資本主義にある本質としての「格差創出」(その8) |
で、この6月8日付け読売新聞夕刊が、1面の左肩の目立つ扱いで、「アキバ、ご当地犯罪急増」という見出しで、「ゲーム万引き、即、換金」のような窃盗犯罪が、急増していることに触れており、その「容疑者の大半は20代の男性」というふうに書いています。
じつは、このネタは私も最近、小耳にひょいと挟んでいたので、一度、現地を取材しようかと思っていた矢先に、サクッと「抜かれてしまった」形ですが(笑)、じつは、この犯罪構成層が、いわゆる「ニート」と称される、「ニュー・プアの若者たち」です。そのことは、記事中では、敢えてあからさまに指摘はしていませんが、しかし、「(その中には)ネットカフェ難民の若者も目立つ」との記述を読めば、ピンと来ます。
たまたま、最近、ある一部上場企業のトップの人と雑談する機会があったんですが、そうした「格差社会の進行」によって生み出されてきてる、こうした「ニート」の存在も含めた若者層について、、こうポロッと漏らしていたのが印象的でした。
「(こうしたニートの出現は)19世紀のイギリスの時代に戻ったということだ。で、そうしたニートからどうカネをむしり取るかだ。それが、ケータイとサラ金だ。今は大卒でも(会社の)駒だ。企業としては即戦力が欲しい。人材を育ててる時間なんてない」
いやはや、ビックリしました。愚かな大衆が考えている以上に、シホンカ階級の皆様方は、「駒」からどうやって徹底的にカネをむしりとるかということを、そのじつにスマートな思考様式で、効率的かつシスティマッティックに考えているようです。
ですから、そういうことを考えると、そもそも「資本主義」の本質にあるものとは、「暴力性」と考えてもいいのかもしれません。
そうしてみると、ルソーが『人間不平等起原論』の中で、自然状態においては「善なる存在」として生まれた人間が、文明社会における「財産の不平等」が、「悪」をもたらしたことについて、次のように指摘しています。
「人間社会を平静で、公正な眼でもって眺めてみると、まずそれは強い者の暴力と、弱い者への圧迫を示しているように見える」
で、こうした資本主義の形態を極限にまで展開させたものが、「帝国主義」であり、その行き着く先にあるものが、おそらく、「戦争ビジネス」だと思います。そして、その根底にある発想とは、収益獲得の手段としての「人間」を、血の通った、リスペクトする存在として見るのではなく、ただの「駒」として捉えることであるような気がします。
ルソーが、こうした「文明社会」における暴力性を、いかに未然に、もしくは最小限に食い止めるかといことを考え抜いた挙句、打ち出したものが、「一般意志」に基づいて政治を行うことです。その点で言えば、「一般意志」の表明である「法」に則って執行される「政府」とは、そこで契約を結んだ人民の「自由と平等」を守る存在に他なりません。
特に、ルソーの場合は、「人間の平等」というとき、「私有財産の不平等の是正」ということに言及し、それが具体的には「累進課税、相続税の強化」という形で提言しているのは、前述した通りです。
こうしたところが、ルソーが「社会主義、共産主義思想の先駆者」とされる所以ですが、のちにアナーキズムの元祖ともいえるプルードン(もっとも、このプルードンはマルクスから徹底的な罵倒の対象にされていますが)が、このルソーの社会契約論を批判した根幹にあるものとは、前回も指摘したように「結社批判」ということです。
ここで「結社批判」とはどういうことかといいますと、ルソーは「一般意志」を現実の政治において実現させために、「政府」というものを打ち立てるものとしています。その点について、ルソーは『社会契約論』の中で、次のように触れています。
「各構成員の身体と財産とを、共同の力のすべてをもって防御し、保護する結社形式を見出すこと、ただし、この結社形式は、それによって各人がすべての人と結合しながら、しかも自分自身にしか服従せず、従前と同じように自由であるようなものでなければならない」
で、この「結社行為」の核となるのが、人民と政府との間の「契約」ということですが、プルードンの批判は、こうした「結社」によって構築される政府という“化け物”は、個人を阻害、抑圧せずにはいられない、ということです。そこから、彼の「無政府主義」が生まれてきます。
ただ、ルソーは、じつは、こうした想定しうる疑問、批判に対し、明確な回答を『社会契約論』の中で、はっきりと言及してます。
それが、「革命権」です。
ルソーの、この革命権に関する記述は、具体的には、第3部・第18章の「政府の権力簒奪を防ぐ手段」のところにあります。
そこでは、法の執行権を授託された政府の人間とは、決して「人民の主人」ではなく、「人民の下僕」に過ぎないこと。
さらにこうして「公の安寧を確保する」という口実のもと、政府の統治者が集会行為を弾圧し、恐怖でもって人民を沈黙させようとすることで、「人民」から「主権」を乗っ取った専制独裁に堕していく危険に、常に晒されているということを、ちゃんと指摘しています。
で、そういう場合、人民は、そうした専制独裁に堕した政府(国家)を、自らの手で変えることのできる「革命権」を、ルソー打ち立てていますが、おそらく、これが彼の思想の真髄でなかろうかと思います。
ルソーは、一般意志の表明である「法」に承認を与えるものが、「人民の集会」であるとしています(これは現在の三権分立制においては、「国会」に相当するでしょう)。で、定期的に開かれる、この人民の集会は、「社会契約の維持を、その唯一の目的とする」としていますが、そこで人民の意志に反する、専制独裁に堕した政府に対しては、「契約」を破棄することができる、としています。特に、こうした「人民の集会」で、全員一致で破棄することが決議されたならば、「それは極めて適法に破棄されたということは、疑いがない」と明言しています。
このように、ルソーの『社会契約論』で記述されている「革命権」を、現代の社会においてトレースするなら、これは国政選挙における「政権交代」に他ならないと思います。
で、こうした「革命権」が、主権者たる人民によって、正当に行使されるには、まず、権力悪を振りかざして、専制独裁に堕してしまった政府の実態が、余すところなく、世に明らかにされていなければなりません。その役割を果たすのが、現代においては、「ジャーナリズム」であると、私は考えています。
言い換えるなら、主権者たる人民が「革命権」を行使しうる「担保」としての存在が、ジャーナリズムに他なりません。ですから、「真実の追求」が、ジャーナリズムの使命として、常に、そして、未来永劫まで、課せられているというわけです。(この項つづく)
#島田裕巳の『創価学会vs.公明党』(朝日新書)は、信濃町の政界進出の歴史について、非常にコンパクトかつ精緻にまとめてあり、「入門編」として手頃な本といえる。レベル的には「イケダモン学」の高卒水準から大学の一般教養課程といったところで、これを読んでから、さらにワシの創価学会3部作(『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』、いずれも第三書館刊)を読むと、アソコに対する理解がより一層深まるだろう。そのいちばん最後の方で、具体的な記述では言及してはいないものの、今度の参院選での「自公過半数割れ」を想定し、将来的な「民公連立」の可能性について、政策的にも選挙協力においても、島田は否定的に捉えているが、そのへんはやはりよくも悪くもガクシャの見方だ(笑)。さるエライお方の「権力」に対する妄執を、チョー軽く捉えているのだろうか。北朝鮮と同様、「トップの鼻息」で、いくらでも組織の方針転換はできる(むしろ、リクツなんてのは後付け)ということがわかっていないのか、わかっていても、敢えてそこはわざと配慮して言及しなかったのは、そこはワシにもわからない。しかし、イケダモン大先生は「永久与党戦略」であられるわけだから、自民党に使い道がなくなったら、いつでもポイと捨てる。政策もセンキョ協力も、そんなもん、何とでもなる。ただ、それをロコツにやると、波風が立つから、まずは、じわじわと目立たないように持っていくだろう。オンナを口説くのに、いきなり抱きついて、パンツを下ろしてヤッてしもうたら、超ビックリして抵抗するに決まっとるやないか(笑)。でも、このように島田が、アカディミシャン連中はなかなか触れたがらない、こうしたアンタッチャッブルな対象を研究テーマに取り組み、それを続けている姿勢はまっとうに評価していい。むしろ、ワシ的にはもっと「教義」の方に踏み込んでもらいたい気がする。「教義論争」はジャーナリズム的にはあんまりウケないので、発表する媒体がなかなかないが、でも、これは「信心」の問題にダイレクトに踏み込むので、信濃町はいちばんイヤがる。今後は、「イケダモン本仏論」を徹底的に破折してやったらいい(笑)
#しかし、ワシ的には、そんなアホな永田町の政局話よりも、昨今の「新たな貧困」が、日本社会にじわじわと与えていくボディーブローの方が、より深刻だと捉えている。やはり、「恒産なくして、恒心なし」というのは事実で、例えば、最近、よく言われている「学校の給食費を払わない親」とか、「幼児虐待」の問題も、たぶん、「若年層の新たな貧困」ともリンクしてるんではないか。そういう若い親が、毎月、ケータイになんぼ料金を払っているのか、もしくは、消費者金融からどれくらいの借り入れがあるかとか、調査はプライバシーの壁とかあって、難しいとは思うが、たぶん、そういうところとも関係があるんじゃないかと思う。詳しい統計データはわからんけど、そうしたケースの数字としては確実に増えていると思う。特に毎日新聞、ワシの同期の佐々木俊尚に批判されるまでもなく、「ネット君臨」なんていうどうでもいい企画を延々とやってるヒマがあったら、こうしたニュー・プアの問題をもっと深く掘り下げるとか、もしくは、「裏金」でも徹底的にやってくれや(今、東京の社会部長は誰や)。「上」から「下」まで思考停止しとるから、どうでもいい記事しか出てこんのだよな。さすが、あの大平誠のクビを切っただけのことはある(笑)。鈴木紅琢磨のオッサンのナベツネインタビューも、死ぬほどつまらんかった。「なかなかお目にかかれないエライ人に会ってきました」っていうレベルなんだよな。「新しい発見」に直面したオドロキがない。そんなんだったら、はよ、さっさと、マスコミ取材から逃げまくっている小泉との単独会見でも取ってこいや。
#今日(6月14日)発売の文春が、長勢甚遠と赤坂美人ママとの「不適切なカンケイ」をスッパ抜いておったが、そんなことより、ワシはその長勢の魚津市の実家が「未登記」であることの方が重大問題だと思う。これは不動産登記法違反にあたるというのは言わずもがなだが、登記の大元にあるものとは、このように「不動産の私有」を、お上(=法務局)がちゃんと認可し、その権利、所有関係を「正しく証明してくれる」ということに尽きる。その法務局を管轄してるのが法務省で、長勢はそこの役所のトップぢゃないか! この「自宅未登記」は、既に95年の段階で報じられていたというから、100歩譲って、 法務大臣に就任した時点でそれをやらなければならない。そんなもん、法務局に行って、手続きをすれば済む話ぢゃないか! 法執行を司る役所のトップが率先して法律違反してんだから、 ワシらに「法律遵守」なんて言う資格はない。「膿」は凄いで。
#それと、緒方重威(元公安調査庁長官)と朝鮮総連とのカンケイが、突然、なぜか、今、大騒ぎになっておるが、そもそも公調自体が、腐れ法務・検察とは一体で、公安調査庁は長官、次長以下、ラインの職はすべて「検事」だからな。緒方も、公調の長官(93年7月━95年7月)をやった後、仙台と広島の高検検事長をやって、97年6月にめでたく定年退官(高検検事長の定年は63歳)しとるんだからな。公調の長官は検事長のテンパイポストで、特に三井環のオッサンのカミングアウトで、チョーカツが検察官署から削られまくった分、その「ご利益」はすべて公調に回っておるわけやからな。腐れ検察も、加納駿亮と同様、天皇の認証官である「高検検事長」までやった「身内」なんだから、本来は守るハズなんや。何かヘンだなあ。緒方、もし、地検が身柄を取るようだったら、チョーカツの実態を全部、バラしたらいい(笑)。特に公調は予算がイッパイあるんで、超オイシイからな。「焼肉工作」とか、一般の人間は、全然、知らんし。
#ん、今日(6月25日)の人事異動で、三井環のオッサンの口封じデッチ上げタイホで、"贈"の渡真利の公判を担当した大島忠郁がちゃんと大阪高検刑事部長に出世しとるやんか! スゴイな。このままさらに大島の「口封じ」をさせるためには、「次」はちゃんと高検の次席に就けてやらんとアカンな。どや、但木、高松高検の次席あたりだとちょうどええやないか!
#ふーむ、マルハムの「福本バクダン」、大炸裂やな。今、信濃町には緊急非常事態警報が発令されておるようだ(笑)。で、福チャンは実は東大法華会のメンバーで、内部最中枢情報筋によると、同じ東大卒の原田稔会長は、ぬあんと、福チャンに対して同情的。で、同会の他のメンバーも今回は、福チャンに味方しているため、彼らは今、理不尽な仕打ちに遭ってるとのことだ。ところが、創価大卒の北側は、福チャンを4時間にわたってソーカツしたため、ぬあんと、ここに来て、信濃町内部の「東大閥vs創価大閥」の対立が激化しとるとのことや。んー、「アフター・イケダモン体制」の将来像を見る思いやな。「障害者自立阻害法」の大モンダイ点を、05年夏の時点で、フリーランスのジャーナリストとしては日本国内で唯ひとり、指摘していた山田直樹氏(あと、他にマスメディアでは約1名)、今回はなかなかのスクープ・インタビューでせう(笑)
#ほいで、信濃町最中枢筋からの特報だが、福チャンは相当なディープなネタを握っておる。これは週現インタビューの続報、楽しみやなあ(笑)。例えば、「マルP裏献金」だと、ぬあんと、コレはモノに化け、現在、八王子の牧口記念館に眠っているとのことや。で、福チャンが今回、マルハムの公認を外された理由とは、自分の秘書が亡くなった際、遺族が「お山」の寺院で葬儀をやったことに、イケダモン大先生が激怒したことによるそうな。どうも以前から日蓮正宗の信者だったらしい。福チャン本人はインタビューで、「それが公認を外された一因では」と言ってるが、「一因」どころぢゃなくて、「そのものズバリ」や。これで、記事で言ってる内容が極めて正確であるというウラが取れたな。
#週現に続いて、今日(6月28日)発売の新潮に、例の朝堂院大覚のオッサンがしゃしゃり出て、いろいろとベラベラ喋った記事が出たその日の午後に、いきなり、緒方重威のオッサンを逮捕か。んー、しかし、容疑が「詐欺」だろ。朝鮮総連本部の土地と建物が差し押さえられるのを防ぐために、移転登記までしたのに、それが一転して、「架空の売買話」になってしまったのか(笑)。また、相変わらず、マンガをやっとるな。ってことは、「被害者」は、総連ってことになるわな。そんなバカな話があるんかよ。まあ、スジの悪い民事崩れの典型であることは言うまでもないが、まあ、もし、刑事事件として立てるなら、差し押さえを逃れる目的で、不法に名義を変えたっていうことを捉えて、強制執行妨害(刑法96条の2)で、総連側の人間と、その顧問弁護士の土屋公献も一緒に「共犯」としてパクるのが、いちばん筋道は通っていたと思うがなあ。それが、いきなり、「詐欺」だろ。まだ、1万歩譲って、ガサ入れをしたときの公正証書原本不実記載の方がマシだった(ただ、この容疑も緒方側が「本部の土地・建物を購入する意思があった」のであれば、事件として立てるのはムリ)。しかし、何をもって、緒方が「総連側を騙すつもりだった」っていう、「犯意」を立証するんだ? わかりやすい例を出せば、飲み屋のツケをまだ払ってない客に、詐欺罪を適用してパクるようなもんだろ。だって、緒方側が購入代金を用意できなかったのは、地検がガサ入れで動いて、大騒ぎしたから、話がおかしくなって、カネの工面ができなくなったんじゃないのか。何か、すべてのババを緒方に押しつけて、「一件落着」っていう感じがするで(笑)。そもそもこんなカネが動くところに有象無象がタカる、チョー魑魅魍魎とした「民事案件」なんだから、そんなもん、キツネとタヌキの化かし合いに決まってるぢゃないか! だから、「民事不介入」の原則があるんであって、そこを無理スジに刑事事件に仕立て上げてるところから、まず、相当な無理がある。本来であれば、そういうふうにブンヤはクリティカルに捉えて、「これはかなり、胡散臭いぞ」と、報道の際はそれなりの対応をするっていうのが、スジなのだが、まあ、そんなレベルを求めるのは、三井環のオッサンのときの「口封じデッチ上げ逮捕」を出すまでもなく、「木によりて魚を求む」ようなもんだがな。
ただ、逮捕翌日(6月29日)の産経の3面で、それなりに踏み込んだ背景も書き込んでいて、「金を出し、指示を出した者が首謀者だ。総連には、差し押さえを逃れるために中央本部を緊急避難させたい明確な目的があった」との検察幹部のコメントを掲載しているが、まさしくその通りだろうなあ。だとすれば、事件として立てるのであれば、やはり、「強制執行妨害」の方だったと思う。どうも、あせって、「上」から指示が降ってきたって感じがする。「ザ・スクープ」のインタビュー収録阻止という「口封じ」のため、三井環のオッサンの身柄を取らせたときのようにな(笑)
#もう一度、6月28日発売の新潮の記事を読み返してみたのだが(女子アナ特集の記事ではなく)、今回、一緒にパクられた不動産会社社長・満井忠男は、神田錦町に持っていた「三正ビル」のオーナーで、そのビルに朝堂院大覚のオッサンの主宰する「法曹政治連盟」の事務所があって、で、朝堂院のオッサンがその満井と緒方との間を取り持ったわけだよな。本来であれば、朝堂院のオッサンも「成功報酬」が入ってしかるべきだったんだよな。コレ、腐れ検察が新聞(特に毎日)を使って、「緒方はケシカラン」と、風を吹かせまくった挙句、取引を潰しておいて、挙句の果てには、「詐欺」でタイホかよ(笑)。マッチポンプもいいところだなあ。しかし、この新潮の記事に出ていた全国紙デスクの「これは架空話だった疑いがあり、詐欺での立件もある」旨のコメント通り、発売日の午後にいきなり、この詐欺容疑の方で、身柄を取ってるんだからな。しばらく、鳴りを潜めていて、事件は「お流れ」かと思っていた矢先、突然、動いたからな。見事なまでの「泥縄式」やな。やはり、朝堂院のオッサンは「鬼門」ってことか(笑)
#おっ、明日(7月2日)発売の週現の福チャンのスクープ・インタビュー第2弾で、ちゃんと「マルP代」のことをバクロしとるやないか! しかし、表向きは共産党が秘書給与を寄付の形で党本部に上納させていたように、あくまでちゃんと「党本部」を経由してロンダリングがなされているから、足がつなかいようになってるんだな(笑)。要は、マルハムの国怪議員は、歳費の中から「財務」を定期的にむしり取られているというわけか。となると、「党の経理」にメスを入れたら、こりゃ、トンデモナイ「支出先」が出てくるで。とにかく使途や、使途! そうやって、むしり取られたカネがいったいどこに消えて、何に化けているか、それがモンダイの本質や!
#しかし、何度も言うが、今度の緒方サギ事件は、ホンマ、スジが悪いで。まず、第一に、今度の総連本部の物件に限った話ではないが、このように裁判所からの差し押さえを食らいそうになった不動産を、それから逃れるため名義変更するケースなんて、世の中アリマクリンスキーだからな(そのテの話は、地上げに精通しているキツネ目のオッサンに聞けば一発だろう)。で、これは基本的には、総連と緒方側による「不動産売買」なんだから、双方の間で話がまとまればめでたく、「契約成立」ってことになるが、でも、商売やってりゃ、「もろもろの事情で、支払うべき代金の都合がつかなくなったんで、もう少し待って下さい」なんてケースは、ザラだからな。っていうか、6月12日付け毎日夕刊を皮切りに、マスコミがジャンジャン書きまくって煽ったんで、まとまる話もまとまらずに、ポシャッてしもうたんやないか(笑)。で、今回は、この6月1日に総連本部の土地と建物の不動産登記をした時点を捉えて、「騙し取った」と、サギ罪の成立にこぎつけておるが、しかし、こりゃ、チョー無理があるで。ホンマ、飲み屋のツケを、「お前、代金を支払うつもりはなかったんやろ」と言いがかりをつけて、身柄を取るようなもんだからな。だって、双方に信頼関係があれば、債権者だって「待つ」がな。それが商取引における「信用」というものぢゃないのか! ワシは何度も言ってるが、事件にするんであれば、「強制執行妨害罪」だったで。こっちならすんなりとワシの頭でも理解できる。とりあえず、今回パクッた3人のうち、その「資金調達役」とされる河江ナントカを抱き込んで、やっと立件に持っていったわけだが、しかし、公判で否認したらどうすんや。全部、パーやないけ(笑)
#で、今度の「総連本部所有権移転モンダイ」の本質は、破綻した朝銀に対する公的資金(=税金)投入にあるぢゃないか! バブルまっ只中の80年代半ば、北の偉大なる将軍サマの指示のもと、朝鮮総連は「地上げ」の投機ビジネスに手を染め、中心になってたのは、当時、許宗萬(責任副議長)だが、総連は(もちろん間にダミーの会社も挟んで)朝銀からチョー巨額の融資を引き出しておったんだろ。ところが、他の日本の金融機関同様、バブル崩壊でその貸したカネが焦げ付いてしまったんで、その「朝銀破綻救済」の尻拭いに、公的資金、つまり、ワシらの税金が投入されたんぢゃないのか! とりわけ、97年5月、最大手だった朝銀大阪が破綻した際は、関西地区の他の朝銀と統合して、朝銀近畿が受け皿として作られたが、そのときの投入額が、ぬあんと、3102億円や。だから、この6月18日の東京地裁判決が、「破綻した朝銀の不良債権は、実質的には総連への融資だった」として、総連に対して627億円の全額返済命令の判決を言い渡したのは、当然ぢゃないか。そんなもん、「借りたカネを返す」なんて、それが「信用取引」のすべてぢゃないか! だから、判決に伴う本部の土地・建物の差し押さえを見越して、緒方の会社に「名義変更」したってのは、総連としても当然ぢゃないか! ワシが総連の担当者だったとしても、同じことをしている。翌19日付け毎日の1面トップで、「緒方を虚偽登記容疑で立件へ」と書き飛ばし、まあ、これが結果的には「大誤報」になってしまっておるが(笑)、だから、何度も言ってるように、この判決のタイミングで、検察は緒方と土屋公献、それに総連側の関与人物を、「強制執行妨害容疑」でまとめて身柄を取ればイッパツだったんや。だって、極端を言えば、6月18日の判決が、仮に総連側の支払いを命じなくて、「回収機構敗訴」であっても、既に登記は緒方の会社になされてるわけやから、この容疑で100%立件できるし、むしろ、この「本筋」で捜査のメスを入れ、膿を出さなければならなかったのに、本当に赤レンガの連中はバカだな。でも、検察内部では「強制執行妨害事件で行くべし」という意見を言ってた幹部もおるんだろ。これで、緒方がヘソを曲げて、保釈後に検察、さらには公調のチョーカツの実態をバクロしたらどないすんや! 三井環のオッサンどころの騒ぎぢゃないで(笑)