三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#今朝(=2・6)の朝日で、内閣フの原子力委員怪の専門イイン3人(原子力専門の教授)が、皆、原発関連の企業etcからカネの寄付を受けておったと、「字」にしておったな。具体的には、田中知(東大、400萬円)、山口彰(阪大、824萬円)、山名元(京大、615萬円)━いずれも、2010年度までの5年間━ってことで、カネを出しておったところは、三菱重工、日立製作所、日立GE、日本原子力発電、電源開発、関西原子力懇談会etcかあ。
コイツは、とにかく、自由に何でも使える「寄付」ってことで、この他にも、研究費とか、いろんな名目でカネを流し込めるんだな。ま、「さも、ありなん」っていうか、そもそも、ニッポンの原子力ガクシャで、そういうスジからカネを貰うておらん(出す方も、出さん!)ってのは、京大で助教授にずーっと留め置かれたまま、ゼッタイに教授にさせられんでおる小出裕章ぐらいもんぢゃねえのかよ(笑)
#「上」の続きだが、ま、コイツら、原子力委員怪の専門イインの勤め先が、国立大学なんで(今は、独立行政ホウジンっていうんかよ)、情報公開請求をかけて、それで出てきたブンショから拾い漁ったんだな。シンブン社の中にも、「あんなふうに、情報公開請求を使うて、記事を書くのは、キシャの仕事ではない」と言っておるのもおるんだが、ワシは、「あるものは使うべし」との立場だ。
実際、カイシャにおった頃、ワシも、このテの取材はようやった。特に、東京シンブンのTOKYO発におったとき(96年1月━97年7月)で、そのときは、サンケイから移籍しておった「野呂法夫」っていう先輩と、「都チョー&都議怪」をターゲットに徹底的にヤッた。そんなことばっかやっておったんで、他社も含めて、都庁担当のキシャから、嫌われておったもんだ(笑)
ま、所詮、情報公開請求をかけて出てくるものってのは、当然のごとく、「オモテのカネ」に過ぎんわけだが、ひとつには、こうした「オモテのカネ」ってのは、「ウラのカネ」を穿り出す端緒に、往々にしてなりうる、ということだ。どこの世界でもそうだが、「オモテ」と「ウラ」はつながってるからな。
で、大事なのは、ワシの経験を踏まえて言うとだな、このテの取材は、とにかく、「継続すること」だ。ソシキの内部には、「喋りたくて、ウズウズしとる」のが、イッパイおるんだ。ワシの場合もそうだったが、「続けること」によって、タレコミが来る。だから、「そこからが、本番!」だからな。情報提供者ってのは、そういう「足元」をシビアに見ておる。それを、ちゃんと、「書いてヤル」とだな、また、さらにディープな情報が入ってくるんだ。ブンヤの取材、とりわけ、「ジケン取材」とは、そういうものだ。
#今日(=2・6)、ネット上の「JB Press」ってところに、「いつになったら懲りるのか、またも提携交渉に走るエルピーダ」っていう記事が出ておったんだが、ワシも、半導体業界ってのは、全然、よう知らんのだが、今、DRAMってのは、韓国の独壇場で、11年7━9月期の数字で、1位のサムソン(45%)、2位のハイニックス(22%)の2社で過半数を制しておって、3位がニッポンの、その「通産ショウに巣食う、自作自演系株屋」こと、「木村雅昭のおやぢ」のインサイダー取引ジケンで、チョー有名になったエルピーダメモリ(12%)で、続く4位がマイクロン(12%)、5位の南亜科技(3%)かあ。
で、エルピーダメモリってのは、また、経営が傾いておって、銀行からカネを引っ張ってくるとか、あと、「3位、4位、5位での合併バナシ」も浮上しとるようなんだが、その「JB Press」の記事では、要するに、何の先見も目的もなく、「負け組連合でくっついても、百害あって一利ナシ!」ってことなんだなあ。そもそも、エルピーダメモリってのは、NECと日立が一緒に立ち上げたんだが、最初から、双方で足の引っ張り合いがスゴかったのか。
っていうか、09年に、その木村雅昭のおやぢが、音頭を取って、その改正産活ホウとやらの「適用第1号!」ってことで、相当、カネをつぎ込んだのに、ぬあんで、それでも経営改善がデキておらんのだ? そもそも、通産ショウの方も、「真の意味での企業救済」でのうて、その商務情報セー策キョクにおる連中の、「私腹を肥やすダシ」にしかしておらんかったってことが、まず、あるんだろうなあ。でも、半導体ってのは、「産業のコメ」とまでいわれ、「ニッポン経済驀進の象徴」だったからなあ。ま、ワシ的には、今度の「改正産活ホウ適用失敗」の根本要因は、「ケンリョク中枢におるニンゲンの退廃と、志のなさ」に尽きると思う。
#「上」の続きだが、その記事を書いたのは、「湯之上隆」っていう人で、勿論、ワシは全然、知らんのだが、経歴を見ると、京大院で、ぬあんと、今、世間をお騒がせしておる、あの「原子核工学(原子力工学)」を専攻し、日立に入社して、その後、エルピーダメモリに出向しておったってんだよなあ(**) 要は、「身内の人間」から、こんなふうに、ピャーッと斬られとるんだよなあ。
しかし、ニッポンのエスタブリッシュメントの最中枢におって(おるがゆえに)、コレだけマトモなことを言っとるのが、おるんだなあ。また、コイツが東大の原子力工学だと、違うんかもしれんのだな。それでいうと、あの「京大」っては、じつに妙な大学だよなあ(笑)。ワシのおった「ミタの塾」も、似たようなところがある。
#で、今晩(=2・6)の18時に、NHKがネット上にupしておる速報だと、原発を抱え込んでおる自治体(1道13県・30市町村の計44)に、情報公開請求をかけてブンショをかき集めた結果、建設の始まった昭和40年代以降、電力ガイシャからの寄付金が、トータルで「1600億円超」に上っておったってことだなあ。
国etcからの交付金は、予算ショに出てくるが、寄付は、そうした関連ブンショを、情報公開請求かけて、吐き出させんと、出てこんのか。このへんは「全国ネット」の強みだな。最も多いのは、福井県の235億円余か。だから、こうした「飴玉」ってのは、1本でのうて、いくつもあるんだよなあ。そうやって、日頃の「オモテの挨拶」をきちんとヤッておいてこそ、ココ一番っていうときに、「ウラからブチ込むカネ」が生きてくるんだからな(笑)
かなり昔のハナシではあるが、ワシが毎日シンブンの姫路シキョク時代(91年5月━93年3月)にも、もう入社4、5年目だったんで、キャップとして、若い記者を育てる意味で、一緒に「特捜取材班」を組み、この「情報公開請求」を使い倒して、特ダネを書きマクったもんだ。一例を挙げると、「92・12・28」の朝刊か夕刊か忘れたが、大阪ホンシャ発行版の1社アタマで、見出しは「視察で”乱出費”宴会/費用の一部、関電負担/姫路市議ら10人/市の外郭団体の旅行」ってなあ。
#「上」の続きだが、その内容は、姫路市の外郭の財団ホウジンがあって、市の幹部や市議らで構成しとるんだが、秋の観光シーズンに、福井県大飯町の関電・大飯原発を視察した後、その近所の天橋立の温泉旅館に、ピャーッとなだれ込んで、コンパニオンやカラオケ付きの宴会をヤッておったっていうハナシなんだな。そのうち、その宴会費用の一部の「10萬円」を、関電の姫路支店が負担しておったんだ。
もっとも、その財団ってのも、関電が出資した4億円を基金に設立したものだったんだな。えーと、名称は「姫路の街をよくする協会」だ。もう、ココまで来ると、ブラックユーモアだよなあ。「関電のカネで、『街をよくするため』に、原発に視察に行くと称して、近くの温泉旅館になだれ込み、その関電から小遣いを貰うて、コンパニオン挙げて、遊び倒す!」んだからなあ(笑)
端緒は、情報公開請求で吐き出させた、出張関連のブンショだったんだ。とにかく、ガーッと請求をかけて、ブツを分析していくとだな、「ぬあんだ、こりゃ?」ってのが、必ず出てくる。だから、その鍵穴から、針を引っ掛けていって、中をガリガリとこじ開けるんだ。
オモロかったのは、この記事が出てから、関電の姫路支店が、ウチ(=毎日シンブン)の購読を止めたんだな。モロ、抗議の意思表示で、当時のシキョク長は苦りきっておったが、そのとき、ワシは兵隊ガシラでありながら、既に、シキョクの出稿権を全部、牛耳っておって、ワシの出した原稿を、デスクがそのままスルーさせとる状態だった。だから、ワシは「この不正支出のモンダイは、徹底的にヤル!」ってことで、後輩キシャのケツも叩きマクって、よう記事を書いたで。いい思い出だ。
ちなみに、当時、神戸シンブンの姫路支社に配属になり、新人として、サツ回りをしておった西岡研介クン、さらに、彼の先輩で、姫路市役所を担当しておった角岡伸彦(2人とも退社後、フリーになって、講談社ノンフィクション賞を受賞)が、いずれも、同じ持ち場で仕事しとるんで、そのへんのハナシは、よう知っとると思う。ホンマ、ワシは抜きマクらせて貰うたからなあ(笑)
#今朝(=2・7)の毎日に、コイツは大毎は、福井シキョク出稿のネタだが、関電・高浜原発のある高浜町の町議会副議チョーである「粟野明雄のおやぢ」が社チョーを務める鉄工所が、関電ガラミの工事を、異様なまでに地元で独占受注しておって、2010年度までの5年間に「少なくとも133件、計約7億円分」に上っておったっていうことを、「字」にしておったな。地元の他の業者が年平均数件━10数件で留まっておることと比べると、異様に突出しとるってんだな。
で、コイツは、東京ホンシャ発行の紙麺でも1社のアタマで、扱いがよかったんだが、その高浜町議会が、去年の9月、「3・11」以降では全国で初めて、「はよ、原発を再稼動してくれ!」との意見ショを採択しておったんだが、じつは、その言い出しっぺが、この「粟野のおやぢ」だったってんだな。
オモロイのは、同じく原発を抱える、ご近所の大飯、美浜の両町のギカイは、一応、「世間の目」ってのがあるんで、そういうことを憚っておる目と鼻の先で、高浜町では、そういうことがあったってんだよなあ。だから、東京ホンシャ管内でも、1社のアタマで使うたんだな。ま、だって、しゃあねえよなあ。粟野のおやぢにしてみりゃ、「自分んとこの鉄工所のメシの種」がかかってんだからな(笑)
#「上」の続きだが、原稿では触れてなかったが、おそらく、コイツも「情報公開請求」でゲットしたネタだ。建設業ホウで、こうした建設業者の経営状況に関する内部資料ってのは、「都道府県の、管轄の土木ジム所」に行けば、誰でも閲覧できるし、「紙」が欲しけりゃ、情報公開請求をかけると、すぐ出てくる。「工事経歴書」を見れば、この「粟野鉄工所」が、どこの取引先との仕事を、ナンボで請け負うておったかなんてのは、イッパツだ。
ただ、キシャ連中も面倒くさがって、なかなか、やろうとせんのだな。たぶん、地元では、この「粟野のおやぢんとこの鉄工所」が、関電の高浜原発の仕事を独占受注状態だってのは、有名なハナシだったんだろう。原発内に、自分んとこのジム所を置いておったってんだからな。だが、「字」にするには、「数字の裏付け」が要るんで、そうした情報公開請求っていう、ちまちまとした作業もヤラんとなんだな。
そういえば、福井シキョクは、ワシと88年入社同期で、今、外信ブのデスクでおる小倉(孝保)の初任地だったなあ。小倉は、そこから阪神に異動になって、大阪社会ブに上がったが、ワシは、高知が振り出しで、その後、姫路で、それから社会ブ(高槻駐在)だった。大毎の管内は、朝刊のみの統合シキョク(つまり、田舎)と、夕刊のあるセットのシキョク(関西圏)を、それぞれ、最低、一つは回らんと、ホンシャに上げてもらえんかったんだよな。
シキョク時代は、毎月の地方ブ報の特ダネ賞んとこに、ヤツかワシの名前は、だいたい出ておったもんだ。でも、もう20年も前のハナシだ。だから、ワシの同期の前後は、今、シキョク長に、ボンボンと出とるんだよなあ。広島のシキョク長におる亀井正明も同期だが(確か、振り出しは豊岡だったような気がする)、ヤツは社会ブに上がったのは、ワシらより1年遅くて、入社7年目だったな。ついでに言うと、東京社会ブで、宮内チョーが、異様に長くなっとる真鍋光之も同期で、ヤツは初任地が富山。その嫁ハンの太田阿利佐は神戸。ま、それはともかく、今は、原発モンダイがあるが、それでも、福井シキョクから、東京の社会麺のアタマで使うような原稿は、そうめったにあるもんではない。小倉も、東京の社会麺のアタマになった記事は、書いてねえと思うなあ。
#で、今日(=2・7)発売の『紙のバクダン』最新号(12年3月号)の、尾塚野形のオッサンの「亀谷直人獄中手記」の連載だが、アレは三井環のオッサンが、口封じタイホされた「02・4・22」の後だよなあ。ケーサツから「かい人21面相」こと、「キツネ目のオトコ」として追い回されておった「宮崎学」が、時期は同年8月上旬だよなあ。JR新神戸駅すぐそばの新神戸オリエンタルホテル(現・ANAクラウンプラザホテル神戸)4階の珈琲ショップで、山健側の鶴城丈二、繁田誠治と一緒に、亀谷と会うたことについて、亀谷は手記ん中で、「そこで、宮崎学と会うた」っていうことは、認めとるんだな。
ただ、その会談は、宮崎がセットしたっていうよりも、繁田に誘われて、それで同席したっていうカンジだよなあ。亀谷は宮崎に対して、「オマエのことなんか、よう知らんし、あっちに行け!」って、追い払ったってんだからなあ。
でも、キツネ目のオッサンは、この「2億円の件」(=桑田兼吉保釈コーサク)だけでのうて、三井環のオッサンの口封じタイホ後に、例の「荒川メモ」がどういうルートで、当時、大阪コー検の次席だった「大塚清明」の手に渡ったかetcについても、クビを突っ込んで、よう調べておって、在阪のフリーのブンヤの「今西憲之」を手足で使うておったんだよな。宮崎学はワシにハッキリと、その「荒川メモ」の仲介者として出てくる、京都は熊野神社のトイメンにある、「ノセ」とかいう、あの妙な和菓子屋だよなあ。「アレは、亀谷のコーハンに傍聴に行って、(亀谷のオンナの)ケイコから聞き出した」と言っておったんだ。
ワシもブンヤだから、顔を拝みに、そのノセんとこには乗り込んで行ったが、ま、のらりくらりだったが、「自分の父親が、ケンサツとチョー仲良して、荒川(洋二=元大阪コーケン検事チョー)サンとは、年賀状のやりとりはあった」とは認めておった。だから、キツネ目のオッサンが、山健サイドとどういう関わりで、その「2億円の件」で動いておったのか、「?」なんだよな。
#「上」の続きだが、今度の「亀谷直人獄中手記」のハナシが本当だとすれば、宮崎学は、その保釈コーサクには深く関わっておったっていうんではのうて、とにかく、彼の方が、亀谷に会いたがっておったっていうカンジだよなあ。
ちなみに、本人は、公の場では、そのことについて、何もコメントしとらんよなあ(笑)。「カネ目的」で動いておったってんだが、でも、どうやって、どんな名目で、いったい、どこから引っ張り出すんだろうなあ。わざわざ、新神戸まで出向いて、亀谷に会いに行っとるんだから、余計、「謎」だよなあ。
ワシが掴んでおるハナシでは、その場(=02年8月上旬の、新神戸オリエンタルホテル4階の珈琲ショップでの会談)では、山健側(=鶴城丈二&繁田誠治)からの保釈コーサクの依頼を、亀谷は「今度の三井タイホのウラには、大変なことがある。それをヤルとケンサツだけのモンダイでのうて、菱が国家ケンリョクに潰されてしもう!」って、断ったってんだよな。ところが、それから、また、しばらくして、亀谷の方から連絡があり、「やっぱ、ヤリます!」ってことで、諸々、「動き始めた」ってんだよなあ。
#あと、その『紙のバクダン』最新号(12年3月号)で、高田欽一(ペンネーム)が、その石井紘基を刺殺したとして、無期懲役(一生、シャバには出れん方の)を食らっておる「伊藤白水」について、「字」にしておったが、一つには、「真ハンニン」は別におって、「伊藤白水は、身代わり」っていう説もあるのか。テレ朝のキシャか、ディレクターかあ、取材に応じておったが、ヤツなりに何かメッセージを発したいっていう思惑があったんぢゃねえかってことで、ま、それを言うなら、「上」の「亀谷直人」も同じだろう。あの亀谷の獄中手記が、最初にオモテに出たのは、西岡研介クンによる週アサの連載だったが、アレも本人から「直」で入手したんでのうて、「間」にワンクッション入っておるからなあ。
ただ、高田欽一は、ムショにおる、その伊藤白水と2度も面会しとるってんだが、あの「仮釈放のない、シャバに出れん方の無期懲役」ってのは、「マル特」かよ。「エエか、アンタは、『マル特』っていう、出れん方の無期なんやで!」って、本人に言い含めておったってんだよなあ(笑)。ま、あの石井紘基のコロシは、ほぼ間違いなく、「政治的な謀サツ」だったんだろうが、しかし、「指示の出所」は、いったい、どこなんだろうなあ。いずれにしても、伊藤白水は、「鉄砲玉」か「替え玉」か知らんが、所詮、「最末端の駒」だから、「進め!」と「引け!」がデキれば、それで十分なんだ。
#ふーむ、この「2・10」の23時から、元共同社会ブの青木理が、ニコ動でヤル『ニュースのゲンバ主義』とかいう番組に、岡留安則、川端幹人、神林広恵の「ウワシン3人衆」を呼んで、何か喋らすのかあ。ちなみに、この3人が一同に会して、いろいろと喋るってのは、今回が初めてかあ(**)
そういえば、川端氏の近著『タブーの正体!』(ちくま新書)に、例の日本青年社の鉄砲玉による襲撃ジケンのことも、相当、書いてあったが、「あのジケンによって、(自分は)転向した」と、ハッキリと言い切っておったのは、思わず、ビックリだったなあ。「正直」といえば、まさにそうだが、しかし、でも、それは、寅さんの「それを言っちゃあ……」の世界だよなあ。
もともと、岡留サンは、「いずれウワシンは畳みたい」という思いはあったようで、とはいえ、「できれば、自分は発行人の立場に1歩下がって、副編だった川端に編集長をバトンタッチする」っていう構想を、だいぶ、持ってはおったようなんだよな。でも、それが、あの襲撃ジケンによって、完全にパーになってしもうたらしいんだよな。その意味では、「剣はペンより強し」との連中の目的を、完全に果たしたとはいえるだろう。
#「上」の続きだが、周りは憚って、『ウワシン』について、「休刊」と言っておるが、誰が見ても、アレは、実質的には「廃刊」だからなあ(なぜなら、通常のコトバの意味では、「休刊」ってのは、「再刊」を前提としておるので。その意味では、「休刊」ってのは業界用語なのだろうが、ワシは、そういう発想が大キライ)。でも、「そこに至った事情」について、まだ、出ておらんハナシは、イッパイあるで。
例えば、西岡研介クンが、ぬあんで、途中で文春に移籍してしもうたのか、ワシ的には、すごく、「ナゾ」だよなあ。ウワシン的にも、「エース記者」が抜けたってのは、痛かったと思う。だって、彼が出て行ったのは、その「ジケンの後」だったからなあ。西岡クンは、カウントダウンの最後までウワシンと心中すると思っておったんで、余計、「?」だった。給料だけではないと思う。襲撃ジケンのターゲットにされてしもうた、「『雅子』呼び捨て」の1行情報は、西岡クンが引っ張ってきたネタだったからなあ。
青木理も「ジケンのブンヤ」だったら、そのへんの「ウラ」をアレコレと穿り出してだな、ピャーッと喋らせんとだよなあ。ギョーカイの人間は、遠慮とかもあって、皆が知りたいと思うとることを、全然、聞こうとせんからなあ。個人的には、ウワシンには、今でも復刊して欲しいと思うとる。だって、ワシも「顔出し」(=実名)で、特集記事の原稿を、こっちからの持ち込みだったが、書いたことがあるんでなあ。その一方で、時間軸としては、襲撃ジケンの後だが、持ち込みネタをボツにされたこともあったんで(イケダモン大先生のハナシだったが)、だから、ワシには「言える資格」がある。
#今日(=2・8)、フクシマ第1原発から南12kmのところにある「フクシマ第2」が、キシャ倶楽部に公開されたのか。損壊の具合は、写真を見る限り、バクハツがなかったとはいえ、第1とそう大して、変わらんっていうカンジだよなあ。所チョーの「ウチも、フクシマ第1と紙一重だった」っていうのも、実感がこもってるよなあ。要は、糞ションベンを冷やし続けんとアカンから、それは「電子制御」でヤルため、震動&津波による「全電源喪失」だよなあ。ホンネでは、「そんなもん、想定したくなかった」ってところだろうなあ。確かに、めったに起こるもんではないだろうから。
でも、コレだけの痛い目に遭うて、恥ずかしながら、ワシ自身もそうだったが、「原発って、こんなに酷かったのかあ!」って、ま、初めてわかったようなもんだからなあ。ジコもさることながら、要は、「糞ションベンの後始末」を、どうするかなんだよなあ。あんな腐臭を半永久的にワサワサと出し続けておって、その安全の保証が「10万年後」ってんだろ(笑)
さらには、あの糞ションベンの残り滓をリサイクルすりゃ、「プルトニウム」がデキるんだから、本気でヤルかどうかは別として、ニッポンだって、いつでも「核兵器=原子バクダン」を持てるんだよなあ。ナンボ、立派な起爆ソーチをこしらえたって、「タマ(=糞ションベンの残り滓)」がなけりゃ、どうしようもねえんだからなあ。イランだ、北のわがままおやぢんところだ、ぢゃねえよなあ。
だから、原発が、ココまでリアルに「核兵器」と直結しておるっていうことも、恥ずかしながら、今度のジコで初めて知った。それで言うなら、「核の平和利用」ってのが、いかに、インチキであるかっていうのが、身に染みてわかったなあ。よく、「フクシマの風化」とか、もう、言われておるけど、風化どころか、むしろ、コレから「深化」していくっていうカンジだよなあ。
#超ローカルなハナシで恐縮だが、昨日(=2・8)の14時ごろに、神奈川県大和市の米海軍厚木基地の付近一帯で起こった、原子力空母・ジョージ君の艦載機「電子戦機EA6Bプラウラー」からの部品落下のジコ、ホンマ、アレは「あわや大惨事」だったんだな。今朝の神奈川シンブンをはじめとして、他紙も県版で詳しく「字」にしとるが、「部品」っていっても、着陸寸前にパラパラといくつも落としてきて、最大のもので「縦218cm、横107cm」で、重さは「数十㎏」だったってんだな。うちの一つが、基地そばの県道を走っておったクルマに当たったんだな。幸いケガはなかったが、場合によっては、死傷者が出ておっても、おかしくなかったんだよな。
今回は、米軍機だったが、同様の「部品落下ジコ」ってのは、自衛隊機でもナンボでもあるんだが、「部品」っても、あんなデカイ飛行機が落とすんだから、ネジとかナットとかの微細なもんばかりぢゃあなくて(仮にネジ1本であっても、高いところからピャーッと落ちてきて、打ち所が悪ければ、大ジコになる)、去年の10月に、石川県の小松基地周辺の住宅地で起こったF15の部品落下ジコなんかは、ぬあんと、「長さ6.6m、幅0.8m、重さ155㎏」の燃料タンクだったってんだよなあ(**)
ところが、この「2・6」の朝日の朝刊が「字」にしておったが、この空自ジマンの主力戦闘機・F15の、こうした部品落下ジコは、07年度以降、去年(11年)末までに「113件」あったってんだな。ところが、キシャ倶楽部で公表されたのは、そのうちの「わずか6件」だったってんだよな。あー、そうか、「sengoku38」の肝入りで国怪提出を、今、虎視眈々と狙っておる、その「ヒミツ保全ホウアン」とやらで、連中が「どうしても隠したい」っていう「特別ヒミツ」ってのは、まずは、こんなところからなんだろうなあ(笑)