中越大地震の被災地、小千谷、柏崎を歩く(その1) |
7/31 16:50 JR小千谷駅の待合室
朝、家を出て、新幹線の越後湯沢で降り、そこから在来線の上越線を使って、小千谷にやってくる。
上越新幹線が開通したのは、確か、私が高2の秋だった。当時はまだ、大宮始発の暫定開業で、新潟方面からだと、大宮で在来線の「リレー号」に乗り継いで、上野まで行っていた。
それまでは、在来線のL特急「とき」、そして、急行「佐渡」で、上野までは3━4時間はかかっていた。確かに、時間はかかったが、途中、新潟県側だと、小千谷や小出、六日町、それから、清水トンネルを抜け、上州は群馬県側に入ると、水上、沼田、上牧、渋川といった旧三国街道沿いの町なんかにも、ときや佐渡は止まって、のんびりだったけど、そういう町とも、もっと身近なつながりを感じたものだ。新幹線ができて、確かに東京は近くなったが、こうした上越線沿線の町は、すごく寂れてしまった。
JR越後湯沢駅の界隈は、あの新潟日報の連載『東京都湯沢町』でも書かれているように、「バブル」の象徴そのものともいえる、正確には容積率がどれくらいか知らないが、「高層ビル」のリゾートマンションが乱立してしまった。じつに趣味が悪い。見た感じ、部屋はガラガラだ。まさに、バブルの残骸と言っていいだろう。だから、景観はチョー素晴らしい! 川端康成が『雪国』で描いた、ひなびた温泉街の情緒は、もう、どこにもない。
軽井沢なんかと比べても、全然、アカ抜けていない。駅前の不動産屋には「リゾート・マンション」の文字が踊っていたが、湯沢みたいな「チョーざいご」でリゾートマンションでもないよなあ(苦笑)。まさに、公共工事の箱モノ建設って感じで、「人」というより、「モノ」を詰め込む感じだろうか。まあ、時代がそういう時代だったんだから、それも、しょうがないだろう。
越後湯沢を出て、いったん六日町で途中下車し、そこで昼飯を食ってから、小千谷にやってきた。六日町は以前、高校時代の同級生が教員として赴任していたこともあって、何度か足を運び、土地勘はある。ただ、地方の駅前は、どこも「シャッター商店街」といわれているが、その例に洩れず、この六日町でもシャッターの降りた店はある。
しかし、小千谷と比べたら、まだ、全然、活気はあるし、いろんな食べる店もあって、人も歩いている。ただ、「活気がある」といっても、人間の絶対数が東京とは、全然、違うので、比較にはならないが。
たまたま入った居酒屋が、昼間もランチ用に営業していたので、そこでメシを食ったが、それなりに客は入っている。座敷の隣と前は、なぜか、両方ヤンママの2人組だった。「子供がどうの、ダンナがどうの」という会話が聞こえてくる。
何ともアンニュイな昼下がりであるが、田舎の女性は、やはり、東京と比べると、着ているものもアカ抜けていない。最近、政令指定都市になった新潟市あたりはどうかわからないが、新潟のオンナは、総じて、ファッションというか、おしゃれのセンスについては、全体としてイマイチだ(苦笑)
六日町から、さらに在来線で、小千谷にやってくる。今回の柏崎の地震の影響で、浦佐から先が徐行運転区間となっていたが、それなりにスピードは出ていた。
小千谷は、その「小さな千の谷」という名の通り、信濃川の河岸段丘のところにできた街だ。駅を出ると、駅前商店街の通り(バス通りも兼ねている)が、市役所のある町の中心部に向かって伸びているのだが、信濃川に向かっているので、道路はなだからか下り坂になっている。川まで歩くと、15分くらいはかかるだろうか。だいぶある。
で、私は、その駅前商店街の通りで、「食後のコーヒーでも」と思って、喫茶店を探したのだが。これがぬあんとなことに、1軒もなかった。これには正直、驚きだった。
単純に比較にはならないかもしれないが、六日町の方は地元の人やっている食堂に加えて、「リトル北海道」ってのは、たぶん、東京資本の居酒屋チェーンだろう、そういう店に加えて、焼肉チェーンの「さかい」もあった。駅の裏側には、今日は、定休日だったので入れなかったが、インドかバングラデシュか忘れたが、そっち系の昼間はカレー食い放題の店もあったり、他に、最近できたっぽいカフェもあったりして、客がいろいろと「選べる」のだ。
ところが、小千谷のこの駅前通り商店街だと、そうした選ぶ余地がないのに加えて、そうやって、フラッと入っていすに腰掛けて、のんびりとコーヒーを飲める店がないのだ。
商店街を歩いていると、地震で取り壊されて、そのまま更地になっているところもある。地方はどこも高齢化が著しく進行しているが、そこに「地震」という大災害がやってくると、受けるダメージというのも、もっと甚大なのだろう。よく簡単に「被災者の生活再建」という物言いをするが、例えば、60を過ぎた年寄りに、銀行はカネなど貸さない。
2年ほど前、正月に帰省したとき、同様に歩いてみたが、そのときと比べても、畳んでしまった店も多い。
その駅前商店街の通りにあった、地元の本屋に入った。蛍光灯の照明も薄暗い感じがするが、それでも地元の主婦がブログでアップした震災日記(『小千谷から━新潟県中越大震災から2年半・被災地で暮らす主婦の記録』)が、東京の出版社(アスペクト)から出ていて、平積みになってた。奥付を見ると、刊行されたのは、この7月。つい、最近だ。
手にとってパラパラとめくると、かなりホンネで書いている。東京からドカドカやってきたマスコミ連中への、ハイエナ取材に対する嫌悪も、ちゃんと書いてあった。
この本で、著者は「おぢやのおやぢママ」というだけで、実名を明かしていなかったが、地元では誰かはもうわかっているだろう。田舎とは、そういう場所だ。
その本屋の奥の方に、なぜか、岩波新書の黄表紙、青表紙が1冊210円で売っていた。返品せずに、そのまま販売しているのだろうか。しかし、場末ともいえる地方の小さな書店に、これだけ岩波新書の品揃えがあることに、「文化」というものを感じた。
で、信濃川の橋のところで再び折り返し、駅の方に戻っていくと、なぜか、場違い(?)とも見える、若者向けのブティックが、その駅前商店街の通りに店を構えていたので、「!」と思い、中に入ってみた。この店だけ、なぜか、周りからチョー浮きまくっている(笑)。ここだけ渋谷、原宿という感じだ。
なかなかおしゃれな金髪に染めたおにいちゃんが店の経営者で、、この2月にオープンしたのだという。出店に関して、行政側がいろいろと補助してくれる制度があるのだそうだ。
聞くと、近くに高校があり、その帰り道にあるんで、夕方になるとそうした高校生が立ち寄ったり、あと、20代の男性はよく立ち寄るのだという。しかし、ここだけ、周りと環境が全然、違うせいか、「やっぱ、入るのに、ちょっと、勇気が要るんでしょうかねえ」と苦笑混じりに話していた。ただ、そのおにいちゃんとも話したが、例えば、同じ上越線沿線の六日町と比べても、小千谷はおとなしいというか、よくも悪くも、もっとトラディショナルな感じがする。
今度の柏崎の地震では、小千谷でもだいぶ揺れは大きかったという。でも、そのおにいちゃん曰く、「いつまでも、後ろ向きじゃダメです。若い私たちがチャレンジしなきゃじゃないですか」と言っていたので、「まったくその通り。これからも大変なことはあるだろうが、ぜひ、頑張って下さい」と私はエールを送った。
結局、適当な喫茶店もなかったので、駅の待合室に戻り、ここを喫茶室代わりにして、キオスクで買ってきた缶コーラとチョコレートビスケットをほうばることした。そうやって、こうしてノートにつらつらと書いている。
キオスクのおばちゃんは丁寧に「ありがとう」と礼を言ってくれ、それから他の乗客と話しているのが、何とはなしに聞こえてきた。「健康なのが、何よりですて」。地震では、被害に遭って、けがしたり、亡くなった方もいるわけだから、余計、その言葉に実感がこもっていた。
そういえば、小千谷は高校時代で同じ部活だった同級生のコが住んでいた。地震では、家屋の倒壊などの被害はなかったものの、ガス、電気といったライフラインが復旧するまで、1週間くらいだろうか、家族は、クルマの中で寝泊りすることを余儀なくされた、とのことだった。「小千谷は何にもないとこよ。でも信濃川に沿った河岸段丘に、小さな谷がたくさんあって、だから、『小千谷』というの。山があって、緑もたくさんあって、そこが好き」と言っていた。
#今日(8月9日)になって、コウモリ飛行を始めたイケダモン大先生の意向を酌んで、秋の臨時国怪の召集を9月以降にするというふうに変える動きが出てきたのか。何だか、アベに近いといわれていたギイン連中からも「反アベ」の言動が出てきているのか。ただ、これが本格的な「アベ降ろし」へと向かうのか、それとも、「猟官運動」に向けたブラフなのか、現時点では、ようわからんなあ。しかし、臨時国怪の召集を遅らすということになれば、別に「内閣カイゾー」を急ぐ必要もない、ということになるから、「国怪証人喚問」のカードを突きつけられて、「閣内協力」か「閣外協力」かでチョーお悩みになっておられる大先生にとっては、いろいろと考える時間的余裕が持てるということにはなるなあ。しかし、難しいよなあ、「閣外協力」だと、さらにアベ内閣は弱体化するが、しかし、世論の風向き次第で、「次」(=解散・総選挙)を見越して、いくらでも、風見鶏になれる「フリーハンド」は確保できる。「入閣する」というのは、人質として取られるということだからな。まあ、この盆休みの間は、ワシも大先生と一緒に悩むとしよう(笑)<だから、福田康夫がオフレコで言ってたように、党役員人事・内閣カイゾーは、センキョ後、時間を置かず、スパッと断行せなアカンかったんやな。
#じつは、民主の若手・中堅の中には、松下政経塾出身というよりも、アレはMBA上がりなんだろうなあ、「アメリカかぶれ」が相当おる(笑)。で、ワシはその「アフガン特措法」なんて、まさか「政局法案」になるわけないだろうとタカをくくっておったが、昨日(8月8日)の小沢・シーファー怪談で、まさか、小沢一郎があんなにハッキリと「NO」を突きつけるなんて、夢にも思わなかった(笑)。コレで一挙に「政局化」してしもうたな。法案は衆院の与党の過半数をもって可決、参院で否決された場合、両院協議会での調整か、衆院で3分の2以上の再可決で成立となるが、その過程で、仮に民主党内の前原あたりが寝返っても、チョーOKなんや(笑)。というのは、まず、「国怪証人喚問」のカードで、マルハムを引き剥がす一方、自民党内のリベラル派、すなわち、加藤紘一をはじめとする宏池会あたりに手を突っこめばいいわけや。「たすきがけ」というか、「トレード」だな。ん、っていうと、コレは7年前の秋の「(加藤)大政局」の再来ぢゃないか!コレに、もともと「イラク特措法」の延長にも反対の意向だったという福田康夫が加われば、そこでアベ内閣はコッパ微塵にフッ飛ぶで。サメ、また、鈴木紅琢磨のオッサンと麻布十番の焼き鳥屋で一緒に酒飲んで、グチらなアカンな。そのときは、一声かけてくれれば、ワシも同席するで(笑)
#今日(8月9日)になって、後藤田正純が「ソーサイ選をやり直せ」と言い放ったのか。しかし、これは相当、「反アベ」の空気が自民党内に充満していて、ガス抜きでは済まない状況になりつつある感じがする。もちろん、アベが「辞める」と言わない限り、たとえ「内閣支持率1%」でもソーリ・ソーサイのポストには留まれるが(衆院で不信任案が可決されない限り)、相当、厳しいなあ。だから、さっさと電光石火で、党役員人事・内閣カイゾーを断行して、ガス抜きを図っておけばよかったんや。特にこの厳しい逆風の中、マスゾエなんかはちゃんと個人票を稼いで当選しとるんだから、そういう「うるさ型」を重要閣僚で一本釣りして、「味方」につけなアカンかったんやけどな。うーん、コレは厳しいなあ。
#ん、赤城に対する国怪証人喚問話が浮上しとるのか。そんな赤城みたいな小物をいじくり回してもしょうがないやないか(笑)。なぜ、「さるエライお方」をどうして、公の場に呼んで、いろいろと追及しようとしないんだ? 民主党は休眠中になってる例のイケダモン対策委員会を再起動させて、これから、「秋本番」に向けて、ガンガンと信濃町に向けて、ミサイルを発射せんかい! だいたい、聖教新聞の例の中傷座談会で、これまでに、いったいどれだけ民主党は大罵倒されてきたと思うとるんや。で、平野貞夫のオッサンに至っては、自らの手記で、イカンザキに名誉毀損で刑事告訴までされとるんやで。「やられたら、徹底的にやりかえす」ってのは、「政局」の鉄則だろうが! 野中がいみじくも言っておったやないか。「叩きに叩いたら、向こうからスリ寄ってきたんや」ってな。