資本主義にある本質としての「格差創出」(その3) |
原題は「An Inquiry into the Nature and Causes of Welth of Nations」(諸国民の富の本質と原因に関する研究)で、草稿は40歳だった1763年の時点で書き始めており、下書きの完成は1770年、そして、刊行が1776年でした。
当時からこの本はベストセラーになりましたが、「国富論」で書かれている内容を煎じ詰めて言うなら、何よりもまず、経営者が「富」を獲得するためには、その「レッセ・フェール」(=Laisser faire)の標語に象徴されるように、政府の余計な規制を取り除き、民間企業経営者の経済活動の自由を保障すること。さらには、労働者の賃金についてても、多く与えすぎると怠けて仕事をしなくなるから、生活できる最低保障で十分だ、とも言及しています。
何のことはない、一連の「小泉構造改革路線」の青写真は、すべてこの「国富論」に集約されているわけですが、それゆえ、この本が「資本家(=企業経営者)のバイブル」と言われ続けてきたのでしょう。
そのアダム・スミスが生きていた頃、イギリスとはドーバー海峡を挟んで対面しているフランスでは、ブルボン家の絶対王政の時代でした。近代資本主義の発展において、フランスはイギリスよりも大きく遅れを取ることとなりますが、圧政によって、民衆が重税に喘いでいる状況は、フランスもイギリスと似たり寄ったりというより、むしろ、深刻だったともいえると思います。おそらく、そのリバウンドが、あの大革命となって一気に噴出したともいえます。
そのフランスで1789年に起こった革命の根底となったのが、ジャン・ジャック・ルソー(1712━1778)の思想です。
ルソーの思想は、その「人間不平等起原論」や「社会契約論」などの著作で著され、日本でも高校の倫理の教科書なんかでも取り上げられていますので、名前自体は、かなり有名だと思います。 ただ、そこに盛り込まれているルソーの思想の全体像及び、その革命思想の根源性については、何ていうのか、さほど一般レベルには浸透していないように思えます。
私自身も、大学の仏文科を出て、一般の人よりは多少、ルソーについては知ってるつもりでいましたが(といっても、専門でやっていたわけではないので、大した知識はありませんでしたが)、ここ最近、ルソーの著作を読み返しながら、なぜ、フランスで革命が起こったのか。その革命を突き動かす要因となったのは、何なんだろうか、ということを、しばらく考え続けていました。
そして、ルソーの思想というよりは、その人間像があまりにも巨大で、かつ、また、いろんな顔を併せ持っているため、そのトータルな姿が掴みきれずにいました。で、私が彼の著作を読んでたどりついた結論とは、現在となっては、彼の著作は「古典」となり、彼自身の存在は「思想家」というふうになってしまっているが、彼が生きた同時代においては、ルソーは「文学者」であると同時に、「政治経済学者」でもありました。
そして、この点がいちばん重要ですが、彼は当時において、「ジャーナリスト」であった点です。
本稿では、「ジャーナリズム論」を俎上に乗せたものではないため、そこに対する詳細な言及は避けますが、少なくとも、私の中におけるジャーナリズムの定義とは、敢えてかいつまんで言うなら、「その時代における権力中枢のはらわたを抉り取る」ということに他なりません。
他の同業者や、また、高名な学者の方々がジャーナリズムをどういうふうに説明をしているのか、私にはわかりません。が、少なくとも、この行為、すなわち、「根源的な権力批判」がその表現の中に存在しなければ、それはジャーナリズムには値しない、と私は思います。
その意味において、ルソーの著作物であり、また、彼の表現行為は、その時代において、「ジャーナリズム」以外の何物でもありませんでした。事実、ルソー自身、当時のアクチュアルなテーマについても言及し、同時代においては、思想上のライバルともいえるヴォルテールとの激しい論争も行っています。
イギリスで、アダム・スミスが「国富論」の草稿を手がけていた頃、ルソーはパリの北約12キロのところにある、モンモランシーという寒村のシャトーに篭もって、『社会契約論』、そして、『エミール』を書き上げます。しかし、この双方とも官憲によって焚書の扱いを受け、フランス国内での出版が禁止されました。
で、それだけにとどまらず、ルソーには逮捕状が出されたため、彼は寸でのところで、モンモランシーを抜け出し、ジュネーブへの亡命を余儀なくされます。
今でこそ、ルソーの遺骸は、フランスの「共和国廟」ともいえるパリのパンテオンに安置されるとともに、その著作物も「古典」としての評価を受けて、歴史の荒波を潜り抜けてきています。しかし、こうしたルソーの生きざまであり、また、彼が著した著作の扱いにこそ、「革命」の本質が、そこに宿っているのではないか、という気がしています。
それを考えると、私はジャーナリストが、まだ表沙汰になっていない事実を、スクープとして発掘するのは、当然の動作ですが、そうした行動とリンクしながら、「(同時代を突き動かす)新しい思想の産出」にも携わらねばならないのではないか。そういうことを、本稿を書き進めるにあたり、強く感じています。(この項つづく)