笑いのタネが、デキてしもうたよなあ。
ましてや、「第3の核被害」であるフクシマのモンダイを抱え込んでおる最中だっていうのになあ。そもそも、コイツを管轄しとるのは、外務ショウのどこの課だよ? で、このテのアンケンってのは、ゲンバが自分のアタマで考えて、ハンダンしたらアカンのかいなあ。
こういうところを見ると、連中において、「核武装への意志!」ってのも、やっぱ、それなりのものがあるんだな。しかし、コクミン感情っていうんか、「被害者としての苦しみ」ってのが、連中ってのはバカだから、全然、わかってねえんだなあ。そういうところを含めて、「ヒロシマ&ナガサキ」と「フクシマ」ってのは、つながっておるんだな。
#ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』(監督・舩橋淳)を観てきた。コイツは、あの「3・11」で、フクシマ第1原発が爆発ジコを起こしたことで、当初から、そして、今もなお、多くの住民が埼玉県加須市の旧・騎西高校へと、疎開生活を余儀なくされておるのだが、そうした人らの日々の現実を綿密に追った、珠玉のルポルタージュだ。上映時間は96分に編集してあるのだが、カメラは、9ヵ月間にわたって回し続けたというから、その間、撮影した映像は、ものスンゴイ量に及んでおると思う。完成した作品は、おそらく、そのキモを凝縮して取り出したのではないだろうか。
じつは、ワシは恥ずかしながら、フクシマも含めて、被災地のゲンバに足を運んでおらんくて、この映画を観たのも、ま、その罪滅ぼしであるのはもちろんだが、ワシなりの疑似取材体験っていうんかいなあ。あくまでも、その作品を通してでしかないのだが、それでも、ゲンバの空気を掴み取りたいっていうんかいなあ。それがあったな。
ホンマ、なかなか見応えがあり、「何を今更」と言われるかもしれないが、やはり、じつに重いテーマだ。ふるさとを喪失し、それで、いつ帰れるともわからない状況の中で、多くの住民が望郷の念を募らせている姿が、痛いほどに伝わってくる。宣伝用のキャッチコピーでは、「コレは、現代のノアの箱舟だ!」と謳っておったんだが、まさにその通りだ。このように、原発被害の被災地の人々の苦悩を思うたび、コイツに無関心でいることの罪を、改めて感じるとともに、同じひとりの人間として、一粒の涙を禁じえない。
#「上」の続きで、その『フタバから遠く離れて』だが、まず、気づいたんだが、フクシマ、とりわけ、双葉町ともなると、「原発ジコの被害を蒙っている」ということが、まず、頭に思い浮かぶんだが、「浜通り」と呼ばれる福島県の沿岸部も、そもそも、「津波の被害自体」を強烈に受けておるんだよな。
だから、海に近い方は、家が流されてしもうた人も大勢おって、同様の津波の被害を受けた岩手や宮城の沿岸部のように、本来であれば、「行方不明者の捜索」がもっと徹底的になされてしかるべきだったんだ。ところが、結局、あの爆発ジコによって、20km以内ってことで、双葉町は 「警戒区域」に指定されて、結果的に、町まるごとの疎開を余儀なくされてしまったため、なかなか捜索が満足にできなかった(できないでいる)ことへの、無念さがあるってのは、「あー、そうなのかあ」だった。
それで胸を打ったのは、津波で母親(夫からすれば妻)を亡くした父と息子が出てくるんだが、その息子曰く、あの「3・11」の直後、ベントを開けるってことで、双葉町の住民は避難をせざるを得なくて、即、捜索活動ができなかったってんだな。
だから、津波が起こって、まだ、しばらくの間だったら、当日の晩とかは生存しておって、もし、捜索を尽くしていれば、助かった命だったかもしれない、と。「あの原発ゆえに、捜索活動ができなかった。だから、原発はダメだと思います」ということを、ポロっと漏らしておって、改めて、いろんなドラマがあったんだなと思った。
#さらに続きだが、カメラは、フタバ町長の井戸川克隆も、執拗に追いかけ回しておるんだが、こういう事態を迎えたことによる、地元自治体の長として、また、ひとりの人間としてでもだろうが、ものスンゴイ、苦渋に満ちた表情を、ビビッドに撮っておったな。ああいうのは、まさに、「映像の持つ力」とでもいうのか、凡庸な文章をナンボ重ねたところで、伝わってくるものではない。
じつは、井戸川自身も、そもそも、原発推進派だったってんだよな。オモロかったのは、そのフクシマ第1原発がデキて、双葉町に交付金がジャンジャンと流れ込んできたのは、70年代のことで、それで箱モノがドンドンと建ったってんだな。しかし、80年代以降になると、そうした箱モノの維持費がかさんで、町の財政が悪化していって、2000年代に入ると、どうしようもねえところまで行っちゃったってんだよな。
だから、その打開策として、井戸川が町長として取った決断が、フクシマ第1原発の7、8号機の新設を認めるってことで、それによって、40億円をゲットしたってんだよな。でも、「それ以外に、やりようがなかった」っていうんか、財政赤字が雪ダルマ式に増えて、ホンマ、追い込まれておったってんだよな。
もちろん、7、8号機の新設はオジャンになったが、ま、ぬあんていうんかいなあ。ああいう原発マネーっていうのは、アブク銭っていうんか、まさに握りガネで、要は、シャブと同じなんだよな。だから、シャブ中毒の患者が、どうしようもなく、また、そのシャブにすがって延命しようっていう姿を、図らずも暴き出しておって、「うわっ!」だったなあ。だから、この『フタバから遠く離れて』という作品は、制作者は、おそらく、そこまでは意図してはおらんかったんだろうが、でも、ワシ的には、「ジャーナリムの王道」を辿っておるというふうに、捉えておるんだが。
#まだ続けるが、このフタバをはじめとして、こんなふうに疎開っていうんか、避難生活を余儀なくされている、フクシマ第1原発周辺の住民の姿っていうんか、日々の現実だよなあ。コイツは、やっぱ、「ニュース」だと思う。そういう発想に立たんとアカンだろうなあ。
フタバに関しては、町長が交代したんで、今後、いわき市に「仮のまち」を移転することになるんかよ。そうやって、逃れてきた住民は、福島県内が多いとはいえ、でも、全国に散らばっていっておるのだそうだ。考えてみれば、そんなふうに散り散りになっていった地元住民らを、掴まえれること自体、そもそも取材的には、なかなか大変だわな。その点、同じ震災被害でも、それまでと同じ場所で、復興に持っていける宮城、岩手の「そこ」とは、大きな違いだと思う。
ワシはあんまり真剣に読んではおらんのだが、朝日の「プロメテウスの罠」とか、こうした原発疎開民の現状を、ちゃんと、ルポしとるんかいなあ。でも、コイツも、なかなか映像では出せん、ディープなハナシが必ずあるハズだ。それは、やっぱり、「活字媒体」であるがゆえに、深く取材対象に入り込んで、表現できるところだと思う。しかし、シンブンの社会ブの人間が、ドキュメンタリー映画に、こんなふうに、「抜かれとる」んだからなあ。ホンマ、ブンヤとして、恥ずかしいと思わんのか?
#で、谷垣は、今日(=4・26)の午前、赤レンガでカイケンし、その千葉県市原市のファミレスで、対立するヤクザ組織の親分2人を呼び出し、射殺したとして、死刑が確定しておるヤクザ組長の浜崎勝次(齢64)とその子分の宮城吉英(齢56)に対して、死刑シッコーをしたと公表したのか。うーむ、アベ自公セー権になって、谷垣がダイジンになって、コレで、早くも、計5人の死刑囚にシッコーされとるんで、もう、谷垣は、イケイケドンドンっていうか、「死刑シッコー・マシーン化」しつつあるよなあ。
ナンボ、「死刑はケシカラン!」って言ったところで、垢レンガの連中、また、谷垣にとっても、何も痛くも痒くもねえよなあ。「あー、下々のバカな奴らが、また、うるせいなあ」ぐらいのもんだからな。もし、コイツを止める方法があるとしたら、「谷垣のスキャンダル」をブチ込むことだろうなあ。あー、そういえば、西岡研介クンが、東京のヤサを引き払って、地元の神戸に戻ったんで、関西に足場がデキたんで、コイツは、チョット、「谷垣のクビ」を獲りに行かんとだよなあ。
ま、あの大産大のヤラセ入試もエエんだが、所詮、あんなの雑魚もエエところだもんなあ。やっぱ、西岡クンは、99年には、ウワシンで、あの則定スキャンダルをスッパ抜いておるように、「スキャンダル追撃のエース記者」なんだから、もう、野中広務も引退し、今や、半分、耄碌状態みてえなもんなんだろうから、やっぱ、京都っていったら、谷垣だわなあ。やっぱ、ワシらブンヤってのは、ケンリョク最中枢のクビをピャーッとカッ飛ばして、ナンボだからなあ。
#で、そのジュネーブであった、NPT再検討会議MP準備イイン会で発表された「核兵器の不使用」の共同声明に、結局、ニッポン政府は賛成の署名をせんかったってことで、今日(=4・26)、原発被爆地のヒロシマ、ナガサキから、猛抗議が相次いだのかあ。
いやあ、コイツは、ホンマ、コクサイ社会からは、物笑いのタネになっておるだろうなあ。「だって、ニッポンのコクミンは、世界で唯一、核兵器による被害を受け、そして、今なお、『それ』に直結しておる原発ジコの被害を、フクシマが蒙っておるっていうのに、いったい、ぬあんで?」ってとこだよなあ。
今、フクシマの人らは、日々の生活で精いっぱいで、抗議どころではないと思うんで、ワシが代わって、ココでド腐れニッポン政府に対して、抗議の声を上げるとしやう。っていうか、怒りを通り越して、ワシ的には、もう呆れ返っておるレベルだよなあ。たかが、こんな紙切れに賛成のサインとしたところで、ただちに、どうなるもんでもなし、そんなポーズすらデキんなんて、ホンマ、どうしようもねえよなあ、このタワケが(怒)!
#その「現代のノアの箱舟」こと、フクシマから遠く離れて、疎開生活を余儀なくされておる人々だが、ネットetcであたっただけではあるんだが、双葉町のように、警戒区域に指定されておる自治体はもとより、そうした警戒区域でのうても、特に、子供が小さかったりしておる家庭とかでは、母子で県外に避難しておるケースもあるんだな。
で、そういう人たちの中には、ネットワークをこしらえて、情報発信したり、疎開先でコミュニティ活動に取り組んでいるところもあるようだ。そうしたグループに、順不同で、「山形避難者母の会」「福島県自主避難・母子避難新潟市自治連絡協議会」「栃木避難者母の会」「みちのく会(北海道)」「被災者ママの会(茨城)」と、ざっと、北関東から東北、北海道まで、いろんなところに散らばっておるんだな。まだ、他にも、関西の方にも、こうしたグループがあるというし、それ以外にも、個人のレベルで避難しておる人も、ようけいおるんだろうからなあ。
特に、母子で県外に避難しておる家族は、ダンナさんが、地元に残って勤めをしておって、いわば二重生活を強いられておるケースも多くて、コイツは、大変としか言いようがねえよなあ。FNNのニュースJAPANが、「福島最前線からの報告」のシリーズで、こうした状況について、この「3・14」OAの「自主避難 分断された家族の苦悩」の中で、「山形避難者母の会」の代表を務める、中村美紀さんの一家を取り上げておったなあ(番組HPにupしてある)。
まだ、娘さんが小さいんだが、「将来、福島の復興に取り組みたい!」って、真顔で喋っておるところが、逆に、ワシからすれば、胸が痛む。こんないたいけな子に、こういうことを喋らせておる現実を直視することで、「フクシマのために、何ができるのか、何をしなければならないのか」ということを、改めて考えさせられるなあ。
#で、今日(=4・28)、永田町の憲政記念館で、アベの肝煎りで開催された「主権回復の日」ならぬ、「日米アンポの日」の記念式典に抗議して、オキナワでは宜野湾市の海浜公園で、「『屈辱の日』沖縄大会」が開かれたってんだが、ゲンバの写真を見る限りだが、ものスンゴイ参加者だなあ。
具体的に、人数がナンボだったのかはわからんが、「立錐の余地もない」ってのは、まさに、このことだな。とにかく、オキナワでは、コイツに対する反発っていうか、憤り、怒りが、凄まじいっていうのか、広範なレベルで浸透しているであろうというのが、あの写真を見るだけで伝わってくるなあ。
そういえば、陛下も、「今回は、しょうがなく、記念式典に出席させられた」っていうのが、顔にありありと出ておったよなあ。あいさつをせんかったってのは、どういう経緯だったんだろうなあ。「とにかく、顔だけ出す」っていう条件で、OKしたってことなんかいなあ。
そうそう、あのドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』に、じつは、両陛下が出演しておるんだよな。っていうのは、双葉町民が身を寄せておる、あの埼玉県加須市の旧・騎西高校にも足を運んでおって、避難所になった教室で、被災者と同じ目線で、いろいろと喋っておるんだよな。皇后陛下なんかは、子供たちと別れ際に、「バイバイ!」と手でタッチしておって、案外、和気藹々としとったんで、「へえー」って思ったなあ。あんなに気さくに交わっておるとは、意外で、その意味では、全然、形式的ではなかった。
#で、昨日(=4・28)投開票のあった、アベの地元の参院山口ホセンだが、その前回より23.23pダウンした「38.68%」の低投票率もさることながら、ココは「1人区」なんだが、過去2回、07年は林芳正、前回の10年は岸信夫と、いずれも自民公認候補の圧勝なんだな。山口県は、ホンマ、「自民王国」だ。
特に、07年は、アベが1回目の登板んときで、このときは自民ボロ負けで、民主が全部で60ギセキ獲得して大躍進だったんだが、それでも林芳正は41.9万票で、民主新人の26.7万票に、ぶっちぎりの大差をつけて当選しとるんだよな。それで言えば、今回、自民公認で当選した江島潔(28.7万票)ってのは、アベのお膝元の下関市チョーを95年から14年間もヤッとったっていうんであれば、こんなもん、余計、勝って当然の助動詞なんで、ほとんど参考にならんと思う。むしろ、時事電だったかいなあ。出口チョーさだったか、浮動票層は、負けた平岡秀夫(12.9万票)の方に入れたと答えたのが多かったってのが、「へえー」だったな。
確かに、各社の世論チョーさでは、アベ内閣の支持率は高いし、自民の支持率も高いんだが、っていうか、民主トウが、あの野田による「消費税、バンザイ突撃!」の惨状から、全然、立て直してねえからなあ。一連の公約破りに対する根源的な反省が何もなくて、「まだ、アベの方がマシに見える」っていう、末期的症状以外の、何物でもねえよなあ(笑)