三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、今日(=10・19)、信濃町丸ハムファイターズの主将・山口那津男が、政府・与党がやろうとしておる「タバコこ増税」に賛成の意向を表明か。ただ、このタバコ増税は、「葉たばこ農家の保護」というブブンも含めて、「たばこだけの狙い撃ちは、不公平、ケシカラン!」と、平河町はハンタイしておるんだよな。それは、ワシもそう思うなあ。うーむ、そのセンキョ制度のいじくり回しとも絡めて、コウモリはどう動くんだろうなあ。ココで、イケダモン大先生に指導を仰ごうと思っても、そもそも、大先生は、弟子たちの顔の認識とか、ちゃんとデキるんかいなあ。
アレは、去年(=2010年)の6月のアタマだったよなあ。「これからは、君たちでやりなさい。ワタシは、しっかりと見守っておる」と伝えて、ホンカン(=本部カンブ会)を欠席してしもうてから、諸々、大先生も、刺激がなくなってしもうたんだろうなあ。でも、このごに及んで、「民公」なんて、あるんかいなあ。いずれにしても、センキョが近くなってくれば、「小センキョ区」は、「民自タイケツ」なんだがら、「浮動票」をかき集めるには、いつまでも野田の言うことなんて、聞いておられんよなあ。大連立のタイミングも、終わってしもうたし、もう、谷垣んところは「倒閣モード」に入るしかねえよなあ。
#そもそも、思うんだが、ワシ自身は、タバコは全く吸わんのだが、でも、昨今の「喫煙狩り」っていうか、「禁煙ファシズム」は異常だよなあ。気がついたら、いつの間にか、喫煙者ってのは肩身が狭いっていうか、差別、偏見っていうんかいなあ。社会の隅に追いやられてしもうておるよなあ。
今年のウラ流行語大賞は、菱本家の6代目(=司忍)が、産経の単独インタビューで喋った「異様な時代がやってきた」で決まりだろうが、ホンマ、その通りだよなあ。そうやって、なかなか文句の言いづらい、要は「とにかく、ぶん取りやすいところから、血税を毟り取る」っていう発想だよなあ。その一方で、イケダモン大先生んところの宗教ホウジンは、「非課税特ケン」にあぐらをかいておるからなあ。バカなニッポンのコクミンは、誰も本気で怒らんからなあ。
#今朝(=10・20)の毎日で、鈴木紅琢磨のオッサンが、お殿様の細川護煕を、京都は南禅寺の天授庵まで引っ張り出して、ウジャウジャとハナシを聞いておったなあ。あの特集麺は、最近は朝刊にも進出してきておるんだな。細川のお殿様も、「もし、ワタシがソーリ大臣だったら、『脱原発!』を旗印に掲げておる!」かあ。さらには、吉田兼好やら何やら引っ張り出して、「枯木寒厳であっていいワケがない」かあ。
っていうか、そもそも鈴木紅琢磨のオッサンは、ワシが大毎社会ブから、政治ブに出張応援に行ってた頃(94年1月━3月)ってのは、『サン毎』で、「細川ストーカー」をヤッておって、あのふたりは、そもそも「天敵同士」のカンケイだったんだよな。しかし、「歳月は、諸々、変えていく」っていうのか、「諸行無常」だよなあ。湯河原に隠居して、「陶芸家デビュー」をスッパ抜いたあたりから、妙に意気投合し始めたよなあ(笑)。しかし、お殿様も、ワシが持っておらんケータイを、ちゃんと持っておるあたりが、今の時代なんだな。
#「上」の続きで、ワシが毎日の政治ブで細川番をヤッておった頃の思い出バナシを書くとだな、ワシも一応、「政局キシャ」として、スッパ抜き記事もちゃんと書いておって、「94・2・22」の朝刊のイチメンのアタマの「首相、『大会派』結成を構想 与党5会派で ニッポン新党カンブに検討指示」なんだが、少し解説すると、コレが、従来、細川お殿様が主張しておった「穏健な多党制」の路線を捨て、その後の「2大政党制」としての「新進党路線」へ180度転向し、ピャーッとカジを切ることになった、いわば「歴史的スクープ」や! で、もう、「時効」やから、喋ってもエエだろうが、この「ネタ元」は、今の官房チョー官の「藤村修」や(笑)
どういうことかというと、ちょうど、前年の93年夏に総センキョがあったんだが、ワシは大毎社会ブで、北摂グループの高槻駐在だったから、当時、キャップで、今はワシントン支局チョーの海保真人(豊中駐在)のオッサンと一緒に旧大阪3区の担当だったんだ。藤村修は、そのとき、例の「ニッポン新党旋風」で、要は「落下傘」みたいなカタチで立候補して、阪急の吹田駅前にセンキョ事務所をこしらえておったから、しょっちゅう顔出して、知っておったんだ。
で、夕刊の締切が終わって、少しヒマになった頃、フラッと議員カイカンの藤村修の部屋に顔出して、ウダウダと喋っておったら、「いや、ソーリがこんなことを言ってたんだよ」と向こうから喋り出して、「へえーっ」ってカンジで聞いておったんだな。その後、すぐ、官邸に戻って、メモにして上げたら、キャップとかブッたまげて、それで「字」にしたんだな。原稿を書いたのは、確か、サブか3番手あたりだったと思うが。でも、コイツで特別政治部チョー賞を貰うて、金一封(確か5000円だったかな)も貰ったなあ。
だから、当初は、細川んところは、武村正義んところと蜜月で、「さきがけニッポン新党」っていう統一会派を組んでおったんだ。その意味では、政局も「組み合わせの妙」っていうのか、細川が従来の「穏健な多党制」の路線を堅持して、武村んところや三宅坂、あと、宏池会あたり、平河町のリベラル派なんかと一緒に、「新・新党」を立ち上げ、新しく導入した「小」のセンキョ制度で本番に臨んでおったら、また違った展開になっておったなあ。だから、細川が、今頃になって、ウジャウジャとアレコレと言い出しておるのは、このときの「忸怩たる念」みたいなものは、あるんだと思う。「穏健な多党制」ってのは、本来、細川の政治リネンの根幹だったからなあ。それを否定して、小沢イチローの新生党や、イケモダン大先生んところと組んでしもうたんだからなあ。
#で、おそらく、今日(=10・20)から、店頭販売だったんだろうなあ、矢野絢也の新著『乱脈経理 創価学会vs.国税庁の暗闘ドキュメント』(講談社)があったんで、ざーっと立ち読みだったんだが、目を通したんだが、結論から先に言うと、コイツはスゴイわ(笑)。いやあ、信濃町に核弾頭ミサイルが、ピャーッとブチ込まれて、炎上を始めておるっていうカンジだよなあ。イケダモン大先生は、今年に入ってから、認知症が出ておるっていうことだから、逆に言えば、それで「恍惚の人状態」の方がエエかもしれんよなあ。チョット、コイツは大先生への報告が憚れる本だなあ。
今回の手記は、89年にヨコハマ市内で見つかった、現金約1億7500萬円入り金庫放置ジケンで、大先生の文字通り、金庫番で、初代第一庶務室チョーでもあった「中西治雄」が、「捨てたのは私でーす!」と名乗り出たのをきっかけに、酷税が目をギラギラとさせてチョーさに入ったんだが、その後、91年に朝日がスッパ抜いた、例の「ルノワール絵画転がしURAGANE捻出ジケン」も重なって、いよいよ、酷税が本気になってきたのを、いかに食い止めて、延焼を防ぐかに、信濃町が丸ハムファイターズも使いマクって、取り組んでおったんだが、その一連のディディールを一挙、大公開っていうカンジだなあ。
これまでの手記では、ひょっとしたら、サワリぐらいは出しておったのかもしれんが、今回は、微に入り細を穿つっていうのか、ココまで徹底的に、矢野絢也をはじめとして、「大先生をお守りする」ために、まさに「コマねずみ」のごとく動いておったのかあ、ということに、ビックリしたあ(**)!
#「上」の続きだが、その酷税による税務チョーさ阻止に、矢野絢也が金丸信にアタマを下げたことで、竹下登が動いたっていうのは、「ま、さもありなん」なんだが、それだけでのうて、矢野自身も、酷税のゲンバチョーさの中枢の人間と直接会うて、アタマを下げマクっておったんだな。このとき、チョさーを担当したのは、俗に「リョウチョー(=料調)」とも呼ばれておる、「東京酷税キョク・直税ブ・資料チョーさ6課」なんだか、ココのトップだったかいなあ、矢野絢也が担当者と会うて、「何卒、お手柔らかに」とひれ伏しマクってんだよなあ。
で、こうしたやりとりは、当時、信濃町の会チョーだった「秋谷栄之助」んところに、逐一、メモで報告を上げておって、その具体的なやりとりもピャーッと公開されておる。連中が強奪した、その「黒い手帖」には、このくだりがドンピシャリと書いてあったんで、「どうしても、矢野宅へのガサ入れで、押収せなアカン、ブツ」だったということだったんだなあ。いやあ、ワシ的には、「矢野絢也、ココまで書いたか!」で、信濃町っていうか、イケダモン大先生も、ココまで反撃されるのが分かっておったら、あんなバカなことヤラなきゃ、よかったんだよなあ。矢野絢也を本気で怒らせてしもうたよなあ(笑)
だから、要するに、結論は、こういうことだ。イケダモン大先生率いる「信濃町丸ハムファイターズ」のセー権与党入りの最大の眼目は、「家ん中に入る」ことで、酷税のクビ根っこをフン捕まえて、イケダモン大先生の個人資産を含めて、税務チョーさをさせない、と。それに尽きるよなあ。そういう意味でいうと、今度の矢野手記の刊行は、この秋以降の永田町のセー局に、影響を与える可能性すら、ある。
#今日(=10・20)発売の『実話』が、この10月に入って、菱本家の6代目(=司忍)が、国粋会に手を突っ込んで人事をいじっておる件で、これまで5代目国粋会(会長・藤井英治)のカシラだった9代目落合一家総長・佐藤光男を、「直参」に引き上げると同時に、要は、国粋会の分割だよなあ。この落合一家に加えて、金町一家をはじめとして、国粋会傘下のヤクザ組織の一部を集めて、「落合金町連合」として旗揚げし(させ)て、菱系の2次団体として、落合一家総長の佐藤光男を、そこのトップに据えたということを、「字」にしておったな。その国粋会については、トップの藤井英治をカシラ補佐に引き上げるのと同時に、関東・北海道ブロックのブロック長に抜擢しておるんだよな。
で、コレはワシの、あてずっぽうなカンなんだが(でも、最近、ワシのカンはよく当たる)、今度の国粋会人事は、じつは「菱本家の自分の跡目」のシュミレートっていうか、予行演習ぢゃねえかっていう気がするんだなあ。そもそも、この国粋会というのは、司忍が先代(=渡辺芳則)をクーデターで追放し、「6代目」の座布団に座って、その後の「長期服役」を見越して、まず、手を付けた「東京進出の目玉」が、「国粋会の菱傘下入り」だったんだよな。その意味では、「国粋会人事」というのは、「菱本家の当代」として、そのトップとしての人事権を行使した証というか、象徴なんだろうと思う。敢えて、そこに手を付けたということは、「次に繋がる、何か」を、意図しておるんぢゃねえかってのが、ワシの見立てだな。
#「上」の続きだが、菱本家の6代目(=司忍)のアタマの中には、勿論、「今、すぐ」ではないだろうが、「いずれは……」ということで、「跡目をどうするか」ということが、あると思う。そこで、ワシの目に見えてくるのは、今度の「国粋会人事」をシュミレートするカタチでだな、ズバリ、「弘道会の分割→3代目弘田組の旗揚げ→そこのトップに森健司を就ける」ぢゃねえかなあ。
ここで、弘道会の歴史をひも解くとだな、弘田組組長だった弘田武志から、弘田組のカシラだった司忍が、その跡目を継ぐということは、既定路線だったが、ただ、弘田武志は「2代目弘田組」を名乗ることを許さなかったため、司忍は「弘道会」を立ち上げたんだよな。あの山一戦争の際、弘田武志は、一和会会長の山本広が最も信頼を置いておったんだよな。司忍は自分の親分に、菱の中に留まるよう説得して、最終的にそれを受け入れる形で、自らは引退したんだよな。しかし、それでも、弘田武志が司忍に「2代目弘田組」を名乗らせなかったのは、そういう事情があったんだと思う。でも、結果的には、一和会に走らんで正解だったわけだから、司忍にしてみれば、組のため、親分のためを思って説得したんだろうが、なかなかわかってもらえんかったところもあるんだろうなあ。
だから、05年7月に、「5代目追放」というクーデターを仕掛けるにあたって、司忍は弘道会の跡目をカシラだった高山清司に継がせ、自らは「弘道会総裁」に就くと同時に、「2代目弘田組組長」を名乗ってるんだよな。おそらく、「2代目弘田組」というのは、実態としては存在しておらんのだと思うが、しかし、それを名乗ることで、「弘田組は、まだ、存続しておる」ということを主張しておるんだと思う。それで言うと、その産経インタビューでも、「2代目弘道会の人事」については、カシラ(=高山清司)に一任しておると言っておったように、なかなか手を突っ込めんのだと思う。それは、先代(=渡辺芳則)が、3代目山健組組長の桑田兼吉に対して、山健の跡目を自分の可愛がっておる「井上邦雄」に継がせたいとは思っておっても、桑田兼吉がなかなかクビを縦に振らんかったのと、同じような状況なんだと思うなあ。
それで、ワシ、今回の「国粋会人事」を見て、ピンと来たのが、「弘道会分割→3代目弘田組旗揚げ→そこのトップに森健司を就ける」ぢゃねえかと思ったんだよなあ。それで、「3代目弘田組組長・森健司」を直参に引き上げて、そこで、まず、本家の「カシラ補佐」に就けるってことだろうなあ。ま、そこらのあたり、溝口敦はどう見ておるのか、今後の『実話ドキュメント』のレポートを楽しみに待つとしやう(笑)
#で、最近、在阪のフリーのブンヤの尾塚野形のオッサンんところに、今、府中におる亀谷直人から手紙が届いたそうで、「三井環のオッサンには、いろいろと迷惑をかけて、申し訳ない」と後悔しておるそうだ。 本人は相当、達筆のようで(笑)、判読になかなか難儀したとのことだが、しかし、力強い、しっかりとした筆跡だそうだ。そういえば、西岡研介クンが、アレはちょうど1年前だったよなあ。『週アサ』で連載しておった「亀谷獄中手記」では、「2億円の件」の方に集中しておって、「渡真利忠光&大坪弘道」のズブズブとか、ほとんど出ておらんかったような気がする。亀谷も、そこらあたり、もう少し喋れば、渡真利や大坪も、もっと喋りやすくなるのになあ。
#今日(=10・23)の正午過ぎに、社会新報の田中みのる(=稔)のオッサンが、ツイッターで「アタマから読んでも、ケツから読んでも同じ音」ってことで、「保安イン全員アホ!」と喋っておったが(笑)、いやあ、このニッポン語ってのは、じつに奥が深いよなあ。世界中を探しても、こんな言語、他にあるんかいなあ。コイツは世界に誇れる言語だよなあ。
それでいうと、こういう物言いもできるよなあ。「アホ(=安保)利権」。前原がホンマ、大好きなんだよなあ。そういえば、秋山直紀のおやぢも、脱税ジケンの上告もキキャクされて、ま、実刑が免れて、シッコー猶予が付いたんだから、アレでよしすべきだよなあ。チケンも優しいっていうか、立ケン額が1億円弱かあ。ちゃんと、実刑が付かんようキソしてんだから、心憎いばかりの配慮が窺えるよなあ。
ぬあんか、ここんところ、前原も「セー権与党だ!」って、いい気になっておるから、この際、秋山直紀のおやぢも、ピャーッと前原を刺しに行けばエエのになあ。たぶん、秋山直紀のおやぢも、市ヶ谷のFX商戦からは締め出されて、カネにも困ってんだろうから、前原は、ちゃんと面倒をみてやらんとだよなあ。この秋山直紀のおやぢも、田中みのるのオッサンとは「天敵同士」であるってことは、狭い永田町&霞が関界隈では、皆、知ってるんだが、この際、矛を収めて、意気投合して、喋り出すってのも、オモロイかもしれんよなあ(笑)
#「上」で、秋山直紀のおやぢが、ちゃんとケツを持ってくれたおかげで、今がある「前原」が出てきたついでに、もう少し喋るとだな、あの「福島みずほvs辻元清美」のオンナ同士のバトルも、元をただせば、この前原を入れた「三角カンケイのもつれ」と見た方が、わかりやすいよなあ。つまり、従前は三宅坂の「オンナの園」で、福島と辻元ってのは、ある意味、宝塚歌劇は「ベルサイユのばら」の、「オスカー、アンドレ!」っていうカンジで抱き合う、「レズビアン状態」だったのに、そこに、鳩山ナイカクで国交ダイジンになった前原が、辻元をピャーッと「副ダイジン」として、トンビが油揚げをかっさらうように引っ張ったあたりから、妙な雲行きになっておったんだよな。
だからだな、福島みずほにしてみるとだな、今まで一緒に、ラブラブ状態で同じ布団で寝ておった辻元が、寝返って、要は「新しいオトコ」である「前原」んところに走ったワケだから、アタマに血がピャーッと昇って、「辻元許せん! ゼッタイに次のセンキョは落とせ!」ってことになるわなあ。しかし、コイツは妙にねじれた「三角カンケイのもつれ」だから、ややこしいと思うなあ。
ところで、辻元は「ケンポー第9条」をはじめとして、「基本セーサク」は、どうすんのかなあ。前原なんて、モロ、「MD大賛成!」ってことで、石破のおやぢと二人三脚で、秋山直紀のおやぢ(+3ダイヤ重工会チョー・西岡喬)にケツを叩かれて、ブイブイと突っ走ってきたんだからなあ。前原にしてみりゃ、「いいか辻元、オマエは、オレのオンナになったんだから、MDは、ナンボ当たらんかったところでも、当然、賛成だよな?」って言ってくるよなあ。やっぱ、「踏み絵」は踏ませるんだろうなあ。しかし、MDは、武器輸出3ゲンソクや集団的自衛ケンとか、モロ、タッチしてくるんだけどなあ。うーむ、福島みずほは、欲求不満のハケ口として、このあたりから、グイグイと辻元を締め上げてきそうだよなあ(笑)
#今朝(=10・25)の産経に、その「衆」のセンキョ制度のいじくり回しに絡んで、現行の「並立制」から、「連用制」にチェンジした場合、前回(09年)でシュミレートすると、「比例」のギセキ数は、民主11(-76)、自民62(+7)、公明49(+28)、共産29(+20)、社民11(+7)、みんな14(+11)━━っていう数字が出ておったなあ。で、記事の見出しは「公明躍進、民主激減」なんだが、っていうか、そもそも、同じ投票結果なのに、「制度」をチョロっといじくり回すだけで、コレだけギセキ数が変わるって、いったい、どういうことなんだよ? そもそも、ワシですら、「並立制」、「連用制」、あと、「併用制」かよ。何が、どう違うのか、さっぱりわからんよなあ。
コイツが、消費税なら、税率が10%になると、100円ショップで品物買うたら、支払いは「110円になる」っていうんで、スーッと分かるが、現行の「並立制」ってのは、「小」とのダブりがデキるってのが、ミソなのか? 少なくとも、現行の制度の「並立制」が、勝利した「第1党」に対して、莫大なる「プレミアム」を与えるということだけは間違いないよな。要は、「死票」が、ピャーッと大政党に回るしくみになってるんだよな。
ま、センキョ制度をいじくり回すのはエエんだが、まず、この3つが、どう違うのか、なぜ違うのか、ということを提示せんことには、ギロンもヘチマもねえよなあ。築地に営巣しておるふくろう博士か、やっぱり、池上彰に出て貰って、年寄りや子供でもわかる説明してもらわんとだよなあ。
#「上」の続きで、現行の「衆」のセンキョ制度をいじくり回すということについては、ワシは賛成なんだが、でも、「任期4年」の折り返し点を通過して、残り時間がなさ過ぎるよなあ。ちょうど、現行の「小センキョ区比例代表へー立制」を導入したのは、細川ナイカクんときだったんだが、あのときは、「政治カイカク」っていう旗印があって、なおかつ、セー権交代直後の熱気と高支持率という、ものスゴイ「勢い」があったから、それで通ったところはある。
でも、「わかりやすさ」と「死票救済」という点では、ワシは個人的には「中センキョ区制の復活」だと思うが、今や信濃町も引っ込めてしもうたからなあ。あと、「死票救済=中小政党への配慮」という点では、仏蘭西の「2回投票制」は参考になると思う。大統領センキョはもとより、下院ギインも、アソコは「小センキョク」なんだが、「1回目」で過半数に達した候補者がおらん場合、1週間後(大統領センキョは2週間後)に、「上位2人」(下院の場合は、得票率12・5%超の候補者)による決戦投票をヤルんだな。それでまた「ガラガラポン」をヤルことで、それなりに中小政党も足場を確保しておって、そこが英吉利や亜米利加とは違うところだ。ただ、この「2回投票制」は、とてもわかりやすいし、コクミンとしても使い勝手があるが、ただ、「手間」と「コスト」がかかる。
#さらに続きで、ただ、細川護煕んときに、「小センキョク制」を導入した最大の眼目は、「セー権交代の実現」だったが、それが先の総センキョで、やっとこさ日の目を見たことで、諸々、考え直す契機にはなっておると思う。コレまで、ニッポンには本格的なセー権交代っていうのが、なかったからな。あの「1票の格差モンダイ」も、制度をいじくり回す口実として、泥縄式に引っ張り出してきたっていうカンジだが、アレもギチギチにヤリ出したら、田舎は都心より人口少ないんだから、国怪ギインが東京にばっか集中するっていうことになるからな。それを言い出したら、亜米利加の上院なんて、人口カンケイなく、「各州2人」だからなあ。
しかし、それはともかく、あの「連用制」かあ、ワケわかんねえよなあ。ただ、中小政党に対する配慮はなされてるんだな。あー、ニュージーランドで導入されてるのか。「比例」の方のギセキ配分において、「計算の仕方」が、「並立」と「連用」で違うんだな。「並立」はドント方式で、「連用」は割った余りに「1」を加える??? あと、「併用」ってのは、そもそも「比例中心の、前2つとは全くの別制度」っていうなあ。
いや、違うな。「数字のいじくり回し方」っていうか、「票配分のルールの違い」だけだな。でも、「併用」だと、「小センキョ区で得た議席は、比例で失う」ってあるなあ。おおざっぱに言うと、「併用→連用→並立」の順に、「小センキョ区のウェート」が高くなるんだな。産経シンブン、明日の朝刊で、今度は「併用制」でシュミレートしてみろ。また、ギセキ数が変わってくるぞ。であれば、イケダモン大先生んところの信濃町丸ハムファイターズは、モロ比例重視の「併用制」を主張してもエエんだな。しかし、中途半端な「連用制」を言うあたり、「自」や「民」に対して、色目を使って、コウモリ飛行しとるんだな(笑)
あっ、ネットで検索したら、05年のコイズミ郵政発狂カイサンんときのシュミレーションが出てるぞ。「併用制」だった場合、「自民183、民主149、公明64、共産35、社民26、新党日本12、国民新8、新党大地3」かあ。確か、このとき自民は「296ギセキ」だったよなあ。「併用制」だと、過半数割れになるんだから、インチキもエエところだよなあ。イケモダン大先生んところは、実際には「31ギセキ」だったから、コレだと倍増ぢゃないか!
#昨日の朝夕、ほいで、今朝(=10・26)と、朝日が狂ったように書いておる「『衆』のジム局へのサーバ攻撃!」だが、そもそも、コイツは「ITツールの常識」だが、侵入不可能な、完璧なシステムなんてのは、この世には存在しないんだ。それは、ワシの『デジタル・ヘル━━サイバー化監視社会の闇』(第三書館)でも書いたんだが、プログラマーやシステムエンジニアに取材していくと、「完全ではない人間が作るコンピュータ・システムが、完全なわけないぢゃないか。だから、『穴』は必ず存在する」ってんだ。だから、コンピュータ・ネットワークの本質である、「情報の公開と、共有」っていうものを、きちんと理解したうえで、人間は道具を使いこなさんとだよなあ。
で、やろうと思えば、ウィルスを送りつけて、そのサーバを乗っ取って、「管理者ケンゲン」をゲットすりゃ、全員のメールの中身なんかは、見放題、要は、ダダ漏れなんだからなあ。だから、「見られたら困る情報」ってのは、一昔前の、ネットと接続しておらんワープロで打った文書をFDに落として、それを金庫ん中に、URAGANEのウラ帳簿と一緒に隠しておくっていうように、しておかんとだよなあ。3ダイヤ重工にしても、仮に「軍事キミツ」が外に漏れておったにしても、「当たらんMDの命中率データ」なんて、皆、知ってるって(笑)。しかし、中国のハッカーも、ホンマ、そこまでヒマなんかいなあ。