三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#で、西岡研介クンが、『週アサ』の最新号(10・29付)でスッパ抜いた、「亀谷直人獄中手記」だが、きちんと読んでみた。「下」でも、少し書いたが、今回の「1発目」の記事に関しては、「真新しい事実」は、何もない。唯一、あるとすれば、亀谷の服役先のムショが、「岐阜」から、東京の「府中」に移送されておったというぐらいのものだ。ほいだから、ココで出てくる内容は、既に、ワシが、『日本の裏金(下) 検察・警察編』(第三書館)の中で、全て書いてあるものばかりだ。
ただ、今回の「亀谷・獄中手記」ってのは、分量が、「B4サイズの罫紙」に、「約200枚」ってんだよなあ。コイツは相当な量だよなあ。西岡クンも、神戸シンブンを退社後、98年にウワシンにとらばーゆして、三井環のオッサンが、口封じタイホされた02年当時というのは、まだ、ウワシンにおったんかいなあ。それとも、既に文春に移籍しておったのかもしれんが、いずれにしても、そのとき、つまり、「8年前」だが、西岡クンも、このジケンの最重要人物である「亀谷」に接触を試みておったってんだよなあ。亀谷は、三井環のオッサンと一緒にタイホされるも、「処分保留」で釈放され、キソ猶予になって、シャバに戻っておったときに、西岡クンは「古くからの知人」を通して、亀谷に手紙を書いておったてんだよなあ。
しかし、そのときは、コンタクトできずに、「02・11・25」に、亀谷は、八重洲の路上で、当時、3代目山健組の東京責任者だった「鶴城丈二」を、白昼、射殺して、要は「塀の中」に逃げ込んだんだよな。それから、「8年の歳月」を経て、「この8月」に西岡クンのところに、ドサッと、この「獄中手記」が届いたってんだから、いったい、どういう「心境の変化」があったんだろうなあ。
#だから、最大のポイントは、例の「2億円の件」、つまり、「桑田兼吉保釈工作」だが、亀谷は、この鶴城らから、依頼を受け、「現金2億円」を、神戸から東京まで、新幹線を使って運搬しておる「当事者」だからなあ。山健サイドとしては、「2億円」も亀谷に渡しながら、結局、桑田兼吉の保釈が取れんかったから、亀谷は、鶴城らに「2億円は、どこに消えたんだ?」って明かすよう、迫られておったんだよな。だから、亀谷が、鶴城を射殺した「02・11・25」ってのは、亀谷の依頼を受けて、「桑田の2度目の保釈請求が、却下された日」なんだよな。だから、この「2億円の行方」ってのは、山健組の関係者は勿論だが、当然、三井環のオッサンばかりでなく、在阪のフリーのブンヤの尾塚野形のオッサン、ほいで、ワシも、知りたくて、しょうがなかったんだ(笑)
んー、亀谷は、この西岡クンへの「獄中手記」ん中で、「2億円の行方」について、「何を、うたってる」んだろうなあ。で、もし、「具体的な、渡し先」をうたうておったとしたら、それは、「本当のこと」なのか。うーむ、「この8月」ってのは、「村木のオバハンのジケンのハンケツ前」だよなあ。でも、「無罪はほぼ間違いない」という状況ではあったよなあ。ココで、亀谷が、敢えて「ガセ」を言う必然性も、ないと思うんだ。であれば、「本当のこと」である可能性は高いと思うんだがなあ。たぶん、コレは、渡真利忠光や、さらには、大坪弘道に対する「サイン」のような気がする。「もう、そろそろ、喋ってもエエやろ!」ってなあ。
#ほいで、今日(10・22)、都心方面に出たついでだったんで、ひょっと思いついて、久しぶりに、上野の三井環のオッサンのジム所に、夕方からだったが、フラッと覗きに行った。その後、近くの焼き鳥屋で、イッパイやったんだが、そのときの四方山話を、ニュース原稿と同様、「大事な順」に、以下、記す。
・保釈後(の03年)に光文社から出していた『告発!検察「裏ガネ作り」』が、年末に双葉社から、文庫で再刊されるが、そこで、新たに書き下ろす部分に、「大坪弘道」のことも書いた。そこで、ワシは「大坪との共闘」を書いておる。(Q:それはいいと思う。もう、大坪も「敵」ではない。抱き込んで、味方にしていいと思う。渡真利忠光のことも含めて、大坪が、全部、喋ったら、オモロイ)
・今回のような「証拠改竄」は、自分はやっていないし、そもそも、こんなこと、聞いたことがない。「どうせ、バレるわけがない」とタカをくくっておったのだろう。前田(恒彦)は知らんが、佐賀(元明)は、ワシが高松地検の次席のとき、「下」でおって、使っていた。香川医科大の臨床治験の汚職事件で捜査を担当させ、よくやっていた。前田のFD改竄に対する、大平と佐賀の「犯人隠避」については、「足」、つまり、検察内部から、それを裏付ける証言が、何本か、3本か4本あるということだ。前田に、そのオンナの検事と、あと、何人か。「過失」で、うっかり書き換えるなんてことは、ありえない。
・西岡(研介)の週刊朝日の「亀谷獄中手記」の原稿の全文は、連載が終わってからでないと、見せてはくれないだろう。(Q:ただ、あのB4罫で200枚という分量は、1回の手紙で出せる枚数か? 確か、刑務所から手紙を出す場合、枚数制限があったはずだ)そうや。1回で確か、便箋10枚だったと思う。
・ワシが(この1月に)出所してから、池上彰と2回会うた。最初は大阪で、2度目は、この上野の事務所で。いずれも、インターネット放送だった。双方ノーギャラ。「NHKが検察の裏金を追及せんのだったら、受信料不払い運動を起こせ!」って言ったら、池上に「コレは生(放送)でやってんですから」って言われた(笑)。それで、NHKの報道局ではない、たぶん、ドキュメンタリーのディレクターだと思うが、ワシに会いたがっているようだ。ワシは誰とでも会うが、でも、企画は「上」を通らんと思う。そういうのを放送したら、司法担当記者が嫌がらせを受けたり、他のところで何かヤラれるだろう。池上彰は、ワシが講談社から出した本の中で、推薦文を書きたいようだったが、02年当時のワシの事件を知らんからなあ。(Q:結局、鳥越俊太郎が書いていたが)アレは編集者が依頼した。
・今日(10・22)、司法記者クラブで午後から会見をしてきたが、取材に来ておった記者は、皆、若い。ワシが(02年に口封じで)逮捕された事件なんかも、よう知らんのだな。(Q:だって、若い社会部の記者は、入社6年目とか、7年目だ。それだと、02年の時点では、まだ記者になっていない)
#で、ワシ、バタバタしておって、うっかり、見落としておったんだが、この「10・17付」の聖教シンブンの1麺アタマに、コートジボワール共和国から、イケダモン大先生に勲章が授与されたってことで、大先生が、その勲章をクビからぶら下げた、まあ、「直近撮影の写真」だよなあ、出ておったんだな。大先生が、「公の場」に出て、それが、聖教シンブンにデカデカと「ナマ写真」が出た最後は、「5・13」の中国・清華大からの名誉教授号の授賞式で、その後、急遽、「6・3」のホンカンを欠席したことも含め、以来、ずうーっと、「リアルタイムの動静写真」が、出てなかったんだよな。でも、イケダモン大先生は、そのコートジボワールからの叙勲の授賞式には、出てなかったのか。ってことは、勲章を貰うて、その後、外部の人間が接触できない「内輪の場」で、撮影したんだな。
ただ、写真を見る限りにおいては、表情全体に精気はないし、目も虚ろで、顔もヤセたよなあ。ま、ああやって、撮影の場に出てこれるってことは、まだ、自分で立って、歩けるということではあるんだろうな。でも、諸々、「老化」が進んでおるということだけは、間違いないなあ。痴呆とか、そういう症状は、出てねえのかなあ。全くの寝たきりってことではないんだろうなあ。日々、シンブン読んだり、TVニュースとかも、ちゃんと見てるんかいなあ。まさか、矢野絢也の「秋の叙勲内定」の報を聞いて、「ニッポン政府からの叙勲辞退は、信濃町丸ハムファイターズの伝統なのに、そんなもん、許しておけるか!」ってことで、久々の御登場ってこともあるんかいな(笑)。それにしても、大先生も、元気ねえよなあ。やっぱ、総センキョ惨敗による下野に加え、「矢野暴露本=核弾頭ミサイル」の直撃を食らったのは、大きかったよなあ。
#で、西岡研介クンや、今日(10・26)発売の『週アサ』を読んだが、まだ、「2回目」のせいか、全然、本番まで行かずに、やっとこさ、オンナの唇ん中にベロを突っ込んで、ブラウスのボタンを外しにかかったっていうところだよなあ。今回のハナシも、ほとんど、ワシの『日本の裏金(下) 検察・警察編』(第三書館)に、既に出てるからなあ。何が、「ニュース」かといえば、一連の三井環のオッサンの口封じタイホ劇で、「タイホされた当事者」のうち、オッサン以外の「チョー重要人物」の1人である「亀谷直人」が、初めて重い口を開いて、その「腐れケンサツのデッチ上げだった」ということについて、「認めた」っていうことに尽きるだろうなあ。
今回、ワシ、「へえー」って思ったのは、その亀谷の取り調べをした副検事の「野口幸男」だよなあ、この野口が、あの大坪弘道と同様、今度の「郵便不正ジケン」に、ソーサのゲンバでモロ、タッチしておるってことだよなあ。あの大坪といい、この野口といい、あと、今、大阪チケンの次席をヤラされておる大島忠郁といい、この連中は、あまりにも「ソシキの恥部」を知り過ぎてしもうたんで、下手な部署に異動させることはできんかったんだよなあ。ま、「位」は上げつつも、今度の村木厚子のオバハンのジケンをヤラされるといったような、「ババ」ばっかり掴まされるポジションに据え置かれたってことだよなあ。だからさ、「野口よ、(やっぱり)オマエもか!」ってところだからなあ。
ほいで、西岡クンや、その「2億円の件」(=桑田兼吉保釈工作のウラ)のハナシは、いつになるんだよ? ま、原稿料も稼がなアカンから、もうしばらく、腹からケツ、太ももといった「周辺のマッサージ」を続けるんかいなあ。そうやって、徐々に刺激を加えてヤラんことには、オンナもなかなか股を開かんからなあ(笑)。あと、ワシ、「渡真利忠光」は実名で報じるべきだと思う。今は、亀谷と養子縁組をしとるんで、戸籍上の名前は「亀谷忠光」なんかいなあ。しかし、記事中で、「T」でボカす必然は、どこにもない。「渡真利忠光」という名前は、「ニュース」だと思う。やっぱ、山口一臣は、ビビッておるんかいなあ。
#で、今日(10・28)発売の『文春』に、あの高知白バイ衝突冤罪ジケンで、また、例によって、今度は、高知チケンが、デタラメの検面チョー書を作っておったってことが、バクロされておったなあ。チョー書には、聴取を受けた人の署名と押捺があるんだが、ぬあんと、そこには、署名は別人の筆跡、んで、捺印も、本人ではない「他人の指」で押してるってんだよな(笑)。相変わらず、連中、ヤッてくれてるよなあ。「どうせ、何をヤッても、バレるワケがねえ」って、ナメ切ってるんだよなあ。しかし、コレは、高松コー検は、ソーサに着手せんとだよなあ。高知のチケンはもとより、担当検察官は、副検事だったかよ、そいつの自宅とかも、ジャンジャンとガサかけて、身柄を取らんとだよなあ。「戒名」は、刑法第155条の「公文書偽造」だよなあ。
このジケンで、冤罪の汚名をおっ被された、アレはナントカさんだったけかなあ、「片岡」とかというバス運転手だったよなあ。この本件の衝突ジコでは、既に服役を終えて、シャバに出てきておるんだろ? 刑事コクハツはしておらんのかなあ。だって、「公文書偽造」は、サイコー刑が「懲役10年」ってことは、「公訴の時効は、7年」だから、全然、大丈夫だからなあ。三井環のオッサンと同期の24期の、サイコー検の検事総チョー・大林宏宛にコクハツ状を出しておけば、高松コー検にジケン処理の移送をすると思うんだがなあ。
この白バイ衝突ジケン処理が、根本的に「おかしい」のは、確か、前も1回チョロっと書いたと思うんだが、発生が、「06・3・3」で、このスクールバスを運転しておった片岡サンかあ、即、タイホされてるんだな。しかし、当初、チケンは、「処分保留」で釈放し、ぬあんと、9ヶ月近くも経って、「06・12・6」にキソしておるんだよな。通常、このテの交通ジコは、タイホすりゃ、「20日間」の勾留満期で、キソするからな。20日間もソーサの時間があって、それで、キソせんかったら、普通は「不キソ処分」になる。その意味では、実に「甲山ジケン的」な展開なんだよな。ナンボ、衝突によって、死亡してしまった相手が、「県警交通機動隊の白バイ隊員」であったにしても、「おかしい」んだよなあ。
#「上」の続きだが、たぶん、コイツはワシのカンだが(でも、最近、よく当たる)、 この白バイ衝突冤罪ジケンの刑事処分には、「高知県警のURAGANEモンダイ」が、底流にあると思うなあ。コレは、地元の高知シンブンの県警担当キャップだった「竹内誠」ってのが、「03・7・23」の朝刊でスッパ抜いておって、具体的には、県警ホンブ捜査1課の「ソーサ費」約196萬円(02年4月━10月)をウラに回しておったんだが、この記事に合わせて、地元のオンブズマンが高知チケンに刑事コクハツをしておったものの、不キソ処分になっておったんで、ケンシンにシンサを申し立てておったんだ。それに対して、「不キソ不当」のギケツが出たのが、「06・10・25」なんだよなあ。
すなわち、この「06年10月」の時点においては、その白バイ衝突冤罪ジケンのソーサは、既にケーサツから「チケン」の手に移っておって、「あとは、キソか不キソか」ってところだったからなあ。コレは、ワシの超ウルトラCの動物的カンでしかねえんだが、連中の「行動原理」からして、このギケツが、どこかの「ツボ」をピャーッて押してしまったような気がしてならんのだよなあ。いちおう、「不キソ不当」でも、再ソーサはせんとだし、そもそも、高知チケンが、「高知県警の裏金づくり」を不キソにしたのは、「自分んとこも、同じをことやっておって」、なおかつ、「まだ、世間様にはバレてねえから」だからなあ。
やい、大林宏、オマエんとこの「ちょーかつ」は、どうなったんだよ? この際だから、三井環のオッサンと同じ「24期同士」ってことで、どこか、月刊文春あたりでも対談すりゃエエのになあ。「ワタシは札幌、アナタは高松のチケンで、同時期に次席検事として、ちょーかつのウラ帳簿の決裁をやったもんですよねえ。コレも『同期の桜』ですか。いやあ、懐かしいなあ」ってなあ(笑)
#その尖閣沖の中国漁船衝突ジケンで、「ビデオを見せろ、見せん」でバカ騒ぎしておるが、田中宇のブログ(=國際NEWSカイセツ)を読むとだな、あの海域は、日中双方が「領有権」を言い張っておることもあって、「国交回復」をしたトウ小平の時代から、波風を立てんようにするため、敢えて「曖昧」にして、「日中双方の漁船が自由に操業してもよろしい」っていうふうにしておったってんだよな。ニッポンでも古来から、「入会地」って、山林なんかは「地域の共有財産」として、敢えて、「私有から外す」ことで、「皆で仲良く分け合おう」ってことをやってきたんだよな。
だから、田中宇のヨミだと、今回、「中国人船長タイホ」にGOサインを出した、あの「秋山直紀のおやぢ」と超ズブズブの「前原」は、「亜米利加サマの指示」を受けて、敢えて、「中国を挑発する」ために、「わざと、やった」ってんだよなあ。ま、あの前原の脳細胞の量からすると、十分に理解しうるハナシだよなあ。しかし、菅も仙石も、そういう「火遊び大好き坊や」を、ビシッとコントロールできんのだよなあ。仙石なんて、新潮に「赤い官房チョー官」って書かれたぐらいで、アタマに血が昇って、サイバン沙汰を起こしておるんだろ。「いやあ、そんなに大物に扱ってくれて、アリガトウ!」ぐらいの器量を見せんで、どうするんだってところだよなあ。
確かに、その意味では、小沢イチローが、もし、「フリーハンド」の状態でおったなら、もう少し、「オトナの対応」をしとったかもしれんよなあ。だから、近視眼的には、あの石原のおぢいちゃんのように、「中国、ケシカラン!」って煽っておる方が、「見た目」には、カッコよく映るわな(笑)
#えっ、明日(10・30)OAの六本木ヒルズTVの『ドキュ宣』で、「石井紘基刺殺ジケン、8年目の真実」かあ。ムショに入っておる「伊藤白水」が、何か喋ったんかいなあ。実は、伊藤が石井を刺殺した「02・10・25」ってのは、「上の2億円の件」(=桑田兼吉保釈コーサク)で、「1回目の保釈申請」が、却下された日なんだよなあ。で、一説には、亀谷直人がJR新神戸駅から新幹線で東京駅まで運んだ、その「2億円」のうちの一部が、こっちの「石井刺殺ジケン」の方に流れたっていう「ウワサ」もあるんだよなあ。
ワシも、この「2億円の行方」については、相当、調べたんだが、まったくもって、「雲を掴むハナシ」っていうか、途中で、雲散霧消しちゃってんだよなあ(笑)。ま、亀谷が抜いとるのは、間違いないんだがな。西岡研介クンは、ワシに代わって、ちゃんと、突き止めてくれるかなあ。コイツを掴んだら、「大スクープ」だからなあ。
#おっ、その石井紘基刺殺ジケンの犯人「伊藤白水」の「獄中書簡」のハナシが、いよいよ、おっ始まったな。その「大野公二」っていう、六本木ヒルズTVの報道キョクのキシャかよ、コイツが、伊藤からこの6年にわたって、便箋計約50枚の手紙を貰うておったのか。伊藤は、「無期懲役」かよ。コイツは、仮釈放が付かん、一生シャバに出れん方の「無期」やな。ほうー、石井の刺殺ゲンバで、カバンの中から、何かブツが盗まれた可能性があるのか。何のブツだろうなあ。「ニッポンが、引っクリ返る資料」かよ。まあ、「口封じ」でヤラれたってのは、十分にありうるよなあ。えっ、「闇金の追及資料」? んー、そんなもんでは、ニッポンは引っクリ返らんわなあ。
で、伊藤白水が喋ったところによれば、「政治のウラで動く人脈やカネがカンケイしており、ワシ1人に、全部、おっ被されて、ムショの中で死んでくれた方が、エエと思われてる」かあ。ま、そうだろうなあ(笑)。確かに、石井との個人的な怨念orトラブルはあったかもしれんが、それだけで、コロさなアカン理由はねえからなあ。心臓を目がけて、一刺しかあ。「プロの手口」だな。ゲンバの見張りとか、手引きした人間とか、「チーム」で動いておったと思う。で、「第三者の影」なあ。ジケン直前に、ヘンな人間がウロついておったってのは、ま、「脅し」だろうなあ。この伊藤の手紙は、しっかりとした筆致だな。キレイな字だ。
ほうー、伊藤白水は、ムショに会いに来た、その大野公二に「複雑な事情があって、人に頼まれて、やった」かあ。「やっぱり」だよなあ。で、カネも動いておったのか。貰うた金額は、1回目が3千萬円、2回目が1500萬円かあ。ま、「依頼先」は、言わんだろうなあ。しかし、この「証言」を引き出しただけでも、「スクープ」だなあ。その「ゲンバから、盗まれたかもしれん、ブツ」には、こだわり過ぎん方がエエかもしれんなあ。石井くらいになると、ややこしいネタなんてのは、何本でも持っとるからなあ。おそらく、伊藤に対しては、「とにかく、必ず、タマを取ってこい」っていう指示だろうから、ついでだから、石井を刺した後で、カバンの中身を抜き取った可能性はあるだろうが、でも、ゴソゴソと探してる余裕はないと思うな。はよ、逃げんとだからな。
で、その伊藤に流れたカネの「3千萬+1500萬=4500萬円」について、その「例の2億円」(=桑田兼吉保釈コーサク資金)から、いくつものクッションを経由して、この伊藤に流れたっていう可能性は、どうなんだろうなあ。ま、「ウラ社怪の最中枢」で、双方が「一本」に繋がっておったとしても、全然、おかしくはねえんだよなあ。ジケンから8年目の、この「10・25」に、大野がムショに再び会いに行ったが、これまでと一転して、「この人、知らない」と、伊藤が、そのまま面会室から、ピャーッと出て行ったってのは、「いいか、もうコレ以上、余計なことを、喋るんぢゃねえぞ!」って、どうせ、圧力がかかったんだろうなあ(笑)