大スクープ・「元祖・悪の検事総長 原田明夫」は、じつは |
さてさて、永田町は相変わらずの凪状態で、何度も繰り返していますが、まあ、サマワで10人以上の“死者”が出ないかぎり、現政権の崩壊につながるような「大政局」には進展しない、というのが私の見方です(もっとも、もし、そうなったら憲法改正論議も吹っ飛んでしまいますが)。
こういう時だけに、ブッシュ政権2期目の行方についてといったような、“大所高所”からセカイを分析するような大論文をここで書きたいところなのですが、まあ、そういうのは私でなくても、他に掃いて捨てるほどいるアメリカ研究おたくの方々が分析してくれるであろうので、ここは私しか書けないネタを、広く超ヒマな読者に大公開したいと思います。
んで、本題に入る前に、「信濃町ケータイ電話盗み見本部」の最末端のペーペーである、創価大工学部卒の嘉村坊や(既に電気通信事業法違反の罪で起訴)による、NTTドコモのケータイ通話記録不正アクセス事件ですが、当初から力を入れている赤旗はもちろんのこと、今度の起訴を受け、先週発売の週刊新潮やこの月曜日(11月15日)発売の週刊現代が、被害者として立件されたフォーラム21の発行人でフリージャーナリストの乙骨正生氏、そして、刑事告発にも立ち上がっていた元学会員で、現在はタレント活動もしている福原由紀子氏の、それぞれスクープ手記を掲載しました。両誌とも、かなり大きな扱いで、この何ともうさんくさい事件について報道しています。
まあ、大新聞がこの大プライバシー侵害、さらには大人権事件にまったくほとんど触れないというのは、「またか」というより、「いつものこと」ですが(笑)、こうやって雑誌媒体という大マスコミがきちんと取り上げたということに、何とも言えない感慨を感じます。
というのは、嘉村がアクセスしていた「多数の余罪」をいち早く掴んだのは、何を隠そう、この私で、既に2年前の9月下旬から10月上旬にかけて、当時、まだ刊行していた『噂の真相』に、「公明党=創価学会・池田大作が狙う、“池田大作保護法”の背景」というテーマで企画書を出していました。
んで、その中で、既に本サイトで触れているように、あの個人情報保護法が出てきた背景について、02年4月24日にあった「城山三郎—太田昭宏会談」の詳しい内幕や、さらには02年9月上旬に警視庁が逮捕した、例の「創価学会(創価大学)3人組」のオンナ絡みのケータイ電話不正アクセスの他にも、被害者がいて、その件数は少なくとも数百件にも上るという「スクープ」を盛り込み、企画書にも書きましたが、当時の川端副編集長から、「警察が立件をしないというと、ちょっと支えが弱いんですよねー」と言われ、そういう理由もあって、「お蔵入り」ということになったのでした(苦笑)。
私の考えでは、捜査当局が立件する、しないに関わらず、「真実は一つ」であり、もちろん、きちんとした裏付けを取るというのは言うまでもありません。
が、そうやって得た情報はきちんと公開するというポリシーのもと、こういう際どいネタを打てるとしたら、ウワシンしかないだろうという思いもあって、持ち込んだのです。しかし、最終的にこの企画が日の目を見なかったのは残念でした。
私が、この本サイトを開設しようと思った動機の一つに、このウワシンの件もありました。「だったら、マスメディアに何か期待するよりも、自らがメディアとなって、すべて自らの責任でもって、国民(=読者)に知らせるべきニュースを伝えていけばいいではないか。読者が多い少ないというのは関係ない。そこに真の情報を求める読者がいる限り、真実を伝えるのが、本当のジャーナリストの役割である」と。
敢えて言うなら、終わりまくっているあの大マスコミが歯牙にもかけないものの中にこそ、「本物のニュース」は埋もれており、誰よりもいち早く、それを報じるのが、超一流の、そして真のジャーナリズムではないのか。その思いで、日々、こうしたネタをタダで公開しているヒマ人が、現在の私ということです(笑)。
時々、このサイトを会員制にして、カネを取ったら、どれぐらいの収入になるだろうかと思うときがありますが、別にカネが欲しくてやってるわけではなし、まあ、所詮、趣味の延長みたいなもので、本人は楽しんでやっているので、それでいいんだと納得しています。
さて、また、前置きが長くなってしまいましたので、ようやく、本題に入りますが、やはり、真のジャーナリズムが伝えなければならないのは、まさに「現代のドレフュス事件」に他ならない、「大阪高検公安部長・三井環」を、口封じのために逮捕した「法務・検察」という、「わが国最悪かつ、最強の捜査機関」です。
もちろん、今度の「三井氏不当逮捕」そのものが、ジャーナリスティックにみて、「公憤」「義憤」に駆られるのは言うまでもないのですが、私にとっては、そっちよりもむしろ、どちらかというと「私憤」の部分が大きいのです。
というのは、既に述べていますが、三井氏は私のブンヤとしての初任地だった毎日新聞の高知支局時代に高知地検次席検事として赴任しており、毎日のように顔を合わせて、その仕事なり、人となりを見てきましたが、ほんと彼は捜査官として優秀でした。
まさに、「特捜の鬼」ともいうべく、検察の本来の役割として、「権力中枢の巨悪」を切り込む気概と志を持っていた人でした。そういう人とブンヤの出発点において出会えたというのは、幸せだったと思います。もし、そういう人と出会っていなければ、もっと適当に仕事をやっておいて、「出世競争」だけに精を出す、どうでもいいサラリーマン記者として、今頃は支局のデスクをやっていたかもしれないからです。
しかし、そうでない人生を歩んだというのも、それが私の運命なのでしょう。
それともう一つ、ついでですので、私が本サイトを開くきっかけになったエピソードもここで紹介します。
それは、おととし4月の三井氏の逮捕後、私はそうした彼に対する不当逮捕に怒りが爆発し、「少なくとも、私が知っている三井環検事というのは、志と気概を持った捜査官であり、検察がデッチ上げたような悪徳検事ではない」という文章をまとめ、名著『突破者』の著者でもあり、その前年夏の参院選では一緒に白川新党でタタカッた宮崎学氏にメールで送り、氏のウェブサイトで掲載してほしいと依頼しました(というのは、当時、私は自らのサイトを持っていませんでしたので)。
ところが、宮崎氏からはまったく音沙汰なく、この原稿も黙殺されてしまいました。正直、これには私は強いショックを受けました。
同じ「突破者」というか、「任侠」の道を歩んでいる(と私が思い込んでいる)彼であれば、こうした三井氏の不当逮捕に対して怒りと憤りを感じ、私と行動を共にしてくれると思ったからです。
しかし、宮崎氏はそうした私の願いに応えてくれなかったばかりか、逮捕直後の「アサヒ芸能」の02年5月16日号では、なぜか、法務・検察と軌を一にするように、次のように書いています。
<唯一残念なのは、三井のような悪徳検察官と逮捕前に親しくなれなかったことが悔やまれるばかりや(笑)。だれか同じようなことをやっとる検察官がおったら、ぜひ、教えてくれ(笑)。>
んで、氏はこれだけにとどまらず、三井氏の逮捕直後に、検事総長の原田明夫とサシで会っているのです。
「あれっ、強きを挫き、弱きを助けるのが、任侠であり、突破者の生き方ではないのか。これじゃ、言ってることと、やってることとの間に何の整合性もないではないか」
私が、初めて彼に対して抱いた微かなギモンでした。
まあ、宮崎氏と法務・検察(+公安調査庁)とのいろいろなカンケイについては、私の耳にもいろいろと入ってきているので、もし、機会があったら触れることがあるかもしれませんが、それは本題とはとりあえずは大きく外れますので、話を戻します。
そこで、既に何度も触れている、今度の三井氏不当逮捕の最終決断を下した「元祖・悪の検事総長 原田明夫」(今年6月24日付けで退職)ですが、じつは彼はぬあんと、ぬあんと、大マスコミのオフレコ取材に対しては、法務・検察の裏金、すなわち「調活費」の不正流用について認めているのです(笑)。
これを報じたのは、三井氏が逮捕された直後に発売になった「週刊朝日」の02年5月17日号で、当時、朝日新聞の落合博実記者と同誌取材班の執筆による、「大阪高検公安部長が本誌に託した検察腐敗『暴露シナリオ』」というタイトルの全5ページの大特集記事です。
記事では、最初に見開きに三井氏と原田のどアップ写真がツーショットで並べられ、三井氏の不当逮捕までの経緯が詳細に述べられ、途中、記事中の4ページ目(33ページ)には、立花隆の緊急寄稿「この逮捕は絶対におかしい!!」という手記が出ています。
んで、最後の5ページ目の34ページに、「検察首脳が不正経理を“自供”」として、次のような記事が掲載されています。
<三井部長が逮捕された翌23日深夜、本誌は電話で検察首脳の直撃に成功した。
——この逮捕は明らかな口封じではないか?
「それはない。捜査のきっかけはその筋(暴力団関係者)からのタレコミだった。時期は今年の1月くらい。だから急にやったんじゃない。逮捕が決まったのも(4月)18日だから。逮捕状の請求の日付を確認すればわかる」
検察首脳はマスコミの取材直前の逮捕になったのは単なる偶然だったと主張する。だが、本誌やテレビ取材の日程が最終的に決まったのは逮捕状請求前日の4月17日のことだったのだ。
——では、問題の調査活動費の実態については?
「昔はありました。昔、ひどい使い方をしていたのは事実です。私も問題だと思っていましたから……」
——それではなぜ、検察は今まで調活問題で知らないふりをしていたのか?
「それはまあ、組織防衛上しかたがなかったということでしょう。私自身は直接、かかわっていなかったし……」>
んで、じつは、この「検察首脳」こそが、ぬあんと、ぬあんと、「原田明夫」なのです(笑)。
これは、オフレコという条件で原田が電話取材に応じたのか、それとも週刊朝日の編集部が気をきかせてわざと匿名にしたのかはわかりませんが、このインタビューで喋っているのは、紛れもなく、「元祖・悪の検事総長」である原田明夫なのです。そして、その会話内容はちゃんとテープに録音もされているのです。
この「原田証言」の大きなポイントは、「昔」という条件付きながら、三井氏が内部告発しようとしていた法務・検察の「調査活動費」、すなわち、調活費の不正流用をちゃんと認めている点です。
ただ、ここにある「原田証言」には、いくらかのウソというか、ぼかしがありますので、その点を指摘しておきます。
まず、三井氏逮捕のきっかけになったという、最初のくだりにある「その筋からのタレコミ」というのは、既に公判でも明らかになっていますが、例の三井氏の神戸のマンションの前の実質的な所有者だった山口組系暴力団組長の亀谷直人とその企業舎弟だった渡真利忠光が、02年1月下旬に、関西では大物ヤメ検弁護士である荒川洋二(元大阪高検検事長)と会い、そこで渡した「三井氏との付き合いの流れ」と題するメモを渡し、んで、その荒川のオッサンが同月30日ころ、当時、大阪高検の次席検事だった大塚清明を訪れてメモを見せたうえで、コピーさせたというものです。
内容としては、三井氏が落札したマンションに、亀谷が居座っていたため、当初、その買い戻しの交渉をしていたため、そのやりとりと、さらには渡真利が三井氏を接待したということが書かれていたとのことです。
ですから、ここで原田がちゃんと説明責任を果たすとするなら、「亀谷、渡真利側からヤメ検の荒川洋二を通じ、当時、大阪高検次席検事であった大塚清明に三井氏の身辺に関する情報提供がなされた」と正確に言うべきだったでしょう。
もっとも、ここで亀谷と渡真利が荒川のオッサンを訪れたのは、三井氏が購入したマンションの買い戻し交渉に関する依頼ということで訪れたわけで(しかし、三井氏が申し立てていた不動産引渡命令が02年1月22日に発せられていたため、この時点で買い戻し交渉が成立する余地はまったくなかったのですが)、その内容について書かれたメモを、この荒川のオッサンは勝手に大塚のところに持っていったわけで、荒川のオッサン的には「これは三井のキンタマを握れる」と勝手に思い込んでしまったのでしょう(笑)。
しかし、このメモも、当初は「怪文書」の類としてお蔵入りになっていて、んで、三井氏が02年4月22日にテレ朝のザ・スクープの取材を受けるということ(それが決まったのは4月17日)を検察サイドが何らかのルートでキャッチし、「お蔵入り」していたこのメモを元に、三井氏の不当逮捕が「上から降ってくる形」で決まったというわけです。
それと、三井氏不当逮捕が正式にというか、最終的に決まったのは、02年4月20日の、原田以下、法務・検察首脳が出席した「御前会議」の場です。
んで、これを受けて大阪地検特捜部の担当検事が大阪地裁に逮捕状の請求をしたのは、逮捕前日の4月21日(ちなみにこの日は日曜日!)の夜で、実際に逮捕状が裁判所から出たのは翌22日の午前零時だったわけですから、いかに今回の不当逮捕劇が「泥縄式」であったかがわかります。
ですから、原田明夫が週刊朝日の取材に「(三井氏の)逮捕が決まったのは4月18日で、それは逮捕状請求の日付を確認してもらえばわかる」というのは、ある意味で正鵠を得ています。
というのは、おそらく、検察サイドが三井氏のザ・スクープへのインタビューを知って、「これはヤバイ」と本格的に動き出した、すなわち、「不当逮捕もやむえない」との判断と踏み切ったのは、確かに間違いなくこの4月18日です。
その後、4月20日の午前会議で最終決定され、その翌日の4月21日は逮捕状請求ですから、じつに2日あまりの“内偵捜査”で三井氏を逮捕に踏み切ったという、テンヤワンヤぶりというのは、確かに原田の言うとおり、逮捕状請求の日時を見れば、そのことはまったくよくわかるのです(笑)。
あと、原田が「昔はひどい使われ方をしていた」という、「昔」とは、いつを指していますかといいますと、これは「1999年」を指します。
三井氏不当逮捕のわずか3年前である1999年を、「昔」と表現するのが適切かどうかはまあ置いときまして(笑)、これはなぜ、1999年を機に調活費の見直しが行われたかといいますと、それは同年の1月から4月にかけて、「正義を求める法務・検察組織の一員」からと名乗る、調活費のデタラメ流用に関する内部告発文が、マスコミや各政党に送りつけられたからです。
んで、ここで書かれてあった内容が「ウソ八百」であれば、法務・検察も適当に無視しておけばいいのですが、そこには当時、検事総長だった北島敬介のオッサンのカラオケ狂いや、また当時、法務省事務次官だった原田明夫の銀座クラブ通いの実態が克明に記されていて、こうしたカネの出所がじつは「調活費である」と、「真実」が指摘されていたのです。
ですから、これには法務・検察首脳はビビリまくってしまい、調活費の利用の見直しについて通達を出し、「というわけで、これからは誰かを呼んで講演したりして、ちゃんと調活費を支払ったことにしておいて下さい。これ以降、調活費を裏ガネにして湯水のように使い倒していたとしても、法務省としては一切、責任を持ちませんので、あしからず」ということを触れ回っているからです。
それと原田明夫に関していえば、1992年4月から93年12月まで盛岡地検検事正をやっていますので、当然、この期間は調活費を裏金に回して好き放題に使っていますし、その後、彼はこの内部告発がある99年までに、法務省の官房長、刑事局長、事務次官をやっており、じつはこの3ポストも「本省ワク」の調活費を使い倒せる立場にいたので、ここでもドップリと原田のオッサンは裏ガネの恩恵に与かっているのです。
なお、週刊朝日のインタビューの最後の方で、「調活費の不正流用」について、原田明夫は「私自身は直接、関わってこなかったし……」と言っている部分がありますが、これはどういうことを意味しているのか、この文脈だけではちょっとわかりません。
もし、彼が「自分は調活費を不正に流用したことはない」という意味で言っているのであれ、それは間違いなくウソです。
しかし、そういう意味ではなくて、「私が直接、偽造領収書を書いて、裏金づくりにダイレクトにタッチしていたわけではない。それは事務局長以下がそれまでの慣例というか、システムとしてやっていただけだ」という意味にも受け取ることはできます。
であれば、ここで原田が言っていることも、あながち間違いとはいえませんので、そこははっきりと彼も読者にもわかるようにコメントすべきだったと思います。
ただ、結構、笑えることに、このインタビューの前日の、三井氏が不当逮捕された4月22日の記者会見(いわゆるオンレコ)では、原田明夫はいけしゃあしゃあと「調活費の不正流用は事実無根」と言い切っているのです(笑)。
果たして、オンレコとオフレコとどちらの発言が「真実」であるかは言うまでもないですが(笑)、ただ、一つだけ私が付け加えると、こうした法務・検察の裏金しかり、ケーサツの裏金もしかりですが、裏金の管理にあたっては必ず、「裏帳簿」を作ります。
表の帳簿では、適当に偽造領収書を集めておいて、いつ会計検査院がやってきてもいいように外形を整えておくのですが、ウラの帳簿では必ず、いつ、どれだけの入金があって、そして、その調活費を、いつ、どこで何に使ったのかという、「真のカネの入りと出」をちゃんと記しておきます。
その意味では、オモテの帳簿ではウソ八百を並べて記しておけばそれでOKですが、ウラの帳簿ではカネの流れの「真実」が記されています。
それで考えると、オモテの会見、つまり、公式に新聞やテレビで大発表されるコメントは「ウソ」を並べ立て、ウラの取材、すなわち、オフレコでは思わず、「真実」を語ってしまうということにもつながっていると思います。
こうした実態を含めて、「調活費」、すなわち、「法務・検察の裏金」の胡散臭さやいかがわしさを如実に表しているともいえませう(笑)。