「ネイキッド・ロフト」のトークライブでの発言要旨 |
第三書館社長の北川明氏と私で、「第1部 『流出「公安テロ情報」全データ』のインパクト」、途中の休憩を挟んで、「第2部 2010年代におけるノンフィクションとは? ウラ大宅賞公開選考会」のテーマで語り尽くしてきました。その全部をここでは収録できませんが、その中で、印象に残ったことを中心に、その発言の骨子を、ここでまとめてみたいと思います。
まず、このライブハウスの「ロフト」は、新宿の歌舞伎町が本家本元だったと思いますが、支店というか、姉妹店が、阿佐ヶ谷や、ここ新宿・職安通りにもあって、この「ネイキッド・ロフト」は、オープンして5、6年ということでした。
このご時世だと、このテのトークライブというのは、ネット上で中継することも多いのですが、ここでは、それを敢えてしてないとのだそうです。なぜかというと、そうやって、ネット中継すると、出演者がカゲキな発言を抑えてしまい、内容がつまんなくなるから、だというのです。TVの地上波のように、視聴者のパイが、莫大な媒体ならともかく、たかが、インターネットごときで、そんな「過剰自粛」の状況があるとは、私としては、正直、「唖然」でした。
そこで、本題に入ります。
まず、第三書館が、昨年(2010年)11月に刊行した『流出「公安テロ情報」全データ』に対して、実名掲載されたイスラム教徒側が、版元に対して、出版停止を求めた仮処分が出され、東京地裁がそれを認めました(現在、その仮処分の撤回を求め、東京高裁で係争中)。
さらに、損害賠償請求を提起されている問題ですが、私も少し、驚いたのですが、当初は、申請者であるイスラム教徒らにかかわる記述の部分を削除したうえでの刊行ならばOKというスタンスだったのが、途中から、具体的には、12月7日付で裁判所に出した、弁護団からの補充意見書の中ですが、公安警察の違法捜査を示す、他の内部資料の掲載を含めて、当該本の「全ページ」の出版差し止めを求めているのですね。
ですから、トークライブの第1部では、それらのことについて、版元の北川氏から説明がありました。
一つには、「出版停止」を命令されているのは、出版元である「第三書館」であって、流通ルートである「取次」や「書店」ではないこと。であるので、一般の書店は、既に納品されている本については、売っても問題はないのに、こうした決定を受け、販売を自粛していること。
さらには、本来であれば、この『流出「公安テロ情報」全データ』は、古本のマーケットに流通してもいいのに、当該本は、古本市場にも流れていないという、凄まじい事態になっているという状況が、説明されました。
この「自粛ムード」の奥にあるのは、裁判所から、出版停止の仮処分決定が出たということもさることながら、皆、「公安警察」を恐れている。特に、古本屋がこの本を扱わないのは、そういう業種は「古物商」としての許認可権を公安委員会、すなわち、警察組織に握られているため、「その顔色」を窺って、自粛しているのではないのか、ということでした。
そうした北川氏の発言で、私が、「へえー」と思ったのは、「第三書館を立ち上げて、30年になるが、もし、30年前だったら、私のところ以外にも、こういう本を出す出版社はいたはずだ。しかし、他に、どこもない。それが30年の大きな変化だ」というコメントでした。
で、これを受けて、たまたま、会場に来ていた、中小出版社の役員の人が発言し、「それは、ここのところの名誉毀損訴訟の賠償金高額化の流れの中で、出版社が、皆、ビクビクし、敢えてリスクを冒してまで、そうした本を出版しようというモチベーションが萎えてしまっている」という指摘がありました。
さて、その「名誉毀損訴訟の賠償金高額化の問題」は、モロ、イケダモン大先生率いる「信濃町丸ハムファイターズ」、つまり、「池田大作=創価学会・公明党」マターの話であり、私の専門領域ですので(笑)、すかさず、切り込んで、ビールをガーッと開けて、こうまくし立てました。
「その名誉毀損訴訟の賠償金高額化というのは、池田大作んところが、この『自公連立の命綱』として、松本サリン事件の被害者である河野義行を抱き込む形で、あの個人情報保護法と合わせ一本の形で、要求し、実現させたものだ。私が思うに、この自公連立によって、ニッポンの底が抜けてしまった。ああいった全体主義的な政治勢力が、政権中枢に入った結果、一言でいうなら、この日本という国は、あの池田大作に強姦されてしまったということだ。そこに全てのツボがある。そこから目を逸らしてはいけない」
その流出データ本の仮処分決定の取り消しを求める審査については、このゴールデンウィークが終わったぐらいに、決定を出すようだという情報だったのですが、まだ、出ていないようです。
私個人は、この国の司法というものを、あの三井環氏の「調査活動費=法務・検察の裏金」の実名告発に対して、裁判所も検察に協力して、あの「口封じ逮捕」を実刑の有罪判決を出して、刑務所の塀の中まで放り込んでいることに象徴されるように、ほとんど信用していません。「当局からの焚書坑儒を恐れていて、真の言論出版活動ができるか」というのが、私の考えですので、とにかく、日々、やるべきことをきちんとやっていくことの中にしか、「答え」は存在しない、ということです。その意味では、今、ここで書いていることも、「答えの一つ」です。
それと、「プライバシーや個人情報」と、「言論、出版、報道、表現の自由」との絡みで、異様に萎縮というか、自粛するようになったのは、この自公の10年である」ということも、発言しました。
かつて、以前は、被疑者が逮捕されると、新聞の記事では、本人の現住所の「番地」まで記載していましたからね。児玉誉士夫なんかも、ロッキード事件で逮捕されたときは、世田谷区の等々力の自宅の番地までちゃんと新聞記事には出ている。
そういうのを、メシの種にしている者のひとりとして、忸怩たる思いというか、恥ずかしさというのは、あります。では、そうしたプライバシーや個人情報を消して、匿名にしてしまえば、すべてがOKなのか。そんな単純な話ではないと思います。
ここのところ、「法廷ヤクザ」とでもいうのか、「被害者」を前面に出して、恫喝まがいの高額訴訟を乱発するというのが、この「自公の10年」において、非常にありふれた光景になってしまいました。
あの拉致被害者たちというのも、たぶん、同様の視点で語られると思います。胸を張って、ふんぞり返る「ヒガイシャ様」とでもいうのか、私は、そういう思いを強くしています。ただ、そういう変な思い上がったような感覚も、この大震災で、かなり空気が変わってきてしまっているのではないのか。そういう思いを強くしています。
少し、話がとりとめもない方向に行ってしまいました。
で、第2部の「ウラ大宅賞の公開選考会」ですが、これは、「ウィキリークス」と「尖閣ビデオ」、「公安テロ情報」の3つがノミネートされました。
この3者に共通するものがあって、まあ、ウィキリークスは、発信媒体がきっちりと存在しているので、少し、別枠で語られるべきものかもしれませんが、それでも、そこにある共通項とは、「作者不詳」、つまり、「詠み人知らず」ということです。
例えば、尖閣ビデオについても、投稿したハンドルネームの「sengoku38」氏は、あくまで「投稿者」であって、「著作権者」ということでは、尖閣の現場でビデオカメラを回して撮影した海保の職員ということになるのでしょうか。
また、「公安テロ情報」も、結果的に、今度の第三書館の単行本化で、世間をお騒がせしたことで、警察当局も、やっとこさ、渋々と「流出元はウチ」だと認めましたが、それでいうと、ウィキリークスが公開した膨大な量のアメリカの外交外電も合わせて、著作権者は、敢えていうなら、「官」ということになると思います。
しかし、考えてみれば、こうした「官」、すなわち、「官僚」というのは、我々の税金でメシを食わしてやっている、「主権者たる国民の下僕」なのですから、それでいえば、突き詰めていうなら、こうした「官が隠し持っていた情報」の、本来の著作権者は、我々、「国民全員」であるのです。
それを踏まえ、司会者から、いくつかの質問があり、版元の北川氏に対しては、「こうしてネット上に公開された情報を、そのまま本にして出すといことは、アリなのか?」という問いがありました。
それに対しては、「ネット上の情報を丸ごと、紙に移し変えただけだという批判もあるが、順序や全体の構成を考え、さらには見出しを付けることで、『作品としての本』にしている。これがかつてのアナログの時代だったら、これだけの情報を、そもそも、外に持ち出すだけで大変だったし、また、そこに至るまでものすごく時間がかかって、なかなかこうした形で入手することもできなかったが、それがデジタル化で簡単にできるようになった」と指摘。
同様の本づくりのケースとして、ネット上に公開されていたイラク戦争などの惨劇映像を「写真集」として出した『テロ死/戦争死」を挙げ、これも本来であれば、著作権者は、厳密に言えば、現場で撮影した米兵だったり、一般市民であったりするが、「そうした公開情報を、本にしたという点では、手法としては、今度の公安テロ情報においても、踏襲している」と発言していました。
そして、司会者は、これを踏まえて、私に対して、「こうした作者不詳、詠み人知らずの作品が、ウラ大宅賞にノミネートされることについて、そういう職業をしている立場として、どう思うか?」と問われました。それに対する私の発言は、以下の通りです。
「こうした形で、情報がどんどん公開されることは、とてもいいことだと思う。そういった『作者不詳、詠み人知らず』の作品でいえば、例えば、『平家物語』がある。これを最終的にまとめたのは、信濃前司行長とされているが、しかし、もともとは、盲目の琵琶法師らが、庶民に語り継いでいった、歴史の真実である。作者の名は消えても、作品は残るのだ。
そもそも、今では、例えば、ケータイの写メで撮影したことを、自分のブログで公開し、いわば、『一億総ジャーナリスト状況』になっている。しかし、どんなに機器が発達しても、取材というのは、最後は、『1対1の人間関係』になる。そこで信頼を得て、初めて相手に喋ってもらえることがある。そういう丹念な作業はこれからも必要だし、それは、そうした公開情報の積み重ねがあって、『さらに、より高度で、重要な情報』を取材によって、引き出すモチベーションにもなる。ところが、いかんせん、この業界でも、取材力もないのが、『ジャーナリストでございます』で通用する世界なので、こうした情報公開をきっかけに、そうした悪貨が淘汰されていくことを望む」
で、最後に、そのノミネートされた3作品の中から、「ウラ大宅賞」はどこにするかということになって、私は「この際、3つ、すべて受賞でいいと思う」と発言。北川氏は「やっぱり、ウィキリークスだと思う」と意見を述べ、最終的には、「ウィキリークス」が、今度の栄えある「第1回・ウラ大宅壮一ノンフィクション賞」に決定しました。パチパチパチ(笑)
#で、そのフクシマ第1原発の1号機で、今日(=5・14)、作業中の「60代男性」が、体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡した(が確認された?)変死ジアン、 だいたいさ、そもそも、ぬあんで、「匿名報道」なんだよ? 氏名を隠す必然性はどこにもないハズだが、また、東電側の「個人のプライバシーに関わることなので」っていう逃げ口上に、ヌケヌケと「わかりました!」って、言いなりになってるんだな。そもそも、この人ってのは、東電から仕事を受けた「元請け」の大手から始まって、「何次請け」なんだろうなあ。孫、曾孫、玄孫? 日当はナンボぐらい貰うておったんだろうなあ。
っていうかさ、コイツは、ひょっとして、大阪は西成・あいりん地区で、手配師からの「カネになる、エエ仕事があるで」っていうエサに引っかかって、ホイホイと目隠しされて連れて行かれた先が、じつは、「フクシマ第1原発だった!」ってことは、ねえのかなあ。ひょっとして、本名なんかも、ようわかんねえのかもしれねえよなあ。クリステル、日曜夜の『Miss.サンデー』で徹底的に調べ上げようか? ライブのナマ放送がそれせんかったら、「で、いったい、何やってるの? やっぱり、寝てるの?」の世界だもんなあ。で、その1号機建屋から、コレまでで最大の「2000ミリシーベルト/時」の糞ションベンを検出かよ。
#あと、そのフクシマ第1原発で、「1号機地下」で、深さ4m超の糞ションベン塗れの水が流れ込んでおるっていうことを、今日(=5・14)、東電&保安インが発表したっていうことだが、要するに、コイツは、メルトダウンを起こして、糞ションベン棒が溶融し、便器(=圧力容器)はもとより、その外側を覆っておる釜(=格納容器)をも突き破って、地下に溜まっておるか、少なくとも、「穴」は開いておるわけだよなあ。その釜と繋がってて、釜の外周をドーナツ状に囲んでいる圧力制御プールも、「釜の一部」といってもいいわけだからなあ。こんなもん、最初からわかり切っておるのに、ぬあんで、今頃、「小出し」にするんだよ?
#それと、フクシマ第1原発から、約300km離れた神奈川県西部の南足柄市の「足柄茶」から、1kgあたり「530━780ベクレル」の規制値を超える放射性セシウム(暫定規制値は500ベクレル)が、検出されたモンダイは、コイツは大きなニュースだと思う。だって、足柄まで来たら、緑茶の最大産地の「静岡」は、すぐ目と鼻の先だからなあ。アレだけ離れた神奈川県西部で、コレだけの糞ションベンが検出されておるんだから、たぶん、「静岡茶」からも出てきそうだよなあ。
あと、緑茶は飲まん人間だっておるんだから、まだ、マシかもしれんが、今後、秋にかけて、「コメ」だよなあ。どれぐらいの量が出くるのか。ま、「ただちに健康に影響を及ぼすことはない」ってのは、わかっておるんだが(笑)。こうなると、また、どうせ、誰も何も考えておらんだろうから、あとは、「カネで補填すりゃ、オシマイ!」っていう発想しかねえんだろうなあ。しかし、このフクシマ第1原発から、ブスブスを燻ぶり続けておる糞ションベンの腐臭&汚水は、まさに、「L’essentiel est invisible pour les yeux(=目に見えない大事なモノ)」の最たるもんだよなあ。
#この大震災のドサクサに紛れて、かき消されてしまった感もあるが、発生直後に店頭販売になったんかいなあ、『朝(日)ジャ(ーナル)2011』(featuring週アサ緊急増刊3・19)に掲載されておった西岡研介クンの「故・平山郁夫氏を沈黙させた『正義』という名の狂気 防衛大・幻のステンドグラス事件」はオモロかったんで、ちょうど、「上」のネッキイド・ロフトに向かう前に、国怪図書館に寄って、記事のコピーを取ってきた。この西岡クンの記事の他に、オモロい抜きネタがもっと入っておれば、本屋で買うておったが、ワシ的には、ああいう「ロン雑誌」は、どうでエエわ。
02年に創立50周年を迎える防衛大のステンドグラスに、平山郁夫に原画を頼むっていのは、既に96年の段階で、記念イイン会のイイン長をヤッておった「佐久間一」っていう元統合幕僚会議議チョーが、鎌倉にある平山の自宅まで行って、アタマを下げ、決まっておったんだな。それが、「平山降ろし」の動きが出始めたのが、「99年秋」ってんだよな。
で、それが、最終的な「直接行動」に出るのは、『月曜評論』っていう保守系の雑誌の00年8月号に、「岡田政典」っていう防大4期で、空自OBのおぢいちゃんが書いた「防大に平山郁夫描くステンドグラスの怪」なる一文が掲載されたのをきっかけだったんだな。んで、この岡田ってのが、平山の自宅電話番号が入ったビラを集会なんかでバラ撒き始め、それで、平山の家へ嫌がらせや抗議の電話が殺到し、結局、00年11月末に、平山はついにネを上げて、「防衛大のステンドグラスの件、降ろさせてくれ」と辞退したってんだよな。要は、平山は「親中国派」っていうか、「中国と超ズブズブ」っていうのが、連中の目の敵にされたってんだよな。
#「上」の続きだが、西岡研介クンが、いみじくも、本文のリードで書いておった「今、ニッポン社会全体を覆う、ぬあんとも嫌な雰囲気」、つまり、「己の主張のみを展開し、意見が異なるものに対して、容赦なく実力行使する、マッチョな思想の源流」だよなあ。
ワシ的にいえば、「こうした動き」が顕在化したのが、「99年以降」ということに、もっと着目しなければならない。その「大元」にあるのは、あの「自公=99年体制」だ。西岡クンが、ウワシンで書いた、例の「雅子呼び捨て一行情報」で、あの日本青年社の跳ね上がりが、編集ブへの襲撃をヤッたのと、「同一時間軸上」にあることを、もっと、凝視しなければならない。
ものごとは、すべて、「原因」があって、「結果」が存在する。この腐臭の淵源に存在するものを、見ないと、だ。どいつもコイツも、「見ざる、聞かざる、言わざる」に徹底していやがるからな。一言で言えば、あの藤原弘達が『創価学会を斬る』(日新報道)で提示しておった、「ニッポンの戦後ファシズムの完成形」の図式に、この「自公」がピッタシ当てはまっておったっていうことを。
それと、もう一点。このジケンの発端におった、「岡田政典」という防大4期が、「空自の人間」だったってことで、田母神ナントカや、前阿久根市チョーの竹原信一を引き合いに出し、「アレは、空自っていう特殊なソシキのモンダイだぁー!」っていう海自関係者の声を出しておったが、「それは、違うだろう」ってのが、ワシの見方だな。空自なんてのは、「戦後発足」の歴史のないソシキであり、あくまで、本筋は、「長州の陸軍」であり、「薩摩の海軍」だからなあ。今、ココで、多くを喋る余裕はないんで、一つだけ、俗耳に流れておる「陸軍はマッチョ、でも、海軍は超リベラル」っていう言説は、じつに「うわべも、いいところ」ということを指摘しておく。
#で、今度の『流出「公安テロ情報」全データ』の刊行に対するサイバン沙汰について、一点だけ言いたいのは、「既にネット上に流出しており、そちらはほうっておいて、なぜ、単行本化されたものにだけ、文句を言ってくるのか」という指摘はさることながら、むしろ、今度の刊行の最大の意義というか、収穫ってのは、コレが大きく世間をお騒がせしたことで、サッチョウが「アレは、ウチのネタでーす!」って、渋々、「ホンモノである」ことを認めた。コレに尽きると思う。それまでは、「知らぬ存ぜぬ」で、「アレがホンモノかどうかは、よくわからない」とか平気で抜かしておったんだよな。
それを考えると、そういうプライバシー侵害っていうか、「弱者イジメ、食い物」の大元は、ケーサツであるのに、なぜ、そこを相手に国賠ソショウを起こさないのか。ワシの素朴なギモンは、その一点に尽きる。その「イスラム過剰敵視」という、誤った公安ソーサの実態を糺し、それを止めさせて、「根本的な被害救済」を求めるのであれば、国賠ソショウで、被告は「国」だが、あと、適当に、当時の、管轄である桜田門の公安3課チョーあたりも、被告に入れてヤレば、サイバンの形としてはちゃんと整うのに、それをせんで、ただ、「出版禁止」のみを声高に叫ぶというのは、「おかしい」と思う。結局、ケンリョクと本気でケンカするだけの腹を括っておらんっていう、「足元」が透けて見える。
ワシは、ライブ前に、版元といろいろと喋ったとき、まだ、書面のやりとりで、法廷における口頭弁論の開催は、かなり先だが、もし、いずれかの段階で、サイバン所が「和解」ということを打診してきたたら、それを受けるというのも、勿論、中身にもよるが、「選択肢の一つ」であるということも言っておいた。相手が、「どうしても白黒で決着をつけたい」というのであれば、最後まで「お付き合いする」というのは、当然で、それぐらいの腹を括っておらんことには、こういう本は出せんからなあ。もし、自分の本がそうでも、「最後まで受けて、立つ」というのは、当然だ。
#で、そのフクシマ第1原発の1号機の爆発ジコについて、東電は、また、今日(=5・15)になって、「小出し」して、震災発生当日の「3・11」の19時半ごろには、「便器」(=圧力容器)の水が蒸発して、空焚き状態になり、21時ごろには、糞ションベン棒を包むさやの「ジルカロイ(ジルコニウム合金)」の融点である「1850℃」をもピャーッと超え、燃料である糞ションベン(=酸化ウラン)の融点である「2800℃」に到達し、翌「3・12」の朝6時半には、それらが溶けて、便器の底に落ちたと、やっと、認めたのか。
んで、その「便器」は、鋼鉄製なんだが、「鉄」の融点は、酸化ウランはもとより、ジルカロイよりも遥かに低い「1535℃」だからなあ。ま、ジョーシキ感覚を働かせれば、東電からイッパイ、小遣いを貰うておる東大や京大の御用ガクシャ連中でのうても、そのへんの小学生でも、「ぢゃあ、その後、どういう事態になったか」なんて、分かり切ってるよなあ(笑)
#今日(=5・16)発売の『大衆』に、この「5・12」に、住吉会のトップ(=福田晴瞭)が神戸入りして、菱本家の6代目(=司忍)と会うたというハナシが出ておったな。まさに、東西ヤクザ組織の「トップ会談」だからなあ。菱と住吉の関係は、あの「07・2・5」の西麻布路上での、小林会幹部の射殺ジケンを機に、「穏やかざるもの」がずうーっとあって、つい、最近も、「住吉会、関東二十日会を離脱か?」という噂も出ておったからなあ。
その「小林会」ってのは、住吉本家の7代目を継いだ福田晴瞭の出身母体で、射殺された小林会幹部の杉浦良一ってのは、後部座席に乗っておったんだが、クルマ自体は、小林会会長の小林忠紘の所有で、この直後に乗り込むハズだった、こっちの方を狙っておったという説も出ておったんだよな。その根底にあるのは、「菱の東京進出」に絡む、「シマの利権を巡る争い」だからな。
そういう流れがあって、菱と住吉の関係は、しっくりと行っておらんかったというか、ある意味、一触即発の危険性を常に持ってはいたが、今回、務めを終えて、シャバに戻った6代目が「座布団に座り直す」にあたっての、一つのアピールとみていいのではないだろうか。その背景にあるのは、ここんところ、ケーサツによる露骨な「弘道会叩き」とでもいうのか、政権与党である弘道会のトップ(=高山清司)とナンバー2(=竹内照明)の身柄を相次いで取った「頂上作戦」とも、リンクしていると思う。
近視眼的には、とりあえず、足場を固めて、ケーサツに付け入る隙を与えないということだろうが、もう少し、長い目で見た場合、「人事」も絡んでくると思う。いずれにしても、菱本家のカシラ(=高山清司)が保釈になった際の扱いだよなあ。ただ、あまりガタガタしておるところ見せておると、山健組の4代目(=井上邦雄)が、一気に「大政奉還」を迫るということも、決して「ありえん話」ではないと思うなあ。
だから、ポイントは2点。まず、座布団に座り直した6代目が、出身母体である弘道会を、どこまで掌握しておるのか、ということ。もう一点は、執行部である「カシラ補佐」は、今、7人かいなあ、その動向だろうなあ。あの「05・7・29」のクーデター、つまり、「5代目(=渡辺芳則)」の追放劇へと動く伏線は、「カシラ人事」にあったからな。その2ヵ月半前に、長らく空席だったカシラに、「山健包囲網」を敷くカタチで、カシラ補佐だった司忍が就いたところから、動き始めたんだからな。そのへんは、ワシなんかより、溝口敦あたりが、レポートで、また、何か書くだろう。
ちなみに、弘道会の初代である司忍が、その跡目(=2代目)を高山清司に譲ったのは、「05・3・10」だが、それに伴って、司忍は、元々の出身母体である「弘田組組長」に戻るとともに、「弘道会総裁」に就いておったんだよな。
