三井環(元大阪高検公安部長)氏への「裏金公表阻止を狙った口封じ逮捕劇=冤罪事件」を徹底的に弾劾する |
#ほいで、野中広務が、『週現』最新号(5・22)での立花隆との顔出し対談で、「小沢が身辺整理するには、10年はかかる」と言っておったが、確かに、「まったくもってその通り」なんだが(笑)、しかし、オマエに、そんなことをヌケヌケと言える資格が、そもそもあるのかよ。野中の「脛に傷」を穿り出したら、コイツもまたキリがなくて、身辺整理をするには、最低でも、小沢と同じ時間がかかるんだが、例えばだな、例の日歯連から橋本派への1億円ヤミ献金ジケンなんだが、アレは、村岡兼造をスケープゴートとばかりにキソして、オシマイにしてしもうたが、アレは「松尾裁定」で、「2人も政治家をキソするのは、いかがなものか。バランスに欠く」ってことで、野中の野郎、「キソ猶予」ってことで、逃げ切ったんだからな。
だって、野中は、「02・4・22」の、三井環のオッサンの「口封じタイホ」の直前に、三井のオッサンを京都の自分のジム所に呼び出してだな、「ちょーかつ」について、いろいろと聞いておったんだからな。それを聞いた野中は、ウンウンと頷いてだな、「ケンサツは、改革せな、アカン!」って言っておったくせになあ。赤レンガの連中は、「それ」を知っとるんで、うっかり、野中にそのことを国怪で取り上げられても困るんで、そのことも、ちゃんと配慮してだな、「キソ猶予」で済ましてくれたんだからな。だから、こんなもん、「司法ウラ取引」もいいところだからな。三井環のオッサン、ワシに言っておったからな。「野中ってのは、自分の都合のいいように、人を利用するだけ利用する人間だ。だから、信用できんヤツや」ってな(笑)
#おっ、『冤罪ファイル』最新号(第10号)で、三井環のオッサンが、顔出しで、また、吼えマクっておるやないか! 「ケンサツの裏金モンダイを、これからも徹底的に追及する! ゼッタイに諦めることはない!」かあ。そりゃ、そうだよなあ。せっかく、シャバに出てきたんだから、「勝負は、これから」だよなあ。あーあ、赤レンガの連中の、苦虫を噛み潰した顔が、ありありと目に浮かぶようだなあ(笑)。この雑誌は、間違いなく、読んでおるからなあ。その「冤罪ジケン」との絡みで、「へえーっ」って思ったのは、「冤罪を防ぐための対策を」という質問に、オッサンは「取り調べの全面可視化」の他に、「ケンサツが持ってる証拠類を全部、開示しろ」っていうことを言っておるんだよな。っていうのは、どういうことかというと、ヒギシャをキソして、刑事サイバンになって、ケンサツ側が、開示するっていうんか、公判に出してくる「証拠類」ってのは、そういう「手の内」にあるもののうちの、「ごく一部」に過ぎないってことなんだよなあ。ヒギシャがキソされて、ヒコク人となり、弁護人が付くんだが、そこで、弁護側が見れる「ケンサツ側の証拠類」ってのは、ソーサの過程で集めた沢山の証拠類のうち、具体的にどのくらいかは分からんが、とにかく、全体のうちの「一部」でしかないってことなんだよな。こういう話ってのは、ワシも刑事ジケンのサイバンを長いこと取材してはきたんだが、「初耳」なんだよなあ。
あと、記事読んでて、オモロかったのは、このテの「冤罪ケンメン調書」が出てくるバックグランドの一つとして、「ワープロの普及」っていうことが、出ておったが、すごく分かるような気がする。今は、ワープロからPCになっているが、キーボードをチャッチャカ打ち込んで、すぐ、それをフロッピーに保存できるから、「創作」がしやすくなるっていうのか、ブンヤの執筆作業なんかでも、どこかにあるネタをブログからコピーしてきて、それを貼り付けて、チョロチョロと手直しするだけで、「一丁上がり」にする感覚っていうんかいなあ。同じようなのは、捜査のゲンバにもあるんだろうなあ。
#で、「上」の続きだが、三井環のオッサンも、いろいろと喋っておるんだよなあ。「次席検事」時代、「自分は、ブンヤ連中の夜回りは、一切、受け付けなかった」と言っておったが、コイツは、おそらく、「高松時代」(93年4月━96年3月)のときのことを言っておるんだろうなあ。オッサンも、高松の次席時代は、『四国タイムズ』社主の川上道大のオッサンを主なネタ元としつつ、凄まじいまでの「特捜アンケン」を手がけておったからなあ。ワシが、三井のオッサンを取材しておったのは、その高松の前、高知地検次席(88年4月━91年3月)のときだったからなあ。このときは、高松のときとは違うて、人員が少ないんで、「手足」となる内偵要員が、なかなか確保できんこともあって、高松んときほどの数はなかったが、ワシがおったとき、同和絡みの補助金不正受給で、6億円のサギ事件を上げておったな。高知んときは、次席官舎が、当時住んでおったマンションと同じ町内の、2、3ブロック先だったんで、少なくとも、ワシは、よく官舎に上げて貰うたワ(笑)。しかし、口は堅かったっていうか、「喋る日」と、「喋らん日」の格差がスゴイんだよなあ。それは、昼間、役所に顔を出したときもそうだった。気分っていうか、ノリみたいなもんがあるんだろうなあ。
ただ、思うんだが、高知時代は、三井環のオッサンに食い込んでおったのは、全国紙では、ワシ以外だと、共同通信が比較的熱心に回っておったが、その後、高松時代ってのは、アレだけの「独自捜査」を手がけておって、全国紙も、高松シキョクのサツ回りが取材しておるんだから、今、大阪本社の社会ブとか、キャップクラスあたりで、オッサンのことを知っておるのが、おりそうなもんなんだが、なかなか、オモテに出てこんカンジだよなあ。高知んときは、まだ、比較的、のんびりしておったんだろうなあ。それはそうと、渡真利忠光に、ちゃんと、喋らせて、「再審請求」をせんとだよなあ。ただ、渡真利も、カネを貰うておるから、そこがネックなんだよな。彼に「うたわす」ってのは、なかなか、大変だと思うが、でも、喋ったら、イッパツだからなあ(笑)
#ほうー、この「5・16」OAの『ザ・スクープSP』は、三井環のオッサンが、鳥越俊太郎のオッサンと対談かよ(笑)。アレは、ちょうど、8年前、「02・4・22」だよなあ。このインタビューの収録当日の朝に、「口封じタイホ」されたんだからなあ。ワシも、コレは、万感の思いがあるよなあ。当時とは、番組Pは代わってるだろうから、鳥越のオッサンが、「ワシが、コレをやる」で、そのまま企画がスルーするんだろうなあ。ホンマ、「自分の番組」なんだなあ。
そういえば、赤坂サカスTVの「23クロス」かあ、あの野中広務を引っ張り出して、「官房キミツ費」について、まあ、「チョー核心ブブン」は何も喋っておらんが、「サワリ」については、アレコレと喋らせておったよなあ。アレは、いつだったかなあ、去年(09年)の10月だったなあ、セー権交代を受けて、「官房キミツ費」が、ゾロゾロとクローズアップされておったんで、テレ朝の「スーパーモーニング」のディレクターが、ワシんとこにコンタクトを取ってきたんで、会うていろいろと喋ったんだ。ワシの『日本の裏金』(第三書館)も、ちゃんと読んでおった。武村正義んところに取材のオファーをかけておるんだが、なかなかOKを出してくれんってことで、ボヤいておったなあ。ワシ、そのとき、ディレクターには、「どうせなら、あの野中の野郎に喋らせろ!」とは言っておったんだがな(笑)。あのときは、ワシに「顔出しコメント」の依頼があったんで、「チョーOK」と回答しておったのに、それっきりだったからなあ。武村が取材に応じんかったんで、立ち消えになったんだろうなあ。「23クロス」では、武村も出て喋っておったが、先に野中が出ておったからなあ。アレがなかったら、武村は出ておらんからなあ。
しかし、野中は、ぬあんで、このタイミングで、官房キミツ費について、ウジャウジャと喋ったんだろうなあ。それも、また、ぬあんで、「23クロス」だったんだろうなあ。ひょっとして、自分から、「喋る」って持ち込んだんかいなあ。確か、野中は、赤坂サカスTVの「時事放談」のメンツだったよなあ。そのへんのルートかいなあ。こんなもん、通常の取材ルートで申し込んで、「ハイ、分かりました。ぢゃあ、顔出しで喋りまーす!」なんていうレベルのハナシぢゃないからな。
#そういえば、昨日(5・12)発売の『文春』最新号が「字」にしておったが、後藤忠政が、この「5・15」に、手記『憚りながら』を、宝島社から刊行するんだな。例の藤井富雄との蜜会ビデオの件についても書いておるとのことだが、どこまで、カキコんでおるんだろうなあ。まさか、「藤井の依頼を受けて、実は、直接行動に出た」ぬあんて、間違っても書いてはおらんだろうが(笑)、ひょっとしたら、何か、ほのめかす記述があるかもしれんよなあ。ただ、まあ、イケダモン大先生と後藤忠政との「腐れ縁」は、何も、今に始まったことなんかではのうて、大石寺に正本堂建立用として、公式発表で、1965(昭和40)年当時の金額で、ぬあんと、「355億円」も集めたことをきっかけに、それを元手に、地元の富士宮市の土地を買い漁ったところから始まっておるからなあ。そのとき、農地の不正取得が明るみになって、地元住民がイケダモン大先生を刑事コクハツしたりして、揉めマクったことで、地元ヤクザの「後藤組」の登場となったんだよなあ。富士宮市議怪では、「100条委」が設置されて、大先生を「証人カンモン」の動きが出てきたんで、この「住民運動潰し」に、後藤組を使ったんだよなあ。そのへんのハナシは、後藤忠政も書いておるだろうなあ。
しかし、誰が言ったのかは不明だが、ワシはおそらく、後藤忠政だと思うが、「自公連立のきっかけなんて、後藤組が作ってやったようなもんだ」ってのは、まさに、その通りだよなあ。勿論、この「蜜会ビデオ」がなかったとしても、「自公連立」は成立しておったとは思うが、でも、しかし、アソコまでスムーズに「ピャー!」とは行っておらんかったと思うよなあ。
あと、それと、『フォーラム21』最新号(10年5月号)で、「イケダモン大先生の3代会長就任50年の罪と罰」で特集しておって、そこで、ワシも書いておるんで、紹介しておく。今回、ワシの他の執筆者は、溝口敦、段勲の両氏。ワシは「この50年を」、「世俗ケンリョクへの妄執に囚われ続けてきた半世紀」だったとして、彼が「青年ブ」という、「軍隊ソシキ」、すなわち、組織ナイブの「暴力ソーチ」を掌握したことで、頭角をあらわし、そこから醸し出す「威圧感」をテコに、ガッカイ内権力を確立したという、「イケダモン大先生論」を書いたツモリだ。そして、その「支配の本質」は、この50年間、一貫して変わっていない、ということだ。
#その小沢のジケンに関連して、三井環のオッサンが高松次席時代にネタ元にしておった『四国タイムズ』の川上道大のオッサンが、その最新号(10年5月5日号)で、妙な記事を「字」にしておってだな、「水谷建設が、日本皇民党に街宣依頼」とあるんだな。川上のオッサンも、妙にボカしておるっていうか、詳細には記事化してはおらんのだが、2003年当時、東北地方の土建工事は、「三塚博」が、「天の声」を聞かせておったってことなんだが、ところが、三塚は、当時、水谷と対立する業者を推しておったってことで、胆沢ダム工事受注を目指しておった水谷にとっては、この三塚が、「目の上のタンコブ」だったってんだよな。恐らく、皇民党の街宣攻撃ってのは、「三塚に対して」だったんだろうが、水谷側は、皇民党にカネを渡して、「街宣依頼した」ってんだよなあ。皇民党は、本部が「高松」なんで、じつは、川上のオッサンとは、ウラでは「超ツーカー」らしいんだよな(笑)。コレがカンケイしておるんかどうか知らんが、三塚は、この03年10月に引退表明をしたことで、東北の公共工事の「天の声」は、三塚から、小沢に移ったってんだよな。
で、この日本皇民党も、水谷建設も、菱本家の「最大主流ハバツ」である「2代目弘道会」の息がかかってるってんだよなあ。コイツは、穿ってイクと、相当なウラがあるなあ。当然、本家の「カシラ」(=高山清司)は、諸々、「チケンの恥部」なんか、全て知っとるに決まってるからな。ワシの推測に過ぎんが、たぶん、三井環のオッサンのネタをも使い倒しつつ、連中は、「カネ」にしとるんだと思うなあ。こんなもん、どうせ、国策ソーサなんだから、この際、小沢もカネでカタをつけりゃエエのになあ。「金額」は、交渉だと思う。
#で、その後藤忠政の手記『憚りながら』(宝島社)だが、コイツは、後藤サイドが強烈にプッシュして、宝島社に持ち込んで、刊行に持ってイカせたんだそうだなあ。で、「間」に、仲介した人物が入っておって、聞くところによると、ぬあんと、イケダモン大先生の「元側近」だってんだよな(笑)。矢野絢也といい、大先生も、かつての「直弟子」たちから、猛烈なリベンジを受けておるよなあ。小沢んところのカネのハナシもそうだが、身内同士っていうか、血脈相承同士の「内輪バトル」ってのは、ホンマ、凄まじいよなあ。その意味で言えば、「敵は本能寺にあり」ということであれば、ワシの「怨念の相手」ってのは、ワシの「出自」である、マス目ディアというより、「大シンブン」だよなあ。連中は、もう少し、マトモに、せめて、給料分ぐらいの仕事をしておれば、ココまでニッポンの社怪は、酷くなっておらんかったんだ。ワシに言わせりゃ、あの上杉隆のような「キシャ倶楽部ヒハン」なんてのは、屁のカッパのレベルだからなあ。ああいう上杉みたいな、適当な「ガス抜き」がおることで、いい「目くらまし」になるからなあ。
#ほいで、今日(5・15)発売の後藤忠政の手記『憚りながら』(宝島社)、さっそく、ザーッと目を通してみた。ワシんとこの近所の本屋にも平積みになっておったの。まず、コイツは、聞き手が、「西岡研介クン」なんだな。後藤忠政も、そんなわざわざ、原稿を書いとる時間的余裕もないだろうし、「語り下ろし」というスタイルだな。なかなか、このテのインタビューなんてのは、「引き受け手」なんて、おらんからなあ(笑)。ある程度は、ハラが座っておらんとだろうから、おそらく、「西岡クンを指名」ってことで、「白羽の矢」が立ったんだろうなあ。フツーのライターでは務まらんからな。
で、ワシ的には、この本の関心は、「イケダモン大先生のこと」の1点に尽きるんだが、その点でいうと、例の藤井富雄との「蜜会ビデオ」の件も含めて、核心ブブンも何も、ほとんど、何も喋ってはおらんかったなあ。まあ、それは予想通りといえば、そうだなあ。敢えて、後藤が藤井の名前を出さずに、「X」に留めたのは、ま、「武士の情け」からだろうなあ。あの蜜会の際、隠し撮りされておったのを、「よう、知らんかった」っていうように言っておるが、それは、「ありえん」わなあ(笑)。イケダモン大先生の、富士宮での土地買収モンダイも、少なくとも、ワシら「イケダモンおたく」にとっては、大先生の「右腕」だった「山崎正友」の存在も含め、「既に、オモテに出ておる、知っとるハナシ」だからなあ。ただ、もう一方の当事者である「後藤忠政」が、「顔出し」で喋り、そうした「ズブズブの仲」を認めたという意味は、決して小さくはないと思う。あと、突然の「引退騒動」の経緯についても、ほとんど、喋っておらんなあ。ワシは、後藤忠政が、今の菱本家のカシラである、高山清司に対する、いろんな感情は、あるとは思うが、そこは、「喋らん」というのが、あの世界の美学なんかいなあ。
しかし、「読み物」としては、後藤忠政といえば、現代ニッポンを代表するヤクザ親分の一人ではあったわけだから、その「一代記」としては、オモロイと思う。オモテ、ウラを含め、いろんな人脈を持ってて、相当、ディープに突き刺さっておったのは間違いないが、まだまだ、喋っておらんことは、イッパイある。