三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、今朝(=5・3)の各紙が「字」にしておったが、ワシが「下」で取り上げておった、産経に顔出しで喋っておったウイルス学者の河岡義裕(東大医科学研教授)という人らの鳥インフルに関する論文を、今日付の英ネイチャー誌の電子版が、全文、ピャーッと掲載したのか。亜米利加政府が「テロに悪用される恐れがあるんで、公開はまかり通らん!」と、いったんは焚書坑儒にしておったんだよな。
公開の理由について、ネイチャー側は「生物兵器に流用するには、高度の分子生物学の知識が必要で、たいていのテロ集団のレベルを超えている。掲載しないと、ワクチン開発が遅れるケネンがあり、研究者の意欲を削ぎかねない」と説明かあ。っていうか、こんなこと言い出したらさ、例えばのハナシ、包丁だって、人を殺せるんだから、「包丁の研ぎ方」をまとめた本も、発禁ショブンにせんとだよなあ(笑)。もう少し、ジョーシキをわきまえるっていうか、オトナにならんとだよなあ。
#今日(=5・3)は憲法記念日だが、そういえば、あの朝日シンブンは阪神シキョクの襲撃ジケン(=赤報隊ジケン)から、もう、まる25年、四半世紀なんだな。時間の経つのは、早い。ちょうど、ワシは大学4年生で、コレから就職活動に入るっていう時期で、いちおう、シンブン社を第一志望の決めておったんで、まずは筆記試験突破のため、猛勉強しておったのを思い出す。
だから、恥ずかしながら、小尻ナントカとかいう若い記者が殺されたっていうニュースを聞いても、その頃のワシは、ハッキリ言って、ピンと来るものがなかった。っていうのは、まだ、シンブン社に入れるかどうかなんて、全然、わからんかったんで、とにかく、イッパン教養に時事モンダイ、それと難読漢字に作文と、それにかかりっきりだったなあ。
あのジケンも、目出し帽をかぶって、散弾銃で狙撃したハンニンってのは、所詮、「使いっ走り」っていうか、「駒」だからな。ウワシンの襲撃ジケンを起こした、日本青年社の鉄砲玉と同様、「アソコに行って、ひと暴れしてこい!」「ハイ、わかりました!」の世界だからな。ワシが聞いておるハナシでは、ケーサツはもちろんのこと、朝日シンブンも、ハンニンは特定しとるんだが、諸々のウラ取引で、「字には、せん」っていうことにしとる、ってことだな。相当、上のレベルのハンダンだな。
こういう時期を迎えると、いつもように、例の「ペンは剣よりも強し」っていうスローガンを、唱えてみたりするのもおったりするが、ま、それもさることながら、「もし、本当に『ペンが剣よりも強い』のであるとしたら、それはどういうことなのか?」と、ワシは考える。だから、他の連中がどうあろうと、知ったことではなく、言うべきこと、言わなければならないことを、最後のひとりになって、誰ひとり聞く者がおらんなっても、ワシは、言い続けるだけだ。他に、いったい、何があるというのだ? 誰も、いかなる者も、ワシの口を封じることなど、できんのだ。
#この連休中、電車に乗ってたら、イケダモン大先生んとこの『サンブン(=第三文明)』の吊り広告があったんだが、そこに、ぬあんと、ワシと88年毎日シンブン同期入社の佐々木俊尚の、ソーシャルネットワーク(メディア?)がどうのこうのっていう見出しが、デカデカと出ておったで。しかし、まあ、いよいよコイツも、こういうところに顔を出すようになったんだな。ヤツも、まるっきりバカっていうワケぢゃねえから、どういう媒体であるか知ってて、「書いとる」んだからな。ココまで来ると、もう、「確信ハン」だよな。
信濃町の言論出版タイサクの第一は、まずは、「敵を作らない」ことだ。あの藤原弘達の『創価学会を斬る』(日新報道)の刊行に際して、時の自民党幹事長だった田中角栄を使ってまで、言論出版妨害ジケンを引き起こしたことで、イケダモン大先生&信濃町&丸ハムファイターズは、世間から袋叩きに遭い、あの大先生をして、「誰が、ワタシを守ってくれたのだ? もう、ワタシは宇宙と語る」とまで言わしめたんだよな。そこから、文化人とか、物書きと称する連中の抱きこみコーサクを徹底していったんだが、何よりもまず、そうやって、逆風が吹き荒れた場合、一緒になって叩いてこないよう、「飴玉」を与えるってのが、イチバン大事なんだな。
だから、この佐々木俊尚なんかもそうだが、別に、信濃町としては、連中が自分たちのことを持ち上げてくれんでもエエんんだな。連中が趣味で書きたい場を提供してヤッてだな、そのテーマで自由に書かしてヤルことで、そんなふうにして、何かあったとき、「黙ってて」くれれば、それでOKなんだな。ひとことでいえば、「口止め料」だな(笑)
#「上」の続きだが、通常、「ジャーナリスト」とも、「報道人」とも称される職業の要諦というか、必須条件といのは、「クリティシズム」、すなわち、「批判精神」だと思う。この同時代を生きていく中で、アソコ、すなわち、イケダモン大先生率いる信濃町丸ハムファイターズは、確かに下野したとはいえ、まだまだ政治的なケンリョクは持っておるワケだからなあ。
ま、過去からの腐れ縁っていうか、政教イッチや宗教ホウジン非課税特ケンをはじめとする、デタラメの集積について、何らモンダイの解決が見られたワケでもなく、少なくとも、「ジャーナリスト」を名乗る人間にとっては、必須の取材ターゲットだ。「そこ」が抱え持つ媒体からの原稿依頼を、ホイホイと尻尾を振って、エサをパックンと呑み込むところで、「ジャーナリスト=報道人」としては、「終わってる」んだよな。
コレがもし、タレントとか、芸能人、スポーツ選手とかだったら、何のモンダイはないんだ。連中は「ハダカ芸者」と何ら変わらんのだから、小遣いをくれるダンナ衆に股を開くなんてのは、当然のことだからな。しかし、もし、「ジャーナリスト=報道人」であり続けるなら、「越えてはならない一線」というものが、ある。佐々木俊尚も、ホンマ、ようココまで堕ちたっていうか、変節してしもうたよなあ。まさに、「革命的な変節」(by西山太吉)といっていいだろう。
少し長くなるが、今回は切らずに続ける。ワシは、何度でも言うが、ヤツのことを名指しで言える資格がある。だいたい、同期入社だからといって、皆が皆、顔も知ってて、仲がエエっていうわけでもねえし、ましてや、佐々木は初任地が岐阜シキョクで、中部ホンシャなんてのは、要は、「東京ホンシャのショクミン地」だからな。だから、名前と顔ぐらいは知っておったが、「他本社のニンゲン」だし、風の噂で「カイシャを辞めた」っていうのは聞いてはいたが、アレがなけりゃ、「へえー、そんなこと、今、ヤッとるのかあ」で、間違いなく、終わっておった。
だから、大毎社会ブの同期で、最近は、ファッション担当とかヤッとるのかよ。パリコレがどうのこうのとか、夕刊の憂楽帳にもチョロチョロ出たりしとるが、その永田晶子と、以前、一緒にふたりで酒飲んで、メシ食っておったら、突然、こう言われたからなあ。「あのね、古川さん、佐々木さんが、私に、こう言ってたの。『古川は、カイシャ辞めて、いったい何をヤッてんだ?』ってね」
まだ、コレを本人から、直で言われたんならまだしも、オンナの口から、ワン・クッション入っておったんで、余計、アタマに血が昇ってしもうたんだよなあ。悪いが、ワシはカイシャを辞めて、こうやって、「字」を書いておる。あと、『フォーラム21』(毎月10日発行)の今度の5月号に、「イケダモン大先生が、公の場から姿を消して2年」ってことで、特集記事を書いたんで、ちゃんと買うて読めってんだ、このアホンダラが!
#今朝(=5・5)の産経が、デカデカと「字」にしておったが、その小沢イチローのジケンに絡んで、田代政弘が作成した虚偽ソーサ報告ショ7点が、ネット上にピャーッと公開されておるってんだが、「露西亜語のサイト」からってんだよなあ。
ワシ、ラスプーチンぢゃねえから、露西亜語はもとより、キリル文字なんか、全然、読めんから、検索しても引っかけようがねえんだよなあ。小沢のシンパ的な誰かのサイトで、リンクを貼っとるってんだが、わかんねえよなあ。ダダ漏れさせるんだったら、もっと、アクセスしやすいカタチにして欲しいよなあ。
でも、このテの資料は、そもそも、もう、今の段階ぢゃ、最早、隠さなければならんようなヒミツ性は、なくなってしもうとるからなあ(もちろん、ブンヤであれば、そうした時期にカンケイなく、スッパ抜くが)。ハンケツ前ならまだしも、1審ハンケツが終わってしもうて、何やら、諸々、「幕引きムード」っていうカンジになってきとるしなあ。
そんなん言うんだったら、あのケーサツの「公安テロ情報ダダ漏れジケン!」の方が、規模といい、悪質性といい、レベルが違うからな。で、あのソーサ、ハンニンの摘発は、どうなってしもうたんだろうなあ。アレだけ大騒ぎしたっていうのに、世の中、すっかり忘れ去ってしもうとるもんなあ(笑)
#今日(=5・5)は、元々は旧暦の端午の節句で、「子どもの日」なんで、チョット、子どもにまつわるハナシなんだが、最近、京都府の亀岡や、房総半島の館山で、集団登校の児童の列にクルマが突っ込んで、死傷者が出るジコがあったよな。ちょうど、関越自動車道のバスの衝突ジコがあったからというワケでもないんだが、でも、ここんところ、集団登校の児童の列にクルマが突っ込むジコって、目立っとるよな。
それで、少しカンジたことなんだが、そうしたジコのシンブン報道を見る限り、「運転者が悪い!」の一色なんだよな。もちろん、「クルマvs歩行者」のジコであり、運転者に安全配慮ギムはあるわけだから、運転者の過失セキニンを免れさせようというツモリは、毛頭ない。
しかし、だ。あの関越自動車道でのバスの衝突ジコをはじめとして、特に交通ジコっていうのは、「ひとつ」だけでのうて、いろんな要因が、複雑に絡み合って、最終的に重大ジコを引き起こしておるケースが、ほとんどだからな。それを考えると、例えば、この集団登校の児童の列に、クルマが突っ込んだジコについても、もう少し、冷静に見ていっていいような気がする。
#「上」の続きだが、例えば、祇園のジコでも(もっとも、コレは児童の集団登校の列ではなかったんだが)、運転者が「てんかん」の病気を持っておって、どうも、「それ」の発作が出たようだ、というところで、ある意味、「運転者のセキニン」ということだけに、追及の矛先が向かっておるよな。もちろん、そういった要因を否定したり、無視することはアカンが、しかし、もう一方で、もっと、「クルマを巡る、社会全体の状況」といったことにも、目を向けていいような気がするのだ。
というのは、ワシが小学生の頃も、ああやって、近所のみんなで一緒に、ワイワイと集団登校をしたもんだったが、しかし、そういった登校の列にクルマが突っ込むジコなんて、聞いたことがなかった。もっとも、ワシの場合は、新潟の田舎だったということもあるかもしれないし、そもそも、クルマの量も今よりは、全然、少なかった。
でも、ここ、特に最近、たぶん、この数年ぐらい特に、だと思うが、ワシが田舎に帰省して感じるのは、ホンマ、クルマが増えた。昔は「一家に一台」だったが、今は、「一人に一台」で、特に地方は、クルマがないと生活がデキんから、その普及率っていうのが、スゴイ。ワシが子どもの頃とは、まったく違う。住宅街の狭い道であっても、結構、クルマがスピードを出しておるし、そもそも、クルマの量が増えている。
#さらに続きだが、このGWの平日の谷間だったんだが、昼下がり、買い物帰りに近所を歩いておったら、ちょうど、小学生、たぶん、この4月に入ったばかりの1年生だと思うんだが、そうしたチビたちの集団下校に、たまたま遭遇したんだな。そのゲンバは、小学校から近い「通学路」で、ま、どこにでもある住宅街の道だよなあ。「30」という数字が道路に書いてあるんで、その程度のスピードしか出せん場所で、普段は、そんなにクルマも、人の通行もあるわけではない。
で、そこは、通学路ってことで、道路の両端に白い線が引いてあって、さらに、その外側の狭い部分を、わざわざ緑色にピャーッと塗って、「アブないから、ココを歩きなさい!」と指定しておるのに、やっぱ、子どもだから、ダーッとヨコに広がって、ピーチクパーチクとおしゃべりしながら、道路の半分ぐらいまでハミ出して、その集団が、かなりの長さになっておったんだな。それを見て、ワシ、思ったんだが、もし、そこでクルマを運転しておったら、こんな集団が道路を占領しておったら、アブのうて、たまらんってなあ。もし、急いで、慌てておったら、クラクション鳴らしたりとかする運転者も、おると思う。
何が言いたいんかというと、そもそも、コレだけ、クルマが増大しておる社会環境の中で、あの集団登校を続けるっていうことは、果たして、如何なもんなんかいなあ、ってなあ(別に、「集団登校がケシカラン!」と言っとるワケではないんで、念のため)。だから、ああいうジコを防ぐには、このご時世においては、「集団登校を止める」ってのも、選択肢の一つだと思ったな。ただ、コイツは、地域によって、また、各小学校によって、置かれた状況は千差万別だろうから、一律で「止める、継続する」っていうモンダイではないと思う。
#さらに、続きだが、道路の状況も、全然、違うっていうか、むしろ、センターラインのある広い幹線道路の方が、歩道やガードレールが設けてあるんで、安全度が、全然、高かったりするし、また、交通量ってのは、時間帯によっても違う。それは逐一、実際にゲンバを歩いてみて、確認せんとだと思う。
ワシは、校長のハンダンで、「ウチの学区は、チョット、キケンなので、集団登校を止めにします」というのが、あってもいいと思う。あの「ハシスト!」が息巻いてヤッておる「君が代、日の丸」と違うて、コレは上から一律に強制するハナシではのうて、ゲンバのレベルで、個別に判断するモンダイだ。予算ソチも要らんし。
ワシも、「子どもは社会の宝」だと思うておるんで、コレだけ「集団登校の列に、クルマが突っ込むジコ」が多発しておる状況を見るにつけ、もう少し、いろんな角度から見ていって、少しでも、惨事につながるリスクを減らすよう、考えんとだと思うで。「銀輪の死角」よりも、むしろ、「集団登校の死角」だよなあ。コイツは、既に社会モンダイだと、ワシは思う。運転者のセキニンも、もちろん、あるんだが、「それ」だけではないだろう。「クルマvs人間」を取り巻く環境が、諸々、変わってきておるんだと思う。
#昨日(=5・4)の日刊スポーツに出ておったんだが、イッパン紙では見なかったんで、共同電ではのうて、同紙の独自ネタだと思うんだが、今、「3・11後」のフクシマを扱った小説で、小林照弘『ピエロ~夜明け前~』(近代映画社)っていう本が、ものスゴく売れとるってんだな。具体的には、この「4・18」にネットで先行販売されたんだが、ツイッターで口コミが広まって、若い世代を中心に、わずか発売2週間で、1万部以上も売れてるってんだな。
で、中身は、フクシマの4人の女子高生(いずれも高3)を追ったもので、「小説」っていうカタチを取ってはおるものの、じつは「本当にあったハナシ」だってんだな。うち、圧巻は、「竹中萌(齢17)」っていう、フクシマ県議の娘がおるんだが、都内に一時避難しておったところ、このコは、国怪ギインの息子の大学生と婚約しておったってんだが、「オマエみたいな、フクシマのオンナと結婚したら、どんな子供が産まれるか、わかったもんぢゃねえ!」って言われ、その結婚バナシは、「なかったこと」にされてしもうたってんだな。
そして、その1ヵ月後、萌は、自宅の湯船で手首を首を切り、大量出血で亡くなったってんだが、地元では「病死」にされておるってんだな。でも、フクシマの県議会なんて、定数58人なんだから、そんな年頃の娘が婚約を破棄されたことを苦に、ジサツしたっていうようなハナシとか、「誰」なのか、すぐわかりそうなもんだよなあ。
#「上」の続きだが、その「3・11」の被害者でも、「津波」と「原発」では、全然、違うってんだな。で、特に、「原発による被害者」ってのは、「なかなか、オモテに出てこない、隠れてしまう」ってんだよな。いや、でも、その『ピエロ~夜明け前~』に出てくるハナシが、本当であれば(でも、「実際にあったハナシ」だってんだからなあ)、「さもありなん」だよなあ。まさに、あんなふうにしてジサツに追い込まれた人たちってのは、「究極の風評被害」だよなあ。それでいて、フクシマ第1原発の爆発ジコを起こした「側」におる、要は、「連中」だよなあ。何のセキニンを取らされることもなく、相変わらず、のうのうとしとるもんなあ。
だから、特に、フクシマの被害者だよなあ。このテの、オモテに出てこない、アンタッチャブルなハナシってのは、まだ、イッパイあるんだな。で、シンブン社の連中も、「知らない」っていうハナシもあるんだろうが、「知ってるのに、敢えて書こうとしない」っていうのも、あると思う。だから、今なお、ワサワサと燻って出ておる、あの糞ションベンの腐臭と同様、「なかなか、目には見えないが、とっても大事なこと」ってのは、腐るほどあるんだろうなあ。
今回は、切らずに、さらに続けるが、だからさ、おクリが引き取って飼っておる、あの浪江町で保護された犬だが、たぶん、元の飼い主の方は、あんなデカイ犬なんだし、ましてや、あんな狭い田舎の町なんだから、「あー、アレは私たちが置いてきた犬だ」と、わかっていると思う。ひょっとしたら、こうした偏見とか、いわれのない差別に晒されることを恐れ、そういう要因もあってだな、なかなか、カミングアウトしてこれん部分もあるのかもしれんで。
ワシは、何度も言っとるんだが、あの「犬の元の飼い主の置かれておる状況」ってのは、それだけで、「ニュース」だからな。まさに、宮本常一の『忘れられた日本人』だ。日曜夜に、ミヤネ屋と一緒に、多少、「報道色」もある番組に仕切って出とるんだから、ネタにせんとだよなあ。あの「アリス」とかいう、メスのレトリバーを巡る、元の飼い主との物語は、もの凄く深いものがある。まさに、「原発ジコの闇の一断面」そのものだ。アレこそ、「目に見えない、大事なこと」の最たるもんだ。
#今日(=5・5)の『パリ・マッチ』の電子版に、写真はロイターの配信だが、仏語圏はカナダ・ケベック州のモントリオールであった、大学生の学費値上げハンタイのデモ行進の様子がupされておるんだが、「FLEUR DE PEAU(素肌に花をまとって)」と、ぬあんと、オトコはパンツ一丁、オンナは、アレは水着っていうより、下着だよなあ。こっちも、カラフルなブラにパンツ一丁の格好で、顔や体に色とりどりのペインティングを施し、街を練り歩いておるんだよな。超オモロイよなあ。
いやあ、ニッポンの脱原発デモや、また、今後の「消費税増税ハンタイ!」でも、こんなカンジでデモをヤッたら、風向きが変わるだろうなあ。こういうフレキシブルな感覚は大事だよなあ(笑)
#今朝(=5・6)のヨミと毎日が「字」にしておったんだが、小沢イチローのジケンで、強制キソした東京第5ケンシンの件で、当時、東京チケンの特捜部チョーだった「佐久間達哉のおやぢ」が、下に作らせたソーサ報告ショに、小沢の関与が強く出ておったブブンにアンダーラインを引いたり、他にもいろんな供述内容を書き加えた資料を、東京第5ケンシンに送っておったってんだな。要は、チケンもグルになって、小沢を強制キソしやすい環境づくりを整えておったっていうことだよなあ。
ただ、ワシに言わせりゃ、今回、ウソのソーサ報告ショを書いたってことで、世間をお騒がせしておる田代政弘はもとより、この佐久間ですら、所詮、「駒」でしかねえからなあ。今度の一連の「小沢追い落とし劇」ってのは、「政局」であり、「政治ショー」そのものだからな。指示の出所は「もっと上」で、ケンシンの管轄ってのはサイバン所、すなわち、「隼町」だから、まさに、「ハンケン一体」となって、「小沢パージ」に動いたというのが、実情だろう。
#「上」に関連して、そのネット上に流出しておった東京チケンのソーサ報告ショの件だが、ワシんところに情報提供があって(また、女性の読者からなんだが)、ラテン歌手で、「八木啓代」っていうオバチャンがおるよな。ワシは名前しか、よう知らんのだが、ぬあんか、最近、オンナだてらに、あの腐れケンサツにガンガンと噛み付いておるんだよな。
その「八木啓代のひとりごと」っていう本人のブログがあるんだが、この「5・3」に、「大暴露:とんでもないのが届きました」っていう題でupしておって、その前日に、発信先不明の露西亜語のメールが届いたってんだな。それを翻訳ソフトで訳したら、どうも、その小沢のジケンの関連のソーサ報告ショだったってことで、「どうしようか?!」と、だいぶ、オロオロしたようだが、でも、非常に信憑性があるようなので、ピャーッと大公開したっていうことだな。
で、その露西亜のウェブサイトのリンク先も、貼り付けてあるんだが、相変わらず、中身は露西亜語のままで、こんなもん、ラスプーチンぐらいしか解読できんよなあ。しかし、やけに手が込んでおるよな。ヒマ潰しのため、わざと、こうやってワン・クッション挟んで、遊んでおるんだろうなあ。
あー、そのすぐ次にupしておる「大暴露のウラ側:正直言うとびびってました」っていうとこに、ニッポン語に訳し直したっていうか、元のソーサ資料なんかいなあ。取り調べの際の、テープ起こしのやりとりの中身が、リンクで貼り付けてあるなあ。でも、コイツは既に、オモテに出ておるヤツと違うんかよ? しかし、オンナもビビると、ションベンをチビるんかいなあ(笑)
#今朝(=5・6)の神奈川シンブンの読者投稿欄に、ヨコハマ市南区在住の仲地俊クン(齢12、中学生)の「次期戦闘機、選定見直しを」っていう文章が載ってて、コレがまた、あの「F35」について、よう知っとるんだよなあ。曰く、「F35ライトニングは、統合攻撃機として開発され、F22ラプターよりも少しは速度は遅いものの、それを上回るステルス性を備え、『ウェポンベイ』といって、機体内部に攻撃用ミサイルが搭載できる、『未来の戦闘機』」なんだってんだな。
だが、コイツをニッポンで使うとなると、モンダイがあるってんだな。っていうのは、F35ライトニングだと、スクランブルをやろうと思っても、発進までにかかる時間が長く、その間に外国機に領空を侵されかねないってんだなあ。で、その場合、警告射撃をやろうと思っても、F35はC型を除き、機銃がオプションとして付いておらんってんだな。しかし、スクランブルは機銃しか使えんから、さらにプラスαの装備が必要なる、と。だから、仲地クンは「1機数百億円することも、モンダイ」として、「ニッポンは、FXを選定し直せ!」って主張しとるんだよなあ。いやあ、「論理明快、まったくその通り!」だよなあ。
折しも、また、ペンタゴンからF35の追加値上げが発表になって、計42機の売却総額が100億ドル(約8000億円)と、1機あたりに換算すると、約190億円にピャーッとハネ上がっておるんだが、このF35は、そもそも米軍自体が、調達先送りを決めておるんだよな。しかし、中学生なのに(年齢を見ると、中1だよな)、東京シンブンの半田滋のオッサン並みに、異様に軍事に詳しいよなあ。いやあ、市ヶ谷も、中学生までに「F35を見直せ!」って言われてしもうとる有様だからなあ(笑)
#今日(=5・7)発売の『ポスト』にも、佐野眞一の筆による、「イケダモン大先生&信濃町」を扱った「化城の人」の連載が出ておるんだが、まだ、戸田城聖ん時代のハナシをウジャウジャと続けておって、前段が長いっていうか、なかなか、本番である大先生んとこに入らんよなあ。ようやく、戸田城聖の愛人っていうか、アレは妾だよなあ。やっと、「森重紀美子」が出てきたが、確か、戸田との間に、子供が1人、おったハズだよな。戸田は、この森重に、例の大蔵商事もヤラせておったんだが、その下に、イケダモン大先生も営業部チョーでおったんだからな。そのテのハナシを、ジャンジャンと書かんと、大先生の「化城ぶり」もわからんよなあ。